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夢の終わり(後)

こちら側に、引き寄せた。

「えっ」

 目の前で驚愕の表情を浮かべる立川に、俺はしたり顔で返した。

「落とされると思ったか?」

 小さく頷くのが見えた。正直でよろしい。

 そう見えるようにやってたんだから、見えなかったらちょっと哀しい。

 まぁ演技力に自信が在るワケじゃないので、見えなくても仕方ないんだけど。

「どう、して?」

「悪いけどな。俺の感情は、憎しみなんてモンに回せる程、安い代物じゃないんだよ」

 困惑して声を出す立川に、俺は笑って返した。

 そう、そんな物に回す分があるなら、喜とか楽とかに使いたいのだ。感情を自由に出来ない身としては。

「そりゃあ、二人のことは哀しいさ。哀しいけどその原因は事故だ。誰が悪いわけでもない。というか、お前も散々ひどい目に遭ったって聞かされた後で、恨めって方が難しいだろ」

「で、でも」

「それにさ、その姉さんの信条が『罪を憎んで人を憎まず』だったんだから、俺がそれを破っちゃうのはまずいだろ?」

 嘘です。納得させやすいから言ったけど、あの人そんなに立派な信条持ってません。

 でも、だけど、ここで突き飛ばすのも、やっぱり違うと言ってくれると思うから。

 だから、少しくらい美化するのは許して欲しい。

「そ、そんな……」

「ふむ。あ、そうだ、ちょっとこっち向いてくれるか」

 言いながら、体の向きをずらす。

 二人の位置関係が、屋上の端に対して垂直から平行になったところで、一旦手を離した。

 そして。

「だああああらっしゃあああああああああああ」

「ぴぐぅ」

 シンプルイズベスト、頭頂部はたき落としをたたき込む。

 そう、溜まっていた別の感情、憎しみではなく怒りをぶちまけた。

「お前、俺に殺させようとしただろ」

「ッ——————」

「自分じゃ、消えられなかったか?」

 殊更(ことさら)に冷たく言う俺に、立川は叩かれた姿勢のままで震えている。

 だが、すぐに決壊した。

「どう、して? 消えたいのに、終わらせたいのに、何で、どうして足が竦むの————」

「簡単だ。消えたくないからだろ」

 俺のあっけらかんとした言葉に、キッと立川は目を剥いた。

「そんなことない! 私は——」

「消えたくて消えたくて仕方ないけど、あんたは、消えるのが怖いんだ」

 大した矛盾だよな、と吐き捨てると、立川は絶句した。

 絶句して、うなだれた。

 か細い声が、そこから漏れ出す。

「じゃあ、どうすれば」

「惰性で生きてくしかないんじゃないか? 怖かろうと何だろうと、いずれ終わりは来るんだし」

 あくまで勝手な俺の意見に、今度こそ立川は閉口した。

 それを見て、今度はこちらが訊ねるように声を掛ける。

「この世界に、本当に生きる意味はないのか? 希望は、ないのか?」

「……無い。誰も、信じられない」

 全く、とりつく島もないな。

 試しに、と一つ訊ねる。

「俺も信用できないか?」

「できない。何年も一緒に居た友達に裏切られたんだよ? 出会って二日の人間を、信じられるワケがない」

 正論ですね。俺が訊かれても同じ事を答えそうだ。

 つか、信用できないってワリに簡単に付いてきたよな、モデルの時。

 まぁ、それならば、と違う方面でアプローチする。

「一目会った時から好きでした。俺と一緒に生きて下さい」

「…………ふざけてるの?」

 あ、俺じゃイヤ? もっとイケメンがいい? そうだよな『中の中』じゃ釣り合わないよな。仕方ない、仕方ない。

 ……何だろう。恋愛感情はわかんないけどむかついてきた。

 結構悔しいぞ、これ。

「モデル」

「え?」

「モデルまだ一回しかやってないだろ? まだまだ俺は描き足りないんだ。一度了承したんだから、俺が飽きるまでやれ」

「何よ。その暴論。別に良いよ? 今、好きなだけ描いたら?」

「冗談。いつ消えたり、化け物になったりするか分からん奴が相手じゃやる気も出ない。さっさと夢から覚めて、本体で学校に来い」

 その代わり、と俺は言葉を続ける。

「もし、本体が学校に来たら、俺が何をしてでも守ってやる。モデルに体調崩されたら、俺が困るからだ。一人では無理でも、原田や篠山に頼み込めば、何とかなる。絶対にな。——これでも、信用できないか?」

