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篠山優香の奮闘記(後)

学校を出て、まずは家に向かう。

 徒歩で十分。走れば三分にも満たずに到達できる距離。

 この近さだけで高校を選んだと言っても過言ではないのだから、有効利用しない手はなかった。

 ただいまもそこそこに、靴を脱ぎ、部屋に直行。即座に着替え、また家を飛び出す。

 後ろから、母の怒声が聞こえた気がしたが、気にしない。どうせ戻ってくる頃には落ち着いている。

 今は何より、林から得た住所に向かうのが先決だ。

 体を最大限に有効活用。なるべく疲れない、かつ速い走法で道を駆ける。

 私は、体格を見れば分かるように身体能力自体は優れていない。だから、技能で補うしかないのだ。


 ものの十分程度で、目的地に到達した。

 この程度ならば、呼吸を整える時間はほとんどいらない。

 その代わり、気持ちを整えるために二、三回深呼吸をした。

 ここから先は、咄嗟の機転が勝負を分ける。不審に思われて、警察でも呼ばれたらやっかいだ。

 今一度、自分の格好を確認する。ジーパンに黄色地に水色のワンポイントを持つ長袖のTシャツ。飾り気のない格好だが、気軽な感じが出ていい。

「よし」

 ひと思いに呼び鈴を鳴らす。

 十秒、二十秒、反応がない。

 聞こえなかったのか、ともう一度鳴らすが今度もダメ。

「?」

 素直に困惑して、途方に暮れる。

 時間的にはまだ夕方の域を出ない。もしかしたら、買い物に出ているのかもしれないと思い立ち、(きびす)を返すと。

「その家に何の用かね」

 しわくちゃの老婆が、目の前に立っていた。

「ッ————————」

 呼吸が止まるかと思った。

 気配もなく、いきなり目の前に現れられたら、高浜でなくとも気絶しかねない。

 おかげで、柄にもなく取り乱してしまった。

 目を閉じ、数回深呼吸をしてから目を開くと、小柄な私よりもさらに小さい老婆が、小さい目で、私を睨み付けている。

「この家にゃあ、もう誰も住んじゃおらんよ」

「え——————————」

 老婆の言葉に、今度は別方面で驚かされた。

 誰も住んでいない? 

