第二話 ー 五日目の受け取り
五日目の朝、私は最後の工程に入っていた。
表紙の封入だ。
完成した本を両手で持ち、魔力をゆっくりと均等に流し込んでいく。なぜなら、急ぐと魔力が偏り、本の端から劣化が始まってしまうからだ。
指の間で、かすかな光が走った。それは魔力が皮紙に馴染んだ証だ。
私の宿り系魔法の唯一できることは、魔力を飛ばすことも、形にすることも、放つことでもなく、ただ物に染み込ませることだけ。
学院ではずっと、それを欠陥と言われ続けてきた。
でも、今はもうそう思わない。
今回は依頼内容に合わせて魔導書を三層刻みにした。一層ずつ異なる周波数の魔法を重ね、互いが干渉し合うことで封印の強度が増す仕組みだ。手間はかかるが、それだけ持ちがいい。
術式封印用、と言っていた。上位の術式なら、これで十分なはずだ。
本を作業台に置いて、私は次の羊皮紙の選定に戻った。
◇
正午の鐘が鳴り終わったとき、また扉が叩かれた。
五日前と同じ、均等な間隔だった。
「どうぞ」
ライナルト・クロイツは、今日も黒い外套を着ていた。前回と同じ服か、同じ仕立ての別の服か、判断がつかなかったが、胸元にある金のメダリオンだけが、はっきりと光っていた。
「受け取りに来た」
「こちらです」
私は作業台に置いた本を差し出した。
彼は受け取った本を、すぐに仕舞わなかった。
手で表面をなぞったあと、ページをゆっくり開いては閉じるのを数回繰り返して、そしてまた表紙に戻った。
(本の見方を知っている人だ)
量産品を受け取る客は大抵、すぐに荷物の中に入れる。見ても使えるかどうかわからないからだ。
でも彼は、丁寧に確かめていた。
「……三層か」
私は少し驚いた。見ただけでわかるとは思っていなかった。
「はい。術式封印なら、その方が長持ちします」
「依頼より上等だ」
「素材がよかったので」
嘘ではない。五日前の朝に引いた羊皮紙の質が、今月で一番よかった。いい素材に当たると、仕上がりが変わる。それだけのことだ。
◇
彼はまだ本を見ていた。ページを一枚ずつ、指の腹で確かめるように。
「一つ、聞いてもいいか」
(また、その聞き方だ)
「……どうぞ」
「この本、どのくらい持つ」
「使い方によります。通常の術式封印なら百回は使えます。放出型の術師が使えば、五十回前後です」
彼は少し黙った。
「放出型の中でも、強度が高い場合は」
「……五十を下回るかもしれません。魔力の密度が高いほど、本への負荷が増えます」
彼は、ゆっくりと本を閉じた。
「量産品だと、十回で燃える」
言い方が淡々としていたので、一瞬、意味がわからなかった。
「燃える、というのは」
「文字通りだ。魔力が強すぎて、本が耐えられない」
私は少し考えた。
金のメダリオン。放出型。王国に七人しかいない大魔術師。封印を使うたびに本が燃えるなら、その都度また新しい本が要る。
「……それで、辺境の工房まで」
「ああ」
短い答えだった。でも今回は、それで十分だった。
◇
彼はまだ本を見ていた。ページを一枚ずつ、指の腹で確かめるように。
――これだけ確かめるなら、本の質がわかる人だ。そう思った瞬間、次の言葉が出た。
「もう一冊、頼めるか」
「はい。用途は同じですか」
「同じだ。ただ、次は少し試したいことがある」
「試したいこと、というのは」
「この本に、どのくらい魔力を込められるか確かめたい。限界になる前に、教えてほしい」
(つまり、私の本で、自分の魔力の上限を測りたい、ということだ)
断る理由は、特になかった。
職人の中には、自分の作品が壊れることを嫌う人もいる。でも私は、壊れた本から学べることの方が多いと思っているから、抵抗感もなかった。
「わかりました。その代わり、壊れたときは残骸を持ってきてください。改善の参考にします」
彼は少し黙って、それから言った。
「……それでいい」
今度は言葉が、少しだけ違った気がした。承諾というより、何かを確かめた、みたいな言い方だった。
◇
帰り支度をしながら、彼が棚の上段を見ていた。
その目線の先は、古い本が何冊か並んでいる三段目の奥の方だ。
「何かありましたか」
「……いや」と言いながら、彼の視線はまだそこに留まっている。
「古い本を集めていて。お客様の依頼品ではありません」
「古い、というのは」
「百年以上前のものが多いです。状態が悪くて、修復しながら置いてあります」
彼はそれを聞いて、また少し黙った。何か言おうとして、やめた、みたいな間があった。
「そうか」
それだけ言って、扉へ向かった。
「また来る」
「お待ちしています」
◇
扉が閉まった後、私は棚の上段を一度だけ見た。
あの本たちに、誰かが興味を持ったのは初めてだった。村人は近づかないし、たまに来る行商人は値段を聞いてくるだけだ。
(なぜ、見ていたんだろう)
答えは出なかった。
でも次の依頼の羊皮紙を選びながら、私はなんとなく、五日後を数えていた。




