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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第五章 一縷の曙光
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一縷の曙光(4/6)

 柔らかな日の光と小鳥のさえずりが、今日もまたこの魂を現実へと連れ帰ってくれる。

 目を開ければそこには見慣れた天蓋が広がっていて、ムシュカは今日も無事目覚められたと、そっと安堵を覚えていた。


「……今日も暑くなりそうだな」


 窓の外を眺めれば、眩い太陽と青々とした芝生、そして咲き乱れる花々が目に飛び込んでくる。

 既に朝の訓練は終わったのだろうか、騎士団の姿は見えない。


「しかし昨夜もだめであったか……記憶を取り戻すのが、こうも難儀なものだとはな」


 身支度を調えながら、ムシュカはひとりごちる。

 パニニ老師との邂逅以来も、彼は少なくとも夢の中では何の変わりも無くかの人に出会い、思い出の料理を振る舞い、夜明けの別れが来るまで語り合う日々を送っていた。

 相変わらず記憶の戻る気配は見られないが、あの青年の食べっぷりはどこからどう見ても在りし日のヴィナそっくりで……だから、ムシュカは一縷の望みをかけて彼を愛でつづける。


 ――記憶が戻れば、きっと……あの頃の『ヴィナ』に戻るはずだから、と。


「……いかんいかん、夢のことは夢で、だ。今日も政務はたんまりあるし、夕方には舞踏会も控えているからな」


 ついつい切ない思考の渦に引きずられかける己を叱咤し、ムシュカは扉の方を向く。

 そう、現実の自分は王太子。この国の王族として果たすべき責務を色恋で疎かにするなど、ヴィナが耳にしたら……あやつのことだから確実に土下座して正室指名を取り下げてくれと懇願するなと苦笑していれば、扉の向こうから声がかかった。


「殿下、ラシッドです。……入ってもよろしいですか」

「! …………ああ」


 聞き慣れた、けれど少し硬い声に、ムシュカの顔が一瞬にして強張る。

 一呼吸あけて「失礼します」の言葉と共に開いた扉の向こうにいたのは……王宮近衛騎士団長ラシッドを先頭に、4名の武装した団員達だった。


 その沈鬱な表情に、ムシュカは全てを察する。

 ――ああ、とうとうこの日が来たのか、と。


「……殿下」


 しばしの沈黙の後、騎士達はムシュカを取り囲む。

 そして重い口を開いたラシッドに「よい」とムシュカはただ一言、許しを告げた。


「構わぬ。命じられたとおりにするが良い。……全て、承知の上だ」

「っ……殿下、申し訳ございません……!!」


 振り絞るような声色に、ずきんとムシュカの胸が痛む。

 己がこれから受けるであろう沙汰に、今更怖じ気づく事は無い。既に老師から忠告を受けた時点で覚悟はしていたし、また状況を鑑みればそうすべきだと、王族としての自分も判断を下していたから。


 ただ、己を慕う者をこれからどれだけ悲しませるのかと思えば、申し訳なさが胸に溢れてくる。


「……殿下、手を後ろに」

「ああ」


 言われるがまま手を後ろに回せば、ちゃり、と鎖の音が鼓膜を震わせる。

 カシャン、カシャンと音を立てて手首に嵌められたのは、ひやりとした……金属の枷だ。

 足元にしゃがみ込んだ団員が手にする枷を見るに、枷も鎖も銀で作られた特注とおぼしき代物。

 ……恐らくは、この身に取り憑いた呪いに何らかの効果を期待してであろう。


 もしくは……この身体から呪いが誰かに移らないようにするためか。


「ラシッド。私はこれからどうなる?」

「……緊急の御前会議が開かれます。殿下には弁明の機会が与えられていますので」

「そうか。……とはいえ、既に話は決まっているようなものだろうがな」

「っ!! 殿下、申し訳ございません! 俺は……」

「そう気に病むなラシッド。お主はお主の責務を果たすが良い。……そうだな、私も王太子として『最後』の責務を果たそうではないか」


 騎士に両脇を固められ、ムシュカは慣れ親しんだ部屋を後にする。

 ちゃりちゃりと響く鎖の音が扉の向こうに消えた瞬間、寝台に広がっていた東雲を模したブランケットは、ふわりと淡い光を纏ったかと思うと……次の瞬間、跡形もなく消え失せていた。



