第四話 ー 王都まで、三日
完成は、予定通り二日後だった。
前回の経験を活かして、今回は三層目を薄く設計した。容量を増やすのではなく、余剰魔力が熱になる前に、外へ分散できるように逃げ道を作った。
理論と実際が一致するかどうかは、使ってみないとわからない。でもやれることはやった。
完成した本を作業台の端に置いて、私は次の仕事に取りかかった。
◇
昼を過ぎた頃、黒い影が小窓の向こうを横切った。そして、そのまま扉のほうへ向かった。
気がつくと「どうぞ」と言っていた。
扉が叩かれるより、少し早かったかもしれない。
案の定、黒い服装を身に纏ったライナルトが入ってきた。
いつもは中に入ってからフードを下ろすが、今日は扉を開ける前に外で下ろしていたらしかった。外套の肩のあたりに、乾いた泥がついている。
「受け取りに来た」
「こちらです」
私は完成した本を彼に差し出した。
◇
本を受け取った彼は、今回は少し違う触れ方をした。
ページを開く前に、表紙に両手を当てている。前回は目で確かめていたが、今回は、魔力を流して確かめているらしかった。
「……滑らかだ」
「三層目を薄くしたので、魔力の抵抗がだいぶ減るはずです」
前回の損傷を分析したのは私だ。でも今、その結果を手で読んでいるのは彼だった。
彼はゆっくりとページを開いた。中を確かめて、また閉じる。
「前回より、使いやすくなっているはずです。試してみてください」
「……ああ」
◇
彼は本を脇に置いて、荷物の中を探った。
出てきたのは、布に包まれた平たい何かだった。それを作業台の上に、静かに置いた。
「これは」
「羊皮紙だ。使えると思ったから持ってきた」
包みを開いた瞬間に、すぐわかった。
(いい素材だ)
厚みが均一で、表面の繊維が細かく、密度が高い。行商人から取り寄せたものより、明らかに質が上だ。触れただけで、魔力の吸収率が違うとわかる。
「これはどこで手に入れたんですか」
「エルザ商会という、王都の材料商だ」
その名前を、知っていた。
エルザ商会というのは、王都の古い材料屋だ。魔術師向けの素材を専門に扱っていて、学院の教師たちがよく出入りしていた店だ。私も一度だけ中に入ったことがある。
「……ありがとうございます」
「仕事の参考になれば」
(わざわざ、とは言わなかった)
私の仕事のために持ってきた、とは言わない。余ったから渡した、とも言わない。
ただ「使えると思った」、「仕事の参考になれば」と言ってくれた。
使い道を、私に委ねた言い方だった。
彼は感謝されることに慣れていないのかもしれないと、ふっと思った。
◇
羊皮紙を脇に置き、作業台を片付けながら手を動かしていた。
外套の泥。王都からここまでの道は、整備された街道ではないはずだ。山沿いの路、おまけに雨の日は足元が悪い。
「王都は、ここから遠いですか」
聞くつもりはなかった。でも口から出た。手はそのまま、工具を並べ替え続けた。
「……三日かかる」
「遠いですね」
「そうでもない」
顔を上げたとき、彼はもう外套を引き直していた。それだけで、話が終わったのだと伝わった。
◇
「また来る」
「お待ちしています」
彼は振り返らずに扉を開けた。
ライナルトは振り返らなかった。扉を開けると、夕方の湿った空気と霧の匂いが流れ込んできた。外は来たときより薄暗かった。光が霧の森を斜めに照らし、木々の影が地面に長く伸びている。外套の裾が冷えた風に揺れた。
扉が静かに閉まった音が、しばらく工房の中に残っていた。
◇
ライナルトが帰ったあと、私は作業台に戻った。
彼からもらったエルザ商会の羊皮紙を、一番取りやすい場所に置いておいた。
(明日から、次の作業に入れろう)
工具を定位置に戻し、削りかすを端に寄せた。次の材料を取ろうと手を伸ばして、止まった。
作業台の隅に、羊皮紙が三枚、並んでいた。
密度で選んで、端を切り揃えて、きれいに重ねてある。
私はしばらく、それを見ていた。
(……次の依頼は、まだ受けていないけど)
ライナルトは「また来る」と言ったが、次の注文はまだ受けていない。納期も、仕様も、何も決まっていないのに、羊皮紙が並んでいた。いつ選んだのか、自分でもわからなかった。
一枚持ち上げて、光に透かした。繊維が均一で、きれいだった。
そのままの位置に、戻した。
(……考えすぎかもしれない)
外はすでに暗く、霧の森が夜の中で静まり返っていた。ランプを落としたら、工房も周りに溶け込んだように静けさに染まった。
暗がりの中で、作業台の上の羊皮紙は、まだそこにあった。




