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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第六章 泡沫の交わり
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泡沫の交わり(5/6)

 一度人気の無い路地に逃げ込み視線をやり過ごした後、「お主の世界の市が見たい」というムシュカと共に商店街を練り歩き、異世界の技術に目を白黒させる神様の姿を悦に入りながら堪能して。

 休憩がてら入ったカフェで、新太は迷うことなくクレープを注文する。

 ここのクレープは他の店よりクリームが多くてしかも美味しいと、当然(実食で)リサーチ済みだ。


 クロテッドクリームをあれほど愛していた殿下なのだ、きっと気に入るに違いないと選んだメニューは案の定ムシュカの舌に革命を起こしたようで「こんなに柔らかくてしつこくないクリームなど、初めて食べた!」といたくご満悦な様子だ。


(よかった。このまま神様が、少しでも長く笑っていられますように…………!)


 こうやって彼の知らない味を夢の中でたくさん振る舞えば、もしかしたら現実の世界で心が壊れるのを防げるかもしれない。もし防げなくとも、少しでも楽になれればと、新太は早々に次のプランを頭で練っていて……ふと思い出した大切なことを、目の前の神様に告白する。


「ずっと黙ってた、というか俺も記憶が戻って気付いた事なんですけど」

「うむ」

「……今の名前は『ヴィナ』じゃないんです」

「な……何だと!?」


 クレープを握りしめたまま呆然と「し、しかしお主、最初から『ヴィナ』と呼べば反応しておったではないか!」とムシュカが突っ込めば「いや、その……発音が似ていたので……」と新太は少々照れくさそうにぽりぽりと頭を掻いた。


 ――その顔は久しぶりに見た気がする。

 だが、記憶にある表情よりも不思議と愛らしさが増して……何とも胸が温かい。


「ぶっちゃけですね、良く聞けば違うんですけど……神様の発音だからお洒落なのだと思ってました」

「お主は時々、脳みそをどこかに置き忘れてきたかのような発想をするな、ヴィナよ……して、本当の名前は何というのだ?」


 ええと、と新太がポケットを探れば、固い物が手に当たる。

 まさかスマホまで再現されるとはと少し驚きつつ、新太はメモアプリを開いて人差し指ですすっと小さな画面に文字を綴った。


『毘奈新太』


「…………何ともややこしい文字じゃな」

「ですよね。これで『びな あらた』と読みます」

「ヴィナ、アラタ……」

「あーやっぱり、発音はそうなっちゃうんですね。で、今の俺は毘奈が名字、新太が名前なんです。ヤーナイに当たるのが毘奈、ヴィナに当たるのが新太、ってことですね」

「! なるほど……つまり、お主はヴィナと呼ばれて自分の名字を呼ばれたと」

「ですね。お陰でなんの違和感も感じられませんでした!」

「それは確かに……いや、少しは感じた方が良かったのでは……? お主、ヴィナが混じっている割には少々繊細さが吹き飛んでいるような」


(しかし……そうか、名前も違ったとは……本当に別人であるのだな)


 呆れながらも胸に過るのは、過去が遠くなっていくちょっとした寂しさ。

 けれど……悲しくはない。ただ、どこか懐かしい思い出としてそっと宝箱の中にしまわれるような、そんな穏やかさが余韻のようにムシュカの中に響いている。


「ならば今後は、アラタと呼ばねばならぬな……もぐもぐ……ふぅ、しかし本当に天国を模したような味だな……これほど柔らかでとろけるようなクリームを堪能出来る逸品は我が国にもなかった、流石お主の選ぶ料理は絶品だな、アラタ!」


 ムシュカは二つ目のクレープを小鼻を膨らませて頬張りながら、上機嫌でうんうんと頷く。

 知らなかったとは言え、名字で呼ぶようなよそよそしさを彼に味わわせていたのは実に申し訳なかった。これからは親しみを込めてアラタと呼ぼう、そう決めて顔を上げれば……そこには、見たこともない顔をしたまま完全に時が止まってしまった新太がいた。


