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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
最終章 愛し子と共に
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愛し子と共に(1/5)

 夢と現の境目が壊れた私に、目覚めという言葉は存在しない。

 心の形を失わせた部屋の色も、時折聞こえる何かの音も、すべては遠い世界の話。


 私はただ、愛し子の幸せだけを祈って、ここに存在する。

 抜け殻となった私をまるごと受け入れ尊んでくれる、あの夢の逢瀬こそが私にとって唯一の、そして全ての世界だ。


(…………あたたかい)


 冷たい絶望だけが漂う永遠の微睡みに温もりを覚えたのは、初めてではなかろうか。

 ああ、幸せな夢は愛し子の現れない狭間の永遠にすら、熱をもたらしてくれる。


(……大丈夫だ、ヴィナ。私は……必ずお主に会いに行ける)


 どれだけ私が崩れ落ち、がらんどうの器だけが残ろうとも。

 内側を満たす熱を辿れば、その先にはあの広い胸が、満面の笑みが、そして……私をまるごと包んでくれる圧が待っていることを、きっと私は命潰えるその瞬間まで忘れないだろう。


 ほら、今だって……手を伸ばせばヴィナの感触が、熱が指先に感じられて……


(ああ……ヴィナ……)


 ――そうして私は、再び輪郭を無くす。

 その先に待つのが木偶となった現実なのか、幻に微笑む刹那なのかは分からない。けれど……今はただ、この柔らかな微睡みのなかで愛しい人を想わせてくれと願いながら。



 ◇◇◇



「♪~♪~」


 軽快なアラームが、朝の到来を告げる。

 この時間はいつだって少しの切なさを新太に与えるけれど、待ち受ける現実に差す希望の暁光があるだけ良いじゃ無いかと己を鼓舞しながら、大柄な青年は今日もその瞳をゆっくりと開くのだ。


「……7時……あ、今日は振替休日だった……」


 新太は寝ぼけ眼でスマホの画面を確認し、やらかした、と布団に逆戻りする。

 いや、長く眠りについたからと言って神様といられる時間が延びるわけではないのだけれど、それでももうちょっと夢の余韻を味わいたかったなぁ……と眉を下げる新太の脳裏には、昨日初めて知った推しのあれこれが浮かんでは消えて、気がつけばへにょりと顔が崩れてしまう。

 ――いや、これは休日で助かった。こんな状態で仕事に行ったら「毘奈さん、恋人でも出来たんですか!?」と浮いた話に飢えた同僚達の餌食になるのが見え見えだ。


「…………細かったな」


 天井にかざした手を開いて、閉じて……未だ消えない感触の残滓を染み込ませるように、新太はぽつりと呟く。

 推しがあまりに尊すぎたせいだろうか、どうやら自分には神様が思った以上に大きく見えていたらしい。決して男性としては小柄ではないはずのムシュカの身体は、けれど筋肉の鎧で出来上がった新太にはそっと触れないと壊れてしまいそうなほどか細くて、それが余計に熱を滾らせて……


 だめだ、これ以上思い出したら朝から鼻血の後始末に泣く羽目になると、新太は煩悩を払うように思い切り首を振った。

 全くもってあの神様は、俺に対する攻撃力が高すぎる。昨日は良く尊死を回避出来たえらい! と自分を褒めていたその時


 さら……


 新太の肩に触れたのは、覚えのない感触だ。


「んん……? 何だろ……」


 枕カバーにしてはさらさら滑り落ちてしまうような、艶やかな触り心地。

 心なしかどこかで嗅いだことのあるいい匂いが鼻をくすぐり、不思議に思いながら何の気なしに腕を動かせば



 しゃらん



「!!」


 涼やかな音が、すぐ近くで鳴り響く。


(……え、どうしてここでその音が……? 俺、もしかして二度寝した!?)


 休日だと確認したから、安心してそのまま眠りに落ちてしまったのだろうか。それにしては風景が変わらないなと首を傾げつつ、ごろんと寝返りを打った新太は――今度こそ、目を見開いたまま世界の時を止めてしまった。


「え……な…………っ!?」


 見慣れた自室の、耐久度に不安のあるシングルベッドの上。

 自分の隣に横たわるのは……粗末な麻の上衣を纏いすぅすぅと小さな寝息を立てて静かに眠る、新太の最推しの神様にしか見えない麗しき青年だ。

 震える手がそうっと黒髪に混じる金色をすくい上げれば、甘い――そう、本当に愛しい人は何もかもが甘かった――唇から「ん……っ」と悩ましい吐息が漏れて。


(な、なっ、嘘っ! 俺のベッドに、かっ神様が寝てるだとおぉ!?)


 唐突に顕現したあり得ない光景に固まること、十数秒。

 筋肉で出来た脳みその考えることはやっぱり安直そのもので、震える新太の指は神様の白磁と見まごう頬を撫で……るのではなく


「ちょ、でっ、殿下! 起きてください!! あのっこれ、俺達今夢の中にいますか!?」

「いてててて!! なっ何をする!? 待て、落ち着くのだヴィナ! お主の馬鹿力で捻られては、頬が落ちてしまうではないか!」

「大丈夫です、美味いものを食わなきゃ頬は落ちません!」


 夢か現かの判断には定番とばかりに、目をぐるぐるさせながら愛しい人の頬を全力でつねり


「つまり、私を食べると頬が落ちるのだな!!」

「たっ食べ…………あわわ……きゅぅ……」

「なっ、こら倒れてくるなヴィナ! お主の体重は私には受け止めきれぬ、きっ、筋肉の壁がああぁ……!!」


 ムシュカによる苦し紛れの返す刀で、ばっさり理性を切り落とされたのであった。



 ◇◇◇



「うむ……これは夢ではないな!」

「そうっすね、いててて……あのう神様、もう現実だって分かったならほっぺはそろそろ解放していただいても……」

「いや、まだだ。お主の筋力は私の倍はあるであろう? この程度ではおあいこにならぬな!」

「ううっ、本っ当に申し訳ございませんでした……」


 さっきから断末魔の悲鳴を上げるベッドの上で、状況を把握したムシュカは真っ赤に腫れた頬をさすりながらしばし周囲を眺め、思案し、そして「信じがたいことではあるが……」と戸惑いを隠せない様子でここが現実――新太の世界だと断言する。


