甘露の逢瀬(2/5)
「はぁ……食べたぁ……」
あの後結局3人前の鶏飯団子と茹で鶏をペロリと平らげた新太は、いつものようにその場でにごろんと横になろうとする。
現実世界において身体を横たえられるのはわずかな睡眠のひとときだけだが、ここではどれだけ食っちゃ寝しようが新太を咎める人はいない。夢を見れる時間は案外少ないのだ、少しでもダラダラして推しを眺めながら英気を養わねば!と姿勢を崩したその時「おや」とムシュカが声を上げる。
「珍しいな、ヴィナ。こちらの皿は食べぬのか?」
「……あ、ええと…………」
ムシュカが怪訝そうに手で示したのは、手つかずの赤い皿だ。
そこには山盛りのもやしが、先ほどの茹で鶏と同じ色をした醤油だれに浸かっている。
それを見るなり、新太は少しばつの悪そうな顔をして少しばかり逡巡し「実は」と口を開いた。
「その……俺、もやしはちょっと……」
「なんと、お主がか!? というかお主、好き嫌いなどあったのか!」
「あ、いや、基本的には何だって美味しく食べます! 食べるんですけど……もやしってなんというか、シャキシャキでもへにょへにょでもない、妙な食感じゃないですか。しかも水っぽくて味気ないし……これだけは昔から苦手なんですよ」
説明しながらその感覚を思い出したのだろう、新太は露骨に嫌そうな顔を見せる。
初めて見る表情にムシュカは(お主、食に対してそんな顔も出来たのか)と妙な感慨を覚え、しかしはてと首を傾げた。
「どうもお主の話すもやしは、私の知るこのもやしとは別物に聞こえるのだが……」
「え、そうなんですか……?」
「うむ、まあ一口だけでも食べてみぬか? このまま食べずに冷めてしまうのも勿体ない」
「う……」
神様の口調は穏やかだが、どうにも抗いがたい圧を感じる。それに……苦手と吐露したときのちょっとだけ寂しそうな顔が、何だか気になって。
これは食べないという選択肢は無さそうだなと悟った新太は「一口だけですよ」と念押しして、再び箸を手に取った。
(……どう見てもただのもやしだけどなぁ……ちょっと太短いくらい……?)
ええいままよ、と意を決した新太の口に、タレを纏ったもやしが吸い込まれていく。
あのなんとも言えない食感の記憶が脳裏に蘇るも、恐る恐る歯を立ててみれば……その食感は覚悟したものとは全く別物だった。
シャクッ
「…………え?」
歯触りの良い食感が、小気味よい。
自分の知るもやしとは別物だ、いやこれはもやしの定義が変わってしまうと感じるほどみずみずしくて、妙な臭みも感じられない。醤油だれと絡めれば、これまたご飯とは違った食感のお陰か、同じ味の筈なのに飽きずに食べられる。
見た感じ、恐らくこれはさっと湯がいたもやしにタレをかけただけのシンプルな料理だろう。素材が良ければ余分な調理は要らぬとは、よく言ったものだと思う。
「……もう、一口……」
口の中からもやしが消えれば、自然と箸が皿に伸びる。
タレを滴らせ艶めくもやしは妙な色気すら感じられて、まるで「食べて」と新太を誘っているかのようだ。
シャクッ、もぐもぐ……ごくん……
「神様」
「ん?」
「…………鶏飯団子のお替わりを下さい」
「そ、それは良いが……お主もう団子は3人前を平らげておるぞ? そんなに食べては腹が」
「夢の中なら食べ過ぎはありませんから!! ああもう、ご飯がメインディッシュかと思ったらまさかの伏兵ですよ、このもやし……まさに神の名を冠するにふさわしい!!」
「あ、ああ……ほら、お替わりの団子な」
新太の剣幕に押され、ムシュカは慌てて新たな皿を床に出す。
(それにしてもお主の世界は、少々神を安売りしすぎではないのか……?)
