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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第四章 掴んだ転機
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掴んだ転機(5/5)

「年の瀬のこの忙しいときに、突然の午前休とは随分度胸がありますねぇ、毘名君」

「最近ちょっと仕事をこなせているからって、調子に乗ってないか? あの程度、誰でも出来て当たり前なんだよ!」

「お前のせいでまた進捗遅れたんですけど-。どうやって取り返すの? 向こうさん、カンカンだよ?」


 朝一番に上長へ「すみません、急用で午前休を頂きます」と告げるや否やスマホの電源を落とした新太が昼過ぎに職場に足を踏み入れれば、待ってましたとばかりに社長の机の前に連れて行かれる。

 幹部達で新太を取り囲み怒号を飛ばす異様な環境でも、同僚達はこちらを見ることもなくやつれきった顔でモニタに向かっていて、ああ、自分もあの枕カバーを手に入れ神様に出会わなければ今もあの中にいたのだと、つきりと胸が痛んだ。


「私も鬼ではありません、言い訳ぐらいは聞いてあげましょう。穴を開けた分の損害賠償は請求しますがね」


 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる社長は、きっと久々にインプレッションの稼げるネタが出来たと目算を立てているのだろう。

 こんな形で承認欲求を満たす醜悪さに沸いてくるのは、怒りではなく、むしろ憐れみであることに新太はちょっとした驚きを覚えながら(いける)と心の中で確信した。


(大丈夫だ。俺はこんな奴らに、これ以上食い物にはされない……!)


 新太は鞄から、茶色い封筒を取り出す。

 行きつけのコンビニで手に入れた何の変哲も無い封筒には、新太の体躯にはあまりにも不釣り合いな丸っこい文字が三つ。


「……社長、俺」


 震える手を振り上げ、ドン!! と音を立てて机に叩き付けられたのは


「…………俺、この会社辞めます」


 A4のコピー用紙にボールペンで書かれた、新太の退職届であった。



 ◇◇◇



「……はぁ? 何を言っているんですか?」


 突然の音と思いもしない宣言に、一瞬にしてオフィスの中は凍り付く。

 その沈黙を破ったのは、目の前で鼻を鳴らす社長だった。


「辞められるわけがないでしょう? これまで散々うちに損害を与えておいて、今辞めたらあなたの担当していた仕事はどうなるんですか? 当然全て損害賠償を請求させて貰いますよ?」


 社長は何の躊躇いもなく、封筒をその場で破り捨てる。

「ほら、さっさと机に戻って仕事にかかりなさい。迷惑料は給与からしっかり引かせて貰いますから」と背を向けた社長に、新太は再び少し震える声で「……いえ、俺は辞めます」と淀みなく繰り返した。


「ふざけんなよてめぇ、今まで社長がどれだけお前みたいな出来損ないを守りながら雇ってくれてたと思ってんだ!」

「お前みたいな奴、辞めたところでどこにも拾って貰えねえよ。この業界、広いようで狭いんだぜ? 悪い噂を立てられて路頭に迷いたくないだろう?」


 怒号、罵声、善意に見せかけた悪意の集中砲火が、新太を襲う。

 この男は図体こそデカいが、非常に気が弱い。こうやって脅して、追い詰めて、ちょっと優しい顔を見せてやればすぐに退職を撤回する――そんな想いが透けて見えるようだ。


(うう……怖い……けど、神様は言ってた)


 散々飼い慣らされ隷属を教え込まれた心が反応して、悲鳴を上げる。

 今すぐにでもその場に土下座して謝りたい、そんな恐怖と不安が新太を支配する。


 だが、新太は引かない。引けるわけがない。

 だってこれは、あの麗しい神様から与えられた勅命なのだ。

 そして


『私のヴィナともあろう者が、一時の痛みを恐れて剣を引くなどあり得ぬであろう!』


 あれほどの信頼と親愛を寄せて下さっている最推しの言葉を、俺は絶対に裏切らない――!