 ◇◇◇



 その姿が明らかになったとき、大広間に広がったのは動揺と困惑であった。


「なんとお労しいお姿……宰相家は血も涙もないのか!?」

「ダルシャン殿! いくら何でも殿下に枷を着けるなどやり過ぎでしょう!!」


 大広間に連行されたムシュカの姿に騒然とする貴族達が、ダルシャンに突っかかる。

 だが彼は顔色一つ変えること無く「これが必要な措置だからです、国王陛下にもあらかじめ許可は頂いています」ときっぱり言い放った。


「ダルシャンの言うとおりだ。儂が許可した」

「陛下!」

「……事が事である、なるべく早く済ませた方が良いであろう。事前の報告通り、確かに呪いの織物はムシュカから離れぬようだしな」

「!!」


 その言葉に玉座の手前、赤い絨毯の中央に立たされたムシュカの足元に視線を移した貴族から、いくつもの悲鳴が上がる。

 そこには、まるで持ち主を守るかのように深い紺色の織物が丁寧に畳まれた状態で鎮座していたのだ。


「そんな、さっきまでは何も無かったのに……!」

「いきなりだったぞ! 音も光も何も無かった、瞬きをした瞬間そこに現れたんだ!!」

「……これが呪いの力なのです。皆様にこの呪いが移らないよう、不敬は承知の上でムシュカ殿下には魔を封じる銀で作られた特製の枷を着けて頂いております」

「そう、言われると……しかしなぁ、もう少しやり方はなかったものか……」


(……ああ、本当に私は呪われているのだな)


 ひそひそとその処遇の賛否が囁かれる中、足に触れる柔らかな感触にムシュカは今更ながらパニニの言葉を噛みしめていた。

 これまで政務で部屋を離れたときに、この織物が空間を飛び越えてきたことはなかった。だから、話に聞いた呪いをムシュカが実感したのは今回が初めてだ。

 そして――部屋を抜け出しここに姿を現したのは、自分が今夜帰る場所はあの部屋ではないことを、ブランケットは既に理解していると見るべきか。


(まあ、そうであろうな。この状況で私が部屋に戻れるはずはない)


 自分でも意外なほど穏やかな心で、ムシュカは己を裁く人たちを冷静に見つめていた。


 未だざわめきが収まらないながらも、カルニア公による「静粛に! これよりムシュカ王太子の王位継承権についての御前会議を執り行う!」との宣告により始まった会議では、事のあらましをダルシャンがまるで立て板に水をかけたかのように分かりやすく説明している。

 その内容は既にパニニから聞かされていた話から逸脱したものでは無く、少なくとも表向きは、宰相家が権力欲しさに自分に靡かない王太子を廃嫡に追い込むという卑しい企みは感じられない。

 ――残念ながら聡明な息子と異なり、玉座の斜め前に座るカルニア公の表情には醜悪な権力欲が見え隠れしているのだが。


「それは……殿下に罪があるわけでは……」

「ええ、殿下は不幸な呪いに巻き込まれてしまった被害者に過ぎません」


 呪いの説明が進むにつれ、ざわめきは収まり、空気は痛いほどの重さを伴っていく。

 耐えきれず呟いた婦人の言葉に、ダルシャンは実に残念そうに首を振り、ですが、とムシュカの方に向き直った。


「呪いが解けない以上、殿下をこのままにしておくのは危険です。まして、王位を継ぐなど言語道断。……殿下、正直にお答え下さい。あなた様はこの呪いの寝具に、何を願われました? そして……その呪いが解ける可能性はあると、お考えですか?」

「…………」


 全ての視線が、ざっとムシュカに集まる。

 不安と、恐怖と、悲しみと、怒りと……それでもまだこの有能な王太子を信じたいと願う心、数多の想いがない交ぜになった視線は痛いばかりで、言葉を発しかけたムシュカの喉を渇かせてしまう。


(ここで、糾弾すれば……私の正室たりえた人を殺めたのは宰相家だと宣言すれば……お主の仇を少しでも取れるだろうか、ヴィナよ)


 そんなムシュカの心にふと忍び入るのは、愛する人を奪われた怒り。

 もちろん、ここで彼らを非難したところで自分の処遇が変わることはないだろう。精々宰相家がこの事件の元凶として大々的に、しかし取り潰しにならない程度に粛清されるだけだ。

 それでも最後に、人としてこのままならない想いをぶつけること位は許されようと耳元で囁く誘惑に、しかしムシュカは毅然と否を突きつける。


(いいや、それはこの国のためにはならない。あの椅子の上でふんぞり返っているカルニア公はともかく、ダルシャンは有能な男だ。権力欲はあれど、王家を毀損し国を傾けるような事はするまい)


