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高浜健吾の受難(前)

 お前の絵は無機質だといつか誰かに言われた記憶がある。

 そう言ったのが、冴えない美術教師か、友人の原田か、はたまた美術部部長たる変態だったのかは、定かではない。

 ただ、高校に上がってからだとは思うので、この三人のうちの誰かなのだろう。

 もしくは全員からかもしれない。

 記憶違いでなければ。


 

「なんだ高浜。また来たのか?」

 放課後、俺が校務員室の扉を開けるのとほぼ同時、道具の整理をしていた原田は、あからさまに呆れた顔でそんな言葉を投げかけた。

 筋骨隆々、無精髭を多量に生やし、上下を紺色の作業着で揃えたこの男は俺が気を許せる数少ない人間の一人である。年は一回りほど離れているし、性格もそんなに似てはいないが、個人的には友人と言っても差し障りない間柄であると思っている。 少なくとも、俺個人としては。

「また来たのか、とはひどいな。俺は友人と談笑しに来ただけなんだが」

「あのな、日頃の愚痴をぶつける相手がこんなおっさんしかいないってのは、高校生として問題だろう。俺にも仕事があるんだし、そろそろ同年代(タメ)のダチでも作れ」

「む…………」

 仕事、と言われると黙るしかない。社会人と気ままな高校生は違うのである。邪魔だ、迷惑だ、と言われれば、関係を守るためにも、大変名残惜しいが、帰るのみである。

「そうか、それはすまなかった。勝手に友人だと思って甘えていた。俺はすぐに消える。どうか、思う存分仕事を続けてくれ」

「え、いや——」

「邪魔したな。ではこれで」

 回れ右をして出て行こうとする俺の肩を、原田の大きな掌が慌てたように掴んだ。

「まてまてまて、そう言う意味で言ったんじゃないぞ、俺」

「? ではどういう意味だ?」

「だからな、お前の将来とか、そういう問題としてだな、同年代の間での社交性とかをつけた方がいいんじゃねぇかと————」

 とうとうと語りを始める、原田邦一(はらだくにかず)三十歳。誠に申し訳ないのだが、その説教は聞き飽きているので、いつもの通り、話の腰を折らせてもらおう。

「——人間怖い」

「…………俺は人間じゃないってか?」

「そうじゃない。だが、親しみやすさの面で一線を画している」

 はぁ、と軽くため息をつかれた。繰り返されてきた問答に、嫌気がさしたらしい。

「親しみやすいって言われるのは、悪い気はしねぇけどよ。絵を描いてた、ってのが、そんなに珍しいのかね」

 そうかもしれない、と俺は軽くうなずいた。

 この大男は、その見た目に反して、非常に繊細な絵を描く。学生時代には、コンクールで入賞したこともあったらしい。かつては、線の細い美少年だったと、いつだか本人が語っていたが、絵を見るとそれもあながち嘘では無いと思えたものである。

「全く。そんなに絵が好きなら、美術部にでも入ればいいだろう? 機材もあるし、俺よりうまい奴だってごろごろいる。技術の向上にだって、役立つんじゃないのか?」

「そうかもしれないが、団体に所属するのは苦手だし、なによりあの変態の下に付く、というのが気に食わない。二年生の半ばも過ぎているし、やっぱり、絵は趣味で描くべきだと思うんだ」

