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第3王子だけど目が覚めたら婚約者の公爵令嬢になっていた

 あれ、ダイゴローがいない……?


 寝るときはいつも横にあったはずのモフモフの相棒が見当たらなくて、俺は寝ぼけたまま手であたりを探る。


 やっぱり見当たらない、ベッドの下に落としたのかな。

俺はあくびをしながら大きく伸びをする。


 意識がはっきりしてくるにつれて、おかしいのはダイゴローだけじゃないことに気づいてきた。

モスグリーンで統一された寝具に、ベルベットのカーテン。


 俺の部屋ではない。


 それに、さっきから足元が落ち着かない。

よく見ると、薄いワンピース状の服……寝巻き? を着させられている。


 ふと手を見てぞっとした。

細くて、妙に白い……なんだこれ、病気か?


 ここはどこだ?

いったい、俺の身に何があった?


 ベッドからおそるおそるはい出ると、すぐ横にあるドレッサーの鏡が目に入った。


 そこに写し出された姿に思わず固まる。


 ゆるくウェーブがかかった亜麻色の髪に、同じ色の切れ長の瞳……髪は乱れているし、化粧をしていないせいか普段より幼く見えるけど間違いない。

鏡の中、あっけにとられた顔でこちらを見ているのは、ひとつ年下の婚約者……公爵令嬢のイザベルだった。





 規則正しく3回ノックされて、ドアが開く。


「イザベルさま、朝食のお時間……っていや、なにやってんの?」


 部屋に入ってきたのはおそらく侍女だろう。

驚愕の表情でこちらを見る彼女は、今の俺には救いの主のように感じられた。


 俺は寝間着のまま泣きそうになりながら言った。


「たすけて……全然わかんないの、服も、髪形も……」


 女子の服なんてアカデミーで毎日見てるはずなのに、いざとなるとどれを着たらいいのか、華美すぎないか、地味すぎないか、考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

髪型も全然うまくいかないし、そもそもイザベルが普段どんなふうにしてたのかも思い出せない。


「ああもう、朝のクソ忙しい時間に……服なんてなんでもいいだろ……」


 侍女はブツブツ言いながら身支度を整えてくれた。


 刺繍が入ったミントブルーのワンピースと、編み込みを入れた髪にはレースのリボンを飾る。

みるみるうちに仕上がっていく鏡の中の自分を見てたら、なんだかものすごく気分が上がってきた。


 女の子ってこんなに楽しいんだ!


「可愛くしてくれてありがとう!」


 笑顔で身をひるがえした俺は、ワンピースのすそを踏んで思いっきりコケた。





「イザベル……あなた星まつりの夜、いったいどこに行ってたの?」


 朝食の席で公爵夫人ことお母さまがじろりとこちらをにらむ。

知るかよ、俺に聞くな。


「そんなの、どうでもいいだろ」


 俺の態度が気に入らなかったのかお母さまの語気が荒くなる。


「しっかりして頂戴よ! だいたい、リック王子は他の女の子と一緒だったらしいじゃない……あなた達、大丈夫なの?」


 え、俺……?

