夜の空
二千文字にも満たない短篇です。お気軽に珈琲紅茶緑茶煙草酒、何かのお供にどうぞ。
私は、夜の空が好きだ。
昼の空はどうにも眩しすぎて好きになれない。というか見えない。
刺し貫くような太陽の光から目を逸らそうと思えばどうしても下を向かないといけない。私にはそれがなんとなく後ろめたいような、本来は直視しないといけない何かから不正に目を背けているような後ろ暗さを感じる。何かをしないといけないのに何もできないもどかしさにも近いと思う。
それに比べて夜の空はというと語ろうと思えば小一時間語れると思える程、好きだと感じる。これはもう、愛だと言ってもいい気がする。
こんな事を周囲の人たちに漏らせば星が好きなのか、月が好きなのか、等と返される事が多いのだがどちらも違う。私が好きなのは空だ。夜空だ。
理屈ではない。だから具体的に好きなところは?と聞かれてもきっと答えられないだろうし、本当は小一時間も語れないのだろう。
それでもなんとかわかってもらおうと説明するならば、私は夜の空の優しさを説こうと思う。自由に目を向けられる空は壮大な解放感と母性、父性を与え、何よりも大きな闇はそっと私を包む。そこに太陽のように攻撃的な意思を持つものは介在せず、月や星も時には親密に、時には冷酷な瞳で私を見たり、そっぽ向いたりする。巨大で広大でどこまでも広がる泡のように温かく、冷たく、はっきりとぼんやりしている全ての表情を粗野に一つ一つゆっくりと気づかないうちに見せてくれたり、見せてくれなかったりする。これを優しい、と何時か昔に思ったのだ。
何時だったのか、いやもっと正確に考えてみるなら何時から、なのだろう。いくら思いだそうと努力しても全く実る気配がないので止めてしまった。
大事なのは覚えているか覚えていないかではないと、切実に思いたい。思いたいけれど、自分の事なのにわからない事があるのにちょっとした不満がある。
その不満を右足に込めて小石を蹴飛ばす。蹴られた石は直ぐに闇に紛れ、見えなくなる。ぽちゃんっと音がするので川に落ちたのだろう。
川の側にあるベンチ。眠れない夜は、否、眠りたくない夜はここで夜を眺めるのが私の日常だった。昔はここではなくて上流を少し外れた場所にある小さな小さな丘に寝そべって夜の空を眺めていた。
ふと、そこで出会った少年の事を思い出した。何年も前。
彼は私の、夜の空は優しいという意見に同世代で初めて賛同してくれた子で我ながら呆れる程喜んだ。彼も呆れながら、けれど、夏の大三角や織姫様、彦星様を探すのを手伝ってくれた。
幼いながらも異性、いや、幼いからこそ異性だ。あの年頃ならば普通、もっと邪険に女の子を扱うだろうし、出会い頭は私自身それを恐れた。この端正な顔に嫌に下卑な笑みが浮かんだりしないかと不安になった。けれど、彼は整ったよく通りそうな声で気安く、怯えていただろう私に話しかけてくれた。それは今思えば非常にありがたかった。
ありがたついでに懐かしみも込めて空を見回し、一緒に見つけた星々を探すが見つけられない。仕方がなく諦めようとした私は何を考えたのか立ち上がり、歩き始めていた。足の向く先はどうやら例の丘である。
あの頃、というのは私の実家がこの辺りにあった頃であるから十年とちょっと前であろうか。現在の私の実家はここより国鉄の列車を八つ程過ぎた辺りにある。幼少の頃はこの辺に住んでいて、私が中学校に上がる頃で現在の家に移り住んでいる。
父上と母上は元気だろうか。大学生になり大人の仲間入りを果たしたとは言え、女の一人暮らしなんて、と最期まで反対していた母上をなんとか私と父上で宥め、二週間に一度手紙を送る事で容赦してもらった。
後々になって本当は父上も内心反対だったと聞いた。その時父上はーー私たちの古い考えを押し付けて世間様についていけなくなるのはいけない、だから私も泣く泣く見送ったのだーーと言った。
我が父上は亭主関白を地で行く程の頑固で一家の舵をきちんと取り、大黒柱をその身に体現しているかのような人であったが、それでも、自分が古めかしい考えを持っている事を十全に理解していて、それではこのご時世についていけなくなる事を危惧し、私には比較的自由な教育をしてくれていた。私はそれに素直に感謝の念を抱くし、そのような思想を持つ父上に誇りを感じる。この身を案じてくれる母上にも感謝したい。
十年来に訪れる丘には先客がいた。千客万来。洒落になっているかどうかはわからない。
端正な顔をした青年である。星を見に来たのですか?と整ったよく通りそうな声で問われたので、いえ、夜の空を眺めに来たのです、と恐らく二度目になるだろう答えを返した。青年がはっと息を飲む音が聞こえる。頭上では天之川が流れていた。
如何でしたでしょうか?何かの肴としてでも貴方に届いたのならば自分は大満足でございます。
国鉄とか言わない、なんてツッコミは控えてもらいたいです。一応ひと昔ふた昔前を時代背景として想定してます。自分自身が産まれてないのでうまく書けてるか自信がないのです。