透明な終点
終点の駅には、いつも誰もいなかった。
電車が滑り込むと、決まって僕ひとりだけが降りる。改札は無人で、風の音だけがやけに大きい。時刻表はあるのに、次の電車の時間はどこにも書かれていない。
それでも僕は、毎日ここに来ていた。
理由は、たったひとつだ。
「……今日も来たんだね」
ホームの端、古びたベンチに、彼女は座っている。
白いワンピース。風に揺れる長い髪。初めて見たときから、少しも変わっていない。
「うん。約束だから」
僕がそう言うと、彼女は少しだけ困ったように笑う。
「そんな約束、したっけ」
「したよ。忘れたの?」
「……忘れてるのは、きっと君のほう」
そう言って、彼女は空を見上げる。
この駅には屋根がない。空がやけに近くて、夕方になると、まるで世界が終わるみたいな色に染まる。
最初にここへ来た日のことを、僕はよく覚えている。
気づいたら電車に乗っていて、気づいたらここに着いていた。そして彼女がいた。
「ここは終点なんだよ」
彼女はそう言った。
「でも、終わりじゃない」
その言葉の意味を、僕はずっと考えていた。
「ねえ」
彼女がぽつりと呟く。
「君、なんで毎日来るの?」
「……会いたいから」
「それだけ?」
「それだけ」
嘘ではない。でも、それだけでもない。
僕は、何かを思い出しかけている気がしていた。この場所に来るたびに、少しずつ。
電車の揺れ。ブレーキの音。誰かの声。
——泣いている声。
「ねえ」
今度は僕が口を開く。
「ここって、本当に終点なのかな」
彼女は少しだけ考えてから、首を傾げた。
「終点だよ。でもね」
「でも?」
「降りる人によって、意味が違うの」
意味が違う。
その言葉が、胸の奥に引っかかる。
そのときだった。
遠くから、電車の音が聞こえた。
いつもと違う時間。いつもと違う響き。
「……あれ?」
僕が振り向くと、彼女は静かに立ち上がっていた。
「来たみたいだね」
「え? でも、この時間に電車なんて——」
「君の電車だよ」
彼女は、やさしく言った。
「そろそろ、行かなきゃ」
何かが、はっきりと繋がる。
白い光。強い衝撃。遠ざかる意識。
——そうだ。
僕は、事故に遭ったんだ。
帰り道、踏切で。
「……じゃあ、ここは」
「うん」
彼女は微笑む。
「途中駅」
電車がホームに滑り込む。
ドアが開く。中には誰もいない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
「君は、どうするの?」
僕は聞いた。
「一緒に来ないの?」
彼女は、ゆっくり首を振る。
「私は、ここにいるよ」
「どうして」
「誰かが迷ったとき、ちゃんと降りられるように」
そう言って、少しだけ寂しそうに笑う。
ああ、と僕は思う。
この人はずっと、ここで誰かを待っている。
僕みたいな、どこへ行けばいいかわからない誰かを。
「……ありがとう」
自然と、言葉が出た。
「何が?」
「待っててくれて」
彼女は一瞬だけ目を丸くして、それから、いつものように柔らかく笑った。
「どういたしまして」
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
彼女の姿が、ゆっくりと遠ざかっていく。
最後に、彼女は手を振った。
その瞬間、ふと思う。
——あの人は、誰だったんだろう。
でも、その答えは、もう必要なかった。
電車は、光の中へと進んでいく。
終点の、その先へ。