「……アラタ? ……おーい、アラタ、どうしたのだ!?」

「…………いけません、殿下……その呼び方は……」

「ぬ、発音が悪いか? すまない、呼び慣れぬものでな。ちゃんと練習して」

「そ、そうではなくて」


 何故か新太は、胸を押さえたまま天を仰ぎ、微動だにしない。

 ただならぬ様子に「どこか調子が悪いのか?」とムシュカが身を案じた次の瞬間


「だめです殿下、その呼び方は俺が死にます! いや、もう死んだ! 骨は拾って下され!!」

「何なのだ一体? アラタお主、実は重い病に冒されているのか? しかし名前を呼ばれるだけで死に至る病など、私は聞いたことが無いぞ!」

「うああああいけませぬ!! 神様の口からその名前で呼ばれたら、尊死するに決まってるじゃないですか!」

「そっ、そう言うものなのか!? 異世界は珍妙なことが多過ぎであろう!!」


 ……その後、30分ほどかけて新太はムシュカに現代社会の推し概念をそれはそれは懇切丁寧に説明し、その勢いにちょっと引いた神様は渋々これまで通りの呼び方を続けると約束する羽目になったのである。


「なるほど、それが尊いという概念だと……」

「ええ、ですから神様は存在そのものが尊くてですね……頭のてっぺんから足の先まで俺の理想をこれでもかと詰め込んだ、そう、俺専用尊さの権化、最終兵器なんです!」

「ううむ、いまいち理解は出来ぬが切実さは伝わった。して、ヴィナよ」


 ――ただし、とんでもない威力を誇る爆弾と共に。


「……ヴィナよ、お主……今も私を愛しておろう?」

「!? な、でっ、殿下ちょっいきなり何をぶっ込んで」

「良いかヴィナよ、そのような珍妙な言葉を使わずとも、普通に愛を語って良いのだぞ? シンプルに『好き』でも、お主の言葉から紡がれるのであれば私は十分嬉しいのだから」

「はへっ!? ……あわわわそんな俺が殿下をしゅ、しゅきって言うだなんて……尊さが過ぎて畏れ多いです申し訳ございませんっ!!」

「だから!! お主はなぜ相も変わらず私を恋人と認識した途端に、もじもじヴィナに戻ってしまうのだ!?」


 過去の影から今の君へ、推しへの熱情から素直な愛へ――

 彼らの想いは少しずつ違った軌跡を描きながら、距離を縮めていくのかも知れない。



 ◇◇◇



「ほう、ここは串焼き肉の店なのか! しかもなんと様々な部位を取り揃えておるのだ……肉団子まで串になっておるではないか」

「正確には焼き鳥っすね。こっちは全部鶏肉。ここが豚肉、で、こっちに変わり種が」

「うむぅ……この店内に漂うなんとも言えない香ばしさのお陰で、どれも美味しそうに見えるぞ……何と罪作りな煙め!」


 新太の世界をそのまま持ってきたと言うだけあって、今日の夢では時間の流れが空に映るようだ。

 空が茜色に染まる頃、二人は新太が行きつけだという焼き鳥屋へと足を運んだ。

 目の前に広げられたメニューの多さにまるで子供のようにはしゃぐムシュカを見ていると、新太の中に遠い記憶が……王宮で「ヴィナ」として彼に出会った頃の日々が色鮮やかに蘇る。


(……全く気付いてなかったわけじゃないんだよな『ヴィナ』は。ただ、主君たる少年が奴隷身分である自分に恋などしてはならない、一時の気の迷いで終わらせなければ……って必死だっただけで)


 しゃらん、と涼やかな音を立てるお揃いの髪飾りは、ヴィナにとって生涯の宝物だった。

 だが、よそ者の奴隷風情が幼い恋心に応えることなど到底許されない――

 だから万が一にも不遜な気持ちを抱かぬように、彼はこの耳飾りを己への戒めとして常に身に着け続けていたのだ。


(ま、それが余計に殿下の恋心に火を付けちゃったんだよなぁ……そりゃそうだよ俺、贈り物を好きな人がずっと身に付けてくれてたら、脈ありって思われるに決まってるじゃん!)


 やっぱり鈍感ではあったなぁ……と遠い目をしながら、やってきた店員にいつもの癖で「生ふたつ」と言いかけて、ふと新太は我に返った。


「……ええと殿下。殿下は今、おいくつになられましたか?」

「歳か? 今の日付が分からぬからなんともなのだが……塔に護送された時は19であった。確か6月の中頃であったような……」

「暦は俺の世界と連動していそうですね、ならウーロン茶二つで」

「ウーロン茶二つ、承りました-!」


 歳が関係あるのか? と首を傾げるムシュカに「この世界には、大人にならないと飲めない物があるんですよ」と早速届いたウーロン茶のジョッキを片手に、新太は説明する。

 ――クラマ王国は数多の美食に溢れる世界であったが、何故か酒という概念だけは存在しなかった事に今更驚きを覚えつつ。


「さけ……大人の飲み物……それは美味いのか?」

「うーん、美味しいかというと……いや、ちょっと殿下の知ってる美味しいでは言い表せないですかねぇ。ふわふわ気持ちよくもなりますし。あ、うずらは少し冷まさないと火傷しますよ」

