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私を捨てる夢を見た。先にヒロインを奪うことにした。


怖い夢を見た。


(きら)びやかな卒業パーティーの会場で、大勢の貴族が見守る中、彼から婚約破棄を告げられる夢。

彼の歪んだ口元、そして私を拒絶する冷酷な眼差し。

それがやけに鮮明で、目覚めた後も深く胸に刺さっている。


ゆっくりと目を開けると、木漏れ日が芝生に落ちて揺れていた。

どうやら、ベンチでうたた寝をしていたみたい。

私は、暖かな日差しの中で震えた。


「どうしたアリア、震えて」


私に肩を貸していたアルフォンスが、静かに声をかけてくれる。

その声が夢とは違い、優しくて私は彼にしがみつく。


「アリア?」

「ううん、何でもないわ。少し怖い夢を見ただけ」

「アリアが怖い夢を? 君でも怖い事があるのかい」


彼はふっと表情を和らげた。

その穏やかな笑顔は、夢の中の冷酷な表情とはまるで別人だ。


「怖いことなんて、たくさんあるわ」

「例えば?」


彼は面白がるように問いかける。

私は少し迷ってから、正直に答えた。


「――アルフォンスが、卒業パーティーで私を選んでくれない夢」

「卒業パーティー? 気が早いな、僕らはまだ2年生だよ」

「そうね馬鹿みたいな夢。私ってせっかちなのね」


そう言って私は笑う。

けれど胸のざわめきは、まだ消えていなかった。

いつからだろう?

私がこうして、穏やかに言葉を返せるようになったのは。


私は公爵令嬢として、傲慢で高飛車に生きてきた。

わがままな振る舞いも、使用人への冷たい態度も、全ては当然の権利だと思っていた。

振り返れば、そういう自覚がある。

幼少の頃に決まった王太子アルフォンスとの婚約なんて、当然の事として受け止めていた。

それが当然の事じゃないかもって思い始めたのは、いつの頃からだったろう?


そう、あれは確か2年前だった。

王立魔法学園へ入学する数ヶ月前、私は乗馬の際に落馬した。

その時に不思議な体験をする。


まるで神が天から舞い降りたかのように、何かが私の中へ入ってきた。

落馬で肩の骨を折って酷く痛んだけれど、私の気持ちはそれどころじゃなかった。

私は「何か」に、体を乗っ取られそうになっていた。

乗っ取られるというより、私という存在、これまでのアリアの記憶が、別の何かに上書きされてしまうような。

全てが無かったことになるような、感覚に陥った。


存在が消え入りそうな暴風の中で、私は見知らぬ世界を幻視したように思う。

そこには天に向かってそびえる巨石の柱が続き、その壁面には、規則正しくガラスの穴が無数に並んでいた。

馬にも引かれず、鉄の馬車が地を這うようにたくさん走っていた。

ブロロブロロと腹に響くような重い鳴き声を上げ、恐ろしい速さで私の(かたわ)らを走り抜けていく。

行きかう人々は、見たこともない奇抜な衣服を身に付け、何語か分からぬ言葉を話していた。


私は必死に、心の中でアルフォンスの名を叫ぶ。

アルフォンスを思い浮かべて、助けを求めた。


その時、私は気づいたの。

自分が思った以上に、アルフォンスを愛していたことを。

彼と一緒に歩む人生を強く望み、楽しみにしていたことを。

アルフォンス助けて、アルフォンス!

