13
「あれ、ここは何処だ……?」
踵を返したノルンは迷子になっていた。
同じような風景に日の届かない木々。
完全に方向感覚を失っていた。
「あー、やべぇな。日の光も見えねぇし、やばいか……?」
かなり前からひたすらに真っ直ぐ突き進んでいるはずなのに出口に着かない。
おかしい。
何処と無く、木々も徐々に大きく、高くなっているようにも感じる。
そして現れる魔物も凶悪に、大きいモノが増えてきた。
ただでさえ睡眠をとっていないノルンは疲労が溜まっていた。
「うーん、これは本格的に迷ったか?でもなぁ、今更戻るのもな……。」
こういった、迷子になったとき、最初に頼るのが日の光による方角である。
その次に磁石。
最後に感である。
最初の日の光は殆ど見えない。木々に埋め尽くされた森の中、頼りにはならない。
その次の磁石であるが、最初から使っている。
一応南に向けて歩いているはずであるのだが、全く出れずに居た。
日の光の見えない中、正確な事はわからないが、かれこれ1日は歩き続けている。
身体能力強化をして森を走っているのである。
もうとうに出口にたどり着いていいはずであった。
そもそも、森に入った当初はこんなに木々が深くなかった。
明らかに内部に向けて歩いている。
方位磁石を片手に進んでいくと、何故か針の向きが変わっていく。
「あ?やっぱこれ壊れてんのか?」
向きの変わった方向へと暫く歩いていくと、そこは少し開けた場所になっており、その真ん中には大きな岩山があった。
針はノルンの目の前の石の塊へと向いている。
それを見たノルンはため息をついた。
「はぁ、めんどくせぇ……。磁性を持った石、完全に迷った、か。とりあえず眠たいからここで寝ていくか。」
そういいながら大きな石の中心にある窪みへと入る。
そこで壁に寄りかかり、何時でも動けるようにしながらも仮眠をとることにした。
ノルンが軽く眠っている、その壁は何故か少し、暖かかった。
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ノルンは目を覚ます。
微かな気配、何かが地面を這う音。
ずりずりと聞こえる微かな音に、ノルンは目を開けた。
その目の前には、巨大な蛇の顔。
ちらちらと動く細長い舌、開かれた目の中の爬虫類特有の細長い瞳孔がノルンを見つめている。
森に住む大蛇、ケツアクル。
特徴は、とにかく大きくなる。その成長に天井は無く、語り継がれる物語には全長100m以上のものまである。
その瞳が見つめていた。
「……まじかっ!」
動こうとするノルンに向けてその巨大な口が開き、ノルンへと迫る。
開いた口だけでノルンを越える大きさ、その全長など考えたくも無い。
両手剣を抜き去ったノルンが迎撃しようと立ち上がったその時。
ただの壁が突然口をあける。
その空いた口に並ぶ凶悪な歯。
今まさにノルンを飲み込もうとした大蛇は、横から更に巨大な顎によって捕食される。
身をよじり、暴れ、岩に巻きつき抵抗する大蛇も、二、三度と噛みしだかれ動きを止めた。
びくんびくんと痙攣するその巨体。
その体を全て食べられるまで、数分もかからなかった。
ノルンが寝ていた場所、それは巨大な竜が丸まっていた、ちょうど真ん中。
ノルンが巨大な磁性のある岩だと思っていたそれは、どうやら竜であったらしい。
ひたすらに食べられる大蛇を見つめながらノルンは動かない。
逃げ場など無く、ただひたすらに食べつくされるのを見守っていた。
大蛇を食べ終えた竜は、その瞳を開くと、ノルンを凝視する。
そして目を閉じると、ノルンを完全に囲むように体を丸めた。
そしてまた動かなくなった。
「……おい、俺は無視か。……はぁ、食べねぇのか。しかし、身動きも取れねぇし……。」
周りを見渡すが、ノルンが足を伸ばすだけのスペースはあるが、それ以外は完全に塞がれていた。
上も横も出口など無い。
盛大にため息をついたノルンはぶつぶつという。
「お前さん、襲うか逃げるかのどっちかにしろよな……。あーばからし、寝る。」
両手剣を仕舞い、竜の腹だと思われる岩に背中を預けるとノルンは豪快に寝始めた。
もはや周りを警戒していない。
なんとも図太い神経である。
まあ二日間ほとんど寝ていないのであるから仕方がないのであるが。
それを竜は、じっと眺めていた。
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竜。
