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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第三章 甘露の逢瀬
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甘露の逢瀬(5/5)

「随分顔色がよくなられましたな、殿下」

「ありがとうございます、パニニ老師。先生におかれましてもご健勝で何よりです」

「ほっほっ、堅苦しい挨拶はよして下され殿下。今の私はただの隠居じじいに過ぎませぬ」


 ある日の夕方、政務を終えたムシュカが廊下を歩いていれば、懐かしい呼び声が後ろからかかる。

 振り向けば、そこにはムシュカの教育係であったパニニ老師が杖を片手に手を挙げていた。


「国王陛下からお呼びがかかりましてな。息子が西国に行っている間サリム殿下の教育係を仰せつかったのですが、いやはやこの歳ともなるとやんちゃ坊主相手の2時間の講義は身体に堪えて」

「何を仰いますか、まだまだ背筋もしゅっと伸びておられるではないですか。先生には私が即位した後もご指導を賜りたいと」

「それは気合いを入れて養生せねばなりませぬな……ところで陛下から、何か殿下が相談したいことがあると伺いましたが」

「ええ、実は先生に調べ物をお願いしたいのです」


 ムシュカはパニニを自室の応接間に誘う。

 そうして「父上との約束で、この部屋からは出せぬのですが」と東雲の空を模したブランケットを彼の眼前に広げた。


「ほう、これはまた……見事な織物ですな。この織り方は東国の逸品と見ました」

「流石先生ですね、一目見ただけで見抜くとは」

「なぁに、こんなものは知識があれば誰でもできますぞ。して、これが何か」


 実に良い品ですなとじっくり織物を眺めるパニニに、ムシュカは「これは内密に願います」と前置きし事の顛末を簡単に説明する。

 元は封印庫にしまわれていたこの寝具は、先般の賊により市井へと流出したところをたまたまムシュカが買い戻したものだ。

 これを手に入れて以来、あれほどムシュカを悩ませていた頑固な不眠症は完全に鳴りを潜め、しかも毎夜のように亡き恋人の夢をみるという。


「夢とは言いましたが……生きておるのですよ」

「生きて……? それは一体」

「恐らくは先生が以前教えてくださった、こことは違う世界で……ヴィナは新しい命として生きているのです」

「…………ふむ」


 だが、この不可思議な体験が出来るのはどうやらムシュカだけらしい。

 正確には、これを売りつけた旅の露天商は類い希なる安眠効果を体験しているはずだが、彼は既に騎士団による取り調べを終えこの地を去ったそうで、改めて確かめることも出来ない。

 しかも、この寝具に関する記録は何故か王宮内には残っていない。少なくとも数百年前からあの封印庫にあるのは確実だが、詳しいことは王族の口伝にも残っていないと父王からも聞いている。

 だから、どうすれば他の者にも同じ体験ができるか、そもそもこれはどういった謂れの品なのかを極秘で調べて欲しいのだと、ムシュカはパニニに頭を下げた。


「神に誓って、私は嘘も妄言も言っておりません。だが、こんな世迷い言をはいそうですかと皆に受け入れて貰うのは到底無理でしょうから……先生のお力をお借りしたいと」

「なるほど、事情は分かりましたぞ。私に頼むのは……貴族の余計な追求を受けないためですな」

「……今、王宮は私の正室選びで何かと不安定です。気をつけるにこしたことはありませんから」


 少し時間を頂けますかな、とパニニはゆっくりと立ち上がる。

 そして手を添え老師を見送る若き王太子を見つめ、それで、と静かに口を開く。


「殿下は事実を知って、どうされるおつもりで?」

「……どうもしません、ただ」


 虫の知らせを感じたのだろう老師の問いかけに、ムシュカは淀みなくその意志を露わにするのである。


「ただ、王族としての務めを果たす前に少しだけ時間を頂きたいのです。我が儘は承知ですが、せめて名も知らぬ世界で足掻く愛しい人が笑顔を取り戻すまで、ただ一人の人として生きる許可がほしい……私が望むのは、それだけなのです」



