第1話 お前を愛することはない
「お前を愛することはない」
真顔で。
結婚したばかりの夫に。
こんなことを言われたら、私はどうすれば良いのだろう。
私は考えるよりも先に、体が動いていた。
夫が背を向けた瞬間に、私は化粧台の椅子を持ち上げてぶん殴った。
私の夫である侯爵家の嫡男アルフレッド・アシュワースは、血を流しながらベッドに倒れ込み、結婚初日の夜が血に染まった。
その後のことは良く覚えていない。だって夢中で逃げたから。
逃げると言っても屋敷の敷地は田舎なものだから、馬鹿みたいに広いし、どうせ逃げられないだろうから、朝方こそっと戻って様子を見てみる。
するとアルフレッドに、裏庭でばったりと会ってしまう。
アルフレッドは上半身裸になって、大きな剣を振るい朝稽古をしていた。
「ヤバい斬られる!」と思って硬直する私。
けれどアルフレッドは稽古をやめ、首筋をタオルで拭いながら、黙って私の横を通り過ぎる。
あれ、切られないの?
私は首をすくめたまま、アルフレッドの背中を見つめた。
すると彼の後頭部には、昨夜の傷跡がどこにもない。
う~ん、回復ポーションで治したのかな?
この世界には、そう言う便利なものがある。
「怒んないの? なんで?」
興味が湧いて聞いてみたい気もするけれど、余計な藪をつついて地雷を踏んだら嫌なので、私はそそくさと部屋に戻った。
私とアルフレッドは新婚なんだけれど、初日から部屋は別々で、ちょっと小首を傾げてた。
夜になって、どうしたもんかなとベッドに座っていたら、アルフレッドが部屋に入ってきた。
あーすることはするんだと思ってたら、いきなりあの「お前を愛することはない」宣言ですよ。
そして部屋を出て行こうとする彼の後ろ頭に、ムカついて私の椅子アタックですよ。
「さて、どうしよう。怒ってもいないようだし。
このまま見逃してくれんのかな?
いやいや怒る方は、私の方だよね?
あんな愛する事を破棄する宣言なんて、嫁いできた私を何だと思ってんのっ」
私はそうだそうだと、自分を鼓舞し正当化する。
悪いのは向こうだ、うん。
「別にいいよ、私だって愛してなんてないし。
婚礼の日まで、相手の顔も知らなかったんだから。
あー、やだやだ、中世の古いしきたりってのは、令嬢を政略結婚の駒にしか見てないんだからっ」
私はもう何度試したか分からない、空中に指先をコツコツ当てるような仕草をする。
けれど指先はなにも触れないし、ましてや『メニュー画面』なんて出てこなかった。
「駄目かあ。私って本当にAI生成の『ナーロッパ』に取り込まれて、そのままになっちゃうのかなあ?」
AI生成の『ナーロッパ』とは、私が大学の研究室でフルスクラッチのAIを開発してる際、開発中のAIに生成させていたVR空間だった。
小説サイトのファンタジーを、大量に読み込ませて生成させた空間。
私は今、そこに閉じ込められていた。
多分。
多分と言うのは、はっきりと覚えてないってこと。
AI開発に熱中し過ぎて、10日以上研究室にこもり切りだった。
外出といえば大学のシャワー室と、エナジードリンクとスナック(主食)を、自販に買いに行く時くらい。
あとはもう、ずっとモニターの前に座ってた。
「う~ん、開発が煮詰まった気晴らしに、ナーロッパ旅行しようと思って、VRヘッド被った所までは覚えてるんだけどなあ」
VR空間に繋げた途端に、激しい頭痛がして気を失った。
そして目覚めたら、私はその世界の男爵家令嬢イリス・クレアモントとして、ウエディングドレスを着ていた。
いや、いまは嫁いでイリス・アシュワースかな。
まあ、どっちでもいいや。
私は裏庭でひとり、朝日に向かって呟く。
「あーエナドリと、じゃがのこで一服したい」