 林が住所を間違えたのか。

 イヤ、確かに表札は立川だったし————。

「お前さん何モンじゃ? この家に何しに来た?」

「え——いや————その」

 いけない。相手のペースに呑まれてどうする。

 集中しろ。

 目を閉じる。

 ………………よし、落ち着いた。

 冷めた頭でいつものように、瞬時に回答を作り出す。

「……私は、原田優奈といいます。中学校の先輩である立川さつきさんを訪ねてきたのですが、だれも住んでいないとはどういうことでしょうか?」

「……さつきの、後輩?」

 私の言葉に、老婆は訝しげに眉を寄せた。

 これが、私服でこの家を訪ねた最大の理由。所謂サバ読みである。

 私は、大して立川さつきの事を知らない。故に、友人を名乗るのは危険。

 彼女が学校に来なくなったのは高校の夏休み以降なので、そのことを訊ねるのに先輩では不利。

 後輩ならば、彼女の高校時代に、私の知らない出来事があったとしても、簡単に訊ねることが出来る。

 よって後輩を名乗るのが、一番無難で、質問もしやすいだろう、という判断である。

 そして今の反応から、この老婆がさつきの親族か、それに近い者である、という推測がたった。

 もしかしたら有効な情報が得られるかもしれない、と言う期待が胸に宿る。

「あの」

「——来な。立ち話も何だろう」

 私が何かを言う前に、老婆は家の扉に手を掛けた。懐から鍵を取り出し、ドアを開く。

 私は未知に踏み込む不安を感じながら、ズカズカと家に入る、老婆の後に続いた。


 家の中は、妙な雰囲気に満ちていた。

 何というか、人の息吹を感じない。

 家具は一通り揃っており、掃除も行き届いているようだったが、何故だか生活感を感じなかった。

 老婆は、そんな家の中を無遠慮に進んでいく。

 私としては、付いていくしかないのがもどかしい。

 階段を上ったところで、老婆が足を止めた。

 ……もしかしてここが。

「さつきの部屋だよ」

 ぶっきらぼうに言って、老婆は扉を開いた。

 そこにあったのは、暖色を基調とした、質素な部屋。

 置いてあるのはベッドとクローゼット、そして学習用だろう机。

 そして、かわいらしい小物類。

 その中の、見え辛いような位置に写真立てがあった。

 目を凝らして見ると、卒業記念のものだろうか、一クラス分の生徒が並んでいる。

 立川さつきがどれかは、一発で分かった。確かに造形はぬきんでている。

 だが、如何せん、生気を感じなかった。

 部屋に満ちるやわらかな匂いは、確かに普通の女の子のもの。

 それが先ほど聞いた辛い話とのギャップを生み、自然、顔をしかめさせた。

 そして、その部屋の中心の開けているスペースに、老婆は座り込んだ。

 相変わらず機嫌の悪い声で言葉を発する。

「さて、何が訊きたい? 答えられるだけ答えるよ」

 ——話が早い。あちらからそう言ってくれると、余分な芝居をする手間が省ける。

 正直ありがたいが、その前に訊いておきたいことがあった。

「すいません。まず、おばあさんのお名前を——」

「は、それはあんたが本当の自己紹介をしてからだね。事情は知らんが、嘘つきに名乗る名前は無い」

 こちらが言い切る前に、老婆は鼻息荒く言い放つ。

 どうやらバレていたらしい。

 にも関わらず、ここまで連れてきた真意は分からないが、隠してもためにはならないだろう。

「——失礼しました。私の本名は篠山優花。お孫さんと同じ木檜高校に通う高校二年生です」

「ふん、何だ。二歳も誤魔化してたのかい。大した玉だよ。まぁ、あたしが名乗る必要がなさそうなのはいいがね」

 どうやらカマかけは当たっていたらしい。

 老婆、さつきの祖母は、ヒッヒと、気味悪く笑った。

「さて、優花さん。もう一度訊くが何で、ここに来たのかね?」

「……友人が、奇妙なことに巻き込まれまして。どうやらそれにさつきさんが関係しているらしい、ということで調べさせてもらっています」

「それで辿り着いたと? は、友人のためとは青臭くていけないが、まぁいい、暇つぶしに答えてやろうかね」

 驚いた。こんなワケの分からない説明で、納得してくれるとは思わなかった。

 イヤ、ありがたいのだがさっきまでの演技は何だったのか、と嘆きたくなる。

 ……まぁいい。気が変わらないうちに訊きたいことを訊いておこう。

「……立川さんの家族は、どこに消えたんですか?」

「ほっほ。こりゃまた随分と答えるのが大変な事を訊く。本気で知りたきゃ、二年前の出来事まで遡らにゃいけないが、かまわんかね?」

「ええ、そのためにここに来たんですから」

 強く頷く私を見て、老婆は嬉しそうに顔を歪めた。

「んじゃあ、まあ、二年前の事を話すかね。ウチの、さつきの父親だがね、奴は、決して大きな稼ぎがあったワケじゃないが、一家の柱として、恥のない程度には懸命に稼いでいたのさ。『これ位しか出来ないけど』なんて言いながらね。……そう、あんな事さえ無けりゃ、今もああやって笑ってたのかも知れないよ」

 老婆の声と顔に影が差す。

 私は急かしたい気持ちを抑えて、老婆の声に耳を傾けた。

「……だがね、二年前のあの日、何が悪かったのかねぇ、仕事で大きなミスをやらかしてね、会社ァ首になっちまったのさ。まぁ人一人殺しちまったってのと、会社が丁度首を切る人間を捜してたってのが、大きな理由だろうねぇ……」

「——待って下さい。人を、殺した?」

 老婆の言葉に、引っ掛かるモノがあった。

『立川さつきは人殺しの娘である』

 イヤな台詞が頭に反芻される。

 話を遮られた老婆は、気分を害したように口を尖らせた。

「……殺したっちゅうても、事故じゃよ、事故。向こうもこっちも望んどった奴なんか一人もおらんのに、何であんな事になったんかのぉ」

 心底哀しそうに、老婆はため息をついた。

 これを突いても、これ以上は何も出そうにない。

 気になることもあるが、先を促そう。

「——いえ、話の腰を折ってすいません。続きをお願いします」

「…………ふむ。それじゃあ言うがな。あのな、会社ァ首になった倅は、恥ずかしい話だが、俗に言うアル中になっちまったのよ。朝から晩まで酒呑んじゃあ暴れて、ろくなモンじゃない。生活費は、それまでの蓄えと、嫁さんのパートでなんとか持たせてたんだが、そのうち嫁さんの方が限界になってな。実家に逃げてもうたんよ。全く……元は倅が悪いとはいえ、嫁さんも娘おいてさっさと逃げちまうんだから、薄情なもんだ。まぁ、高校に受かってすぐに転校するのはかわいそうだから、とでも考えたんだろうが、どっちが幸せなのやら。まぁわからんが、とにかく、これが四月。それから夏までは、娘と父で何とか遣り繰りしとったんだが、八月、遂に崩壊がきた。倅がな、酔った勢いでさつきを殴り飛ばしただが首を絞めただかで、とにかく、朝になって大あわてで病院に連絡したらしいっちゅうことだけがわかっとる。んで、さつきは目を覚まさんとかで入院しっぱなしで帰ってこず、倅は事情聴取とかで警察行って帰ってこず、無人の館が出来たってワケさ」

 唐突に、老婆の話は終わった。

 つまり、立川さつきは、父親に殴られ、そのまま意識が戻っていない、ということだろうか? 

