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神様は愛し子を餌付けしたい  作者:
第三章 甘露の逢瀬
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甘露の逢瀬(1/5)

 ――夢で麗しい神様に出会ったあの日から、どのくらい経ったのだろうか。


 あの頃はまだ残暑と言うには厳しすぎる暑さが続いていたが、最近ではめっきり朝晩が冷え込むようになったから、一月くらいは経っているのかな……と新太はぶるりと身体を震わせながら、オフィスの床に置いた寝袋の中に潜り込む。

 時間は午前2時半。パソコンの電源を落とせば、部屋の中は耳鳴りがするほどの静けさに包まれた。

 埃の匂いがここは職場だと突きつけてくるのがどうにも不愉快で、新太は無意識に顔を枕カバーに擦り付ける。


「ホントいつもさらさらだな……一体どんな加工をしてるんだろう。洗えなくても毎日新品の手触りが続くだなんて、メーカーが分かったら仕事着も下着も全部替えたいくらいだよ」


 頭を包み込むように敷いた枕カバーが、するりと頬をくすぐってくる。

 あれから新太は毎夜、どこにいようが眠るときにはこの不思議な織物を枕代わりにして眠るようになっていた。

 ちょっと枕カバーに手を合わせてから横になれば、その感触をじっくり堪能する間もなく意識は夢の世界に吸い込まれ……そして、どんな悲惨な一日も洗い流してくれるようなキラキラした時間が訪れるから。


「それにしても、この間のもちもち平麺海鮮焼きそばは絶品だったな……あんな真っ黒のソースを絡めてるのにあっさり薄味なの、脳がバグりそうで……はぁ、思い出すだけで涎がぁ……」


 正直あれから、自分がどうやって現実で生きてきたのかはほとんど思い出せない。

 そもそもここ数ヶ月は、ずっとこんな感じだ。この身体に満ちた深い霧は晴れず、時折気まぐれに頭の線が繋がるのか断片的なシーンを意識で知覚するだけ……

 まぁ相変わらず冷たい床を寝床にしている惨めさを見るに、クビにはならない程度の仕事はこなしているのかなと、推測するばかりである。


 ただ、そんな中でも。

 綿飴のような夢の中で美しい神様から授けられた、名前も知らない不思議な、けれどどこか懐かしさを感じさせる料理の味だけは克明に覚えている。

 ……自分は元来、あんな夢に見るほど食い意地が張っていたのだと、新太は改めて自覚する。食べ物に頓着する心は、とうの昔にすり切れたと思っていたのに。


「ホント、凄いものを貰っちゃったな……お陰であれからぐっすり寝られるようになったし……いつか、お礼を……」


 夜明けの色合いを持つ織物をくれた男性とは、あれから一度も遭遇していない。

 もらったはずの名刺は多分あの日の帰り道で落としてしまったのだろう、どこを探しても発見出来ず、終電に乗っても彼の姿はどこにも見当たらない。それではと織物の製造元を調べようにも、試供品だからか枕カバーにはタグすら付いていなくて、実は不思議な織物を貰った段階から夢だったのでは? と疑いたくなるくらいだ。


「……まぁ、またでいいや……」


 急速に遠ざかる意識に、新太は穏やかな高揚感に包まれあっさりと思考を放棄する。

 今日はどんな美味しい料理に出会えるのだろう……そんな期待を胸に抱いたのを最後に「神様」の待つ場所へと旅立つ新太の顔は、あの頃と変わらずやつれ果てたままだった。



 ◇◇◇



 しゃらん……しゃらん…………


 聞き慣れた金属の装飾品が奏でる音は、逢瀬の始まりを告げる合図。

 意識が浮上する感覚を覚えれば、新太は逸る心を宥めそうっと瞼を開く。

 そうすればいつも、青と白を基調にし金糸の刺繍を施した煌びやかな衣装に身を包んだ絶世の美女……いや、美男子が爽やかな笑顔で自分を出迎えてくれるのだ。


「来たか、ヴィナ」

「はいっ神様! 今日も最っ高に美しいです!!」

「ふふっ、当然だ。何たって私はお主だけの神様だからな」


 鷹揚に答える神様の声は威厳に満ちていながら涼やかで、思わずため息が漏れてしまう。

 自分が男の声に惚れそうになる日が来るとは思いもしなかったが、どこもかしこも自分の好みを具現化したような神様から出る声なのだ、自覚がなかっただけで自分は男性もいけるクチだったのだろう。


