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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第一章 東雲の織物
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東雲の織物(5/5)

「……ごちそうさま、店主。美味かった。その……うるさくて、すまない」

「気にしなくていいですぜ、兄ちゃん。人間誰だって泣きたいときはあるんだし」


 少し気まずい顔で店主に声をかければ、思いのほか優しい言葉を返されて、またムシュカの瞳に涙がにじむ。

 どうやら一度決壊した想いというのはそう簡単に押し込められるものではないなと、ムシュカは時折涙を拭いながら街中を散策していた。


「にしても……見事に飯屋の思い出しか無いな、ヴィナよ……」


 通りを見渡しても、ヴィナの笑顔が蘇るのは食べているときのものばかりだ。

 あそこのパイは具が多くて食べ応えがある、あの店の汁なし麺は卵をオプションで付けると最高に美味しい、こってり甘いものが欲しければここのデザートがおすすめ……

 確かにここは美食の街として有名だし、ヴィナはなにより美味いものを愛する男だったから当然と言えば当然なのだが……あまりにも食に偏りすぎていて今更ながらちょっと呆れてしまう。


「……あ、ここは」


 そんな中、ムシュカが見つけたのはありふれた屋台。

 翠玉飯店と手書きの看板を掲げたその店は、次のお忍びでヴィナが行こうと行っていた店だ。何でもここの魚団子麺が絶品らしいと、以前ヴィナが力説していたのを思い出す。


「…………いや、流石にもう食べられぬな。ヴィナのように1食で3杯も食べたらお腹を壊してしまう……それに…………」


 だが気にはなるものの、きっとこの店に入ることはないだろう、そうムシュカは寂しそうに微笑む。

 今のムシュカが欲しいのは、美味しい料理では無い。それを幸せそうに食べるヴィナの笑顔だから。


 そしてそれは――二度と手に入らないものだから。



「っ……ヴィナ…………」


 ああ、だめだ。あまりの悲しさにこれ以上足が進まない……

 再びこぼれ落ちる涙を拭うこともせず、ムシュカは天に向かって嗚咽をあげかける。

 しかし、その時


「……ちょっとそこの兄ちゃん、辛いならいいもんを見ていかないかい?」


 ムシュカを誘う声が、唐突に背後から響いた。



 ◇◇◇



「……え……わ、私か?」

「そうそう兄ちゃんだよ兄ちゃん、そんな往来に突っ立って泣いてないで、こっち来な。いいもんみせてやっから」

「は、はぁ……」


 悲しみに暮れていたムシュカを無理矢理現実に引き戻したのは、道ばたで敷物を広げ雑多な商品を並べている男の声だった。

 ブロンドの髪に色素の薄い肌、そして薄いグレーの瞳はヴィナの故郷より更に北方の民のものだ。王国の移動販売許可証を首から提げている辺り、どうやら彼は異国からこの地を訪れた旅の露天商なのだろう。

 並べられた商品は王宮で上質なものを見慣れた身には少々物足りなく感じるが、なかなかどうしてセンスがいいなと、呼び声に応じたムシュカはすっと露店の前にしゃがみ込んだ。


「ふむ……これがいいものか? 確かにこのマグカップはなかなか味がある。シンプルな模様だがその分形が引き立つし、何より飲み口が滑らかだ」

「お、兄ちゃんなかなか分かるクチだな! それは東国から仕入れてきたものさ。あそこの品物はデザインはともかく、機能美に溢れているのが特徴でね」

「ほう、東国、か……」


 東国という言葉に、ムシュカの胸の奥から黒いものがじわりと滲み出る。

 だがこの露天商に罪はない。大方往来で嘆いている若者を元気づけようと声をかけてくれたのだろう、ここは素直に好意に甘えようと彼の話をふんふん聞きながら商品を眺めていたムシュカだったが、ふと違和感を覚える品物が混じっていることに気付く。


(……この燭台…………どこかで)


 傍らに置かれた銀の燭台は、東国のものらしくシンプルなデザインながら不思議な魅力を醸し出している。

 だが、ムシュカが気になったのはそこではない。確かに自分はこの燭台を以前見たことがある……そんな気がするのだ。

 寝不足で疲れているせいかもしれないと思いつつも、ムシュカが露天商に何気なく「店主、この燭台はどこで手に入れたんだ?」と尋ねれば、思いもかけない返事が返ってきた。


「ん? ああそれは持ち込みだな。俺のように行商人をやってるって客が東国から品物を大量に仕入れたから買ってくれないかと頼み込んできたやつだ」

「ほう……いや、これもなかなか素晴らしい。是非その行商人にも会ってみたいものだ、これはいつ頃仕入れたものなのだ?」

「ええと、確か3ヶ月くらい前だったか……ちょっと前に王宮で事件があっただろ? 俺は旅の者だから詳しくは知らないが、これを仕入れた頃にそんな話を小耳に挟んだ覚えがある」

「ふむ、3ヶ月も前だと会うのは難しいか。いや失礼、なかなかの目利きだと思ったものでな」


(……見つけた)


