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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第三章 甘露の逢瀬
13/36

甘露の逢瀬(4/5)

「すまなかったな、レナ。何度も足を運んでくれたと母上からは聞いていたのだが」

「いいですわよ。あんなことがあれば……あらゆるものを疑いたくなる気持ちは、痛いほど分かりますもの」


 一方、ムシュカの体調はあの日を境に一気に軽快へと舵を切った。

 ブランケットのお陰で、毎日床に入れば悲しみを感じる間もなく夢の世界に誘われ、気がつけば鳥のさえずりと朝日が新しい日の到来を告げている。

 あの露天商の語った寝起きの効果を実感するには、19歳の身体は少々若すぎたようだが、それでも当たり前の眠りを取り戻したムシュカの顔には精気と笑顔が戻り、一月経った今では以前ほどではなくとも政務もこなせるほどの回復をみせていた。


 身体の回復は、心も共に癒やしてくれる。

 ようやく貴族との謁見を拒まなくなったムシュカの元に最初に訪れたのは、お気に入りの紅茶とスコーンを携えたレナだった。

 スコーンにはクロテッドクリームが欠かせないでしょ? と彼女が持参したのは、城下でも人気の高い天才パティシエが作る限定品である。


「ふぅ……茶葉の香りを邪魔しないほのかな甘さ、やはり私はこのくらいがいい」

「ほんっとうにムシュカは昔からクリームが好きですわよね。見張ってなければあっという間に瓶が空っぽになってしまうくらい」

「レナだってジャムを一瓶食べ尽くして、何度も侍従に叱られただろう?」

「あ、あれはまだ幼かったからですわ! 今はそんなはしたない真似、絶対にしませんもの!!」


 むきになる大公令嬢に、ムシュカは実に愉快そうに笑い声を立てる。

 もう、と頬を膨らませながらも、レナはどこか嬉しさを隠しきれないようだ。

 だからここ数ヶ月の行いを詫びるムシュカにも「元気になったのなら、それで良いですわよ」と余裕を纏った満面の笑みを返した。


「その、レナは……大公家は、あの事件には」

「関わっていませんわ。……とわたくしがいくら言ったところで、ムシュカは信じられないでしょう? 言葉には証拠がありませんし」

「それはそうだが」

「ですから、わたくしは声高には主張しませんの。全ては司法職が明らかにしてくれますわよ」

「……そうか、気を遣わせるな」

「当然ですわ、こう見えてもわたくしは未来の正室ですもの!」

「…………本当にお主は……何も変わらぬな」


 苦笑いを浮かべながら、ムシュカは紅茶に口をつける。

 穏やかな時間を彩る香気は、嗅ぎ慣れたはずなのにどこか懐かしく、切なさを伝えてくるようだ。


 恋心を隠すことも無く、ムシュカがヴィナを正室に指名しようがお構いなしに、真っ直ぐその気持ちを真っ直ぐにぶつけてくるレナの一途さとそれでいてさっぱりした性格は、いつもながら側にいて心地よい。

 きっと私がヴィナに向ける恋の形は彼女をどこかなぞっていると、どうやっても応えられない想いに少し申し訳なさを感じていれば「それで」とレナがずいと身を乗り出した。


「噂には聞きましたわ、何でも驚異的な回復は不思議な織物のお陰だとか……そんなにぐっすり眠れますの?」

「うむ、あれは凄いぞ。ブランケットにくるまった瞬間に夢の中だ、眠ったことすら自覚が無い。ただ」

「ただ?」

「何故か効果があるのは私だけのようでな……父上や母上も試してみたのだが、まあ普通に眠れただけだと」

「陛下や妃殿下はお元気だからではないですの?」

「そうかもしれぬな……つまりまだまだ私にはあの織物が必要と言うことか」


 よき夢も見られるしな、とどこか遠くを見つめながら話すムシュカの姿は、傍目から見れば往事の……ヴィナが存命だったころと変わらない。

 だが、レナはそんな様子にどうにも拭いがたい違和感を覚えていた。


(確かに元気にはなられましたわ。けれど……あれほどヴィナを想って憔悴されていたにしては、少々吹っ切れるのが早すぎやしなくて?)