それはただの括りに過ぎない。
2m程の小型のものも、30cmぐらいの可愛らしいものも、50mはある巨大なものも、遍く存在する。
二足歩行する爬虫類であるリザードマンもある意味では竜であるし、大海に生息する小さなタツノオトシゴも竜である。
では何をもって竜とするのか、それは一つしかない。
長い寿命と蓄えられる英知。
無限の可能性が竜の最も顕著な特性である。
鱗があるとか、巨体であるとか、魔力があるとか、世界に愛されているとか、そのような一般的な事は竜というものの本質ではない。
外的要因が無ければ死ぬことなど殆ど無い、その生の中で長い年月を経た竜だけが到達できる地点。
自我である。
動物的な本能ではない。
考え、学び、蓄える。
その性質によって最初から有しているものも居れば、いつまでたっても到達できないものもいる。
リザードマンなどはある程度の思考はすぐに出来る。しかしそれより先にはなかなか到達できない。
翼竜などはその寿命が終わる、その時まで幼児並みの思考しか出来ないモノが殆どである。
そして、大型の竜は特にその特性が顕著である。
大きな体躯に他を寄せ付けない圧倒的な力。
しかし、その自我の目覚めはその体躯に反比例して遅い。
大抵は本能の赴くままに動き、喰らい暴れ、討たれる。
しかし稀にそれを乗り越える竜もいる。
それらは自らの力を理解し、世界に干渉する事無く世界に埋もれる。
長き生を生きるが故に、執着をどんどんと捨て去っていくのだ。
ノルンの背中で丸まっている竜も、そんな世界に埋もれし竜の一匹であった。
その巨大な瞳の先には、完全に寝入った男の姿。
人間のように見えるが、そうではないと竜にはわかっていた。
同族の気配、それ以上にするのが世界の気配。
『ナルホド。選ビ、溺レ、与エ、欲シタカ。』
誰に問いかけるでもない。
それは世界に聞こえるように発せられた。
その言葉にノルンの刺青が煌く。
今までの比ではない。溢れる力が世界を歪ませるほどに漏れていた。
まるで秘密を知ったものを排除するかのように。
『怖イデスナ。……フム、我モ今ノ世ヲ見ルベキカ。此処マデ来レル者ナラバ、良イデショウ。』
それに反論するかのように刺青が点滅する。
それを無視して竜は言い放つ。
『ギィルディアル……。ソノ身ニ刻マセテ貰ウ。』
そう言い放つ。
それと同時に、辺りは白く、霞んでいった。
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「あぁ?……此処は。」
ノルンは目を覚ました。
あいまいな記憶から朧げな意識を覚醒させる。
そうして直ぐに現状を把握した。
(ここは大森林の中か……。完全に迷子になっちまったな。)
とりあえずの状態を確かめると立ち上がる。
白い霧の立ち込め、遠くに大森林の巨大な樹木が聳え立つ。
そこでノルンは気がついた。
自分が背にしていたモノが存在しないということに。
そして移した視線の先、そこにはノルンを興味深そうに見る瞳があった。
「起キタカ。迷イ子ヨ、我ニ其ノ在リ方ヲ、魂ヲ、力ヲ見セヨ。」
頭に直接響く声。
それを聞くや否や、ノルンは剣を抜くことなく踵を返し、森の中へと走り出した。
もちろん全力で身体能力を強化して。
【土流魔術:天地創造】
ノルンを見つめる竜。
その体は岩でできていた。
その岩の継ぎ目から有り余る魔力が飽和するように溢れ出す。
そして紡がれた魔術は人の到達できぬ領域。
第13階位魔術、天地創造。
その発動と同時に竜の居た広場の周囲の地面が盛り上がる。
それはまるで半分に割られた卵のように周囲を覆いつくす。
最後に残されたのは、周りを土のそそり立つ壁に囲まれた竜とノルンだけだった。
「モウ一度言ウ。迷イ子ヨ、我ニ其ノ在リ方ヲ、魂ヲ、力ヲ見セヨ。」
其の瞳は爛々と輝き、試すようにノルンを射抜いた。
ノルンは事態を冷静に分析していた。
何も考えずに寝てしまったのは、どうしようもなかったからである。
明らかに自分よりも格上の竜が危害を加えるつもりがないのを良いことに爆睡していたのである。
例え3日ほど寝ていなかったにしても迂闊であった。
そして現状である。
逃げ場はなく、どうやらこの力ある竜はノルンを試しているらしかった。
(直ぐに食わなかったのはこの為か。力を示せって事は、要するにかかって来いって事だろ?)
