10
ずっと新キャラのターン
お風呂が完成してから3日が経っていた。その間も怪我をすることもなく順調に狩りを続けユラルルの作った借金も返す事に成功したのだった。ギルドのランクも順調にFランクまで上がっている。
「おい、起きろ。」
すでに起床し服を着替えたノルンはまだ布団に包まっているユラルルに声をかけた。
「ん……、ん~~。おはよ。」
のろのろと体を起こしたユラルルはノルンの方へ両手を伸ばす。それをもはや諦めたようにノルンは迎え入れた。二人の顔が近づくが別段色っぽい話ではない。
ユラルルはノルンの首に手を回すとそのまま体を預ける。ノルンはそのままユラルルを抱き上げた。そして抱き上げたままユラルルの部屋に連れて行く。甘える娘をあやす父親のようである。この3日冒険に出ているときは普通にしているが宿に帰ってくるとユラルルはノルンにかなり甘えている。もはや一緒にお風呂に入るのは当然になり起床後にユラルルの世話をするのも日課になりつつある。ツーカーというやつである。
(なんかまずい気がするんだがどうすりゃいいんだ……。)
ノルンもこの状況がまずいとは感じている。感じているのだが突き放す事も出来ずずるずると現在の状況に流されてしまっていた。
ノルンは化粧台の前の椅子にユラルルを座らせると化粧台に置かれている手ぬぐいを濡らして絞るとユラルルに手渡す。その次に櫛を手に取ると髪を梳き始めた。
「ありがと~。ん~~、はぁ、目が覚めた。」
ノルンに為されるがまま気持ちよさそうにしている。
(ノルンってなんで私のわがまま全部聞いてくれるんだろ。言葉は悪いけど結局やってくれるんだよね。)
まるで執事のようである。ノルンはそれに気づいていないのだが。
やがて満足したのか着替えを始める。毎日お風呂に入れるようになったため朝はそこまで手入れしなくてもよくなったのだ。鼻歌交じりに着替えを終えると複雑な表情をするノルンを連れて二人は1階へと下りて行った。
話はさかのぼりノルン達が一階に下りてくる少し前、一人の女の子、(女性と言うには幼すぎる)がバーバの宿屋を訪れていた。バーバはノルン達以外の久しぶりの客に驚きつつ声をかける。
「おうらっしゃい。宿泊かい?」
一応商売柄聞いては見たがあまりバーバは期待していなかった。それもそのはず、訪れた女の子は明らかに小さい。ノルンより少しは年上かもしれないが身長はノルンよりも少し低い。なにより服装がぱっと見ただけで分かるほど仕立てが良い。どこかの貴族様かもしれない、とそう思う。極めつけは頭の上にかぶった帽子である。僧侶を目指す者なら誰でも信仰する、名前が広く知れ渡った神であるメーヌの紋章が縫い付けられている。
(旅の僧侶かぁ?それにしちゃ身なりが綺麗過ぎるが。)
話しかけたバーバに近づくと少女は話しかけた。
「宿泊ではありません。少々お聞きしたい事があって参りました。私の名前はイルアリアハートと言います。お時間を頂いてもいいですか?」
明瞭な発言でそう綺麗に喋る。
「お、おう。俺はバーバだ。そんでなんだ?」
バーバは教会で神の説法を聞いているような気持ちになりかなり引いている。
「有難う御座います。こちらに凄腕の冒険者が滞在されていると聞いてきました。よければお会いしたいのですが本日は滞在してますか?」
どうやらノルン達のうわさを聞きつけてやってきたようである。この宿にはノルン達しか居ない。恐らくそうであると思ったバーバはそれに答える。
「ああ、いるぜ。そろそろ飯食いに降りてくるんじゃねぇか?」
「ではここでお待ちしてもいいですか?」
「ああ、別にいいぜ。立ってるのもなんだ、そこで座って待ってろよ。」
そういってカウンターの椅子を顎でしゃくる。
「有難う御座います。それともう一つ、こちらはついでなのですがこちらの宿屋にはお風呂があると聞きました。それは本当ですか?」