 いや、もしかしたら自分の前だから無理をしているのかも知れない。ムシュカはどこまでもレナを含む国民を大切に想う王太子で、噂によれば不眠の原因もその肩書き故に悲しみを素直に出せなかったせいだと言うでは無いか。

 これでも自分は幼馴染みで、正室となる女(予定)なのだ。少しは素のムシュカを出してくれても良いのに……とどこかもどかしさを感じつつも「もう織物が無くても、寝られるのではなくて?」と紅茶に口を付けたレナだったが、続くムシュカの言葉に、その手がぴくりと跳ねた。


「いや、あれは手放せぬな。何せあのブランケットに包まって眠れば……夢でヴィナに逢えるのだから」



 ◇◇◇



「……どういう事ですの?」


 少しばかりトーンの落ちた問いかけに、多分ムシュカは気付いていない。

 それほど分かりやすく舞い上がった面持ちで、彼はこの一月の間続く泡沫の逢瀬を語る。


 曰く、東雲を模した織物と共に眠った夜には、必ず夢にヴィナが出てくるそうだ。

 夢の中の愛しい人はまるで今も生きているかのように振る舞い、ムシュカは毎夜彼と夢の中で食を堪能し、生前よりちょっぴり積極的になった彼との触れ合いを楽しんでいるという。


「ふふ、昨日は膝枕をしたのだ。あのヴィナが真っ赤に頬を染めながら、私の膝に頭をもたせたのだぞ! いや、あれは実に眼福であった、終ぞ叶わなかった夢が叶ったのだからな!」

「そう……ええ、それは良かったですわね」

「それにな、この間は……」


(……ああ。ムシュカの心は……何も癒えてはいない)


 回復した? とんでもない! とレナは彼の様子に愕然とする。

 蕩々と語るムシュカの瞳はあの頃のように輝いていて、真っ直ぐで……けれど、その先に自分は映っていない。

 いや、レナだけではない。今のムシュカの瞳にはきっと何の現実も映っていないのだ――


 部屋の中は通り抜ける風のお陰で涼しいのに、背中には嫌な汗が伝う。

 これではいけないと、レナはかつてない危機感を覚えていた。


 ムシュカはもう19だ。成人して4年あまり、本来ならば既に正室を娶っていてもおかしくない歳なのだ。

 だからいくら正室候補であった恋人を失ったとはいえ、政務に復帰するほどの回復を見せている以上、そろそろ正室選びの話が再燃してもおかしくない筈。なのに、一向に王宮から声がかからなかったのはこれが原因かと、レナは彼の様子にはっきりと確信した。


 彼は未だ、ヴィナの死を乗り越えられず。

 それどころか夢に逃げ込み、あれほど頑なに守り続けた王族としての責務すらおざなりにしかけている。けれどあまりに変わり果てた姿が衝撃だったのだろう、再び絶望のどん底で憔悴させてしまう危険を冒してまで、彼に進言する者はいないと見た。


「……ムシュカ」


 ならばと、レナは真剣な面持ちでムシュカを見据える。

 ここで未来の王を諫められなくて、何が正室候補だ。これほど聡明でよき王となるであろう幼馴染みの足を止めてはいけないと。


「レナ?」

「ムシュカ、あなたの気持ちは痛いほど分かりますわ。けれど……それは夢でしかありませんの」

「…………レナ」

「どれだけ愛しくたって、死んでしまった人には二度と会えない。二度と触れることは……叶わない」

「……」

「ムシュカ、目を覚ましなさいな。ええ、わたくしだって鬼ではありません、夢を見るなとは言いませんわ。それがあなたの心を安らげているのは、事実ですもの。けれど夢は夢、ヴィナのことは思い出として胸にしまって現実と向き合うべきです。この国の民のためにも……!」


 静かに、けれどきっぱりと、レナはムシュカを窘める。

 勿論その裏に、自分が正室の座におさまり、大公家の影響力を維持しなければならないという下心がないわけではない。ただ、それ以上に……夢に捕らわれたままのムシュカがあまりにも不憫で、そうして情けなくて。


(あなたは、民を置き去りにし夢に逃げ込むような弱い人ではありませんわ。ええ、わたくしはよく知っていますもの!)