 その右手は今も、新太の頬をぎりぎりとつねったままだ。どうやら神様は寝覚めの一撃ですこぶる機嫌を損ねたらしく、愛し子が同じ赤さを共有するまで引っ張り続ける気満々らしい。


(やらかしてしまった……動揺していたとはいえ神様を傷つけるだなんて……けど、神様と一緒……はっ、これはご褒美では!?)


「……お主、反省しておるようには見えぬのだが」

「とんでもございません! ちゃんと反省してます! ほら、大人しくつねられてますし……えへへぇ……」

「…………これほど説得力の無い言い訳を、私は生まれて初めて聞いたぞ」


 ともかく、と咳払いを一つ。

 ムシュカは「理由はいくつかあるのだが」と推論を口にする。


「確かに昨日までの私は、壊れかけていた、否、もう壊れきっていたはずなのだ。夢と現の区別は付かず、全てが遠くてあやふやで、お主のぬくもり以外は何一つ私に届かなかった……嬉しいのは理解するが、そこでにやけるでない。溶けたかき氷のようだぞ?」

「んっ、すみません……んふふ……で、今はどうですか? その様子だと随分頭はしっかりしているみたいですけど」

「ああ。意識はまるで嵐が吹き荒れた後のように、雲ひとつなく晴れ渡っているな。身体もお主に触れれば」

「っ……」

「うむ、ちくちくした髭の感触も実に鮮烈だ。久しぶりのせいか、どうにもあらゆる刺激が痛く感じるが……恐らく私の心と体は、幽閉前の状態にまで戻っている」

「そっか……そっか、よかったぁ……!!」


 何だかよく分からないけど、神様が元気になったのはめでたい! と喜びを全身から放ちながら飛びついてくる新太は、しっぽが付いていたらきっとちぎれんばかりに振っていたことであろう。

 そんな恋人がどうにも愛おしくて、つい愛の言葉を耳に流し込んでやりたくなる。だが、今はいけないとムシュカは己を拐かす囁きを全力で押し込め、ようやく赤みを呈した頬から手を離し、指の痕をそうっとなぞった。


「で、もう一つの根拠がこれだ」

「……これ、って……もしかして」

「察しの通りだ。これこそがお主と出会うきっかけであり全ての元凶となった、呪いの織物だな」


 ムシュカはベッドの端に追いやられていた、とろりとしたブランケットをすっと手に取り、新太の目の前で拡げる。

 東雲の空を模した織物はその面積故か思った以上に荘厳で、思わず新太の喉がごくりと鳴った。


 神様曰く、このブランケットは入手して以来長らく王宮の自室、ヴィナもよく知る寝台の上を定位置としていたらしい。

 だが廃嫡と幽閉が決まるや否や、織物は当然のごとく新月の塔へと付き従い、洗濯もしないのにおろしたての清潔さと風合いを保ったまま、毎夜の逢瀬へとムシュカを誘っていたそうだ。


「しかし、初めて願いをかけたあの夜から今に至るまで、この織物が夢の中に現れたことは一度も無い。ただの一度も、だ。お主も目にするのは初めてであろう? つまり」

「……ここは現実、ってことですね。しかも俺の部屋にやってきたと言うことは……」

「お主の想像通りだろう、恐らく私は」


(まさか……かような奇跡が、起こるとは)


 ムシュカがふと、言葉を切る。

 そうして瞼を閉じ、ゆっくりと深呼吸を一つ。肺を満たすのは、明らかに知らない異世界の……そして新太の部屋の、どこか懐かしさを感じさせる香りだ。

 こみ上げてくる思いに胸を震わせ、唇を噛みしめて、そうして眼を開けば……目の前には今にも泣き出しそうな、愛し子の姿。


(先生、私はヴィナの……過去の幻影では無い、新たな世界に生きるヴィナのお陰で、夢に囚われる事無く生きています。そして……)


 心の中で恩師に感謝を告げながら、ムシュカは目の前の愛し子の手をそっと握りしめた。

 ――ああ、この手が私を掴んで、抱き締めてくれたから、私は今ここにいる。


「……あの交わりの最中、私は願いをかけたのだ。お主の……ヴィナの、いや、アラタの熱を現実でしかと感じたいのだとな」

「神、様……!」

「この織物は、私の魂が叫ぶ心からの祈りを聞き届けてくれた。影を追い求めるだけの叶わぬ願いは……過去の想いは上書きされ、私はこの世界に……ヴィナ、お主が生きる遙か遠く離れた世界に、見事渡ってきたのだ……!」


(今度こそ願いを過たず、呪いとなった願いを書き換え……そして、叶えたのです)


 堪えきれず溢れた涙を、太い指がそっと拭う。

 目の前の厳つい恋人は目を真っ赤にして、厳つい顔からは想像も出来ない大きな雫をボロボロと眦から溢し、「良かった……良かったぁ……!」と嗚咽を上げながら、最推しの神様をいつまでもその腕で包み込んでいたのだった。

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