私はアルフォンスへの想いにしがみつき、その気持ちが私を体の中に、辛うじて留まらせてくれた。


自我を消し去るような、暴風は過ぎ去った。

けれど私の心に、その時の恐怖が深く刻み込まれた。

それからというもの、私はアルフォンスと結ばれることを当たり前とは思えなくなった。

いつ何か恐ろしいものに、奪われるかも知れないから。


私はアルフォンスとの関係を、大切にするようになっていた。

それだけじゃない。

今まで私が当たり前と思っていた、使用人や学友への仕打ちが、粗野で傲慢な行いだと感じるようになっていたの。


私は時折、自分が今まさに、断崖絶壁の細いフチを歩いているのではないかという、拭い去れない感覚に襲われる。

それは、何気ない日常の選択肢の中で垣間見えた。


例えば、困っている学友に「どうしたの?」と声を掛ける。

またはメイドに、「いつもありがとう」と(ねぎら)いの言葉を掛ける


そんなちょっとした行いの裏で、私は私の世界が分岐しているのを感じた。

それは幻視という形で、私のかたわらに現れる。

私を奈落へ誘う幻として。


困っている学友を無視する。

メイドを罵倒する。

私がそうしなかった選択肢が、私の後ろ姿として視界の端に現れた。

白いドレスを(ひるがえ)した私の後ろ姿が、奈落のフチを踏み外し、闇の底へと落ちていく。


それは私の中からやってくる、「警告」なのだろう。

一つ一つの選択は小さな出来事でも、それが積み重なって、私はいつしか破滅するのだと。

ゆめゆめそれを忘れるなと。

私の中にまだ残っている、未来を知る何かからの警告なのだと思った。


足が震える。

ふと見ると、足元の芝生にスミレの花が揺れていた。

私はそのスミレが、崖のフチに咲く境界線の花だと思った。


「アリア」


物思いに耽る私の肩を、アルフォンスがそっと引き寄せる。

私はされるがままに、アルフォンスの胸に収まった。


「君は時々、遠い目をするね」

「そんな事ないわ」


「強がるアリアも、アリアらしくて好きだな。

昔を思い出すよ。

けれど僕も、あの頃よりは随分と成長したつもりさ。

なにか悩み事があるなら、僕を頼って欲しい」


アルフォンスの優しさが、心に染み込んでいく。

私はアルフォンスの温もりを、いつまでも感じていたい。


「ああ……アルフォンス。こうしてアルフォンスと居られるのが、どれだけ幸せな事か。

私にはそれが昔は分からなかったの。

あなたのそばに居るのが、当たり前だと思っていたから。

けれど違うの。

2年前に落馬して死にかけたとき、私は全てを……あなたを失いかけた。

だからっ」


「幸せが怖いかい?」

「怖いわ」

「本当に君は、昔と比べて随分と素直になったね」

「アルフォンス、子供の頃のおまじないをして」

「喜んで」


アルフォンスは私の頭に、そっと幸運のキスをしてくれる。

そして私が落ち着くまで、抱きしめてくれた。


漠然とした不安の影が、私の道を覆っている。

私はアルフォンスの腕の中で、その影が最も濃くなるのは、来年なのだと感じていた。

来年、魔法学園の門をくぐる者の中に、私の奈落に強く影響を与える者がいる。


それが誰かは分からない。

けれど、どうすれば良いかだけは分かる。

心に浮かんでくる。

それは「王太子アルフォンスよりも先に、その人物と仲良くなる」こと。



    *



新たな季節が巡る。

新入生たちが、希望に満ちた顔で学園に足を踏み入れた。

私の心配をよそに、その後数週間は何も起こらなかった。


運命が絡み合ったのは、ある穏やかな日の午後。

私は学友と重い教材を運びながら、中庭の回廊を歩く。

そして何気なく見たその先。中庭のベンチ


そのベンチに、一人の少女が座っていた。

胸元のリボンの色からして、今年入った1年生だと思う。

もうすぐ授業が始まると言うのに、その子は(うつむ)いたままベンチから動かなかった。


何をしているのかしら?

そう思ったけれど、もう授業までに時間がないし、そのための教材を3階の教室に運ばなければいけない。

私は気になりつつも、そのまま学友と薬学実験棟の階段へ向かった。


その時、強烈な違和感が私の胸を騒がせた。

今の私なら、ここであの子に声を掛けているところだろう。

自惚れではないけれど、昔の私とは違い、今は人の痛みが分かるつもりだから。

けれど今は時間がない。

授業に遅れたら、皆に迷惑をかけるもの。


その選択に胸騒ぎがする。

日常の何気ない小さな選択。

私は無意識に、あの白いドレスを(ひるがえ)す「私の後ろ姿」を探していた。


幻視は、いつも見えるわけじゃない。

だから今見えなくても、別におかしくはなかった。

だけどこの胸をざわつかせる、強い違和感はなに?


「本当に見えていないの?

もし見えているのに、私が気づかないのだとしたら……」


冷たい戦慄が私を襲った。

警告の幻視がここで現れないということは、今このまま通り過ぎようとしている私こそが、「奈落へ落ちる私」側なのではないのか?