カウンターの椅子に腰掛けながらそう尋ねる。座る仕草も明らかに気品がある。
「あるぜ。それがどうかしたのか?」
「それでしたら是非使いたいのですがそれは可能ですか?」
その問いかけにバーバは悩む。別段そういった取り決めを考えていなかったのだ。宿泊客以外に貸し出すというのもお金が稼げる。だが、とそこでバーバは思う。
(せっかく嬢ちゃんたちが金出してくれたんだ、それで儲けようなんざ俺のプライドが許さねぇ。あいつらもゆっくり入りてぇだろうしな。)
「せっかくだがうちの風呂は宿泊客にしか貸し出してねぇんだ。入りたきゃうちに泊まんな。」
そうバーバは断った。
「そうですか。では今日からこちらに宿泊させて頂きます。後ほど荷物を持ってきますのでこれからどうかよろしくお願いします。部屋は長期で借りるつもりなのでそのつもりの部屋をお願いします。」
バーバはいきなりの展開についていけてない。宿泊ではないといっていたからにはどこか別の所に泊まっていたのだろう。風呂があるというだけで瞬時に移ろうとする考えが理解できない。値段も何も聞いていないというのに。
「……。どうやらどなたか降りて来たようです。バーバさん、お二方いるようですがどちらの方ですか?」
イルアリアハートの視線の先には階段を下りてくるノルンとユラルルの姿がある。
「ああ、多分どっちもそうだよ。あいつらペアで依頼をこなしてるからな。」
「分かりました。」
ノルン達が一階に下りてきたときカウンターにはバーバのほかにもう一人少女がいた。どうやら何かバーバと話しているようである。自分達以外の初めての客と思わしき人物に目をやる。こちらのほうに向き直ったその姿は幼くそしてどこか人形めいた物を感じさせる。自分達に向けられる視線を無視してノルンはカウンターに座るといつも通りバーバに飯を頼む。
「バーバ、朝飯頼む。」
ユラルルも続いて椅子に座る。ノルンは小銭袋から銀貨を1枚カウンターに載せた。
「おはようさん。おーい!朝飯二人前だ!」「へーい!」
そういうとバーバは続けて口を挟む。
「おうノルン、そこの娘っこがお前さんになんか話があるみたいだぜ。」
「あ?はなし?」
そう怪訝そうにバーバを見たあと視線を少女の方へ移す。
「突然すいません。私はイルアリアハートと言います。ウイッデン防具加工店の店員からこちらのほうに凄腕の冒険者がいると聞いてきましたが貴方であっていますか?」
ノルンはまたかと溜息をついた。昔からソロで活動していたときに時々来るのだ。一人で活動しているにもかかわらず金回りが良く強い冒険者がいる。当然それを聞いた冒険者は自分達と組まないかとあれやこれやと機会を狙ってやってくる。それを全て断り続けていると時々逆恨みから闇討ちまでしてくる輩までいるのだ。ノルンが強盗が嫌いな理由もこれである。
「すまんがパーティを組もうとか言う話はお断りだ。元々組む気はねぇし、それに今はひよっこのお守りで忙しいんだよ。」
「もしかしてひよっこって私のこと?ね、私のことなの?」
「お前以外だれがいるんだよ。それが嫌ならもうちょい頑張るんだな。」
「うーーーっ、もう!これでも頑張ってるんだからちょっとぐらい褒めてくれてもいいじゃない。も~。」
あーだこうだ喋りだした二人の間に入るようにイルアリアハートは喋る。
「……、それはどうしてですか?見た所貴方方は神聖魔術を使えるようには見えません。私はこう見えて神官です。冒険者であれば是が非でも仲間に欲しいものではないのですか?」
話を切り出す前に断られた事に少なくない動揺を隠すようにそう言い放つ。イルアリアハートの言うとおり治療が行える神聖魔術を扱えるものは貴重である。冒険者の絶対数から言うとその1%もいない。神聖魔術を扱えるものは皆教会に所属する物でありそして街の教会などで癒しを与えたり権力者に囲われたりするのである。その為仲間になってくれると言うのなら喜びはすれ一瞥もせずに断るなどありえないのだ。