突然出てきた名前に動揺が隠せない。


 すみません、他の女の子といました。


「もういいじゃん、遅刻しちゃうしはやく学校行こ」


 横から助け船を出してくれたのは妹さんだった。

ありがとう! 今度内緒でなんか買ってあげるね。


「ごちそうさま!」


 俺は手を合わせると準備もそこそこに、足早に家を出た。





 俺はリック、この国の第3王子だ。

今はイザベルになってしまっているが。


 なんでこんなことになったのか、どうやったらもとに戻るのかわからないけど、とにかくボロを出さないようにイザベルを演じなければいけない。


 裾を踏まないように気をつけていたらやたら時間がかかったが、どうにかアカデミーにたどり着いた。


 アカデミーには俺もいるはずだ。

何か、解決の糸口になればいいんだが。





「ごきげんよう、イザベル」


 校門で女子学生に声をかけられた。

よくイザベルと一緒に行動している子だ。

名前は知らないけどすごい巨乳だから覚えている。


「ごきげんよう」


 俺もあいさつを返す。

ちょうどよかった……このまま2年生の教室まで連れていってもらおう。


「ごきげんよう」


 教室でまた女子学生とあいさつを交わした。

この子のことはよく知らないが、イザベルはよく3人で行動してるのでおそらくその片割れだろう。

彼女たちを便宜的に『巨乳』と『じゃない方』と呼ぶことにする。


「なんか今日、いつもと違うね」


 じゃない方に言われて俺はドキッとする。


「え、そう?」


 じゃない方は頷く。


「なんか、いつもはキレイ系なのに、今日はなんか子供っぽいっていうか、そんな格好もするんだって感じ」


「ああー、私も思った」


 巨乳が同調する。


「あんまりイザベルっぽくないよー、いつもの大人な感じの方が絶対似合うって」


 笑顔で言われてなんだか気分がションボリしてしまった。

自分ではすごく可愛いと思ってたのに、似合ってなかったのか。


 少し気分が沈んだけど、よく考えたらクソどうでもよかった。

ちょうどそのとき教授が入ってきて、会話から解放されたことに少しホッとした。





 普段なら間違いなくメガ盛りだけど、イザベルがどのくらい食べるのかわからないからとりあえず大盛りにしておく。


 俺は午前の講義を終えて学食に来ていた。

例によってとりまきの2人も一緒だ。


「そういえば、この前の星まつりでリック王子を見かけたわ」


 じゃない方が言った。

またか……朝から俺の話が多くて心臓に悪い。


「例の蛮族と一緒だった」


 じゃない方は声を潜める。

蛮族……? サハラのことか?


「だめよ、イザベルの前でそんな話……」


 眉をひそめる俺を見て、巨乳がたしなめるように言った。


「リック王子が蛮族に構ってるのは単に珍しいからよ! 婚約者はイザベルなんだから、元気出して」


 巨乳が不自然なくらい明るい声で言うと、じゃない方は小さく笑った。


「でもさ、あいつ蛮族の国では一応王女さまなんでしょ? どうせリック王子の王位継承権なんてカスみたいなものなんだし、王子次第では結婚することもありうるんじゃないの」


 おい、俺の王位継承権がなんだって?