 だとしたら、脳になんらかの障害が起きて……? 

 ぶつぶつと思案する私を老婆は、感情もなく眺めている。

 ふと、疑問が浮かんだ。

「おばあさん。おばあさんは、立川家が大変な事になっているときに、どうしてたんですか? ここにいるってことは、家は近くにあるんでしょう?」

「……ヒッヒ、痛いところをつくねぇ。そうさねぇ、私の家は、歩いてちょっと行った所にある。何年か前に爺さんがくたばって、その蓄えと年金で、細々と暮らしてる。……倅一家が大変な事になっとるのは、知っとったよ。知っとったが、既に親の手は離れた子、自力で何とか出来ると思っとった。思って、放置した。……だがの、今になってみると、孫は、さつきには、手を伸ばしてやるべきだったのかもしれんと思ってなぁ。わしの家からでも高校には通えた。おかしくなっちまった倅から、離すことは出来た。そうして一人になれば、倅も自分を見つめ直せて、職に戻れたかもしれん。さつきは昏睡などしなかったかもしれんと……」

 一瞬、老婆の目に何かが光った気がしたが、それはすぐに消えた。

 老婆は、しゃがれ声で続ける。

「せめて、奴らが帰ってきた時に不自由せんようにと、こうして通って、掃除しては帰っとるのさ。他にすることもないしねぇ。ああ、それから、あんたの質問に答えようと思ったのは、単なる気まぐれさ。気にせんでいいよ」

「——いえ、辛いことを訊いて、申し訳ありませんでした」

 大方のことは分かった。

 訊こうと思っていた最後の質問も先取りされてしまったので、後は礼と謝罪だけを述べた。

 掃除を手伝おうとも申し出たのだが、これは自分の仕事だと突っぱねられてしまったので、仕方なく、私は帰路についた。



「…………」

「…………」

 俺も原田も、言葉がでなかった。立川は想像以上に過酷な環境に身を置いていたらしい。少し考えて胸が痛くなった。

「まぁ、林と老婆の話を総合すると、いかに彼女の周囲に安らぎが無かったかが分かるね」

「ああ、家でも学校でも大変な事になってたみたいだな。かわいそうに」

 篠山の言葉に、原田が大きく頷いた。ん? まてよ。それなら何で。

「おい、そこまで分かってたんなら、何で俺の実験に付き合ったんだ? それなら、絶対に幻覚じゃないじゃないか」

 俺の抗議に、篠山は分かってないなとため息をついた。

「君の見ているソレが、たまたま同姓同名の幻覚でないという確証はなかったし、君が私たちを騙そうとしている可能性も僅かに残っていた。だから実験の場所をわざわざ私のテリトリーである美術室にしたんだ。ここなら、余計な小細工はできないからね」

 …………なるほど、用意周到だこと。

 それにしても、恐るべきはこの女の情報収集力か。

 とんでもないのは分かっていたが、速読術とかなにそれ、今度教えて欲しいんだが。テスト勉強とかすごく楽になりそうだし。

 そんなことを考えている俺を尻目に、原田達は、別の議論を始めていた。

 何でも、結局立川は何なのか、という話らしい。

「死んでないから、幽霊じゃねぇって事だよな? 生き霊とか幽体離脱の類か?」

「どうかな? そういう分野はほとんど知らないから何とも言えないんだけど……あれだけ物に触っているんだしポルターガイストとかに近いのかもしれない」

「うーん難しいな。そういえばお前、その生き霊には今みたいに全部話したのか?」

「うん。まぁ結果だけって言うのがほとんどだけど。初めはまともに反応が返ってきてたんだけど、だんだん静かになってきてね。気がついたらひっくり返されてたよ。やっぱり見えない相手は難しいね。そうそう————」

 楽しそうですねー。こっちはまだ立ち上がれないっていうのに呑気なものだ。

 まぁ、そんなこと言いつつ、ワンピースが夏物だったのは、八月から見えなくなってたせいだろうとか、考察してる俺も呑気なのだろうけど。

「そこそこすっきり、したのか?」

 ある程度は、立川の出自が分かった。

 だが結局、どうすれば戻るのかは分かっていない。

 話を聞いて記憶が戻ったのかどうかも、本人に訊いてみないと分からないし。

 ……ふと、立川が倒れている、後方を眺める。

 訂正、立川が倒れているはずだった後方を眺める。

「……マジか」

 女の姿は、そこになかった。

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