 ◇◇◇



 それから2週間の月日が流れた。

 相変わらず昼間は政務に励み、貴族を初めとした国民との謁見に望み、疲れた身体を寝台に横たえた後は愛しい人との逢瀬を堪能して英気を養う。


 最近では「こんびにめし」なる朝餉を取るようになったと報告してくれた新太の顔色は多少改善が見られていて、確かな手応えにムシュカのサポートにも力が入る。

 さて今日はどんな料理を食べさせようか、そうだ食後は膝枕からの耳掃除に挑戦しても……と神様特権を存分に活かす計画(妄想)に一人にやけていれば、執事からパニニの到来を告げられた。


「どうでしたか、先生……その様子だと、あまり芳しい結果では無さそうですが」

「そうですな。殿下に今すぐ害を及ぼすというわけではないですが……少々困った事が発覚しまして」


 息子が西国から持ち帰ったという、蜜のたっぷりかかった焼菓子を片手に茶をすすりながら、パニニは厳かに語り出す。


「……この品は今から遡ること600年前、我が国が東方の小国との戦いで得た戦利品でしてな」


 いくつもの魔法を使う民族がこの国に住んでいた当時、クラマ王国は領土拡大のため盛んに隣国との戦争を繰り返していた。

 そんな折、遠征の最中で立ち寄った今は名前もわからない小国。その戦力差は圧倒的で、早々に白旗を揚げた国の長から献上された品々の中に、この寝具は混ざっていたのだそうだ。


「元はブランケットだけで無く、分厚い敷布に掛け布団、寝所を覆うカーテンが一式になって献上されたようですな」

「ええ、宝物庫から盗まれた品にも、敷布と枕カバーの記載がありました。敷布はブランケット同様取り戻しましたが、枕カバーの行方は未だ分からないままです」

「なるほど……もしかすると、どこかで主を見つけてしまい返そうにも手放せなくなっているのかもしれませぬ」

「……どう言うことです?」


 あの露天商が語ったとおり、これは東国のまじないがかかった寝具であった。

 ただしそれは記録によると安眠効果などと言う俗な物では無く、いわゆる恋愛成就のまじないであったという。


 かつてその地には、愛する二人が夜をにし異国の神により認められることで婚姻が成立するという文化が存在していた。

 夫婦となろうとするものは新しい寝具を作り、そこにまじないをこめて閨を覗きに来る神を歓待したのだそうだ。


 神に極上の夢を見せて良い気分にさせ、二人の仲を認めて貰う――本来この寝具に込められたのは、そんな恋人達の切なる願いであった。


「ですが、この寝具は……知らぬ国に連れ去られ異国の神の怒りを買ったためか、この国に辿り着いた頃には既に呪いを帯びていたのです」

「呪い、ですか」

「ええ。一度寝具に見初められれば、条件を満たすまで絶対にそのものの元から離れることはない。そして見初めた者を夢の中に閉じ込めてしまうのだと、古文書には書かれておりました。何をしても目を覚ますことは叶わず、かといって憔悴することもなく……そのまま歳を取り自然と命が尽きるその日まで、こんこんと眠り続けたと」

「なっ…………!」


 あくまで伝説です、真実とは限りませんと、パニニは顔色を悪くしたムシュカを宥める。

「現に殿下はこの一月半、明晰な夢を見ることはあっても毎日それはそれはすっきりとお目覚めになられていますし、その点で心配は無いと思いますぞ」とパニニが冷静に説明すれば、ムシュカも幾分落ち着いたのだろう、不安を振り払うかのように甘ったるい菓子をぬるい茶で流し込んだ。


