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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第二章 思わぬ邂逅
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思わぬ邂逅(3/4)

 確かに願いは叶えてくれた。

 だがこんな残酷な形で結実するのならば、いっそ叶わない方が良かったかも知れない――

 ムシュカは目の前で困ったげに謝り続ける青年の様子に、足元が崩れるような絶望を覚えていた。


 意識が浮上し瞼を開いたとき、飛び込んできたのは白一色で出来た不思議な空間に佇む男の姿だった。

 それを一目見るなり、ムシュカの胸がどくんと高鳴る。


(ヴィナ……!!)


 床に座り込んでいたのは、今は石棺の中で永遠の眠りについているはずの、愛しい人。

 相変わらずの立派な体躯に、額から眉にかけてくっきり刻み込まれた三本の――幼いムシュカを守り抜いた傷跡も記憶と変わりない。

 一方で、あの日彼の命を奪った額の傷はどこにも見当たらず、それが少しだけムシュカを安心させる。


 生前は淡く輝く銀色だった髪は、今はほんのり茶色がかった黒一色に染まっていて、夢の中とは言え彼はずっと焦がれていた黒髪をようやく手に入れたのかと、ムシュカは胸を詰まらせた。


(それほどまでにお主は、我が国の民となりたかったのだな……私の隣に堂々と並び立つために……)


 ああ、いつも顔を真っ赤にして、小さな声で紡がれていた愛の言葉が懐かしい。

 確かに奥手ではあったけれど、彼は彼なりの形で精一杯自分への愛を表現してくれていた――ふと甘やかな日々を思い出せば、ムシュカの眦に涙がじわりと滲んだ。


 だが、同時に奇妙な違和感を感じたのも事実で。


(それにしても夢の中だというのに、どうにも元気が無さそうだな……随分とやつれているように見える)


 確かにヴィナは剣を持たねばどこまでも内気で奥手な青年ではあった。

 だが、それにしてもなんというか……ここまで覇気を喪うことはなかった気がする。

 良く見れば張りのあった肌はくすみ、目の下にはくっきりと隈が刻まれ、明らかな疲労の後が見られるではないか。

 黒髪に艶がないのは短髪のせいかもしれないが、ともかく愛しい人の様子がおかしいことは間違いない。


(それに……)


 そして、ムシュカは嫌な予感を覚える。

 何故彼はこの私が呼びかけたというのに、いつものように頬を染めはにかみながら「殿下」と返してくれないのだろうか……?


 試しに「ヴィナ?」とその名を呼べば、屈強な青年は「はっ、はい!」と慌てて返事を返すから、少なくともこの者の名前がヴィナであることは間違いないのに……そう思った次の瞬間、ムシュカはヴィナに似た青年から語られる事実に、文字通り言葉を失った。


「お兄さんは……どちら様ですか?」

「……な…………!!」


 ああ、何と言うことだ。

 私の愛しき人は、よりによって記憶を失っている……! !


「そ……んな…………」


 思わず漏れた悲嘆の声を、どうやら青年は「どこかで会ったのに自分がうっかり忘れてしまった」とまぁ間違いではないが少々ずれた解釈をしたらしい。

「ほんとすみません」と米つきバッタのようにぺこぺこと頭を下げる姿に、余計に涙がにじんでくる。


「ほんっとうに申し訳ございません!」

「い、いや、忘れたものは仕方が無い……そう謝らずとも良いから」

「で、ですが……」

「……いいのだ。それでも逢えただけで私は…………」


 震える声はそれ以上の言葉を紡げず。

 ムシュカは何が起こっているのか理解出来ない青年の前で、はらはらと涙を零すのである。



 ◇◇◇



「心配をかけたな、もう大丈夫だ、ヴィナ」

「その本当にすみません……俺のせいで……」

「いや、お主が気にすることではない」


 記憶は失っているとは言え、折角ヴィナに逢えたのだ。

 このまま泣き暮らして朝を迎えるのは勿体ないと己を叱咤したムシュカは、もう謝っていないと居心地が悪いと言わんばかりの表情を崩さないヴィナに向かって「……それで、お主は息災か?」と無理矢理笑顔を作って尋ねた。


「え、あ、そうっすね……息災って元気ってことですよね? あーまぁ、生きてます」

「……生きてる?」

「いやぁ、もうこれ夢だからぶっちゃけますけど! 毎日毎日午前様で、今日は久しぶりに家に帰れたんです! でも玄関で力尽きちゃって……あ、お風呂入ってないから臭いかな? すみません、こんなよれよれで」

「午前様……? ああ、夜更けに仕事が終わったと。ヴィナはなにか、大変な仕事をしているのか?」

「そんな立派なものじゃないですよ、ただのバックエンドエンジニアです。ああ、俺大学だと文学部で民俗学専攻だったからプログラミングはド素人で……なのに研修もそこそこに現場に放り込まれて以来、ずっと炎上案件要員っすよ! はぁ、明日も不具合調査からとか頭が痛い……」

「え、炎上……? 『ばっくえんどえんじにあ』とやらは随分過酷な仕事なのだな……」


 近況を聞きたいと話を振れば、青年は堰を切ったように仕事の愚痴を語り始める。

 どうやら彼は死してなお職務に邁進している……にしては、なんだか悲壮さを纏っている気がしなくもない。

 なにより、彼の話している言葉が半分以上分からない。何なのだ、そのぷろぐらみんぐというやつは。燃えさかる業火でも相手にしているというのか。


(あの世にしては随分とリアリティがありすぎるというか……まるで知らない世界の話のようだ……ん? 知らない世界……?)