「……殿下?」

「…………ああ。私は」


 だから、ムシュカは戒められた身体をピンと張り、大きく深呼吸をして……全ての恨みを押さえ、真実を述べる。

 ――全ては、私が愛する国と民の為に。


「私はこの織物に、愛しい人との再会を……どんな形であってもいい、ヴィナと会いたいと願った。……だが、ヴィナはもうこの世にはいない。王族廟で眠る彼が起き上がることは……私の願いが叶うことは、二度と無いのだ」

「……そう、ですか。これで確定ですね。殿下は生涯呪いからは逃れられない」


 見るに耐えない拘束を受けながらも気丈に振る舞うムシュカの独白に、両脇に控える貴族たちから小さな嘆きが上がる。

「どうして……」とすすり泣く声が耳に届き、前を向けば威厳と風格を保ちながらも眦が赤く腫れている国王と王妃の姿が目に入って……思わず泣きそうになる心を叱咤して、ただ真っ直ぐにムシュカは前を見据えた。

 その姿に一瞬虚を突かれたのだろう、ダルシャンは意外そうな表情を浮かべるもすぐに冷静を取り繕い「では陛下」と判断を促す。


(私はヴィナとの再会を諦めてはいない。けれども……確証がない以上、私はこの願いが成就する可能性を語ることは出来ない)


 沈黙を保っていた父王は改めて姿勢を正し、眼下に立ち尽くす憐れな息子の姿にぐっと唇を噛みしめると、その口を震わせながらゆっくりと開き


(良いのです、父上。それがこの国のためだと、私は理解しています)


「神聖クラマ王国国王、カヴィル・クラマの名において命ず。今このときをもって、ムシュカ・クラマの王位継承権を剥奪し、王族譜からの抹消を命ず。さらに呪いの散逸防止のため、生涯その身を『新月の塔』に隔離すべし」

「…………謹んで拝受いたします、国王陛下」


(私は、王族として生まれた身ですから――)


 凜とした声で非情な勅命を広間に響かせたのだった。



 ◇◇◇



「いやしかし、お手柄でしたね!」

「まさか犬猿の仲で有名なカルニア家とラグナス家の次期当主が、協力して事件の解決に当たるとは! この国の未来は明るいですな」

「いえ、我々は国家安寧のため、当然のことをしたまでですよ。そうでしょう、レナ嬢?」

「……ええ。国を守る為なのです、王族であれど危険因子は速やかに排除するべきですわ」


 ――その後、塔へと連行されるムシュカを見送った国王は、すぐさま民に向けて宣告を発布する。

 前王太子ムシュカ・クラマは、前王宮近衛騎士団副団長ヴィナ・ヤーナイ暗殺の心労から心を病み、心神衰弱状態と診断された。よって長期静養のため王位継承権を放棄し、王宮を離れることとなったと。


 これによりムシュカの弟、サリム・クラマが新たに王太子に指名される。

 任命式を終えて開かれた祝賀会では、貴族達が早速今回の立役者である二人を讃え、何とかおこぼれに預かろうと早速水面下の攻防を繰り広げていた。


「しかしこれで、お二人がサリム殿下と婚約されることは確定でしょうな」

「ええ、どちらが正室に選ばれても、お二人ならきっと殿下をしっかりお支えしてこの国をますます発展させること間違いないでしょう!」

「ありがとうございます。ですが、今はまず陛下をお支えせねばなりません。……いくら呪いのせいとはいえ、我が子にあのような処遇を下す心労は、いかばかりか」

「……まったくですな。いやはや彼には失望しましたよ。王族でありながら奴隷上がりの恋人への情に振り回されて、身を滅ぼすとは……」


 ひっきりなしにやってくる貴族達に愛想笑いを浮かべ、祝いの席には欠かせない薔薇のシロップを水で割った飲み物が注がれた金杯を交わし、彼らの欲しい言葉を紡いで酔わせ……