「……たかが趣味に、そこまでするの?」

「何を言う! 趣味は生き甲斐だ。俺の絵への執念嘗めんなよ?」

「執着が見えないから言ってるの」

 口調はまだぶっきらぼうだが、声には笑いが混ざっていた。

「なぁ……」

「…………うん、いいよ」

「え?」

「信じてもいい。もし戻れたら、あなたのモデルやってあげる」

 顔を上げた立川は、ほとんど険がとれていた。

 ただ、その顔には寂しさがつきまとう。

「でも、それは無理だよ。戻るには、消えなくちゃいけないんだから。他の方法を探すにしても、間に合うかどうか……」

「————いや、その必要はないみたいだぜ?」

 立川の体に起きた変化を見て、俺は笑った。

 立川の体から、金色の粒子が舞い、それに従って体が薄く、見えなくなっていく。

「…………これは」

「目覚めだよ立川。願いが叶うんじゃなく、願いが無くなる事によって、ユメが形を失ったんだ」

「それじゃあ————」

「ああ、次に会うのは退院してからだな」

 立川の呆然とした顔が薄れていく。

 思いがけず目覚めることに、困惑しているのか、何か言おうとしては口を閉じている。

「じゃあな立川。なるべく早く学校来いよ」

 返事は聞こえず、立川さつきは、冷たい空気に溶けていった。


 ぐらり、体が揺れる。腰に激痛が走る。緊張が解け、意識が揺らぎ始める。

 ……まずいここで倒れたら。

 必死に抗うが、抵抗が効かない。

 ……だめだ、急転直下、フェンスのない屋上から、一気に落ちて潰される。

 そんな未来を思い描いた次の瞬間、二本の腕が体を掴んだ。

 一本は、ゴツゴツした、筋肉質な腕。

 もう一本は、しなやかな、細い腕。

「危ねぇな。ホントに落ちたらどうすんだ」

「上手くいったようだね。よくやったよ高浜健吾君」

 よく知る二人の声を子守歌に、今度は俺が眠りに落ちた。


 白い世界。

 いつもと同じ夢の中に、また、俺は立っている。今日は、初めから鏡が、目の前に在った。鏡の中のオレが、気怠そうに睨んでくる。

「全く、だから言っただろうが、後悔してもしらねぇぞって」

「は? どういうことだ?」

 すっとぼける俺を見て、鏡はイライラと頭を掻いた。

「妙な約束すんじゃねぇってこと。どうすんだよ、お前ここからしばらく出られねぇぞ」

 鏡の言葉に、納得する。

 やはり、力でねじ伏せた反動は大きいようだ。

 どれ位出られないのかを、一応鏡に訊いてみる。

「ん? まぁ、お前は二、三時間超過した程度だからな。数ヶ月もすりゃ出られるんじゃねぇの?」

 数ヶ月……やはり、立川が退院するよりは長いんだろうな。

 守れないのは心苦しいが、仕方ない。

「まぁ、どうしようもないだろ。約束は諦めるよ」

「はぁ!? おま、そんな早く諦めんの? いいのかそれで!?」

 鏡が絶叫する。何だこいつ、こんな性格だっけ?

「何だよ。そんな怒鳴んなくてもいいだろ?」

「ふ・ざ・け・ん・な! もっとこう、ないわけ!!? 『何か方法は無いのか』って詰め寄るとか、『ここをぶっ壊してでも外に出てやるぜ』って頑張るとか」

「……いや、そんなんでどうにかなるなら、母さんももう起きてるだろう?」

 う、と鏡が言葉に詰まった。

 本当にこいつは何がしたいのか。まるで俺を目覚めさせたいみたいな行動をする。

 かと思えば、昨日までみたいに思わせぶりなこと言って消えたりするし、わけが分からない。

 俺が睨むと、鏡が小さい声で呟いた。

「……極短い間だけなら、さっきまで見たいに、気合いで起きられるんだよ。その間にストレスを減らせれば、この状態からは抜け出せる」

「はっそれこそ無理だろう。ストレスが減らせるなら、初めからこんな状態にはならない。違うか?」

「…………お前には出来るんだよ。なんで絵を趣味なんて言うようになったのか、思い出せ」

 それだけ言うと、鏡は、白い背景に溶けていった。

 ……絵を趣味にした理由? そんな物があっただろうか? 