 まだまだ話し足りないとばかりに蕩々と語り続ける新太にふんふんと相槌を打ちつつ、ムシュカは子供の頃に習った昔話を思い出していた。


 ――数百年前、まだクラマ王国に魔法を使う民族がいくつか残っていた頃は、彼らが騎士団の一員としてこの国を守るのに尽力していたらしい。

 そんな彼らは、何と時や場所どころかムシュカの世界には存在しない摩訶不思議な場所……いわゆる異世界を自由に行き来していたという。


(確か、死して魂となった人間は、ありとあらゆる世界に行くことが出来るし、その全ての記憶を魂に宿している、だったか……おとぎ話だと思っていたが)


 彼らのような特異な民族だけでなく、人は皆死ねば眼前に広がる数多の世界から、次に行くべき場所を見出す。そうして表向きは全ての記憶を忘れた身体で新たな生を得て、再び新たな記憶を魂に刻み込むことを繰り返す……

 この話を聞いたとき、生まれ変わりはともかく異世界などあるわけがないと、幼いムシュカはレナと共に一笑に付した記憶がある。


 だが、改めて目の前の青年を見れば、とてもおとぎ話と切り捨てることは出来ない。何せ、明らかに奇妙な点がいくつも目に付くのだ。


(窮屈そうな薄い布を纏い、首からペラペラの飾り布をさげる……このような衣装、私の知る世界には存在しない。それに、あの左腕に嵌めた腕輪……なんだあののっぺりとした皮? は。丸い黒い石? にも何かが光って……んんん? あれは文字、なのか? また珍妙な形をしている……)


 ワイシャツにネクタイ姿で、左手にはシリコンバンドのスマートウォッチを身に付けた新太の姿に、しばし熟考したムシュカはある結論を出す。

 恐らく愛しいヴィナは、あの廟で命を散らした後自分の知らない世界へと魂を渡らせたのだ。そうして新しい世界に降り立つに当たり、姿形こそ似せたもののかつて自分と過ごした世界の記憶は魂の中に封印したのであろう、と――


(ああ、お主は『ヴィナ』だ。夢ではない、どこかで生きているヴィナなのだ……!)


 目に力は無く光も消え失せそうな、消耗しきった形ではあるが、それでも愛しい人は決して夢が見せる都合の良い幻ではない。

 新しい命を得て、自分の知らない世界に生きる……現実に存在する人であるのだと確信したムシュカの瞳から、また新しい涙がこぼれ落ちた。


「あ、あの……」

「大丈夫だ、目にゴミが入ったようでな」


(それにしても……このやつれっぷりは気になるな。下手な奴隷よりも消耗しているように思うが……一体お主は今、どんな世界に住んでいるのだ?)


 袖でそっと涙を拭い、何事もなかったかのように振る舞いながら、ムシュカはそっと胸を痛める。

 延々と続く愚痴の内容を鑑みるに、今のヴィナは確かに「生きている」だけでとても息災とは言えない状況にあるらしい。一体何が彼の身に起きているというのか……そう思案しかけた時


 ゴゴゴ……


 突如、謎の地響きが殺風景な空間に響き渡った。



 ◇◇◇



「な、何だ? 地震か? 地滑りか!?」


 不穏な轟音と振動に、さっとムシュカの顔色が変わった。

 ここは夢の中だ、例え災害があっても死ぬことはないだろうが苦痛を味わうのは本意では無いと、緊張をかんばせに浮かべ辺りを見回す。

 だが目の前の青年は何も動じることなく、いやむしろどこかしょんぼりした顔で「はぁ……」と何十回目かの大きなため息をつき


「腹減った……夢の中でも腹って減るんだな……」


 予想外の言葉を放って、ムシュカをその場に凍り付かせた。


「……な…………ヴィナ、い、今のはもしや……」

「え? ああお恥ずかしい。俺の腹の音です。ちょっとお腹が空きすぎているから聞こえちゃいましたよね? すみません」

「いやいや! 普通腹の音は地響きを起こさないであろう!? そんな轟音など、初めて聞いたわ!!」


 生前共に過ごしていた頃にも聞いたことが無いような空腹を訴える音に、ムシュカは唖然と固まっている。

 まさか異世界では空腹の音すら違うのか? と訝しむヴィナの心配をよそに、新太は「そりゃ一食じゃなぁ……」と寂しそうに腹をさすった。

 

 ――今、何か聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。


「……いっ、しょく?」

「はい……ほら、今日も忙しかったって話したでしょ? 朝コンビニでゼリー飲料を買って食べたきりですよ。ああそうだ、帰り際に親切なおじさんからもらった栄養ドリンクを飲んだから、正確には二食」

「飲み物は食事に数えて良いものでは無いであろう!!」


 何と言うことだ、と思わず声を荒げたムシュカの顔がたちまち青くなる。

 正直に言おう。愛しい人が記憶を無くして現れたときよりも、今自分は衝撃を受けている。

 それもそうだろう、生前は「一日六食が基本、あまり食べると腹に肉が付くから、お替わりは三杯までで控えめにしている。あ、デザートは別腹で」と突っ込みどころ満載の食生活を謳歌していたあのヴィナが、たった一食しか食べてないとぬかしたのだから!