しっかりと睡眠を取ったノルンは獰猛な笑みを浮かべる。
そういえば何だかんだとあって自分が何をできるのかということもわかっていない。
これはそれを試すチャンスなのではないか、そう思っていた。
ノルンは背中の両手剣を抜くと目の前の竜を確認した。
先ほどまで霧が出ており、全体像は見えなかったが、今はよく見える。
竜の全長は40m程。全身は灰色の岩で覆われており、その継ぎ目が幾何学的に文様を作っている。
全体的にずっしりとした体躯。
足は太く、翼は無い。尾は太く、先端にいくにつれ細くなっている。
その尾には、竜の背中から続くたてがみの様な鋭利な金属質の棘。
一番の特徴は額にある白銀の輝きの宝石、そしてその上に生える巨大な角。
竜の全体からすれば大きくは見えないが、恐らく4mはありそうであった。
「どうせ逃げ場もねぇし、いっちょやってやるよ。俺はノルンだ、お前はこの森の主か?」
どうやら逃げれないと悟ったノルンが語りかける。
それに竜は答えた。
「残念ナガラ森ノ主デハナイ。ノルン、我ガ名ハ、ギィルディアル。世ニ埋モレシ竜ノ始祖ガ一。
始メヨウカ。」
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始めようと言ったギィルディアルは動かない。
ただ、そこに立っているだけである。
二足歩行の恐竜のような姿はアースドラゴンに似ているが、この竜はまったく違うモノと思わなければならないだろう。
代償無しの魔術の行使に慣れたのか、ノルンがその身を強化する。
(そう、だな。俺はまだ強くなれる。試すにゃあ丁度良い。)
ノルンの内心に答えるように腕の刺青が戦慄く。
それは歓喜か、興奮か、はたまた無償の愛情か。
ノルンが求める事象を余すところ無く発現させる。
それはノルンの持つ両手剣を黒く染め、まるで腕から伸びた刺青が刻まれるようであった。
ネビィガノルンにとっては息をする程度の効果。
しかし、人としての常識からノルンが創造できることには限りがあった。
いくら望めど、それが現実だと認識することは難しい。
ましてや自身の体験したことが無いことは尚更である。
ノルンは強化が巧く行ったことを確認すると走り出す。
後はもはや目の前のデカブツを切り伏せるのみである。
距離を詰めたノルンに最初に襲い掛かったのは無慈悲な突進である。
(おいおいおい、最初っからそれかよ!)