「あ?別に怪我なんてしねぇよ。それにいざとなったら俺が魔術で治すから別に今んとこ必要ねぇよ。まあ、回数制限はあるがな。あれ?今は制限なしで使えんのか?……まあいいか。」
「え~~!!ノルンって神聖魔術まで使えるの?ぜんっぜんそんな風に見えないんだけど!」
「おいこらどういう意味だ。それに俺が使うのは神聖魔術じゃねぇ。そんな綺麗なもんじゃねぇぞ。」
「どういう意味って、それは……、ねぇ?それよりも今度見せてよ。」
「あーはいはい。お前が死にそうになったら見せてやるよ。んで、イル……、なんつったかもう用は済んだのか?」
そういって固まったままのイルアリアハートに声をかける。イルアリアハートはそれどころではなかったが。
(この男は先ほど別に神官は要らないといいました。ありえません。しかも神聖魔術ではない方法で治療を行うといいました。ありえません。そして私の名前はイルアリアハート。大切な両親から頂いたこの名前を省略するなど、ありえません!)
「私は不愉快になりました。失礼します!」
そう言うとスッと席を立ちツカツカと出口に向かって歩き出す。出る間際にノルンはキッっと睨まれた気がしたがそれも一瞬の事ですぐに出て行ってしまった。
そのタイミングを見計らっていたかのように朝食が運ばれてくる。
「お、あんがとよ。今日はハムステーキか、うまそうじゃねぇか。」
「うー、ノルンハム半分いる?というかあげる。」
そんな会話を聞きながらバーバは思う。
(娘っこの反応が普通だと思うぜ。お前らがおかしんだよ。)
それがノルン達とイルアリアハートとの最初の出会いだった。
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バーバの宿屋で一悶着があった後、イルアリアハートは自分の宿に戻ってきていた。未だ胸のざわつきを抑えられない。こんな事は今まで一度も無かったことである。落ち着こうとしてふと思い出した。
(お風呂……。)
元々イルアリアハートは貴族の娘である。その家系は代々神官を輩出する名門で特にメーヌ神への信仰も強い。そういった家系で育ったイルアリアハートもとても深い神への信仰を持っている。しかしある日いつものように神への祈りを捧げているとイルアリアハートは声を聞いたのである。頭の中に直接響くような声だ。その声は綺麗な、それでいて美しく威厳に満ちた口調であった。
『吾が敬虐なる信徒よ、そなたに我の名を教える。それを以って吾が同胞を救い出せ。迷宮の奥深くに囚われしわが同胞を。吾が名はメリアンヌ。吾が同胞を助けてほしい。』
そう、彼女は神に選ばれたのだ。神のより力ある名を授けられ使命を与えるに相応しい者として。彼女はそれを周りの大人に話した。しかし周りの大人たちは信じなかった。子供のよくある他愛ない嘘だと決め付けたのだ。彼女は必死に言うがそれは周りの反感を買い人を遠ざける結果となってしまった。権力にまみれた神官の嫉妬がそこにあったのは幼い彼女には知る由もなかったが。
しかし彼女は諦めなかった。必死に訴えるその姿に両親はついに自分の愛娘を冒険に出かけさせる事を認めたのだ。両親は娘の言葉を信じていなかったわけではなかった。しかし娘可愛さに手放したくなかったのである。彼女の必死な姿に両親は諦め自分達の出来る限りのお金を出し娘の装備を買い与え送り出した。14の時である。
それからは辛い日々が続く。駆け出し冒険者が受ける洗礼である。右も左も分からないイルアリアハートはなにをしてよいか分からず資金も尽き始め途方にくれていた。しかし神に愛されている者である。天は彼女を見捨てなどしなかった。運よく欠員の出た冒険者のパーティーに迎え入れてもらったのだ。まだ幼いイルアリアハートを冒険者たちは可愛がり何も知らない彼女に冒険者の知識を丁寧に教えていく。彼女が冒険者達に保護されなければ身包みをはがされて奴隷小屋にいただろう。それほど危ない状況だった。
