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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第五章 一縷の曙光
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一縷の曙光(6/6)

「……なるほど、こうなるのか」

「ええと、神様……?」

「ああいや、何でも無い。さて、どこから話したものか……」


 そう、確かに自分はヴィナをソファに誘った。

 誘ったが、まさかそれが当然であるかのようにいそいそと膝枕に寝そべり、顔に『やっと推しのお役に立てる、ばんざい!!』と書いてあるかのようなキラキラした眼差しで見上げられるとは思わなかったと、ヴィナは内心天を仰いでいた。


(いやいやお主、いくら何でも餌付けされすぎであろう!? あの魔熊さえ屠る猛獣のようなお主が、これでは牙を抜かれた狼、いや馬鹿でかい犬ではないか!! …………いやまぁ、その、これはこれで悪くはないのだが……)


 ああ、さっきから心の声が喧しい。

 思いもかけない触れ合いに愛しさが暴走し歓喜する己と……ヴィナはそんなことをしないとどこか歯がゆさを感じている己が、両側からがなり立てているようだ。


「さあ神様、いつでもどうぞ!」と期待を瞳に浮かべるヴィナがちょっとだけ眩しくて、ムシュカはこほん、と咳払いをしどこか遠くを見つめ……やがて、静かに口を開いた。


「……これはな、遠い遠いどこかにある、青き空と焼け付く太陽、そして慈悲深く輝く月を持つ神聖なる王国の王太子と……食いしん坊な騎士の話だ」


 ムシュカは遠い日に王太子たる少年の命を救った、勇猛果敢な男との出会いを語る。


 精鋭揃い騎士達に混じって剣を振るう一介の傭兵は、しかし明らかに頭一つ抜けた実力で三本の傷と引き換えに見事魔熊と呼ばれていた獣を打ち倒し、奴隷身分でありながら近衛騎士団にスカウトされたこと。

 すっかり彼の勇姿に心を奪われた少年は、以来6年にわたりこの騎士に剣術の指南役を命じ、積極的に恋心をアピールするものの、周りが同情するほど彼にはさっぱり……そう何一つ届いていなかったこと。


「少年は、それはそれは涙ぐましい努力を続けていたさ。何かと理由を付けては騎士のところにやってきて、おやつを持参し、時にはプレゼントも贈っていた。まぁ、王太子とは言え子供の用意する物だ、他愛ない耳飾りであったが」

「……その騎士さん、いくら何でも鈍すぎません? 耳飾りも喜んで着けてたんですよね?」

「ああ、殿下から賜った大切な耳飾り、絶対にはずしません! とかぬかしたくせにな!」

「ひどすぎる」


 15で成人の儀式を経た後、振り向かないどころかこちらの気持ちに気づきもしない鈍感な騎士に業を煮やした王太子は、一計を案じる。

 ここまで告白を繰り返してもさっぱり理解に辿り着かぬと言うならば、逃げられない形で突きつけてやるしかない、と――


「だから王太子は、彼を未来の正室に指名したのだ。当然、公式の場で、な!」

「うわドラマチック……これで流石に王太子様の想いは届いたと」

「届いたと思うか? こやつはな、開口一番己が君主に向かって『まさかお腹が空きすぎて、正常な判断が出来ないのでは!?』と抜かした挙げ句、厨房に早めの昼餉を取りに行ってしまったのだぞ!」

「……俺、王太子様がめちゃくちゃ気の毒に思えてきました……」


 そうだろうそうだろう! と大きく頷きながらムシュカの声が紡ぐのは、それからのもどかしくも甘やかな日々だ。

 王太子という強権を遺憾なく発揮してアプローチを続けること3年あまり、端から見ればとうの昔に絆されていて、しかも毎夜同じ寝台で寝ているというのにやっぱり髪の毛一本触れられない初心すぎる騎士は、ようやくちょっと照れながらも手を繋いで城下に出かけられるくらいまでは進展したらしい。


(…………神様の、恋人、かな?)


 いつも穏やかな笑顔だけを浮かべていた神様が、これだけくるくると表情を変え……何よりどこかうっとりした様子で彼のことを語るのだ。これはただのおとぎ話ではない、神様自身のことなのだと新太は悟る。

 正直ちょっとだけ胸は痛むが、推しに恋人がいるからといって幻滅したり、まして推しをやめるほど自分は薄情では無い。むしろ神様を笑顔にしてくれる存在なら、いつでもウェルカムだ。