「えいようどりんく」なる飲み物を二食目にカウントしようとしたということは、おそらく一食目の「ぜりいいんりょう」とやらも碌な食べ物ではあるまい。

 そりゃ六分の一……いやいや十八分の一の食事量では、腹だってストライキを起こして地響きぐらい発生させるに違いない! と多いに納得したムシュカは「お主はなんという……貧しい生活を送っているのだ……!」と思わず天を仰いだ。


 しかしどうもこの愛しい人の成れの果ては、己の不幸にすら鈍感になっているようだ。


「いや、一応給料はそれなりっすよ? 貯金も出来てますし……まぁ今月は備品を壊したからちょっと減らされますけどそこまで貧しくは」

「そうではない! ヴィナよ、お主にとっては食こそ人生の幸福度を上げる源ではなかったのか!?」

「そりゃまぁ、お腹は空きますし食べたいとは思いますけど……でも最近はもう慣れちゃって、食欲も前程じゃないんです。なんでこの筋肉が維持出来ているのか、自分でも不思議なくらいで」

「…………!!」


(これは、だめだ)


 鳴り止まない腹をさすり「まいったなぁ」と首を傾げる新太の前で、ムシュカはぷるぷると拳を振るわせ心の中で盛大に突っ込みを入れる。

 仮にも王宮近衛騎士団の副団長を務め、魔熊殺しの二つ名にふさわしい豪傑として名高かったヴィナが、一体どう言う了見かは分からぬが、まともな食事も摂らずにやつれているなどあっていい筈がない。いや、異世界の者達が許しても、私は絶対に許さない! と。


(ああ、夢の中では何の意味も無いだろうが、それでもせめて何か、まともな食べ物を……ヴィナが愛して止まなかった我が国の美食を与えてやりたい……!)


 思わずムシュカが願ったその瞬間、ことん、と下から何か音が聞こえてきて。


「……ん?」

「…………え……?」


 同時に床を見た二人の目の前には


「…………きしめん?」

「っ、これは…………!!」


 ほかほかと湯気を立てる二つの白い大ぶりな鉢が、かぐわしい香りを漂わせでんと鎮座していたのだった。



 ◇◇◇



「…………」

「………………」


 突如現れた食事に、呆然と佇む静かな時間が流れる。

 ムシュカはその場にしゃがみこみ、一体何がと鉢の中身を確認して……思わず「あぁ」と感嘆の吐息を漏らした。


 それは、麺料理だった。

 淡い金色のスープの中に浮かぶのは、平たい米の麺。鼻をくすぐる香りは魚介のうまみがたっぷり含まれていることを感じさせて、けれど主張は激しくなくてほっと心を安らげてくれる。

 そこに混じる香ばしさを演出するのは、振りかけられた揚げ玉ねぎ。彩りで添えられた茹でた青菜やネギと共に、白い麺とのコントラストが実に目に鮮やかだ。

 そして、主役とばかりにいくつも麺の上に鎮座するのは、親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさを誇る、白い魚のすり身で作った団子である。


 ムシュカにとっては見たことがある料理……どころではない。

 まさに今日、夕餉に通りがかった時にはきっと生涯口にすることはないと寂しさと共に諦め、しかし願いが叶うならば亡き恋人と共に味わいたいと涙を落とした一品で――


(これは……翠玉飯店の、魚団子麺……!)


 あの柔らかな織物を抱き締め、ふぅと意識が吸い込まれる瞬間に脳裏に浮かんだ料理が、今、まさに目の前に並べられている。


 ああ、まさかこのような形で願いが叶うとは。

 たとえ記憶を失っていたとしてもヴィナはヴィナだ。ちょうど腹も空かせているようだし、ここはひとつ共に故郷の味を堪能し、幸せなひとときを過ごそうではないか――

 感動に涙をこらえながら、ムシュカは「ヴィナよ」と目の前で俯く青年に声をかける。


「…………」


 だが、何故か青年は俯いたままで。

 良く見ると拳を握りしめ、少し身体を震わせているようで。

 もしや、腹が減りすぎて気分が悪くなったのかと心配したムシュカが「ヴィナ?」と声をかければ、ようやく彼はその顔をゆっくりとムシュカの方に向け、そして


「…………あなたが、神か…………!!」

「……はい?」


 まるで漆黒の絶望の中に一筋の光を見つけたかのように、感極まった声を上げたのである。

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