すっかり黙り込んだ俺を見て、巨乳はどこか楽しそうな声で言った。


「そんなに落ち込まないで……私たち、なんでも協力するから」





「どこに行くの?」


 食事を済ませたらさっさとひとりになりたかったのに、とりまきはいちいちついてくる。


「用を足しにいくだけだから」


「あら、それならご一緒するわ」


 じゃない方に言われてうんざりする。

便所までついてくるのか……イザベルはいつも3人で行動しているからよっぽど仲がいいのかと思っていたが、これではまるで監視されているみたいだ。


「うんこだから! マジで勘弁して!」


 振り返りざまに大声で言ったらさすがに黙った。

あっけにとられたように立ち尽くす2人を残して、俺は足早にその場を後にした。





 やっとひとりになれた。

昼休みをつかって俺の『本体』に接触したいというのもあったが、なによりこれ以上サハラの悪口を聞きたくなかった。


 サハラは一か月ほど前にアカデミーに編入してきた、1年生の女子だ。


 草原と馬の国から来たという彼女は、国の慣習で修道女のように髪の毛を布で覆って隠していた。

言葉がうまく話せなかったことと、その異質な外見からほかの学生となじめなかったらしく、サハラはひとりでいることが多かった。


 俺とサハラが出会ったのもそんなときだった。


「何してるんだ?」


 昼休み、校舎裏をフラフラ歩いていたら、ぽつりと座り込んでいるサハラを見かけて声をかけた。


「あ、わたし、コトバ、あまりわからない、です」


 サハラは困ったようにそれだけ言った。

その心細げな様子が妙に気にかかって、俺はサハラの隣に腰をおろした。


「俺、リック」


 自分を指さしてゆっくりと話す。


「君の、名前、教えて」


 サハラは最初戸惑っていたが、言葉の意味を理解したのかおずおずと口をひらいた。


「サハラ」


 そう言って笑ったサハラは、花が咲いたみたいに可愛かった。





 それから、俺はサハラといろいろな話をするようになった。

サハラに言葉を教えたり、サハラの国のことを教えてもらったりした。


「12番目の娘? そんなに兄弟がいるのか?」


 驚く俺にサハラは笑って頷く。


「はい、男が6人、女が18人、24人兄弟デス」


 遠い草原の国の話は俺の興味を引き付けてやまなかった。


「サハラも馬に乗るのか? 本当に?」


 この国にも馬に乗るのが好きな女はいるけど、サハラみたいにおとなしそうな子が馬を乗り回すなんて想像もつかなかった。


「ナゼナラ、草原、とても大きい。馬に乗る、普通、デス」


 サハラは懐かしそうな顔で言った。


「じゃあさ、今度一緒に遠乗りしよう! ふたりで馬に乗ってさ」


 王都を抜け出してサハラと馬を走らせる、考えただけでワクワクしてきた。


「草原の馬、一日にセンリを走りマス」


 サハラはそう言うと不敵に笑った。


「リックに、ついて来られマスカ?」





 イザベルに不満があったわけではない。


 親同士が決めた結婚ではあったけど、イザベルも俺に好意的だったし、美人でしっかり者だ。

いや、もっとぶっちゃけると貴族の令嬢なんてみんな似たようなものだと思っていた。


 同じような服を着て、同じような髪形をして、趣味はお茶か?

どうせだれでも同じなら、結婚相手になるイザベルにはやさしくしようと思っていたし、それなりに長い付き合いだから情もある。


 サハラは、恋人とか、結婚とかそういうのとは違う気がした。


 ただすべてが新鮮で、サハラともっと話したい、サハラのことをもっと知りたい、それだけで頭がいっぱいだった。


 サハラと一緒に星がみたくて、今年の星まつりはサハラを誘った。

別に婚約者と行かなければいけない決まりはないし、イザベルのことをないがしろにしたつもりもない。


 イザベルが、親や友達からあんなふうに言われてるなんて知らなかった。


 胸がギリッと痛む。


 イザベルも、サハラのことを蛮族と呼んで、悪口を言っているのだろうか。





 教室に『本体』の様子を見に行く前に、校舎裏に寄ってみることにした。

もしかしたら、サハラは今日も俺を待っているかもしれない。


 そこで見た光景に、俺は言葉を失った。


 本体とサハラが楽しげに話している。


 どういうことだ?

あれは、俺であって、俺じゃないはず。


 いままで本体の中身はなんとなくイザベルだと思っていたが、もしかして、あれも俺なのか?


 じゃあ、俺はなんだ……?


 もしあれが俺だったとしたら、俺は俺じゃなくて、イザベルで……いや、じゃあイザベルはどこに行ってしまったんだ。


 わからない、こんがらがってきた。

とにかく本体と接触するのは中止だ。恐ろしくなってきた。


 それにしても……サハラと話す本体は本当に嬉しそうで、なぜだか少し苦しくなった。





「待てよ」


 教室に戻る途中、廊下で声をかけられた。

話しかけてきたのは3年の男子学生、ロイドだ。


 商家の出身で、悪い奴じゃないが女性関係ではあまりいい話をきかない。

女の子をとっかえひっかえしているとか、人妻とつきあっているだとか……あくまで噂だが。


 イザベルと面識があるのは知らなかった。


「ひと晩かぎりの相手とは、目も合わせたくないってか?」


 ロイドの言葉に俺は固まった。


 今、なんて言った?