(……だめだ、これ以上見つめてたらあらぬところが元気になってしまう)などと不遜なことを考えながらも目を離せない新太を、神様――ムシュカはこれまたじっと見つめ返す。

 そうしてむぅと眉間に皺を寄せ「……お主はまったく……」と新太とは別の意味のため息を深々と零した。


「ちゃんと寝て……一応寝てはおるか、ここに来ているのだからな。だがその顔色を見るに、今日も『ぜりいいんりょう』とやらで食事をすませたな?」

「……えへ」

「えへ、ではない。どうしてお主は、腹が減っているにも関わらず飯を食わぬのか……」


 お陰で今日も床が揺れているぞ? とムシュカはやれやれといった様子で首を横に振る。

 そう、さっきからこの白い空間の中には立派すぎる腹の音が響き渡っているのだ。

 少し口をとがらせ仁王立ちでこちらを見下ろす神様に、新太は顔を真っ赤にして「も、申し訳ございません……」とその場に土下座しぺこりと頭を下げた。


 ――だが、ムシュカは気付いている。

 この男、口ではとてもしおらしいが、この件については全く反省をしていないということに。

 それが証拠に俯いた口の端は少し上がっていて、今にも涎が垂れそうなのが見え見えだ。もう頭の周りに期待という名のキラキラした物体が飛んでいるようにすら感じられる。


(ご飯を楽しみにしてくれるのは実にありがたいが……ここで食べるだけではお主の血肉にはならぬと思うぞ、ヴィナよ)


「まぁよい」とムシュカが苦笑すれば、新太は勢いよく己の推し神様を見上げる。

 その顔にはくっきりと「ごはん はよ」と書かれているようで、何とも餌付けのしがいがある愛し子よと独りごちながら、ムシュカは「ほれ、たんと食え」と床を指し示した。



 ◇◇◇



 ことん、ことん……


 ムシュカの声が聞こえたかのごとく、先ほどまで何も無かった床に突如料理が出現する。

 今日は赤い皿が3枚。ほかほかの湯気が新太の鼻をくすぐり、とたんにその顔をにやけさせた。


「あは、今日は鶏料理ぃ……」


 真っ先に新太の目を惹いたのは、骨ごとぶつ切りにした茹で鶏だ。

 低温でじっくりと火を通すことで、ふっくらと柔らかく茹で上がった鶏肉が、皿の上に鎮座している。そこに鶏のゆで汁とごま油を混ぜた醤油だれがたっぷりかかっていて、途端に甘じょっぱい香りが部屋中に広がった。


 その艶やかさだけでますますお腹が空きそうだと、この一月すっかり神様の料理に魅せられてしまった新太はゴクリと喉を鳴らす。これはご飯が無限お替わりになる未来が確定したも同然だ。

 一方隣の皿を見れば、今日のご飯はほんのり色が付いていて、しかもゴルフボール大の団子状になっているではないか。


「へぇ、おにぎりみたいなものかな……」

「あ、こらヴィナ」


 どれどれ、と新太は米団子を一つ口に放り込む。

 団子状だから餅米なのかと思ったら、どうやら普通のご飯だったようだ。噛みしめれば団子は口の中でほろりとほどけ……次の瞬間、かすかな塩味と共に濃厚なうまみと香りが新太の脳を直撃した。


「っ、これ……鶏スープで炊いたご飯なんだ! そりゃ美味いよな!」


 思わず感嘆の声を上げた新太は、目を輝かせて再度皿に手を伸ばす。

 が、その手はムシュカにより「まったく、行儀が悪いぞ」とあえなく制された。


「えっ、神様?」

「…………そうだな、知らぬのも無理はない。ヴィナよ、それは手で食べる物では無いのだ。こうして」

「あ、ちょ」

「団子を潰して、茹で鶏のソースを絡めて食べる」


 貸してみよ、とスプーンとフォークを手に取ったムシュカは、ヴィナの目の前で団子を潰し茶色いソースをたぱりとかける。

 そうして茶色を纏ったご飯をスプーンに掬うと「ほれ」とヴィナの口元に差し出した。


「え」

「この方がもっと美味い。ほら、口を開けぬか」

「は、はえっ!? ……あ、あーん……」


(えええ嘘だろ、かっ神様が手ずから俺の口にご飯を、そんなあーんってどうしよう俺こんなの食べたら尊さで爆散するんじゃ!?)