「っ……」


 ぐっと拳を握りしめた新太はこちらを振り返った社長を睨み付ける。

 その視線は初めて見る鋭さと獰猛さに溢れ、立派な体躯からは例えようのない威圧感が立ち上っていて……社長はおろか、彼を取り囲んでいた幹部達も思わず言葉に詰まる。


 そのまま新太は社長を見据えたまま静かに、ゆっくりと口を開いた。


「……退職届は、内容証明郵便で別途郵送済みです。破いたところで無駄です、俺はここを辞めます」

「は……?」

「それと…………今朝、労基署に行ってきました。これまでの勤務状態のメモと、給与明細と……SNSの投稿を全部プリントアウトして、動画も保存して提出済みです」

「!!」


 これも、と新太は胸ポケットからスマホを取り出す。

 その画面は録音アプリのもの。今のやりとりが全て記録されたことを表す証拠に、さっと社長の顔が青くなった。


「何てことを……これまでの恩を忘れたのですか!」


 ヒステリックに喚き散らす社長の言葉には、一切答えない。

 ただ淡々と、まるで目の前の敵を確実に追い詰めるように、新太は言葉の刃を突きつけていく。


「労基署で教えて貰いました。退職に伴う損害賠償は、俺の勤務実績から見るにまず請求出来ない、判例上も例外的だと」

「っ……」

「有給はこの4年で利用したのは、今日の半日だけ。法律上、俺にはこれまでの繰り越し分と合わせて、29日半の有給が残っています。ですので、退職日は今日から29日後……何の問題もありませんよね」

「そ、そんな勝手が通ると思っているんですか!? 引き継ぎもなしで」

「退職日までは有休を消化します、一切出社はしません。私物は今日持ち帰りますので、必要書類は全て郵送で送って下さい」

「ちょ、話を」

「では」


 一方的に全てをまくし立てた新太は、くるりと踵を返す。

 後ろに立っていた幹部達をぎらりと睨み付ければ、彼らはヒッと小さな悲鳴を上げて新太のために道をあけた。


「……」

「…………」


(言った……言ってやったぞ……!!)


 纏わり付くような視線を感じながらも、新太は無言で私物を纏めていく。

 洗面用具に着替え、寝袋、マグカップに携帯用カトラリーセット、自前のキーボードとマウス……そして、机の中に残っていた大切なういろう10個。

 大学時代に使っていた登山用のリュックに全てを詰め込み、よいしょっと背負ってのしのしと入口まで足を運んだ新太はやおら後ろを振り返る。

 そうして突然の事態に色を失った社長たちと、この後に及んでも無言で画面に向かい続ける同僚であった人たちを一瞥し


(さよなら、食われるだけだった俺)


「……お世話になりました」


 深々と一礼して、その場を後にしたのである。


 後日、この会社には労基署の調査が入り、社長は書類送検される。

 SNSのアカウントには謝罪文が掲載され、その数日後にはアカウントも閉鎖されたらしい。

 その後の顛末までは分からない。ただ伝え聞いたところによると、新太に引き続いて退職した後輩は後にこう語っていたという。


「あの時の先輩の背中は、まるで歴戦の猛者のようだった」と――



 ◇◇◇



 それからの新太の行動は、早かった。


 夢で無事戦果を報告した(それはそれは神様は我がことのように喜んで下さった、推し冥利に尽きる!)次の日からは、早速ネットで転職情報を収集し始める。

 何よりも優先すべきは三度の食事時間と八時間の睡眠時間と定め、希望が叶う職種を見つけてからはひたすら資格勉強の日々だ。


「また随分と分厚い書物だな。これを全部学ぶのか」

「はい、神様と過ごす時間を確保するならセキュリティエンジニアの方が良さそうだと思って……一応バックエンドやってた経験も活かせそうですしね」

「うむ、お主の話がまるで呪文のようだな!」


 参考書を開いたまま寝落ちしたときは、夢の中にまで何冊もの本が付いてきていた。

 寝落ちするときですら無意識に枕を用意している俺えらい、流石推しの力は凄いとちょっと感心しつつも、寝ながら勉強出来るのはありがたいとばかりに新太はムシュカの隣に腰掛け、一心不乱にページをめくる。

 もちろん、勉強は神様の料理をたらふく食べてからである。


(仕事を辞めたと報告を受けてから、がらりと雰囲気が変わったな……まったく、惚れ直してしまうではないか)


 勅命を果たして以降、新太の中では何かが覚醒したらしい。

 本人にはあまり自覚が無いようだが、かつて「魔熊殺し」の二つ名を掲げ王宮に仕えていた頃の覇気が戻ってきた。お陰でムシュカは、毎夜勉強に励む真剣な眼差しを眺めては心のときめきを押さえるのに苦心している。


