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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第四章 掴んだ転機
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掴んだ転機(2/5)

「おい毘奈、昨日頼んだタスクは」

「もう実装終わっています。昨日の夕方にMRも出してレビュー依頼したはずなんですが……」

「は? ……うわマジかよ。それなら一言声をかけろよな!」

「あ、すみません……」


 外は煌びやかなイルミネーションに彩られ、浮き足だった空気を作り出しているけれど、この古びたビルにはいつも通り淀んだため息だけが満ちていて。

 いつも通り新太の進捗を確認した先輩エンジニアは、思わぬ返事に虚を突かれたのがどうにも腹立たしかったのだろう、ブツブツ文句を言いながら新太の成果を確認している。

 まだ何か言いたげな様子を察した新太は「トイレ行ってきます」と慌てて部屋の外へと避難した。


「……何だろう、最近随分調子がいいような…………」


 年末進行の煽りを食らった職場は、まさに修羅場という言葉がぴったりだ。

 新太もここ2週間は寝袋生活だが、疲労の極致であった夜に神様が振る舞ってくれたもつ煮込みが効いたのか、多少顔色は良くなっている気がするなと鏡を覗き込む。

 ……いや、顔色だけではない。心なしか筋肉の張りと艶も良くなっているのではないだろうか。


 ここしばらくは身体も軽いし、何よりミスが減った。コードも不思議とすんなり理解出来るし、明らかに仕事効率が上がっている実感がある。

 やはり神様のご飯は効き目が素晴らしい。夢だというのに凄い効果だなと豚足の食感を思い出せば、途端にお腹がぐぅ、と元気な音を立てた。


「戻りました」

「……おう。さっきのレビュー問題無かったから、次のタスクもさっさと終わらせろよ」

「はい」


 どうやら、先輩の苛立ちは収まっていたようだ。

 新太は内心ほっとため息をつきつつ、小さなパイプ椅子にそっと腰掛ける。

 備品を壊すような筋肉ダルマにまともな椅子など必要ないと与えられたパイプ椅子は随分ガタがきていて、下手に勢いよく座ったら座面が抜けそうでとても怖い。


 モニタの黒い画面に向かえば、心なしか文字がぼやけて見える。

 ああ、今日のボーナスタイムは終わってしまったかなとちょっと残念に思いつつ、新太はキーボードに指を伸ばした。


(いつも午前中は調子が良いんだよなぁ。でも、昼からは前と同じで……あれかな、神様のご飯もパフォーマンスを一日上げるのは難しいと……いやいや贅沢言っちゃいけない、半日でも元気に過ごせるようになったんだから!!)


 コードを書き終え、キーボードを叩く指が止まる。

 神様は恐らく自分の仕事をとんでもない災厄と闘う戦士と勘違いしているようだが、確かに頭の中だけはフルスロットルで目の前のコードと戦っているよな……と、疲れた頭はつい集中を途切れさせてしまって。


 どうにも午後はいけない、このままではまた午前様になってしまうと頭を振ったとき、ふと新太の目に入ったのは今朝買ってきたおにぎり(おかか)だ。

 食べようと思って袋から出していたのに、先ほどのトイレですっかり記憶からとんでしまっていた、代わり映えのない昼食に新太は手を伸ばす。


 けれど。


(……ん?)


 今日はその三角の佇まいが、妙に引っかかる。

 そして……目の前にあの麗しい神様の、ちょっとだけむくれた顔が蘇る。


『そんな、何かをしながら食事をするなど……』


 神様は、とかく食に厳しい。

 ながら食べなど言語道断。食とは命の源であり、真摯に向き合ってこそ己の血肉に変わる、何より美味さを存分に堪能出来るのだといつも力説している。

 その言葉の意味は、今の新太には何となく分かる。夜明けのコンビニで一人静かにご飯を食べた後は、確かに身体の調子が良い気がするから。


(……身体の、調子が良い……仕事も能率が上がる…………)


「あ」


 ぼんやりおにぎりを見つめていた新太の中で、ようやく何かが繋がった気がして。


「先輩、俺ちょっと買い出しに出てきます!」

「え、ちょ、毘奈ぁ!?」


 ガタッとパイプ椅子をひっくり返して立ち上がった新太は、先輩の怒鳴り声が耳に入る前にドカドカとビルの外へと飛び出していた。



 ◇◇◇



 それから1週間後。


「……いただきます」

「…………」

「……ちっ…………」


 相変わらず修羅場真っ盛りの職場で、栄養ドリンクやゼリー飲料片手に目を血走らせて画面に向かう同僚達が胡乱な視線を向ける中、新太は完全に手を止めて手を合わせ呟き、躊躇無く箸を手に取っていた。


 目の前にあるのは、夜明けのコンビニで調達したそぼろ弁当とサラダチキンだ。

 給湯室の電子レンジで温めた弁当をそっと開けば、コンビニ弁当独特の香りに混じって甘塩っぱいタレの香りがふわりと鼻をくすぐる。


(うう、やっぱり睨まれてる……でも……)


 周囲の視線が痛いなと身を縮こまらせながらも、新太は温かい弁当を口に運ぶ。

 針のむしろで食べる弁当の味はいつもより薄く感じるし、神様の料理に比べればやっぱり味気ない。それでも、冷たいおにぎりを食べるよりは……身体に血が通っていくような気がする。


(神様の言ったとおりだ。ちゃんと食べれば、力になる。……朝だけじゃなくて、昼も元気になれる)