「——面倒くさい奴だな、相変わらず」

 再び、原田はため息をついた。ただ、今回のため息は、呆れの中に、親しみも込められているようなものだった。

「まぁいいか。少し休憩にすっから、茶でも飲んでけよ。緑茶でいいか?」

「……コーヒーで頼む、砂糖多めで」

 ほんと、面倒くさい奴だな、と原田は笑った。


 だらだらと、下らない話をして時間を過ごす。男二人で、むさ苦しいことこの上ないが、やかましいよりは余程ましだ。

 『世界の絶景』なるテレビ番組について話している最中、時計を見た原田が、あっ、と声を上げた。

「いっけね。そろそろホントに仕事しないとまずい」

 言われてみれば、話し始めてからだいぶ時間が経過している。あれ程うるさかった廊下の喧噪も、今では、すっかり聞こえなくなっていた。

「そうか、ではそろそろおいとましよう。邪魔したな」

「そうでもねぇよ。それなりに楽しかったしな」

 別れの挨拶を交わす。時刻は夕暮れ時。茜色の光が、校務員室にも差し込んでいた。


「あ、ちょいまち。お前、少し時間あるか?」

「?」

 立ち去ろうとした俺の背に、何かに気づいたような、原田の声がかかる。

 何事かと思い振り返ると、わずかに思案する原田の姿があった。

「ふむ。高浜よ、お前屋上に興味あるか?」

「? 何だ、唐突に」

「いやな、これ位の時間になると、出るって噂があるんだよ」

 出る、とはまた抽象的な表現だが、この文脈の場合、出るモノが何か、というのはおおよそ決まっているだろう。

「出るって、幽霊か何かか? …………まさかとは思うが、そんな噂を信じてるのか?」

「う〜ん、信じてるって訳じゃないんだが、内容がな」

 珍しく歯切れが悪い。若干、不吉な予感を感じながら、その先を促す。

「いや、怪談の内容自体は、ありきたりなもんでな。屋上から真っ青な顔をした女が、地上を見下ろしてるってことらしいんだが…………」

「? それに問題があるのか?」

「————その女さ、木檜高校(うち)の制服来てるらしいんだわ」

 だから何が、と言いかけて、言いたいことが分かった。要は、本当にいたら困るのである。幽霊ではなく、人間が。

「そ。もし、幽霊なんかじゃなく、人間がそこにいた場合、勝手に屋上に上がってる奴がいるって事になる。もちろん、三本ある鍵は、俺、職員室、守衛のおっさんの三箇所で保管してあるし、ありえないっちゃあ、ありえないんだが……万が一、合い鍵でも作られてた日にゃぁ、学校中の鍵を交換する羽目になる」

 防犯上の理由、というやつである。一つ合い鍵が作られていた場合、他の場所も作られていないとは言い切れない。不審者を招き入れるような真似は、断固としてゴメン、というわけだ。

「……それで?」

「俺は、他にも仕事があって忙しい」

「——いるかも解らない幽霊にかまっている暇はない、と?」

「その通り。と、いうわけで——」

 君に屋上調査権を貸与しよう、と、屋上の鍵を俺に放る高校校務員、三十歳。

 これ、問題になったりはしないのだろうか? 一応、校則で禁止されているはずだが。

 と、いうより——。

「——そもそも、これって守衛の仕事じゃないのか? 見に行ったところで鉢合わせ、とかいやだぞ、俺」

「心配ねぇよ、この件は、俺が何とかするってことになってる。ま、学校側も、本気にしちゃいないんだろうさ」

 呵呵大笑、豪快な男だ。

 生徒が犯人かもしれない噂を生徒に調べさせる、その図太さがうらやましい。

「はぁ」

 全く、いやな予感が当たったものだ。が、ため息をついても仕方がない。

 まぁ、俺が押しかけたせいで時間がなくなった面もあるのだろうし。

「わかった。屋上を見てくればいいんだな。鍵はどこで返せばいい?」

「ん〜、まぁ校舎内のどっかにはいるだろうから、適当に探してくれ」

 分かった、と部屋を出ようとした俺に、原田が、最後に一言投げかけた。

「あ、慎重にいけよ。周りに注意して、見つかるな」

 …………それは、何だろう。犯人を見つければ俺も見つかるっていうのは、計算に入れないでいいのだろうか……。


 既に、薄暗くなってきた、校舎の中を歩く。

 秋の日は釣瓶落としとは、よく言ったものである。

 バレないように行くのだから、廊下の灯りはつけない方がいいだろう。ならば、暗くなる前に済ませなければ。

 一階、二階、三階、四階、だんだんと、人の気配が薄くなっていく。校務員室のある一階では、まだ、グラウンドの運動部たちの活気を感じたがここまで来ると、もはやそれも感じない。

 いつもは四階、五階の教室に陣取り、校舎中に騒音、もとい快音を響かせる吹奏楽部は、東京で行われるコンクールに出るとかで、ここ一週間は不在(こうけつ)である。

 練習中に階段を気にかける余裕があるかは不明だが、下手に怯えなくて良いので好都合だ。

「…………」

 電気の点いていない薄闇の廊下は、それだけで何かが潜んでいそうな気配を持っている。季節ではないが、深夜に肝試しなどすれば、それだけでたいそう盛り上がるのは間違いない。

 ズキン。

 僅か感じた心痛は、恐らくは気のせいだ。仮に、何かでそんな催しがあったとて、自分は、そこには呼ばれない。否、呼ばれても行かないであろうなどと——。

「馬鹿か。俺は」

 自分の立ち位置は知っている。目立たない、しゃべらない、暗い奴。どんな場所にも一人は居て、どんな場所でも孤立するタイプ。それが一番合っているし、それが一番楽なのだと思っている。

 分かりきったこと、考えるまでもない。

「————よし」

 誰に語るでもなく、そう呟いて、俺は、鍵を握り締める。

 体は既に、扉の前に着いていた。

「うん。鍵はかかっている、と」

 ドアノブに手をかけ、施錠の確認をする。これで、誰かがいる可能性は大幅に下がったわけだが、屋上側からでも鍵は掛けられるのだから、一応、開けてみなければならないだろう。

「はぁ、居ないでくれよ」

 ガチャリ、という鍵の開く音を聞くと、間髪入れずに、ドアを押し開いた。

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