 切なる願いを込めた言葉が、光の差し込む小広間に響く。

 だが、ムシュカの口から零れ落ちたのは、レナが求めた王太子としての彼ではなく――ただ一人の、恋に溺れた迷い子の慟哭だった。


「……今の私にとっては、ヴィナと逢える夢こそが現実なんだ、レナ」

「ムシュカ……!」

「すまない。王族としての務めを忘れたわけではない、だが今の私は……あの穏やかな逢瀬があるから、この現世に命を繋ぎ止めていられる」

「…………そう、ですのね……」


 どうか今だけは、私を王太子ではないただ一人の男として過ごさせて欲しい――

 そう言い残して部屋を出るムシュカの後ろ姿を、レナはただ、見守ることしか出来ない。


(……そんな顔、わたくしは一度も見たことがありませんもの)


 少しだけ寂しそうで、けれどどこか覚悟を決めたような彼の本当の気持ちはレナには計り知れない。

 だが、これだけは言える。もし同じ境遇に自分が立たされたときに、愛しい人に会える夢に拘泥しないと言い切れる自信は、レナには無いと。


「お願いよヴィナ。早くムシュカの心を解放してあげなさいな……」


 レナの祈るような呟きは、静かに閉じた扉に吸い込まれて消えていった。



 ◇◇◇



(事実を話したところで、理解はされまい。……レナには申し訳ないが、今はヴィナが最優先なのだ。なにせ世界を違えたとは言え、ヴィナは確かに生きているのだから……!)


 茶会を終えたムシュカは、あらためてヴィナの神として振る舞うことを決意する。

 せめて織物の効能を試して貰うことが出来るのであれば、レナには話が通じたかも知れない。だが、あの露天商が語ったまじないの力は、何故かムシュカにしか働かないらしい。


 それならば多少の誤解が生じたとしても、緊急性の高いヴィナの回復に専念したい――


「しかし、あの露天商は自分で試したと言っておったな。もしかしたら、効果の発動にも条件があるのか……? うむ、調べてみるのもひとつだな」


 なんにしても、今は目の前の政務を終わらせねばと、ムシュカは頭を切り替え執務室へと急ぐ。

 ……その背後には、彼の姿をそっと伺う影があった。


「殿下が回復されたのは何よりだが、よりによって奴が夢に出てくるだと? まったく……どこまでも目障りな奴隷上がりが」


 名前を口にするのも汚らわしいと言わんばかりに眉をひそめるのは、レナと同じくムシュカの正室候補であり、宰相家の御曹司でもあるダルシャンだ。

 その女性と見まごう相貌をぐっと歪めた彼は、茶会の席に控えていた侍従から聞き出した話に、すっかり機嫌を損ねていた。


「政務に復帰されて2週間になるのに、一向に正室選びの声が聞こえてこないと思ったら、まさか殿下が夢であやつに拐かされていたとはな……これでは父上が大枚はたいて東国の魔法使いを雇ったのが、水の泡ではないか!」


 ムシュカがあの奴隷上がりの粗暴な騎士に心を奪われ、実質的に宰相派を権力の座から遠ざける宣言をして以来、彼らは何とか王太子を翻意させようと奔走してきた。

 貴族達の賛同を取り付け、正式な婚儀の手続きを遅らせ、ダルシャンはそれまで以上にムシュカに接近し阿る……だが婚儀こそ阻めたもののムシュカの心が変わることはなく、事態を重く見たカルニア公はとうとう「実力行使」を決断したのである。


 結果、ムシュカの正室選びは見事に振り出しへと戻った。

 ――だがあれから4ヶ月もたつのに、白紙のまま事態は動く気配がなくて。

 ようやく貴族との謁見も再開したと聞いて様子を探れば、事態はとんでもない方向に転がってるではないか。


「これだから野盗を装うのはやめろと進言したのに……しかもよりによって、奴らは封印庫の宝物に手を付けただと? そんなもの、碌な事が起きないに決まっているであろう!」


 ダルシャンはカツカツと靴の音を廊下に響かせ、王宮の片隅へと向かう。

 あまり強引な手段は取りたくないが、仕方がない。王太子殿下におかれては、さっさとあの穢れた男の誘惑を振り払い、王族としての勤めを果たして貰わなければならないのだから。