「それでは、私の場合は特段問題は無いと」

「いえ……ここからが問題なのです」


 調査を行うにあたり、パニニは試しにこの織物を部屋の外に出してみようと、部屋付きの使用人に依頼をかける。

 だがその話を聞いたメイドは即座に顔を引き攣らせ「それだけはお許し下さい!」とパニニの前で取り乱し叫んだという。

 聞けばこの織物を部屋から持ち出し焼却や裁断を何度も試みたものの、一度たりとも成功せず勝手にこの部屋の寝台へと戻ってしまったのだそうだ。


「勝手に持ち出して燃やそうと……何のためにそんなことを? いや、そもそもそのような狼藉、ただの使用人が判断出来るものではない……」

「酷く怯えておりましたので、詳しいことまでは聞き出せませんでした。ですがあの娘の話が事実であるならば、ムシュカ殿下、あなたは既にこの織物に見初められて……いや、呪われておられる」

「!!」


 幾多の者を夢の中に閉じ込めた寝具は、呪われた宝物として封印庫の奥深くにしまい込まれる。

 そうして数百年の時が流れ――今ではその危険を語り継ぐ者もいなくなり存在すら忘れ去られていた織物が、賊の手により持ち出されムシュカの元へと辿り着いたのは……果たして偶然か、それとも。


「完全に安全とは言えませぬが、今の状態が続くならば取りあえずは問題は無いでしょう。呪いの対象となった殿下以外が、この織物の効果を受けることはないでしょうからな」

「それは……まあ良かったと捉えるべきですかね。下手に体験出来た結果、夢の中から出られなくなっては一大事ですから」

「まったくですな。それと、呪いを解く方法ですが……古文書の記載から条件があることは分かっておるのですが、その詳細まではまだなんとも」

「いや、これほど短期間でそこまで分かっただけでも十分です、先生。感謝します」


 ふかふかと頭を下げつつそう言えば、とムシュカは随分前に騎士団から報告を受けた話をふと思い出し口にする。

 封印庫に押し入った賊の一人が王宮に自首してきたのだが、何でも盗んだ寝具のことで殿下にお話ししたことがあるから謁見を願いたいと、何度も訴えていると――


 ただ、当時の消耗しきったムシュカを得体の知れない男に会わせるわけにも行かず、結果的にその話は流れてしまったのだが、もしかしたら何か手がかりをもっているかも知れないと話せば、パニニは「ならば、私が会って話を聞いてきましょう」とすんなり快諾した。


「お願いします。その者は騎士団預かりになっていますから、恐らく先生が政争に巻き込まれることは無いと思われますが」

「ほほっ、なに、この老いぼれをどうこうしたところで、貴族共の権力拡大には何の役にも立ちませぬ……おや、もう良い時間だ。今日は孫に、市で土産をせがまれていましてな」


 長居しましたな、と王宮を後にしたパニニは、夕方の城下をのんびりと歩く。

 あちらこちらから良い匂いが漂っていて、これはついつい財布の紐が緩みそうだと孫の顔を思い浮かべながら店先を眺めるパニニの心には、先ほどから消えない憂いが燻っていた。


(……嘘は言っておるまい。若き恋を応援もしてやりたい。あの子は賢い子だ、それ故に……幼い頃から王族としての責務を背負って当然と、己の事を後回しにしがちじゃったしな)


 ムシュカが夢の中で逢えるという異世界の「ヴィナ」を語る様相は、パニニも初めて見る年相応の若者らしさに溢れていた。

 正室を娶り、そして国王の座に着けば叶わないであろうひとときの安らぎを、貴族達は許さずとも事情を知る自分だけは……今だけは見守って差し上げたいとも思っている。

 だが、相手は何と言っても記録に残るだけで20人近い人間を夢に閉じ込めた呪いの織物だ。なぜだかムシュカは今のところ夢に閉じ込められる気配は無さそうだが、この先も同じ状況が続くとは限らない――


「閉じ込められずとも、溺れれば同じですぞ、殿下……どうかそのような怪しきものに、取り込まれなされるな」


 パニニは喧噪の中、歩いてきた道を振り返る。

 夕日に照らされた王宮はいつも通り輝いて、けれどどこか胸騒ぎを覚えるような茜色に染まっていた。

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