表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第一章 東雲の織物
2/36

東雲の織物(2/5)

「王太子殿下、また街へ出られたのですか? 護衛も付けずお忍びなど、万が一のことがあっては……」

「な、何のことだダルシャン? 私は街へなど」

「……『曙の森亭』の特製激辛米麺ですよね? その独特な柑橘と香草の混じった香りは」

「まさか店まで一発でバレるとは」

「むしろそれで、バレないとでも思っていたんですか!?」


 美味しいご飯と、ヴィナの可愛らしい姿を存分に堪能して。

 今日も良い夢が見られそうだと上機嫌でヴィナと共にこっそり自室に戻ろうとしたのに、どうしていつも彼はいの一番に嗅ぎつけるのだろうか……

 そんなことをつれつれ考えながら、ムシュカはしおらしい顔を作ってヴィナと共に廊下で突如始まった青年の説教に晒されていた。


「いい加減お立場を自覚なさって下さい!」と憤るのは、先ほどすれ違った宰相カルニア公の御曹司、ダルシャンだ。

 普段は理知的で物腰も柔らかい彼だが、度重なるムシュカのお忍びにはあまりいい顔をしない。当然ながら、そんな「悪い遊び」を教えたヴィナのことは蛇蝎のごとく嫌っているようで、さっきから言葉の端々に「お前さえいなければ」という想いが滲み出ている。


「まったく、殿下に現を抜かしてお忍びを止めるどころか率先して出かけるだなんて、騎士団の風上にも置けないですね! 我が国の次期国王に、お前のような奴隷上がり如きが目をかけられているだけでも業腹だというのに……事もあろうに正室の座を狙うとは、盗人猛々しいにも程がある!」

「すみません、ダルシャン様……」

「こらダルシャン、少しは言葉を慎め。そもそも、ヴィナを正室にと望んでいるのは私の方だぞ?」

「……申し訳ございません。しかし殿下、いくら何でも正室にこのような卑しい者を迎えるというのは、貴族としては承服しがたく……」


 窘めるムシュカの言葉にも毅然と応戦するダルシャンの姿に、ヴィナの胸がチクリと痛む。

 分かっているのだ、彼の言っていることは何一つ間違えていない。

 ――本来自分は、ここにいるべき人間では無いのだから。


(申し訳ありません、殿下……俺のせいで……)


『恋心に、罪などあるはずがない』

 いつぞやか愛しい人がかけてくれた言葉をそっと握りしめ、けれどやはり俺はこの国にとっての咎人だと思うのですと、ヴィナは何度も謝罪の言葉を心で繰り返すのだった。



 ◇◇◇



 ダルシャン・カルニア、23歳。

 建国以来王室を支えてきた由緒正しい貴族らしく、艶やかな黒髪に混じる淡藤色が少年のような線の細い体躯と相まって女性と見まごう色香を醸し出しているこの青年は、王宮内の宰相派が白羽の矢を立てたムシュカの正室候補である。

 ……いや、候補であったと言う方が正しいか。


 この国では、古くから大公派と宰相派が度々権力争いを繰り広げていた。

 ここ数年も次期国王の権力を巡る争いが勃発していたものの、正室と側室の差はあれどちらからもムシュカに嫁ぐことはほぼ内定しているからだろうか、そこまで過激な動きはなかったのだ。


 だが、3年前にムシュカが「ヴィナを正室にする」と宣言して以来、状況は一変する。


 世継ぎを求められるのは当然だから、女性の側室を一人置くことは許容する。だが自分はヴィナ一筋だ、だからそれ以外の側室を置くことはしないと若きムシュカが言い放ったものだから、宰相派は大騒ぎ。

 ダルシャンが正室になる望みは絶たれ、しかし派閥内には悲しいかな大公派に対抗出来る器量を持つ若い女性もおらず……結果として宰相派は、何とかしてムシュカを翻意させようとあれこれ手を尽くしてはいるものの、その成果は察しの通りである。