暫くその冒険者達に教わる日々が続く。彼女が一人前の冒険者として歩みだしたあるとき、彼女は悟ったのだ。彼らと共にあってもこれ以上迷宮の奥にはいけないと。しかしここまでお世話になった彼らを切り捨てる事などイルアリアハートにはできはしなかった。
彼女の仲間達も彼女の目的を知っている。その望みは自分達では叶えられないだろうということも理解していた。彼女は知らない事だが冒険で得た資金の殆どをイルアリアハートの装備品を買うために溜め込んでいたのだ。自らの寝食を削ってまで。知っていたのだ。いつか離れなければならない事を。自分達が彼女の枷になっている事を。そうしてその日がやってくる。メンバーの一人が故郷に帰って実家を継ぐと言い出したのだ。もちろんそれはしょうがない事である。悲しい事ではあるが笑って送り出そうとイルアリアハートは思っていた。だが、酒場で騒ぎ飲み部屋で熟睡したあと目が覚めた彼女の部屋の机の上に、いつか防具屋で見た神官服と手紙が置いてあった。それにはこうかかれていた。
「俺達じゃお前の夢は叶えられねぇ。それが分からないほど自惚れてもいねぇ。だからそれは最後の選別だ。前お前がいつか欲しいと言ってたやつだ。俺たちは何処か遠くに旅に出る。未練が残っちゃいけねぇからな。お前ももう一人前だ。俺達の自慢の娘っこだ。俺達じゃないつえー奴を探してお前の夢が叶うことを俺たちゃ祈ってるぜ。最後にお前を一人にするしかねぇ不甲斐ない俺たちを許してくれ。 俺達の自慢の娘っこ イルアリアハートへ」
その日彼女は泣いた。一日中泣き崩れた。しかし何度も手紙を読み返し決心する。強い仲間を探す事を。それからの行動は早かった。荷物を整え宿を引き払い馬車に乗った。目指すは新しい迷宮。この思い出の詰まった街に残れるほど彼女は強くはなかったのだ。適当に逃げるように馬車を乗り継いで着いた先は元の国から遠く離れた王国2番目の街、テンザスであった。
(お風呂……。)
長旅で疲れたイルアリアハートはもう1年以上入っていないお風呂の事を思い出した。今お風呂に入ったらきっと気持ちいい。その誘惑が彼女の頭を支配する。でも……、と考える。
(でもそうするとあの不信心の男と一緒の宿に泊まらないといけません。それは嫌です。でもあそこまで言うのならあの男は自分に絶対の自信があるのですか?いえ、そんな風には見えませんでした。よく居る実力以上のことを言うチンピラのようでした。でももしかしたら……。)
そこまで考えて頭を振る。
(男一人に惑わされるわけには行きません。そうです、あの男が泊まっていようと無視すればいいんです。)
そう欲求と理性をうまい具合に納得させ、イルアリアハートは荷物の整理にかかった。
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バーバがのんびり街の新聞を読んでいると扉が軋む音がした。ノルン達が帰ってくるには早い時間に首をかしげながらそちらを見やるとそこには朝に見た娘っこが立っていた。背中に背嚢を担いでいる。
(おいおい、娘っこそんなに風呂に入りてぇのかよ。)
バーバの内心はほぼ的中していた。
「すいません、宿泊をしたいのですがいいですか?」
手に持っていた新聞をカウンターの下にしまいこむと商売人の口調で相手をする。
「いいぞ。宿泊は1日銀貨2枚、食事は朝が銅貨5枚、夜が銀貨1枚だ。金は食うときに払えばいい。水桶は銅貨1枚、入浴は……、銀貨1枚でいいぜ。」
バーバの言葉を聞いてイルアリアハートは驚く。なにに驚くかといえば値段が普通である。お風呂のある宿などそうありはしない。ましてや需要がない。なのでこの宿屋は全体的に割高な値段設定なのだと勝手に思っていたのだ。