悪態をついたノルンは冷静に竜の足に踏まれぬようにぎりぎりでかわす。
大きすぎるが故に小さな人を捕らえられないのである。
その、すれ違いざまに竜の足を斬りつけた。
しかしその手ごたえは今まで切り裂いてきたどの物質よりも硬かった。
表面をガリガリと滑る刃。
表面に僅かな裂傷を残した程度。
それだけである。
切り落とすつもりで振るったノルンは舌打ちをする。
しかしギィルディアルの感想は違った。
この世界で比肩なき硬さを誇る自身の体を傷つけたのである。
それはお互いが殺しうる手段を持っているということに他ならない。
その事に戦慄を覚える。
ギィルディアルの突進はその勢いのまま、盛り上がった壁に突っ込んでいく。
そして壁をバターのように溶かすとその動きを止めてノルンへと向き直った。
その角が赤く赤熱し、周りの空気が蜃気楼のように揺らめく。
ギィルディアルは戦い方を考えていた。
どうやら自分の体が大きすぎるせいでうまく当てられないようである。
魔術を用いた攻撃を多用するべきか、そう考えたところで頭を振った。
これはあくまでも試し。
ならば、未だ年若い竜のように振舞うのが良い、そう考えを纏めていた。
ここに、長い長い戦いが幕を開けた。
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噛み付き、時に押しつぶすように、機会があればその長い尾でなぎ払う。
その行動一つでもかするだけでノルンは死ぬだろう。
その中で未だにノルンは立っていた。
それに対してギィルディアルは満身創痍である。
その長い尾は半分ほどに切り裂かれ、片足は千切れそうなほどに切りつけられている。
自慢の角は未だ健在だが、その体は至る所に傷があった。
それに対してノルンは未だに健在。
鎧は砕け、額からは血が流れている。
そんな中でも何時もと変わらぬ立ち振る舞いをしていた。
それどころか、楽しくてしょうがないという顔をしてる。
それを見たギィルディアルは思う。
(此レヲ最後ニスル。)
ギィルディアルの体が赤熱する。
その角から全身へと伝わる熱は体全てを覆いつくす。
傷口が熱で泡立ち肉の焼けるにおいがする。
まさに捨て身の行動である。
しかし、その効果は絶大であった。
ギィルディアルの角が赤から白に変わっていく。
高すぎる温度に気流が生まれ、上空へと空気が巻き上げられていく。
そして臨界を迎えたそれは、ノルンに向かって放たれた。
アースドラゴンの上位が使える技、グランドレイ。
全ての光を凝縮したかのような光線が迸る。
それはギィルディアルの前方全てを覆い尽くす。
全てを塵に変えるように。
魔術ではない、純粋な技による熱線は如何なるものの存在も許さない。
竜とは、人の抗えるものではないのだ。
故にそれに打ち勝つものもまた、人ではない。
砂塵の巻き上がる中、ギィルディアルの目前にノルンが飛び上がる。
鬨の声と共に振り下ろされた刃はギィルディアルの自慢の角を根元から切り落とした。
グランドレイの唯一の弱点、それは技を放った直後は角が柔らかくなるということ。
(ネビィガノルン……。ソウカ、ソウダッタナ……。)
ギィルディアルは気がついた。
自身の最高の技が何故破られたのか。
それはただの相性の問題であったのだ。
どのようなものであれ、光はネビィガノルンへは届かない。
それだけの話であったのだ。
角を切り落としたノルンが間合いを取って話しかける。
「まだやんのか?これ以上は無理だろ、なあギィルディアル。」
お互いに無駄口を叩くのはこれが始めてである。
そしてその唯一の言葉はノルンの失策であった。
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「まだやんのか?これ以上は無理だろ、なあギィルディアル。」
ノルンは目の前の巨大な竜へと話しかけた。
最初から殺す気は無かった。
といっても、動けない竜に止めを刺さない、程度のものであるが。
そしてその巨大な竜が切り落とされた角を名残惜しそうに見た後、ノルンを凝視した。
一泊の静寂の後、ギィルディアルは体を震わせる。
【土流魔術:地脈吸収】
ギィルディアルを中心に風が吹く。
優しくも儚い、それは吹く抜けると同時にその生気を奪う。
地面が、空気が、そして木々がその命を吸い取られていく。
その、全てが術者であるギィルディアルに流れ込んでいった。
傷ついた体も、斬られた角も、すべてが復元していく。
やがて、元通りになると同時に魔術は途切れる。
その魔術の後には半径3キロほどの死んだ森と、地面にうずくまり、未だ息のあるノルンが残されている。
その意識の無いノルンにギィルディアルが語りかけた。
「ヤリスギタカ?……フム、死ンデハイナイヨウダナ。デハ、契約ヲスルトシヨウ。」
紡がれる呪文の代わりに体の文様が不規則に鳴動する。
それに異を唱えるかのように刺青から闇色の何かが溢れ出す。
「安心サレヨ。我ハ世界ヲ見タイダケ、手ハ出サヌ。……少シグライデアレバ手ハ貸スガ。」
後半の一言に何かを感じたのか、闇色の何かが更に濃くなる。
が、無言で圧力をかけると引っ込んでいく。
そしてノルンの体と、ギィルディアルの切り落とされた角の輪郭がぼやける。
そのままノルンの体は消えていった。