 だというのに。


「……だがな、そんな日々は突然終わりを告げたのだ」


 楽しげに語っていたムシュカの顔に、ふと影が落ちる。

 何かを堪えるようにぐっと力を入れ……耳鳴りがするほどの静寂が、二人を包み込む。


 一体どのくらいそうしていただろうか。

 ようやく覚悟を決めたのだろう、ムシュカの震える唇が……初めて「あの日」を紡ぐ。


 いつものように同じ寝台で眠りについた直後、王族で無ければ出入り出来ないはずの宝物庫に忍び込んだ賊。

 それを捕らえようと王族廟に乗り込んだ騎士を……賊の魔法が射貫いたのだ。

 ただ真っ直ぐに、後頭部から額にかけての一撃。誰が見ても……すぐ目の前でその瞬間に立ち会った王太子すら確信するほどの、致命傷であった。


「…………」

「神様…………」


 みるみるうちにムシュカの瞳に涙が溜まっていく。

 ああ、麗しい顔に涙はふさわしくないと新太が無意識に伸ばした右手を……ムシュカはぐっと力強く握りしめた。


「神様……?」

「だから……だから私は言ったのだ、命には替えないでくれと……!」

「……!」


 ぱたり。

 熱い雫が……新太の拳に、いくつも降りかかる。



『ヴィナ、ヴィナ! しっかりしろ、ヴィナ……!!』



(……?)


 自分に向かって叫ぶ、神様の声が頭の中でリフレインする。

 ……否、違う。

 だって神様は今、俺の手を握りしめて咽び泣いているではないか――


「……ヴィナよ。私は……神様などではないのだ」

「神様じゃ、ない……?」

「私は……ただのムシュカだ。お主とは異なる世界に生きる……今や王族ですらない、呪いに見初められた人間に過ぎない。……なあ、私の愛した誇り高き騎士『ヴィナ』よ」

「!!」


 どうか、その記憶をそろそろ、取り戻してはくれまいか――?



 しゃらん



 ため息のように儚く、か細く、けれど切なる神の願いが夢の世界に響き渡ったその刹那、新太の耳にどこかから聞き慣れた装身具の音が飛び込んでくる。

 毎夜聞き慣れた、神様が夢に降臨する合図となった、涼やかな金属の音。けれど


 ……そうだ、俺はこの音を知っている。

 この夢で神様と会うずっと、ずっと前から――



『どうだ綺麗だろう、ヴィナ! これな、動くとしゃらんっていい音が鳴って、かっこいいんだ!』

『そうですね、殿下。しかし鍛錬の時には、お外しになって下さい。怪我をしては危のうございます』

『むぅ、折角ヴィナとお揃いにしたのに……大体ヴィナは、いつも着けているではないか!』

『当然です、主君たる殿下から賜った耳飾りを外すわけにはいきませぬからな! それに……俺は着けたままでも怪我をしないくらいには、強いですよ?』

『ちぇー、今日こそ一本取ってみせるからな!!』



(ああ、俺は……『俺』の笑顔は……)


 脳裏を埋め尽くす記憶の奔流に突き動かされるように、新太はそっと肩を震わせる神様の……ムシュカの拳を大きな左手で包み込む。

 その胸は張り裂けそうなほど痛くて、申し訳なさに自然と涙が溢れて。


(俺の、最期の笑顔は……殿下に届かなかったのか……!!)


 王族ですらない、呪いに見初められた――彼の言葉の詳しい事情はまだ分からない。

 ただ目の前に開陳された現実に、新太は愕然とする。


「…………っ……ヴィナ……私のヴィナ……」


 ちゃり、と震える度に小さく囀る鎖の音。

 あの見慣れた壮麗な衣装は跡形もなく、眼前に広がるのは粗末な麻の上衣を纏い、両手を銀の枷で戒められた、かつて生涯お守りすると誓った……最愛の君。


 ――そう

 このような痛ましい姿に堕とされるほど、己の死はこの麗しいお方の心を奈落に縛り付け、道を誤らせてしまったのだと!


「…………ません……」

「……ヴィナ?」

「申し訳、ございません……殿下…………!」

「!!! ヴィナ、お主、記憶が……!?」


(ああ、やっとだ、やっと帰ってきた……私のヴィナ……!!)