「……わかりました。とりあえず10日分お願いします。それと早速で悪いのですがお風呂を使わせてください。」
そう言って銀貨21枚をカウンターの上に置く。
「おうわかった。ちいとばかし準備が要るから30分ぐれぇ待って貰うことになるがいいか?」
「かまいません。」
「そうかい、じゃあこれが鍵だ。3階の階段上って二つめの部屋だ。風呂はそこの扉の先だ。貴族さんもびっくりなぐらい豪華だからゆっくり堪能してきな。」
そう言って鍵を渡す。
「それではこれからよろしくお願いします。」
「おう、こちらこそな!」
そのまま重たそうな背嚢を背負ったまま、階段をイルアリアハートは上がっていく。
(うちの宿屋も人が来るようになったから人増やすか……。)
バーバは心当たりを頭に思い浮かべながらうんうん唸り始めたのだった。
荷物を部屋に持っていき整理した後にイルアリアハートは風呂場に向かい、現在その疲れを癒していた。
普段は纏め上げて帽子の中に収めている長い髪を下ろし気持ちよさそうに寛いでいる。
(バーバさんの言うとおりかなり豪華な造りをしています。これだけの物を作るのにはかなりお金がかかると思いますがそうは見えませんでした。それに作られたばかりみたいです。)
お風呂で寛ぎながら取り留めのない事を考えていた。しかし本来の目的を思い出したのか少し顔を引き締める。
(昨日この街についてから聞き込んだ限りではランクの高い冒険者は全て固定でパーティーを組んでいるとの事でした。固定を組んでいないフリーの冒険者で強い人はいないかと聞き込んでもあの男の事しか話にありませんでしたし、もしかしてこの街の冒険者はレベルが低いのですか。)
イルアリアハートのその考えは正しい。ランクの高い冒険者PTはこの町ではBが最高である。しかもそれはもはやメンバーが固定化されたもの。そこに入り込む余地はあまりない。よしんば入り込めたとしてもいい関係は作れないだろう。それに比べてウイッデンの店で聞いた話は耳を疑うような内容であった。その男は毎日ランクの高い魔物の素材を巨大な背嚢一杯獲ってくるというのである。しかも足手まといの荷物もちを連れた状態で。この話を聞いた時は流石に大げさに言っているのではないかと疑った。なぜなら討伐系の仕事をする場合、体を休めたり武具の修繕などで数日あけなければやってられないのだ。だが工房の奥から聞こえる怒号と急がしそうにしている店員、そして何かに一生懸命になっている時折通る職人の姿を見ればそれが本当の事だと理解した。これだけの活気は素材が豊富に取れなければできはしない。
(それなのに……。)
ぎりぎりとこぶしを握りこむ。まさか神官であるといって一蹴されるとは思っていなかったのだ。見返してやらねばならない。それに本当に噂されているだけの実力があるのか確かめねばならない。イルアリアハートには使命があるのだ。迷宮を踏破しなければならないという使命が。そしてそれが自分を可愛がってくれた仲間への唯一の恩返しである。
(そうと決まればあの男の実力を見に行きます。もし口だけの男ならそれはそれまでです。本当に実力があるのなら……。)
イルアリアハートにはそれが認められたいという密かな欲求からくるものであると最後まで気がつかなかった。
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次の日、ノルン達とかち合わないように早く起きたイルアリアハートは宿の外で待ち構え二人の後をつけていた。途中ギルドで3人に増えた後、そのまま東の城門を出て草原を進んでいく。その後方1.5kmほどの所をイルアリアハートはキープしていた。
(本当に3人だけで行くのですか。)