 よもや、このようなところであの日に繋がる手がかりを掴めるとは。

 王宮に戻ればすぐに報告を上げようと密かに決意しつつ、表向きは更なる手がかりを得ようと商品を眺めるムシュカの企みには気付くこともなく、露天商は「そうそう、それより」と背後に置かれた大きな木箱から、何かを取りだした。


「兄ちゃん、その様子だと失恋でもしたんだろ?」

「っ、ま、まぁそんなところだ……」

「だよなぁ! いや、兄ちゃんがひでぇ顔して泣いてるの見てるとさ、こっちまで昔のことを思い出して……何だか悲しくなってきてさ。そんな兄ちゃんにはこれ」

「……これ?」

「ああ、東国名物、願いの叶う寝具だ!」

「…………はい?」


 ほら、と露天商が手にしたのは、どうやらブランケットのようだった。

 紺を基調とした淡い光沢のある布地に、桃色のグラデーションが美しい。まるで夜明け前の空を織り込んだような色だなと、ムシュカは勧められるがままにその織物を手に取る。

 ブランケットは思ったよりも重さを感じず、肌を滑る感触は滑らかで……これは明らかに手が込んでいると分かる逸品だ。


 それにしても願いが叶うとは一体、と首を傾げていれば、露天商は東国の風習について話し始める。

 何でも東国のとある地域には、婚姻の前に数日間夜を共にし、無事最後まで勤め上げれば婚儀を行えるという慣習が今でも残っているそうだ。

 婚儀を控えた恋人達は、恋が無事に成就することを願ってその日のために特別な寝具を仕立て、まじないをかけて儀式に挑むという。


「兄ちゃんは知らないかもしれないけど、東国ってのはまじない文化が盛んなんだよ。まぁ、ほとんどは気休めだけど、時々本当に効果のあるまじないがかかった道具が流れてくることがあってさ」

「これは、その類いだと」

「ああ。行商人曰く、この寝具を使って眠りにつけばどんな願いも夢を通じて叶うんだと! それこそ意中の人と両想いになれたり、逢いたい人に逢えたり、とか」

「……!!」


 それは、と尋ねるムシュカの声は、自分が思った以上に掠れていた。

 な、お前さんにはぴったりだろう? と畳みかけてくる露天商は、きっと何がムシュカの琴線に触れたのか、気付いていない。

 そしてムシュカの様子に商機を見出したのだろう、ちなみに兄ちゃんにぴったりの効能もあるんだぜ? と露天商はそっと声を潜める。


「……こいつを使うとだな」

「…………使うと?」

「何があっても恐ろしく眠れる」

「へ?」


 夢で願いを叶える寝具だから、寝て貰わないと始まらないんだろうなと露天商は話しながら、早速ブランケットを梱包し始める。

 まるでもう、ムシュカがこれを買うと確信したかのようだ。


「兄ちゃん、その様子じゃまともに寝てないだろ? 願いが叶うかどうかは俺には分からんが、少なくともよく眠れるのは間違いないから、まじない自体は嘘じゃねえよ。俺も検品兼ねて試してみたが、ガチでおやすみ3秒、目が覚めたときには肩こり頭痛眼精疲労もすっきり、いや身体が軽いったらもう!」

「……俄には信じられぬな」

「まあ騙されたと思って試してみなって、安くしといてやるからよ! そうさな、3万ルピでどうだ?」

「たっか!! いくら何でもぼったくりではないか!?」

「とんでもない! まじないのかかった品なら、この値段でも掘り出し物さ! ……ただその、ここはまじないより食い気の国だからか、どうも分かってくれる客が……」

「当たり前だ。ブランケットなど、5千ルピもあればそれなりのものが買えるであろう? お主、実は商才が無いのでは無いか!?」

「ぐふっ、痛いところを……」


 頼むよ兄ちゃん、俺を助けると思ってさ! と途端に泣きそうな顔になって頭を下げる露天商にため息をつきつつ、ムシュカは麻の紐で持ちやすく纏められたブランケットを改めて眺める。


 確かにものは良い。このデザインも、まるで絶望の中に差し込む一筋の光のように映ってどうにも心に染みるものがある。

 怪しげな効能の話はともかく、これほど繊細かつ上質な織物であれば1万ルピは下らないだろう。ただ先ほどの燭台のこともあるし、実はこれも宝物庫から盗まれた品の一つかもしれない。ならばここで買い上げて置くのが得策だ。

 それに今の自分は何をしても眠れない、医者も匙を投げているような状態だ。このような怪しい商品にでも縋りたいと思うのは、自然なこと――


 いつしかムシュカは、その織物を手に入れる言い訳をつれつれと頭の中に並べていた。

 己の使うお金は、民草の働きによるもの。そう、私的な我が儘でこんな出自の分からないものを明らかに法外な値段で買うなど、本来許されるはずが無い身分だから。


 けれど、どんなにもっともらしい理屈を考えたところで……それを欲する理由は一つしか無くて。


(……夢でも良い、逢えるかもしれないなら)