「あちっ! はふっはふっ、もっもう少し早く言って欲しかったのう……それにしても、何故こんなに味が薄いのに美味なのだ? これは塩と胡椒だけであろう!? 美味いの概念がひっくり返ってしまうではないか!」

「ですよね! でも、殿下はまだその一端しか知らないんですよ?」


 これで一端というのか!? とムシュカは心底驚きながら、次々と運ばれてくる焼き鳥を頬張る。

 見慣れた串焼きより一回り大きい肉達が刺さった串は、確かに甘塩っぱいタレと炭火の香りも素晴らしいのだが、何より肉が絶品だ。こんなに柔らかく、しかも噛めば噛むほど肉汁が中から溢れてきて口の中を優しい甘味で満たす肉など、王族であった自分でも食べたことがない。


「なるほど、淡泊だが美味い……素材そのものの旨みが、これほどまでに慎ましやかに、だがはっきりと主張をする料理、まさに異世界の美食であるな」


「見た目は似ているのに全く別物で、脳が混乱する」と幸せそうに口に運びながらも、ジョッキに並々と注がれふわふわの泡が今にも溢れそうなビールに興味津々のムシュカを「お酒はこの世界じゃ二十歳になってからなんです」と窘めれば、神様は音がするくらいがっくりと肩を落とした。

「……私は既に大人であろうが……15で成人して何年経ったと……」と文句を言っている辺り、新たなる概念を味わえなかったのが心の底から残念だったのであろう。それはそれは未練たっぷりの視線が、じっとりこちらに絡みついてくる。


(この世界基準なら、神様も十分食いしん坊だな……)


 殿下だってクラマ王国の民だ。よそ者だった俺ですらあれほど食に魅せられた国に生まれ育った者が、知らない味に興味を惹かれないわけが無い。

 新太はこの作戦の成功を確信して、困ったげに笑いながら「神様」と優しい声で語りかけた。


 ――この作戦は、今日で終わりではない。むしろこれが始まりなのだと告げるために。


「今回は無理ですけど……二十歳になったらまた、ここに来ましょう」

「!」

「それに、これだけじゃないです。俺の住む国は、クラマ王国に負けないくらい美味いものがいっぱいあります。それこそ無数に、俺の人生全部かけたって食べ尽くせないくらいに……!」

「ヴィナ……お主……」

「だから俺、何回でも夢にこの街を作ります。大丈夫、神様が現実でどれだけ壊されたって、俺が美味しいご飯で何度でも元気にしますから! だから……明日も、明後日も、ずーっと……俺はここで、殿下と逢いたいです!」

「っ…………!!」


 魂が壊れて抜け殻になっちゃっても、しわしわのおじいちゃんになっても、俺の最推しの座は永久に神様のままですから――


(……ああ、そうだな。お主はお主だ。ヴィナだが……私の愛し子、アラタだ)


 にっこり笑って「約束ですよ」と差し出されたのは、ゴツゴツした小指だ。

 何でもこの国には、大切な約束を交わすときには互いの小指を絡めてまじないを唱えるのだという。


「お主が業火渦巻く修羅の国であっても、この世界を選んだ理由がよく分かった。……憧れた黒髪と、美食を共に満たすなぞ、これほどお主にぴったりの世界は二つとあるまい」

「あー、業火については……いいや、またいつかちゃんと説明します」

「ああ」


(……ああ、またいつか。……どれだけ心が朽ちようとも、私は必ず毎夜お主に出会い、お主の幸せを永久に祈り続けることをここに誓おうぞ、ヴィナ)


 言葉にならない数多の気持ちを込めて、ムシュカはそっと白魚のような小指を新太に絡める。

 その眦には、この夢に飛び込んできたときとは輝きを異にする涙が光っていた。


「ゆーびきりげーんまーん、嘘ついたら針千本飲ーますっ、ゆーびきった!」

「ちょ、ちょっと待てヴィナ!? なんだその地獄のようなまじないは!! いや、ちゃんと来る、何があろうともお主には会いに来るぞ! 来るが、罰として針を千本も食べるとは特製激辛米麺のほうが余程優しいではないか! やはりこの世界は修羅か!? 修羅なんだな!!」

「あー……いやぁ、異世界交流って意外と大変っすねぇ……」

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