足手まといを抱えた状態で少人数で行くのは自殺行為に思えた。イルアリアハートですら知っている。この草原は中心に向かうほどなだらかな上りになっている。しかしある程度中心に近づくとそこからはなだらかな下りになっているのである。その中心には小さな湖がありその周囲には凶悪な魔物がひしめいていると。だから決して丘を下ってはいけない。むしろそこまで近づく前に魔物に殺されている。そういう場所である。湖を見たというのも都市伝説のようなものでありその真実は知られていないとされている。
そんなイルアリアハートの内心を他所にノルン達は構わず進んでいく。途中ホーンラビットの姿を見たが雑魚に用はないのかスルーである。暫く歩いていった所でノルン達は立ち止まる。それに合わせてイルアリアハートも立ち止まり隠れるようにして周りを見渡した。暫く目を凝らしているとノルン達の前方からオーガがやってくる。それも2体。恐らく番いなのだろう。それに対してノルンだけが近づいていくといとも簡単にオーガを切り裂き倒していく。戦闘が始まって3分も経っていない。
(ありえないです。)
イルアリアハートはその光景を信じられないように見つめた。それはそうだろう。オーガの皮は防具に良く使われる素材である。その性能は折り紙つきである。故にその皮を持つオーガには並みの武器では軽い傷ぐらいしかつけられないのである。通常オーガを倒すには重騎士が必死に耐えている間に後衛が目潰しを食らわし、その間に足元を切り崩す、そうして倒れた所を連携して頭をつぶすのである。単体認定Cランクの魔物は伊達ではない。イルアリアハートの以前のPTでは決死で挑んでようやく勝てるかどうかである。しかも重傷者多数で。
倒した魔物の素材を取りに行くのか残りの二人がオーガの死体に歩いていく。死体の剥ぎ取りをするなら暫くは留まるだろう。そう思ったら急に疲れが出てきた。体を屈めながら普通に歩くノルン達についていくのはなかなか疲れるのである。近くを見ると草原の中に枯れ木が一本立っている。それを見つけたイルアリアハートはそこに歩いていく。
そこは草原の中にあって一際目立つ場所だった。木の周りには何も生えておらず木を囲むように石が放射状に並んでいる。まるで枯山水である。そこで改めて枯れ木を見ると枝に黄金に輝く果実がついている。それを見たイルアリアハートは強大な欲求に駆られた。
(ほしい。ほしいです。あの果実がほしいです!)
その果実の名前は死者の実。精霊樹ハバフの果実である。
精霊樹ハバフの生殖活動は独特である。まず、ハバフは根を張った周囲の大地の養分を全て吸い上げる。半径10mほど吸い上げると地下より岩を地表に押し上げるのだ。そうする事によってあたかも枯山水のような情景を作り出す。更にそこに迷い込んできた生物を殺すのである。殺した生物の養分を更に吸い上げるとハバフは一つの実をつける。その実はハバフの子供である。吸い上げた養分と取り込んだ生物の知能を併せ持つ妖精になるのである。孵化した妖精は自分の足で他の地に行き、気に入った生物を苗床に根を張る。そうして新たなハバフが生まれるのである。魔物というよりも精霊に近い事から精霊樹ハバフ、そういわれている。苗床を張る前の妖精はハーヴィーと呼ばれ愛らしく可愛らしいが恐ろしい力を持つ存在である事は間違いない。しかし存在自体がまれなため、精霊樹ハバフとハーヴィーは別物と捉えられていたりする。
フラフラと精霊樹ハバフに近づいていくイルアリアハート。その頭には目の前の果実の事で一杯であった。
(早く取らないと、あとすこし、あと少しで手に入る……。)
「イル!ぼおっとしてんじゃねぇ!避けろ!」
その声にハッと振り向くと自身の腹に並んでいた岩の一つが突き刺さる。
「ぐぇっ!……、が、は……、ヒ、ヒュ。」
何が起こったのかわからないまま横に弾き飛ばされたイルアリアハートは全身を襲う強烈な痛みと胸を襲う強烈な痛み。何本も折れた肋骨が肺やその他の臓器に突き刺さる。そのまま地面に叩きつけられた。