 ここに来て、ようやく新太は気付く。

 確かに夢の中で味わう料理は絶品だ。美しい神様が授けてくれる、それどころか時には手ずから口に運んでくれる見知らぬ食べ物達は、確かにすり切れていた新太の心をほぐし、温め、満たしてくれる……それは紛れもない事実。

 けれど同時に、いくら夢の中でお腹いっぱい食べても、現実の身体に力を与えるのは無理があるのだと。


 ――少し考えれば当然の話だ。残念ながら人間は、夢と霞で生きていくことは出来ないのだから。


 からくりが分かってしまえば、事は単純だ。

 善は急げとばかりにコンビニで昼食を調達し、周囲の非難はムシュカの言葉を何度も心で唱えていなしつつまともな昼食を取ったその日は、案の定自分でも驚くほど午後の仕事が捗った。

 それ以来、新太は例え社長が目の前を通ろうが、食事風景をSNSに晒されようが、20分の昼食時間を全力で確保するようになったのである。


(前ほど社長にも叱られなくなったしなぁ……仕事のミスが減ったお陰かな? ホント神様がご飯の大切さを教えてくれたお陰だよ、最高すぎる俺の最推し)


 神様ありがとうございます!と心の中で感謝を叫ぶ新太は、気付いていない。

 彼への口撃が和らいだのは仕事でのミスが減ったためでもあるが、1日2食はきちんとご飯を食べるようになったお陰で己の本来持っていた覇気が見え隠れするようになったのが、大きな理由だということに。


 記憶にはなくとも、魂に刻み込まれた騎士団副団長としての矜持とその豪傑さは褪せることがなく、ご飯というトリガーを通じて今も確かに「ヴィナ」を守り続けているのである。



 ◇◇◇



「ふぅ、落ち着くぅ……」


 ペットボトルのお茶をずずっと啜りながら、弁当を平らげた新太が手を伸ばすのは鍵付きの引き出しだ。

 嫌な音を立てて開いた引き出しの中には、書類と共に個包装の白い物体がいくつも鎮座していた。


「ふふっ、やっぱりシメはこれじゃないと……」


 厳つい手で器用に包みを開け、中からぷるんと顔を出したおやつ――真空パックの一口ういろうを、新太はとても愛おしそうな瞳で見つめ、そっと歯を立てた。

 一口で食べてしまうなど、実に勿体ない。だってこれは……どうにも出口のない灰色の世界に与えられた、神様との淡い繋がりなのだから。


「……神様の出してくれたぷにぷには、ほんっとうに美味しかったな……」


 もちっとした食感とほのかな甘さが、新太の記憶を鮮明に呼び覚ます。

 あれはいつだったか……新太が現実でしこたま説教された日に、地の底まで落ち込んだ姿を憐れんだ神様が「これで元気を出すが良い」と甘味の載った皿を出してくれたことがあったのだ。

 四角いデザートたちは色鮮やかな緑と白の二層だったり、黄色かったり、はたまた何層ものレインボーカラーで彩られていたりと実に目に麗しかった。


 ――ちょっと食べ物とは思えない色も混じっていて、大丈夫かなと心配が一瞬頭をよぎったのは秘密だ。


 かぶりつけばもっちりとした食感と鼻に抜ける甘い香り……多分ココナッツだろう、ミルク色の優しい香りとコクのある甘さが口中に広がる。

 あれはまるで、鮮烈な日差しと青空が広がるビーチで寝転び、爽やかな風に吹かれているかのような恍惚に包まれるかのようだった。

 あまりの美味しさに、確かに満腹を覚えていたはずの腹は現金にも容量を作り出したのだろう、再び夢の空間に轟音を響かせて「……なるほどお主もデザートは別腹か……」と神様が目頭を押さえていたっけ。


「にしても、ほんとありがたい……日持ちするから通販で手に入れられるし……」


 神様のおやつの衝撃は新太にとっては相当なものだったのだろう。

 どうしてもあのぷにぷにを現実でも食べたくて、けれど味だけではどうやっても見つけることが出来なくて。


 やっぱり神様の世界の食べ物なんて現実じゃ食べられないよな……としょんぼりしていた時、たまたま社長が土産だと配ってくれたういろう。

 何気なく口を付けた瞬間、新太は「これだ」と雷に打たれたような衝撃を受ける。


 その日の夜は仕事もそこそこにネット上を調べ尽くし、ようやっと見つけたオンラインショップから真空パックのういろうをすぐさま取り寄せた。

 以来、新太は神のおやつに似せた小さな白い塊を食後のデザートとして、それはそれは大切に堪能する日々を過ごしている。


「んぐ……ふぅ……」


 小さなういろうは少し咀嚼すれば、するんと喉の方へと落ちていってしまう。

 ほのかに口の中に残る米の甘さと香りは夢の中の甘露よりずっと淡く、上品な美味しさとともにどうしようもない切なさを新太に染みこませて。


(……何もかもが、淡いな)


 ほぅ、とため息を漏らし、再びぬるいペットボトルに口を付けながら見回す職場のとげとげしさは、この淡さが思い出させてくれた神様の優しさに守られた身には、少しだけ遠く感じられる。


(夢より現実が淡く儚いだなんて……まるで今の自分みたいだ)


 新太の心が、ポロリと自嘲を零す。

 けれどそんな小さな染みは、すぐさま神様の堂々たるお姿から紡がれ続けている溢れんばかりの愛で、跡形もなく洗い流されたのであった。


『過酷な環境で戦い抜くお主を、私は素直に尊敬する。――お主はそれだけの価値がある男だからな!』

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