 そのせいか最近では少々物騒な噂も流れてきているが、当の王族がムシュカの発言を支持しているのもあって今のところ大事には至っていない。


「大体、激辛麺などという身体に悪そうなものを殿下に勧めるとは、どう言う了見ですか!」

「め、面目ない……しかしあそこの米麺は絶品で」

「はぁ? お前、奴隷上がりの癖に貴族に意見をする気ですか?」

「ダルシャン、いい加減にしないか」

「ムシュカの言う通りですわよ! 男のヒステリーなんて見苦しいことこの上ないですわ、ダルシャン」

「!!」


 悲しいかな説教はヒートアップするばかりで、これは当分終わらないなと二人が覚悟を決めたその時、後ろから凜とした声が響く。

 はっと振り向けば、そこには目元が印象的なこれまた美しい女性が腕組みをして立っていた。

 左胸に流された豊かな黒髪には鮮やかな緋色が混じり、凜とした佇まいに華を添えている。


 小さな声で「……レナ様」と呟くヴィナを一瞥すると、彼女は「良いじゃ無いの、ムシュカにだって息抜きは必要よ?」とどこか勝ち誇った笑顔をダルシャンに向けた。

 途端にダルシャンは苦虫を噛み潰したような顔でため息をつく。


「全く、思い通りにならないからって八つ当たり? そんなことをしたって、あなたが側室になることは出来ないわよ、ダルシャン」

「……たかが女に生まれたと言うだけで、随分余裕そうですね、レナ。こんな筋肉ダルマの奴隷あがりに正室を奪われて、悔しくはないのですか?」

「いつわたくしが正室の座を諦めたと? 正式な婚儀が終わるまでは、わたくしにだってチャンスはありますのよ? ね、ムシュカ?」

「いやその、私はヴィナ一筋「ありますわよね!?」あ、はい、ありますっ」


 レナの剣幕に押されて思わずムシュカが首を縦に振れば、レナは「ほらね」と言わんばかりに鷹揚とダルシャンを咎めるのだった。


「家のためとはいえ、最初から正々堂々と戦う気のない卑怯者に用はありませんわ。いい加減ムシュカを解放なさい!」



 ◇◇◇



「助かった……レナ、いつもすまない」

「いいですわよ、このくらい! あんな顔だけが取り柄の男に、ムシュカの時間を奪う権利など与えてなるものですか!」


「殿下もいい加減目を覚まして下さい!」と捨て台詞を吐いて去るダルシャンを見送り、王宮の小広間へと移動した3人は温かい薬草茶を手に穏やかな時間を過ごしていた。

 窓の外はとうに陽が落ちて、柔らかな月明かりが部屋の中に差し込んでくる。蝋燭のオレンジの光がゆらめく空間は、さっきまでのとげとげしいやりとりを洗い流してくれるかのようだ。


「ぬ、これは……美味いな」

「そうでしょう? 東国から取り寄せた一級品ですの。お茶好きのムシュカならきっと気に入ると思って」

「ああ、確かにこれはよい。異国の薬草の香りが口に広がって……ほのかな甘味が心を落ち着けてくれる」

「ふふ、良かったですわ」


 ついでにわたくしを正室にすると宣言して下さってもよいのですわよ? とにっこり微笑むレナに、しかしムシュカは何の悪気もなく「だが、私が一番愛しているのはヴィナだぞ?」と返す。

 そんなことは分かっていると言わんばかりにむくれてこちらを睨み付けてくるレナの視線は、薬草茶の効果すら打ち消してしまいそうで、ヴィナはどうにも居心地の悪差を感じつつ温かい茶を喉に流し込んでいた。


「まったく、ムシュカもなんでわたくしという美女が傍にいながら、こんな色の薄い髪の男を好きになったのだか……少々趣味が悪いですわよ?」

「レナ、それは」

「分かっていますわ! 異国の生まれであれ、今のヴィナはれっきとした王国民。……それでもこのくらいはいいでしょう? だって、わたくしは幼い頃からずっと……そう、ずーっとムシュカが大好きだったんですもの!」


 ぽっと出の男に愛しい人の心を奪われたら、文句の一つも付けたくなりますわ! と愚痴る彼女のかんばせは、その心根と同じでいつだって美しい。

 レナはどこまでも正直だ。ムシュカへの想いを素直にぶつけ、かと言って婚姻に政略の面があることも認めた上で、堂々とムシュカを振り向かせようと振る舞う姿は、ガタイばかりが立派な自分より余程男らしいと、ヴィナは内心引け目を感じるばかりである。


 レナ・ラグナス、17歳。

 彼女は王宮二大派閥の片割れ、大公派のボスであるラグナス大公の一人娘である。

 年の近いムシュカとは幼い頃から共に過ごすことが多かった、いわゆる幼馴染みという奴だ。

 周りが長じるにつれムシュカを敬称で呼び習わすようになっても、未だ彼女だけは一国の王太子を呼び捨てて憚らない、そしてそれが許される立場でもある。


 少々気が強く、幼い頃はしょっちゅうムシュカを泣かしていたというだけあって、未だムシュカはどこか彼女には頭が上がらないらしい。

 とは言え、一人だけ側室を迎えるならばレナしかいないと、口にこそしないもののムシュカが思っているのは明白で。


 ――そう、だからムシュカの隣で正室として微笑むのは、こんなむさ苦しい大男より彼女の方がふさわしいと、誰もが思うに違いない。


「……なに、辛気くさい顔をしてますの? 折角のお茶がまずくなりますわよ!」

「っ、す、すみませんレナ様」

「大方、わたくしのほうがムシュカにはふさわしいと勝手に落ち込んでいたのでしょう? ええ、その通りだとわたくしも思いますわよ! なのに、これほどムシュカに愛されていながらうじうじと……その筋肉は飾りですの!?」

「うぐ……」


 そんなヴィナの気持ちを見透かしたかのように、レナはずけずけと容赦なく彼の心を抉ってくる。

「そんな、俺はただ……」と大きな身体を一生懸命小さくしてもごもご言い訳をするヴィナをレナは「情けなど無用ですわ」と一刀両断し、飲みきったカップを少々乱暴にテーブルへと置いた。


「先ほども話しましたけど、わたくしはまだ諦めていませんわよ! わたくしは正々堂々とあなたからムシュカを奪い返しますから!」

「……あのう、レナ? そこに私の気持ちは」

「そんなもの、力尽くでこちらを振り向かせてあげますわ!」

「ひっ、レナはやっぱり鬼嫁候補……」

「!! あっ、殿下それは」


 地雷を踏みに行ってます、とヴィナが止めようとするも、時既に遅し。

 とてつもなく嫌な予感がしながらそーっと顔を向けたテーブルの向こうでは


「……ムシュカ? 誰が鬼嫁、ですって……?」

「うああああ悪かったすまない許してくれ、レナあぁぁ!!」


 ……美しいかんばせに青筋を立て、背に修羅を背負った大公令嬢が拳を構えていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