 ようやく彼らが茶番から解放された頃には、時は既に日を跨いでいた。


「こうも上手くいくとは……正直思ってもみませんでした。ムシュカの扇動による騎士団の反逆もあり得るかと、私兵を総員待機させていたのですが」

「ムシュカは、そんなみっともない男ではありませんわ。……全く、あんな見せかけの枷まで着けて、呪いを殊更に強調しなくたって!」

「念には念を、ですよ。ただでさえ彼は有能で人望も厚かった、同情から彼を庇おうとする者を少しでも排除するには、呪いの恐怖ほど効果的なものはありませんからね」


 喧噪から離れバルコニーで夜風に当たりながら、二人は改めて杯を交わす。

 城下の灯りは未だ消えることなく、あちこちから花火が上がっている。きっと民衆も不幸な青年を偲びつつ新たなる王太子の任命を祝っているのだろうと、レナはじっとその儚い光を見つめていた。


「……まあ、お互いこれからも仲良くやっていきましょう、レナ嬢」

「そうね。相手が変わっても正室の座は譲りませんことよ? ……それと、寝具ですけど」

「ええ。ブランケットはやはり、ムシュカに付いていったようです。塔から報告を受けています。市中に散逸した寝具は枕カバーを除いて全て回収し、封印庫に収蔵済み。枕カバーについては近隣諸国の協力も得ようかと」

「そうですわね。あんな危険な物、一刻も早く回収しなければ」


 これ以上、犠牲者が出る前に……そんなレナの呟きは、夜風に紛れて空に消える。


(……ムシュカ)


 勅命が下った後、ムシュカの身柄はすぐさま塔へと移送された。

 大広間で騎士達に取り囲まれたまま出口へと向かうムシュカを、レナは扉の近くで見守る。

 その顔は少し緊張で強張っていただろうが、決して気持ちを悟られてはならないと、ぐっと拳を握りしめたまま。


(何を言われても仕方が無いと、覚悟していたのに)


 きっと自分を裏切った幼馴染みを、彼は罵倒などしない。

 ムシュカはそういう人だ。いかなる時でも……会議においてさえ王族としての振る舞いを崩すことのなかった彼が、恨み言をぶつけるような無粋な真似をするとは考えにくい。

 ただ王族という衣を剥がされた今、彼の言動を縛る物は何も無い。だから万が一自分への悪態をつかれても、それは甘受すべきだ……そんな思いを抱くレナの視線がムシュカと絡んだ瞬間、ムシュカは小さく目を見開く。


 そして、すれ違った瞬間


「……レナ、すまなかった」

「…………!!」


 事もあろうに彼は、この後に及んで自分を慮ったのだ。


(あなたは……どこまで王族なのよ……!)


 その瞬間、レナは全てを理解した。

 恐らくムシュカは、かなり早い段階からこの結末を予測していた。そして、呪いの性質故に抗うことが困難であることを理解し……この国のために全てを受け入れると腹を括っていたのだと。


(最後くらい……わたくしの前だけでも、ただの人に戻って欲しかった……!!)


「レナ様、帰りの馬車のご用意ができました」

「ありがとう、すぐ行きますわ」


 従者の呼びかけに応じたレナはダルシャンに別れを告げ、王宮の外へと向かう。

 今日の空は雲一つ無く、月明かりのお陰で外は随分と明るい。

 ……まるで、今日という日を祝っているかのように。


「……」


 ふと月のある方を見上げれば、目の端に移ったのは細長い塔の姿。

 新月の塔と呼ばれるその建物は、国家反逆罪を犯した政治犯のうち身分の高い者を幽閉するためのものだ。入れば死ぬまで出られない、そして収容者に呪いが散逸したところで大した問題ではない――そういう意味では呪いの隔離にはうってつけだろう。


 ああ、彼もまた、この明るい月を眺めているのだろうか。

 あの塔には、月を眺める窓はあるのだろうか。


 いや、そもそも彼は――今日もこの賑やかな世界を照らす月を眺めることなく、幻の恋人に耽溺しているのだろうか。


「…………頑張って、忘れますわ」


 塔を見つめながら、レナは誰にも聞こえないようにそっと呟く。

 それは己の人生のほぼ全てをかけて愛した人と、そんな鮮烈な恋心を持った自分への、決別の狼煙。


「それがこの家に……大公家に生まれた私の定め。この国のためにわたくしは生きますわ……あなたの選択と同じように」


 だからどうか、偽りの幸せであっても、あなたの残りの人生が穏やかであらんことを――


「……さよなら、ムシュカ」


 レナの乗った馬車は、塔とは逆の方向にある屋敷へと向かっていく。

 ……外をじっと見つめるレナの肩は震え……握りしめられた拳に、ぱたりと熱い雫が落ちた。

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