私は呼吸を止めて、(きびす)を返す。

学友の掛ける声も耳に入らない。


「どうしたのかしら、授業が始まってしまうわよ」


私が声を掛けると、ベンチの1年生がぴくりと肩を震わせて、顔を上げる。

彼女の目元が赤い。

泣いていたのかもしれない。


私は授業など無視して、彼女の隣に座る。

ポケットからハンカチを取り出し、彼女に差しだした

彼女はどうしていいか分からず、おどおどしている。

私はそんな彼女の目元を、そっとハンカチで拭ってあげた。


「入学したてで、環境が変わると心細いものね」

「あ、あの私……」

「私はアリア。あなたお名前は?」

「えっとあの、フィオナです」

「ねえ、何か悩み事でもあるのかしら? よかったら聞かせて」


こうして自らの運命に声をかけ、私はフィオナと仲良くなる。



    *



あの日、アリア様が差し出してくれたハンカチは、故郷の匂いがした。


私の故郷は、王都から馬車で数日かかる、土の匂いとスミレの花に囲まれた小さな村だった。

男爵家とは名ばかりの、雨漏りする古い屋敷。

けれどそこには、私の大好きな温もりがある。


「フィオナ、これ持ってお行き」

「お母さんこれは?」

「ちょっと不細工かもしれないけどね、ふふふ。お守りだよ」


そう言って笑うお母さんの指先は、針仕事でいつも小さく傷ついている。

家計は苦しく、学園で必要になる生活用品を揃えるだけでも精一杯だったはず。

それなのにお母さんは、市場で一番手触りの良い布を選び、私のために小さなお守りを用意してくれた。

その表面には、お母さんが一針一針縫ってくれた、光の守護神さまとスミレの刺繍ししゅうが施されている。


「あんたの光の魔力は、神様がくれた宝物。自信を持って行ってきなさい」

「うん、ありがとうお母さんっ」


出発の日、お母さんが持たせてくれた焼き立てのパンの匂い。

あの温かさを胸に、私は王立魔法学園の門をくぐった。

けれど、夢に見た学園生活は、私の想像とはあまりにも違っていた。


「あら、雑草の匂いがする。どこから紛れ込んだのかしら」

「その靴、いつの時代の流行り? 歩くたびに土が落ちそうで怖いわ」


毎日のように繰り返される、鋭い言葉の棘。

廊下ですれ違いざまに肩をぶつけられたり、やっと買いそろえた教科書は、泥溜まりに落とされた。

一番辛かったのは、お母さんが夜なべして刺繍してくれたあのお守りを「汚い」と言われて、噴水に投げ捨てられたこと。


私の心は、少しずつ削られていった。

家族の期待に応えたい。

お母さんを喜ばせたい。

その思いだけで頑張って来たけれど、限界だった。


午後の日差しが降り注ぐ中庭。

私は教室に戻るのが怖くて、ベンチに崩れ落ちた。


もう授業なんてどうでもいい。

この魔法学園の中に、私の居場所なんてどこにもない。

歪む視界の中で、涙がポタリと(ひざ)を濡らした。

お母さんごめんなさい。


もう学園を辞めて、村に帰ろう。

そう思った時――


「どうしたのかしら、授業が始まってしまうわよ」


凛とした、けれどどこか温かみを含んだ声が、頭上から降ってきた。

驚いて顔を上げると、そこには信じられないほど綺麗な人が立っていた。


眩いばかりの黄金の髪。

透き通るような肌。

入学したてで分からないけれど、この方はきっと凄い方だと思った。

私のような者が、一生かけても触れることさえ許されない、雲の上の人。

緊張して固まった私の隣に、その方は静かに隣へ腰を下ろした。


「入学したてで、環境が変わると心細いものね」


差し出されたのは、汚れ一つない真っ白なハンカチ。

そのハンカチから、ふわりと花の匂いが香る。

それはどこか懐かしい、お母さんと一緒に歩いた故郷に咲くスミレの香りに似ていた。

その方がおどおどする私の目元を、優しくそっと拭ってくれる。


「私はアリア。あなたお名前は?」

「えっと……あの、フィオナです」


その方は、アリア様という方だった。

アリア様は、御自身も授業があるはずのに、気にせずに私の話を聞いてくれた。

私は嬉しくて涙が止まらなかった。


私は、この出会いを決して忘れない。

聞いてお母さん。

あのね、その温もりに触れた瞬間、私の心の中で枯れかけていた何かが、一気に息を吹き返したの。

アリア様の瞳は、私を真っ直ぐ見つめていてくれたの。


お母さん、私間違ってた。

この学園は、全然冷たい所なんかじゃないよ。

アリア様が差し出してくれたハンカチは、今は私の宝物です。

お母さんのくれたお守りと一緒に、大切に身に付けています。

お母さん。私……もう少しだけここで頑張ってみるねっ。


私は家族に当てる手紙を書き終えて、羽ペンをインクスタンドに戻す。

ランプの灯りが、ゆらゆらと優しく揺れていた。


「ああ……アリア様がくれたこの優しさ。

いつか私の魔法で、応えられたらいいなあ」






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