「失礼、王太子殿下の部屋付のものはこちらに?」


 使用人詰所の扉を開けたダルシャンは、先程までの不機嫌が嘘のように柔和な笑みを湛え、談笑していたメイド達に話しかける。

 突然の貴族、それも美人と名高い宰相家の御曹司の登場に、詰所はわっと沸き立った。


「あ、あのっ、私が担当しておりますが……」

「そうか、実は折り入って頼みたいことがあるんだが」

「はっ、はいっ! なんなりと」

「ここで話すのも憚られるから、場所を変えても? ああ、すまないがこのことは……他言無用で」

「もちろんでございます!」


「邪魔したね」と手を上げ出て行く二人の後ろ姿を追った詰所の面々は、扉が閉まるなり大騒ぎである。

 これはとうとうダルシャン様が殿下にアプローチをかけられるのだろう、レナ様を出し抜くには実力行使も辞さないと言うことか――暢気に沸き立つ彼らは、別室に連れて行かれた部屋付のメイドが顔を青ざめさせていることなど、何も知らない。


「少々寝不足になるかもしれんが、このまま夢に絆されるよりはマシだ。殿下にはさっさと正室選びに本腰を入れて貰わないと、な」


 震えるメイドに金貨の入った袋を握らせその場を去って行くダルシャンの表情は、どこか鬼気迫るものがあったと彼女は後に語っている。



 ◇◇◇



 しかし、それから数日後。

 ダルシャンは金貨の袋と共に、思わぬ知らせを受けることとなった。


「ダルシャン様、私にはもう無理でございます! お願いします、お金はお返ししますしこのことは決して誰にも話しませんから、どうかこれ以上はお許しを……!」

「……よい、もう下がれ」


 真っ青な顔で頭を下げるメイドを憮然とした顔で見送ったダルシャンは、扉が閉まるなり「どういうことだ!?」と声を荒げた。

 その手には青筋が浮かび、思惑を覆された怒りに身体の震えは止まらない。


「信じられぬ……何をやっても処分出来ない布など、聞いたことが無い!」


 忌々しげに吐き捨てながら、ダルシャンはぎりと綺麗に切り揃えられた爪を噛むのであった。


 ――恐怖で顔を引き攣らせた涙目のメイドが語ったのはこうだ。

 あの日、ムシュカを惹きつけて止まない織物の処分を命じられた彼女は、後ろめたさを感じつつも金貨の誘惑には勝てずムシュカの寝室へと足を踏み入れた。

 そうして洗濯物を回収するフリをしてブランケットを持ち出し、確かに焼却炉に放り込んだというのだ。


「なのに! 次の日お部屋の掃除に参りましたら、あれが……寝台の上に戻っていたのです!」

「それは誰かが拾って持ち帰ったのではないのか?」

「それも考えました。だから次の日は麻袋に詰め込んで焼却炉に入れたのです。けれど、結果は同じで……」


 何度繰り返しても、織物は寝台に戻ってきてしまう。それも、灰だらけの中に放り込んだというのに新品同様の美しさで、だ。

 それならばと裁ちばさみでバラバラにしようと刃を入れれば、布地の感覚は無く。

 どれだけ力を入れようが、まるでそこには何も無いかのように刃は布をすり抜けてしまう――


「うそ、でしょ……なんで……なんで糸一本切れないし、煤すら付かないのよ……!!」


 目の前で火にくべても燃えることなく、泥水につけても汚れることなく。

 そうしてほんの一瞬、目を離した隙に……それどころか瞬きをした瞬間に、あの織物は目の前から消え失せ、ムシュカの寝室へと戻ってしまうのだ。


 王宮には昔の名残か、魔法やまじないと呼ばれる不思議な力を持つ道具はいくつか残っている。だからメイドも市井の民ほどそういった品への抵抗感はない。

 だが、いや、だからこそ、彼女は寒気と共に確信したのだ。


 ――これは人が触れてはいけない、何か恐ろしい呪いのかかったブランケットだと。


「……推測には過ぎないが、しかし……万が一、本当に呪いのかかった品であれば……殿下が危険だな」


 ひょんな事から発覚した事態に、ダルシャンは策を巡らせる。

 ここであの忌々しい織物の秘密を暴きムシュカの正気を取り戻せたならば、殿下の気持ちはともかく国王はその功績を讃えるであろう。そうなれば正室の座も近づくというものだ。

 幸いにも我がカルニア家は文官を束ねる宰相職を担っている。宝物庫の資料も簡単に手に入れることが出来るであろう。


 それにもし、万が一殿下がこのまま夢に耽溺していれば……


「……いや、今はよそう。まずは、これのことを調べねば……」


 奴隷上がりに現を抜かしている事以外は、あの方は未来の王として十分な資質を持っておられる。軽率な判断はこの国のためにはならないとダルシャンはかぶりを振り、善は急げとばかりに屋敷へと戻るのであった。

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