 言葉がでてこない俺の反応を違う意味にとったのか、ロイドは自嘲気味にため息をつく。


「いいよ、お前が忘れたいなら……もう一切関わらない」


 いや、そういうんじゃなくて、でもなんていうのが正解なのかわからない。


「じゃあな」

「待って!」


 思わず呼び止めていた。

ロイドは感情の読み取れない顔で振り返った。


「違うんだ、あの……」


 イザベルがどういうつもりでロイドと……寝たのかはわからない。

でも、俺が勝手に返事をしていいことじゃないのは確かだ。


「今はちょっと、何も言えないけど……」


 どうにも歯切れの悪い俺を、ロイドはまっすぐに見て言った。


「あの日言ったことは、全部本気だ……それだけ知っててくれればいい」


 ロイドは俺の髪に手を伸ばしかけて、思い直したように引っ込める。


「がんばれよ、お姫様」


 そう言い残して、ロイドは廊下を歩いていった。





 午後の講義はなにも頭に入ってこなかった。


 俺は今はイザベルだけどリックで、でも本体のリックはちゃんといて、そうなると俺が2人いることになって、いや、そんなことより、イザベルはどうしてロイドと……


 わからない。


 イザベルは、いったいどこに行ってしまったんだろう。





「ちゃんと渡してきたわよ、決行は今夜ね」


 放課後、じゃない方が楽しそうに言った。


「え、なんのこと?」


 俺が聞き返すと、じゃない方は少し苛立ったようだった。


「蛮族にきっちり話つけるって言ってたじゃん! リック王子に婚約者がいること話して、もう近づくなって」


 そんな話になってたのか……俺が黙っていると巨乳も諭すように同調した。


「私たち、イザベルのためにやってるんだよ。しっかりしてくれなきゃ困るよ」


 俺のため? 本当にそうか?


「リック王子の名前で西の廃墟に呼び出したから、あいつ絶対来るって」


 じゃない方が愉快そうに笑う。

何がそんなに楽しいんだ……俺の名前まで勝手に使って。


「2人は来なくていいよ、私、ひとりで行くから」


 そう言うと、2人は驚いたように俺を見た。


「どうして? 私たち、イザベルを心配して」


「そうだよ、イザベル、思ってることちゃんと言えないところがあるから……」


 2人は口々に言いたてる。

言葉とうらはらに、目はらんらんと光っている。


 心配なんて、してるのか?

本当はイザベルをけしかけて、面白がってるだけなんじゃないのか?

イザベルの裏に隠れて、気に入らないやつを攻撃しようとしてるだけじゃないのか?


「私のことだから、自分でどうにかしたいの。お願いだからついてこないで」


「ちょっと……なにそれ」


 2人はまだ何か言いたそうだったが、無視して俺はその場を離れた。





 夜になる前に西の廃墟に急ぐ。


 イザベルはサハラを呼び出して何をするつもりだったんだろう。


 本当に俺のことで牽制するつもりだったのか?


 俺のせいなのか?


 サハラと一緒にいると楽しくて、サハラのことをもっと知りたくて、きれいな景色を見せたくて……


 それが、イザベルを追いつめたのか?


 俺がサハラと星まつりに行った夜、いったい何があった?


 日が沈み切ったころ、森を抜けた先にある西の廃墟についた。


 そこには先客がいた。


 サハラと……本体だった。





 月が不思議な力を持つと信じられていた時代に、月の光を集めるために作られた神殿。

今はうち捨てられて、ただ廃墟となった姿を月が照らし出している。


 なんで本体がいるんだ? 俺は思わず物陰に隠れる。


「わたし、国に帰る、デス」


 サハラの言葉を聞いて胸をつかまれたみたいに苦しくなる。


 なんで……? そんな急に。


「わたしの、カゾク……一族? 男は戦い、女は結婚して、強くなった、デス。わたし、結婚するまで、勉強したい、ワガママ、言いマシタ」


 じゃあ、アカデミーに来たとき、もう結婚することは決まっていたのか?

サハラは広大な草原から、一族のしきたりから一時的にでも離れたくて、アカデミーに来ていたのか?