そんなムシュカの疑問は、さっきまでの嫌がりっぷりが嘘のように鼻息荒くご飯ともやしをかき込む新太の勢いですっかり吹き飛んでしまった。
◇◇◇
(まさか私が、恋人によってもやしと同列に語られる日が来るとはな。父上が聞いたら目を回してひっくり返りそうだ。……にしてもヴィナよ、お主がもやしを嫌いなはずがなかろう)
すっかりもやしを神に祭りあげてしまった新太を複雑な心境で見守りながら、ムシュカは心の中で独りごちる。
その表情は、まさかこんな所で『ヴィナ』の名残を強く感じるとは思わなかったと、どこか感慨深げだ。
(なんと言ってもそのもやしは、元北国領――ヴィナ、お主の故郷の名産なのだから)
クラマ王国の首都は美食の街として名高いが、それは新たに得た領土の食文化を貪欲に取り込み続けた結果であろう。
今新太が堪能しているもやしも、その一つ。元は北国領であったヴィナの故郷は名水の里として有名で、この清らかな水でしか育たない特別なもやしをクラマ王国伝統のタレで和えた料理は、瞬く間に近隣諸国から観光客が押し寄せる名物となったのだ。
つまり、ただでさえ食いしん坊で、そのうえ極上のもやしを食べて育ったであろうヴィナがもやしを嫌うはずがない。
そう……「美味いもやし」なら。
(全てを忘れているようでも魂に記憶は刻まれていて、現実の世界にも影響を及ぼしている、か……きっと異世界のもやしはヴィナの舌に、いいや、魂に合わなかったのだろう)
彼は決してヴィナであった頃の記憶を、そしてムシュカと過ごしたあの日々を、忘れてはいない――
この一月の間毎夜繰り返された逢瀬でヴィナの片鱗を何度も見出す度、ムシュカの心には少しずつ何物にも代えがたい安心感が、そして愛おしさが積み重なっていく。
私の愛しい人は、確かにここにいる。
今は食という形でその欠片を拾い集めて、彼をただ癒やしているだけだ。
だが、今はそれで十分。心配せずともこの逢瀬の果てに、きっと私達は再びあの頃のように心を通わせるようになると、私は既に確信しているから。
(そうだ、お主は本当に美味いものを、もっとたくさん知っているのだぞ? ……たんと食え、そしていつか……共に想いを交わしながら、同じテーブルを囲もうぞ)
いつしか空間に鳴り響く轟音は収まり、今度こそ「ごちそうさまでした……幸せぇ……」と恍惚の表情を浮かべて床に転がる新太。
彼が過酷な世界で止めてしまった足を一歩踏み出す日は、もうそこまで来ている。
◇◇◇
「しかしまさかヴィナよ、まさか鶏飯団子を手で食べるとは思わなかったぞ……」
「あはは……いや、お昼が食べられる日はおにぎり片手に仕事してますし、ついいつもの調子で」
「ふむ、お主の世界には手で食べる料理があるのか。それならまあ、ってお主今何と言った……!?」
「え、ああおにぎりですか? 普通の三角おにぎりですよ?」
「そうでは無い、お主まさか……ご飯を食べながら仕事をしているのか!!」
たんまりご飯を堪能した後は、大抵床に座り込み、もしくは寝転んで、とりとめも無い話をしながら過ごすのが日課だ。
最初の頃は美食の余韻に浸っていたのか、はたまた言葉を発する気力も無かったのか、ただ無言で転がっていることが多かった新太であるが、最近ではムシュカの問いかけにも少しずつ答えるようになっていた。
お陰で、愛しい人が暮らす異世界の過酷さも段々明らかになってきて、その度ムシュカは愕然とするのであるが。
「そんな、何かをしながら食事をするなど……ヴィナよ、それはあまりにも食を冒涜しているのではないか?」
「す、すみません……でも、ご飯で仕事が中断する時間も惜しくて」
「とはいえ一日の中では、ほんのひとときであろう? 命の源たる食をそのように粗末に扱って、力など出せはしまい。全く、我が国では奴隷であっても半刻の食事時間は決して欠かさぬと言うのに……」
食こそ命。ヴィナほどではないが、クラマ王国の国民は一日3回の食事に朝と昼と夜のティータイムは欠かさないのが基本である。
誰かと共に語らうもよし、一人静かに味わうもよし、だがそれはあくまで美食を堪能するという前提があってのこと。そんな仕事をしながら機械的に詰め込むものを、彼らは食事とは見做さない。
(……思った以上にお主の世界は修羅の国のようだな、ヴィナよ)
相変わらずやつれた顔も、元々剣を持たなければ気弱だったとは言えあまりにも低すぎる自己評価も、恐らくは異世界の過酷さに晒されたためであろう。
こうなれば現状を洗いざらい喋らせて、彼を心身共に健康にする方策を練らねばならない――
どこか戸惑いを隠せない新太の前で決意を新たにしたムシュカは、やおら彼に向き直り「ヴィナよ」と静かな声で呼びかけた。
ガラッと変わった雰囲気に、慌てて起き上がった新太の背筋がピンと伸びる。
――そう、折角今の自分はヴィナの「神様」なのだ。これを利用しない手はない。
「お主、他に私に懺悔することはないのか?」
「へっ」
「人が神にすることと言えば懺悔であろう? なに、私はお主を責めぬ。ただお主の罪を全て聞き届け、許すだけだ。ほれほれ、何でも良いからこの私に話してみよ」
「ええと……そんな急に言われても心の準備が……」
「そんな、準備を万端に整えて喋るものでもなかろう? ……ああ神に語りかけるには安らぎも必要であるか、それは配慮が足りなかったな」
何かを思いついたのだろう、ムシュカがその場で立ち上がる。
そうして小声で「……まじないの織物よ、ここに居心地の良い長椅子を作ってはくれぬか?」と試しに唱えてみれば、どうやら願いは聞き届けられたらしい、目の前にでん! と立派な3人がけのソファが降臨した。
「うぉっ!」
「うむ、良い大きさだ。座り心地も問題ない。……ほれ、ヴィナここへ」
「え……こ、ここ……?」
「何をしておる。ここだここ、私の太ももに頭を載せるが良い」
「…………」
ソファの端に腰掛けたヴィナは、ぽんぽん、と己の太ももを叩きながらにっこり微笑んで新太を誘う。
その光景に新太の頭が完全に思考を止めて、身体が固まって、十数秒後。
「へああぁぁぁ!? ひっ膝枕ああぁ!?」
推しの供給過多にオーバーヒートを起こした、新太の素っ頓狂な叫び声が部屋に響き渡ったのは、言うまでも無い。