 内心パニックになりながらも、麗しき推しがその清らかな手で差し出してくれたものを断るなど出来るはずも無く、新太は顔を真っ赤にしながらおずおずと口を開ける。

 そうしてぱくりとスプーンにかぶりつき……次の瞬間、これ以上無いほどに目を見開いた。


「っ…………なんだこれ……ほっぺが落ちてしまう……!」


 凝縮された鶏のうまみを閉じ込めたご飯に、これまた鶏ベースのほんのり甘い醤油だれが絡まる。

 噛めば噛むほど、肉を食べているわけでもないのに鶏の風味がじわりと染み出てきて、鼻に抜けていく鶏と醤油の香りに脳が蕩けてしまいそうだ。

 確かに茹で鶏自体も極上の一品だ、柔らかな肉を噛みしめた時にほんのり感じる甘味が堪らない。そう、堪らないのだが……まさか鶏肉を目にして、ご飯がメインディッシュだと断じる日が来るとは。全く世界は広い、そして神様の料理はとんでもない。


「ああ、今日の疲れが洗い流される……もう俺、幸せすぎてここの床のシミになっちゃう……」

「溶けてしまうのはどうかと思うが、お主が幸せだと私も嬉しいぞ、ヴィナ」

「ううぅ、何と勿体ないお言葉……神様っ俺もう一生あなたに付いていきますっ! 俺の最推しの座は永久固定です!!」

「……う、うむ……ここは喜んでいいところなのだな……?」


 いつも通り鶏飯団子と茹で鶏を実に美味そうにせっせと頬張る新太を、ムシュカは穏やかに微笑みながら眺めている。


(鶏飯団子の食べ方すら覚えていないのに……食べっぷりはあの頃のまま、か)


 例え記憶が無くなっても、そして過酷な異世界の生活に晒されても、この魂から食事への情熱は決して失われていないようだ。

 少しずつでいい、どうか現実の世界でも食を楽しみ元気になって欲しい……そう切に願う気持ちは、初めて夢の中で出会った日から変わることが無い。


 だが、今日はムシュカにとって少々特別な日になってしまった。

 何たって


(……しかしあのヴィナが……私が差し出したご飯を素直に『あーん』しただと……!?)


 生前終ぞ叶わなかった望みが一つ、あっさりと叶ってしまったのだから!


 共に過ごしていた頃のヴィナは、それはそれは奥手な青年だった。

 婚前交渉は言うに及ばず、ありとあらゆるスキンシップを「殿下にそのような畏れ多いことはできませぬ」「俺の心の準備がまだ……」と頭のてっぺんまで真っ赤にしながら生娘のように涙目で拒むほどには、初心で堅物な騎士様だったのである。

 ……敢えて清廉だったとは言うまい。そんなヴィナとて人並みの欲は持っていることを、ムシュカは同じ床の中で何度も目撃しているのだから。


(神相手なら、ますます不敬であろう?私の感覚ではもっと遠慮をしそうに思えるのだが……いや、ヴィナの世界では神と人とは思った以上に近しいものなのかもしれぬな)


 王太子と近衛騎士、生まれながらの王族と奴隷上がりという圧倒的な身分差は、いくらムシュカが気にしていないと諭したところで、かつてヴィナの心に知らず重くのしかかっていたであろう。

 しかし皮肉にも記憶を無くすことでそんなくびきから解き放たれ……た筈なのに、神と人間というもっと圧倒的な身分差を自ら築き上げ、なのに照れながらも心から嬉しそうに神様の「慈悲」を堪能する姿に(なるほど確かに異世界とはよく言ったものだ、常識がさっぱり分からん)とムシュカは混乱を覚えながらも、うっかりすれば顔が緩みそうなほどの歓喜を胸に抱き「お替わりはいるか?」とヴィナに尋ねるのだった。

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