「分かった、それならその燭台と一緒に買おう」

「!!」


(私はその可能性に、賭けたい)


「あ、ありがとよ兄ちゃん! ああ燭台の代金はいい、いやぁこれでようやく赤字が解消する!」

「お主はこれを機に、もう少し需要と供給というものを考えて仕入れることを覚えた方がよいぞ?」

「ははっ、違いねぇ!」


 途端に上機嫌になった露天商に金貨を3枚渡し、ムシュカは足早に王宮へと向かう。

 その瞳には、数ヶ月ぶりに小さな希望の光が灯っていて、先ほどの慟哭を見かけた民衆達は幾分ほっとした顔で彼の後ろ姿を見守るのだった。


 ――そんな王太子を「ありがとよ、兄ちゃん!」と手を振り見送った露天商が、次の瞬間真顔になって呟いた言葉に気付く者はいない。


「良かった、何とか渡せた……これでもう、織物を王太子に渡せと夢で脅されなくてすむ……!」



 ◇◇◇



「……やはり宝物庫の所蔵品でしたか」

「うむ。確かにその燭台も織物もかつて封印庫で見たことがあるな。カルニア宰相から報告された、先の賊による被害品リストにも記載されておった。しかし、眠りを誘うまじないの品とは……そのような話は先王からも聞いたことがないがのう」

「そうですか……」

「まあ、宝物庫にあったものであれば出所に間違いはないじゃろう。ムシュカが気に入ったというなら自由に使うがいい、少しでも眠れる可能性があるものは試してみるべきじゃ」

「ありがとうございます、父上」


 王宮に戻ったムシュカは、早速事の顛末を国王に報告する。

 今頃は、あの露天商にも騎士団による聞き込みが行われているであろう。これで真犯人が見つかるかも知れないと、王宮の誰もが期待を抱いていた。

 ……喪った命は返らずとも、犯人が捕まり裁きを受ければ王太子の気持ちも安らぐであろう、と。


 一方相変わらず憔悴はしているものの、出がけより幾分目に力が戻ったように見えるムシュカの帰還に、父である国王は随分安堵した様子だった。

 本来、何があっても持ち出し禁止とされている封印庫の所蔵品をムシュカが使いたいと申し出た時、渋る宰相を宥め寝室からは持ち出さないという約束であっさり許可を出したのも、我が子にようやく訪れた回復の兆し故だろう。


「……美しいな」


 湯浴みを終えたムシュカは、寝台の上でブランケットをそっと広げ、ほうとため息をついた。

 一人で使うには大きすぎる東雲の空を模した織物は、夕暮れの城下で見たときには気付かなかったが、暗闇の中でほんのりと光る糸を織り込んでいるらしい。

 手元の蝋燭を消せば、月明かりと相まって何とも幻想的な風景が閨の中に広がる。


 確かにこれは、まじないがかかっているのかも知れない。

 あれほどこの寝台は広くて冷たくて寂しかったのに、今日はどこか……この繊細な織物が在りし日のような温もりと懐かしさを呼び起こすのか、不思議と心が穏やかになるから。


「さて……しかし願いを叶えるとは言っていたが、どうすればよいものか」


 腕の上をするりと滑る蕩けるような感触を楽しみながら、ムシュカはひとりごちる。

 そうなのだ、確かに露天商からまじないの効果は聞いたけれど、そもそもこの織物に願いを込める方法を自分は知らない。

 恐らくあの露天商は東国の知識も豊富そうだったから、そのくらいは知っていて当たり前だと思っていたのだろう。


「……ああ、気持ちいいな」


 迷った末、ムシュカは寝台に腰掛けたまま織物をたぐり寄せ、そっと抱き締める。

 柔らかな風合いが頬を撫で、不意に愛しい人の手を思い出して……鼻がツンと痛くなるのにも、すっかり慣れてしまった。


「なあ、まじないの織物よ……どうか、私の願いを聞き届けておくれ」


 震える小さな声で、ムシュカは腕の中の織物に向かって思いの丈を吐露する。

 どんな形であってもいい。夢の中で、ヴィナと逢いたい。

 あの笑顔にもう一度触れて、言葉を交わして……そして


「もし叶うなら……翠玉飯店の魚団子麺を、共に食べたいのだ……」


 ……同じ味を共に、分かち合いたいと。


「どうか……愛しい人に、逢わせてくれ…………」


 頬を伝う雫が、織物の上をつるりと転がる。

 そうしてその熱い想いが布に染みこんだ、その時。


「…………ん……ふぁ……」


 ふわり、と身体が何か白いものに包まれるような感触に襲われ、意識がすぅと下に引き込まれ


 ぱたん……


 いつものようにヴィナの最期を思い出すこともなく、小さな音を立てて寝台の上に倒れ込んだムシュカは、幼子のような穏やかな顔ですぅすぅと寝息を立てていたのだった。

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