「……えっと、神様?」

「ふふ、頑張るお主は実に美しいな。流石は私のヴィナだ」

「ほえぇっ!? あわわ、そんな推し神様からなんという勿体ないお言葉を……!! ああ、もう俺ここで萌え死んでもいいや……」

「ぬ、勉強の邪魔をしたか? それはすまない、あまりにお主が光り輝いてみえたものだからつい、な」

「うああぁ輝いているのは神様の方ですぅ!! ああ、浄化の光で覚えた知識まで洗い流される……」

「待てヴィナ、そこは洗い流してはならぬだろう!!」


 しかしその前髪はどうしたのだ? とムシュカは浮き足だった心を隠すように新太の額に手をやる。

 これまで「ばりかん」とやらで自ら整えていた髪を専門の者に整えて貰うようになって、ますます魅力が上がったと思っていたのだが、今日の前髪はなんというか……ちょっと縮れていて焦げ臭い気がするのだ。

 すい、と短い毛を指で弄べば、新太はとたん顔を真っ赤にして「いやその、恥ずかしいんですが……」と身体を小さくする。


「実は、思い切って自炊を始めまして」

「自炊……ほう! 自ら料理を作るのか! それは立派な心がけだな。時に、お主の作る料理はいつもの『こんびにめし』とやらよりも美味いのか?」

「うーん、正直コンビニのほうが美味しいかも……でも」

「でも?」

「何だかその方が、食べるのが楽しいんです。今日はフライパンから火柱が上がって、髪の毛が焦げちゃいましたけど」

「…………お主、あれほど業火と戦っていたときは平気だったのに、料理では炎に焼かれるのか……」


 熱くはなかったのか? 怪我は? と心配そうに額を撫でるムシュカの手はすべすべで、推しからの突然の供給に新太は目眩を覚えながらも「だだ大丈夫ですっ!」と歯を見せて満面の笑みを浮かべる。

 ――照れながらもあの頃には決して見せなかった類の笑顔に、ムシュカが悩殺されていることにも気付かずに。


「はぁ……ほんっとうにお主はどこまで魅力を上げるつもりなのだ……」

「えと、神様?」

「いや何でも無い。ほれ、集中が切れたのならここらで茶でも飲まぬか? 今日は紅茶とスコーンを用意しておるぞ」

「ありがとうございます、オレンジのマーマレードたっぷりでお願いします!!」



 ◇◇◇



 そんな甘やかで穏やかな日々が、一体どのくらい続いただろうか。

 現実の世界では季節がそろそろひとつ巡ろうかというある日の夜、いつものように自分と同じタイミングで夢の中に現れた新太の姿に、ムシュカは目を丸くして立ちすくむ。


「お主……それは……」

「あ、凄い! ちゃんと指定すれば夢の中の衣装も替えられるんだ!!」


 そこに立っていたのは、ビジネススーツをかっちりと着こなす新太であった。

 かつて身も心もボロボロになっていた頃に来ていた物と同じとは思えないシワのないシャツと、瞳の色に合わせたダークグレーのジャケットにスラックス、どこか無機質に見える服に彩りを与えるネクタイ。

 見事な筋肉を覆い隠してしまうのは少々勿体なく感じるが、愛し子曰くこれは彼の世界における戦装束なのだそうだ。


「神様、明日俺面談に……新しい仕事を決めに行ってきます。それで……その、神様の加護を頂ければ百人力かな、って」


 堂々たる体躯をやっぱり自信なさげに丸めながら、新太はもじもじとムシュカを見下ろす。

 そんな姿に、在りし日のヴィナの姿が重なって、つん、とムシュカの鼻に痛みを与えた。


 ――ああ、この痛みは久しぶりだが、あの時とは全く色合いが違う。


「ヴィナよ、今のお主には私の加護などもう必要ないであろう? 何と言ってもお主は私の愛し子、この神が唯一認めた男なのだからな。だが……うむ、望まれれば与えるのも神の努めか」


 ちょっとしゃがんでくれるか? と請われるままに、新太はその場に跪く。

 彼の目の前に立ったムシュカはすっと真剣な表情を浮かべ、少し緊張を含んだ期待の眼差しで見上げる新太の額に、そっと指を触れさせた。


「我が加護よ、この勇猛なる騎士の身を守り給え」


 言葉と共に指で織りなすのは、武運の加護。

 ……かつて王太子として幾度もヴィナに授けた加護を、今再び愛しい人に与えられる喜びをぐっと噛みしめ、ムシュカは万感の思いを込めて新太に言葉を託すのだった。


「次に会う時を楽しみにしておるぞ、ヴィナ。お主は私の認めた男だ、必ずや善き知らせをもたらすに違いないからな!」

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