 懐かしい呼び方に、見開かれたムシュカの瞳からは更なる涙が溢れ出す。

 感動にうち震え、愛しい人の頭をかき抱き快哉を叫ぼうと万感の思いを込めてムシュカが「ヴィナ」と甘やかな声と共に手を広げたその瞬間


「殿下に涙を流させ、心を縛り付け、かようなお姿にしてしまうなど……このヴィナ・ヤーナイ一生の不覚でございます! かくなる上は腹を切ってお詫びを!」

「ちょっと待て、私は命に替えるなと言ったであろうが!!」


 ――相変わらず色恋沙汰にはとんと疎いこの困った男は、とんでもないことを口走りおったのである。



 ◇◇◇



「はぁっ、はぁっ……こんの大馬鹿者がっ!! 誰が記憶を取り戻した途端に、命を粗末にしろと言った!!」

「うう……申し訳ございません……だって、そんなお姿を見てしまえばつい罪悪感が」

「姿? どういう……はっ! いつの間に元の姿に!」


 すったもんだして「お願いしますうぅ腹を切らせて下されぇ!!」と叫ぶヴィナを全力で制止したムシュカは、息を切らしぐったりと床に突っ伏していた。

 その横ではヴィナがあの大きな身体を全力で小さくして、床に伏せたまま顔を上げようとしない。

 これはどうにもならぬな、とため息をついたムシュカは「……ともかく食事にするか」とその掌をテーブルに向けた。


 ……その瞬間、さっきまで大人しかった腹の音が響き始める辺り、記憶の有無に関わらずヴィナの食い意地は変わらないようだ。


「あ、ええと、殿下……?」

「……次に共に食べるのはこれだと、決めておったであろう? ……まぁ、お主は最初にここで食べているがな」

「!!」

「まぁそもそもあの時は、私の分まで食べられてしまったがな!」

「ぐっ……記憶がなかったとはいえ、本当に申し訳ございません、食いしん坊で……」


 ことん、ことんと鉢の音がテーブルに響く。

「さっさと座らぬか」と新太を誘うムシュカの前には


「……翠玉飯店の、魚団子麺」


 ほかほかと湯気を立てる、かつて約束した屋台の料理がでん! と鎮座していた。


「…………ふぅ……」

「……うん……美味い……やはりこの料理は神……」


 静かな空間に、ずるずると麺を啜る音が響く。

 怒濤の一日の締めくくりにはこのくらい優しい味がありがたいと、ムシュカはフォークで麺を口に運びながら、時折新太の姿をじっと眺めていた。


「ん? どうされました、神様……じゃなかった、殿下」

「……ふふ、なに、別に呼びやすい方で良いぞ」

「すみません……すっかり神様呼びが板に付いてしまって……なるべく殿下って呼ぶようにしますから……」

「気にせぬというに」


 それにしても実に意外だったな、とムシュカは目を真っ赤にしてふふっと笑みを浮かべる。

 そうして、きょとんと首を傾げるヴィナの口元に付いた薬味を指で掬うと「いや、記憶を戻す方法がな」と実におかしそうに語るのだ。


「あれほど直接愛を囁いてもさっぱり響かなかったお主の記憶を、正攻法で取り戻せるとは思わなくてな。とにかく好物を食べさせれば食いしん坊なお主のことだ、きっとヴィナとしての自分を思い出すだろうと」

「ああ、なるほど……でも、全然思い出せませんでした。いや、神様のご飯は現実世界で食べるどのご飯よりも美味しかったですけど!」

「そう言って貰えると嬉しいがな。まさか今際の際の再現で思い出すとは、随分遠回りをしたものよ……ははっ……」


 腹の底から出てくる笑い声が、部屋にこだまする。

「まったく、笑いすぎて涙が出てきてしまったではないか!」と文句を言いながらも、その笑い声が止むことは無い。


 ――その涙も、乾くことはない。


「……殿下」

「…………あははっ……ひぐっ……はは……っ!」


(先生、あなたの仰る通りでした)


 笑い声を響かせるムシュカの中で、一つの言葉が何度も繰り返される。


『殿下に涙を流させ、心を縛り付け、かようなお姿にしてしまうなど……このヴィナ・ヤーナイ一生の不覚でございます! かくなる上は腹を切ってお詫びを!』


(……我が国に、いや、我らの世界に、詫びるときに腹を切るなど言う珍妙な慣習を持つ者は、存在しない……!)


 髪の色以外の姿形は、あの頃と変わらず。

 魂に刻まれた記憶も、今や取り戻された。

 そう、条件は整った。だから彼は確かに私の愛するヴィナである、筈なのに。


 世界を超え、時を渡り、新たな命として生まれ知らない世界に立つ彼は、あの時のままの……甘く優しい時間を過ごした大柄な青年ではない。


「……ひぐっ……」

「…………殿下……」


 そう、確かに願いは叶った。

 だがその果てに得たものは、確たる喪失の慟哭だなんて、なんとこの世界は残酷なのだろうか。


(知りたく、無かった……ああ、けれどもう、私は認めざるを得ない)


 私の愛した王宮近衛騎士団副団長、ヴィナ・ヤーナイは、もうこの世にはいない――


「あのっ殿下、そろそろ……」

「…………おお、もうそんな時間か。……なに、そんな不安そうな顔をするでない。大丈夫だ……うむ、また明日もここで待っておるぞ、ヴィナ」

「はい。……明日こそ神様に、じゃない、殿下にいっぱい笑って頂きますからね!」

「……ああ」


 しんみりした空気を纏った夢の中に、夜明けを伝えるアラームが鳴り響く。

 彼が何かを言葉にする度、追い求めていた影はさらさらと崩れ落ち……また一つ、ムシュカの嘆きが頬を伝う……


「……夢から醒めるとは、これほどまでに胸が軋むものだとはな……」


 現実世界に戻る新太の背中は、自分の知らない希望の光を携えていて。

 ――それはまるで、目を背けていた事実を煌々と照らし、全てを受け入れよとムシュカを叱咤する、一縷の曙光のようであった。

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