 思い出せと言われても、とっかかりが無くてはやりようが。

『あら、大ちゃん。上手ねぇ』

 突然、脳内に、声が響く。聞き覚えのある、優しくて、懐かしい声。

 ………………これは。

「かあ、さん?」

『え、ほんと? 見せてよ! たいよー』

 今度は、弾むような、はしゃぐような、明るい声。

「ねえ、さん……」

『ほう、健吾は将来、画家になれるかもなぁ』

 低音で、落ち着く、安らかな声。

「……とうさん」

『へへっ』

 照れたような、はにかむ声。

 ああ——ここにいる馬鹿の声だ。

「これは……」

『ねぇねぇ、どうしてこんなにうまくかけるの?』

『うーんとね。【こころ】を、こめるの』

『心? ていねいにかくってこと?』

『ちがうよ! 【たのしい】をえにうつして、みんなにとどけるんだ』

 子供の頃の、姉さんと俺の会話。

 我ながら、言っている意味が分からない。

 だが、両親は、何かに気付いたようだった。

『母さん、これは』

『ええ、もしかしたら健ちゃんは——』

 喜んでいる二人の声から、何かを得ることが出来そうだった。

「【心】をこめる」

 鏡が、ヒントと言っていた、空っぽ、空虚という言葉。

 そして、立川をスケッチした時に感じた、自己嫌悪。

 俺の絵はそんなモノではないという、内側からの叫び。

 ……試してみるか。

「おい鏡、いるんだろ!?」

「…………なんだよ。ふぬけ」

 俺が白い背景に叫ぶと、鏡が、そこからしみ出すように出てきた。

 顔は見るからに不機嫌。

 俺がやる気のないことに腹を立てているらしい。

「何だよ。無駄話する気分じゃねぇから——」

「外に出してくれ」

 鏡の顔が固まった。驚愕で、声が出ないようだ。

「お前…………分かった、のか?」

「多分。できるかは、わかんないけど」

 その回答を聞いて、また、鏡は不機嫌になった。

 面白くなさそうに、警告をする。

「ならやめとけ。失敗したら、もうチャンスはない。時間切れまで待つしかなくなるんだ。絶対の自信がないなら、やるべきじゃない」

「でもさ、明日まで待ってたら、明日には立川が来ちまうかもしれないだろ? せっかく外に出ても、約束破ったことになってたら、意味無いじゃないか」

 俺の反論に鏡が腕を組んだ。どうするべきか、悩んでいるらしい。

「おい」

「…………分かった。すぐ準備するから、そこで待ってろ」

 諦めたように、白の背景に沈んでいく。……こいつ。

「何だ、お前、結構良い奴だな」

「け、てめぇのアホ面を、四六時中見るのがゴメンなだけだ」

「…………同じ顔だぞ」

「う・る・せ・え」

 ここまで会話したところで、鏡の姿が、完全に白に溶けた。

 いつもの様に乱反射した声が響く。

『いいか、制限時間は十分間だ。その間に規定値まで下げられなきゃ、お前はここに逆戻り。時間切れまで、無為に時を過ごすしか無くなる』

「了解、やってやるさ」

『良い返事だ。行くぜ! 歯ァ食いしばれ!!』

 世界が回転する。

 この夢に、方向なんて無いと思っていたのに、やたらめったら振り回される。

 洗濯機に放り込まれたらこんな気分になるのではないか、と言うほど最悪な心持ち。

 吐き気を催すその回転が、限界まで達したと思った瞬間、俺の体は、ベッドの上に放り出されていた。


 俺が目覚めたのは、保健室のベッドの上だった。何故か痛い頬をさすりながら、体を起こすと、心配そうな篠山と目があった。

 途端、顔が明るくなる。

「良かった、目を覚ましたのか。急に倒れたから心配したよ。叩いてもつねっても起きないし、もう目を覚まさないかと思ったよ」

「しの、やま、頼みが」

 頭がズキズキして思考がまとまらない。時間がないのに、苛立ちがつのる。

「ああ、そうだ。原田校務員も呼んでこようか? 彼も心配していたからね」

「篠山、待った!!」

 立ち上がり、部屋を出て行こうとする篠山を必死に呼び止める。

 慌てて動いたため、腰に激痛が走るがやむを得ない。

 今出て行かれたら、確実に失敗する。

「余り動かない方が良い。腰を強打してるんだ。一日安静にすれば良くなるらしいが、今は————」

「篠山! 紙と、ペンを、鉛筆でも良い。何でも良いから、絵を描く道具を!! 持ってきてくれ!」

 俺の言葉に、篠山は眉を寄せる。

 怪訝に思われようと、説明している暇はないのだ。

「君は、何を」

「頼む!! 時間がないんだ!!!」

 俺が叫んだことでようやく事態を悟ったのか、篠山は、分かったとだけ言うと足早に保健室を去った。


「ほら、スケッチブックとサインペンだ。全く、何だってこんな——」

 聞き終わる前に、目的のモノをひったくる。篠山が戻ってくるまで三分弱、残り時間は七分ちょっとだ。一秒も無駄には出来ない。

 とすれば、何を描く? 恐らく心に深く残っていることを消化すれば、ストレスは大幅に消せるはずだ。だとすれば……。

「あの、事故」

 それしかない、がどうやって描く? 実際に見たわけではないのだ。

 想像して? 

 違うそんなんじゃない。

 【心】を込めるって言うのは——。

「見たままではなく、感じたことを絵で、表す」

 それも、感情や、痛みを込めているという自己認識の元で、だ。

 思えば、俺が体質の発作を起こすのは、自分で感情が高ぶったと認識した時だ。

 何かを感じていても、自分で理解していなければ、影響はない。

 ならば、感情やストレスを、絵に詰め込んでいると、自分を騙し切れれば、恐らく俺のストレスは消滅する。

 重要なのは、自分がどう感じるかだ。

 ——事故の記憶を呼び覚ます。その痛みを、苦しみを、胸の中に再来させる。

 感じたことを思ったことを、全て筆に乗せていると、思いこんで、描く!!

「ッ————あ」

 何かが、すっと抜ける気がした。一筆ごとに、心が軽くなる感覚が、確かにある。

「よし、いける」

 俺は、一心不乱に、絵を描き続けた。

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