薄れ行く意識の中、誰かに抱えられそのままシェイクされるように全身を揺さぶられる。激痛が全身を襲い意識が飛びそうになるのを歯を食いしばって耐えていると地面に横たえられた。半ば薄暗くなった視界の中、目の前の男が手をかざすとその手から滴る何かが空気に溶け、全身を包み込む。安堵感を与えるそれに実を任せながらイルアリアハートは喋った。
「……ごほっ、私、の。……名前、は、イル、……。」
最後まで言い切る事無くイルアリアハートの意識は落ちていった。
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オーガを2体ほど倒した後、ノルンは後ろを振り返った。
(まだ付いてきてんのか。一体全体なにがしたいんだあいつ。闇討ちにしちゃ一人だしなぁ。まあ考えても仕方ねぇか。)
そうなのである。ノルンは宿を出た時点でイルアリアハートがつけていることに気が付いていた。その上で放置しておいたのだがまさかこんな所まで引っ付いてくるとは予想外である。
(どうすっかなぁ。あんな娘っこが一人で歩くにゃあぶねぇんだよな。)
そうして気がつかれない程度に横目で見ながらノルンの超視力はそれを捉えた。
(ありゃハバフじゃねぇか!何でこんな所に生えてんだよ。っつうかあいつのこのこ行ってんじゃねぇ!)
「おいお前ら!ベリベルはそのまま剥ぎ取りしてろ。ユラルルは周りの索敵、なんか近づいてきたら大声上げろ。いいな!」
言われた指示通り動いたのを確認するとノルンは全速力で駆け出した。
(おいおい、間に合えよ~。)
ノルンが全速力で付近に到着するとそこにはフラフラと木に向かって歩いていくイルアリアハートの姿があった。その後ろの岩がひとりでに持ち上がる。それはイルアリアハートのほうへ進むとどんどん加速していく。
(おいい!って、あいつの名前なんだった?あ?ああ!イルなんとか、もうイルでいいだろ!)
「イル!ぼおっとしてんじゃねぇ!避けろ!」
ノルンの言葉で振り向くが無残にもイルアリアハートのその小柄な体に岩がぶち当たる。そのまま弾き飛ばされて地面に叩きつけられていった。
「ちぃっ!」
周囲の岩が全て独りでに持ち上がるのが見えた。それを全て捉えたノルンは今までで最高の速度でイルアリアハートのところに走りよる。途中恐ろしい速度で岩が飛んでくるが直線で飛んでくるそんなものにノルンが当たるわけもなく苦もなく避けるとイルアリアハートを左手で抱え込む。
(あ?まだ息があんな。悪運のつえぇ奴だ。)
更に縦横無尽に飛んでくる岩をイルアリアハートを抱えたまま器用に避けると中央の木に飛び掛る。そのまま右腕一本で背中の両手剣を引き抜くとハバフの木を一番上から唐竹割りのように真っ二つに両断する。
(ハバフならこれでどうにかなると思うんだが、ならなきゃ尻尾巻いて逃げるしかねぇな。)
そんな事を思っていると宙に浮いた岩が力なく周囲に落ちていく。
「はぁ、久しぶりに焦った。後はこいつか。」
そう言うとノルンはイルアリアハートを地面に横たえると腰のナイフを引き抜く。そしてためらう事無く自分の左腕を切りつけた。
【契約魔術:本契約ネビィガノルン:】
(ブラッディヒール)
滴る血液を横たわっているイルアリアハートに降り掛けるように浴びせていく。その血液は空気中に溶けるように滲みイルアリアハートの体にしみこんでいく。少し楽になったのかイルアリアハートが口を開いた。
「……ごほっ、私、の。……名前、は、イル、……。」
そういうともはや意識を保つのが限界だったのか体の力が抜け落ちる。
「そんだけ喋れりゃ大丈夫だろ。」
暫くヒールをかけ続け呼吸が安定した所で、ノルンはイルアリアハートを背負いあげるとオーガの解体作業場に戻っていった。
神の悪戯か、ノルンの腰についているポーチに黄金の果実が入っている事に彼は見事に気がつかなかった。
誤字を修正。