「リックは、優しく、してくれて、とてもありがたい、嬉しい、デス」


 サハラは寂しそうに笑った。


 嫌だ、これで終わりなんて。

まだなにも始まってないじゃないか。

ちょっと、校舎裏で話して、星を見に行っただけじゃないか。


 そう、遠乗りにだってまだ行ってないのに。


「スミマセン、約束守る、できない、デス」


 サハラはそう言うと何かを考えるようにうつむいた。


 しばらくそのまま黙っていたけど、意を決したように顔を上げて本体を見つめた。


「あの、リックに、お願い、デス」


 声が震えている。

きっと、すごく勇気を出しているんだろう。


「わたし、踊る、見てほしい、デス」


 そう言ってサハラは髪を覆っていた布をほどいた。

綺麗に波打った、驚くほど豊かな黒髪がするりと広がった。


「ホントは、旦那サンしか、見る、ダメ。これ……とても、悪いコト、デス」


 サハラはまっすぐ本体を見つめた。


「しかし、見て、クダサイ。ナゼナラ、わたしは、リックが、好き、デス」


 本体は何か言ったのか、何も言わなかったのか、ここからはわからないが、静かに頷いたように見えた。


 天鵞絨がすべるように、なめらかだが不思議と芯の通った動きでサハラは体をなびかせていく。

月の光の下で音のない調べを奏でる姿は、さながら夜空をわたる風のようだった。


 サハラが静かに動きをとめたとき、本体は駆け寄ってサハラを抱きしめた。


「美しい」


 サハラの国の言葉だった。


 サハラも、本体も、それ以上は何も言わなかった。


 風の音さえ止まってしまったかのような静けさの中、青白い月だけがあたりを照らしていた。





 俺はこんなところで何をしてるんだろう。


 サハラを呼び出していったい何がしたかったんだろう。


 明日にはサハラはいなくなってしまう。


 イザベル……


 戻ってこい。


 お願いだ、戻ってきてくれ。





 リックは私に優しかった。


 親同士が決めた結婚ではあったけど、折々には私に会いに来てくれたし、公式行事では手を引いてくれた。

婚約者としては、十分大切にしてくれていたのだと思う。


 リックのことが好きなのかはよくわからなかったけど、相手が彼でよかったと、そう思っていた。


 そんな中、まるで一陣の風のように彼女があらわれた。


 校舎裏で彼女と話しているリックは、見たことがない顔をしていた。

うれしそうで、どこか照れたような、愛おしくてたまらないような目で彼女を見ていた。


 それは、今まで見たどんなものより恐ろしい光景だった。

でも、目をそらすことはできない。


 草原の国から来た編入生に王子さまが心を奪われてしまった話は、瞬く間にアカデミーを駆け回った。


「かわいそうに……私たちはイザベルの味方よ」


 そう言った友達の口もとは、かくしきれない暗い喜びにゆがんでいた。


 うわさはいつの間にか家にも届いていた。


「あなたがちゃんとしてくれないと困るのよ! リック王子は別の女の子を気に入ってるらしいじゃない」


 もともと少し気性が荒かったお母さまはヒステリックに私を怒鳴りつけた。

どうやら、お母さまにとっては私は『ちゃんとしてない子』になってしまったらしい。


 私のまわりの、ちょっとした違和感とか、不自然とか、気づかないふりをしてやり過ごそうとしていたことが、目の前につきつけられたみたいだった。


 すべてはあいまいなまま、知らないふりをしていたかったのに。


 いつも一緒の友達に全然好かれていなかったことも、リックが私を全然愛していなかったことも、王子さまから愛されない私には何の価値もないことも。





 王子さまの婚約者がめずらしいのか、ロイドはよく私にちょっかいをかけてきた。

私は相手にしなかった。学生とはいえ婚約者がいる女性を誘うのは明らかにマナー違反だし、妙なうわさが立つのも嫌だ。


 すぐに飽きると思っていたのに、ロイドはしつこかった。


「めっちゃ好みなんだよ、デートしてよ、王子さまには内緒でさ」


 酒場の女の子でも誘うような、アカデミーに似つかわしくない軽い物言いはひどく粗野なものに思えた。


 リックと彼女のことがあった後、ロイドはぱったりと私を誘わなくなった。

『王子さまの女』じゃなくなった私には興味を失くしたのかと思っていたけど、今考えると彼なりに気をつかっていたのかもしれない。


 あの夜は、こぼれ落ちそうな星空だった。


 リックが彼女を星まつりに誘ったことは、嫌でも耳に入る。

星まつりが行われている丘には近寄りたくないし、だからといって家にいる気にもならなくて、ただ海辺を歩いていたらロイドと会った。


「お姫様、ひとりか?」


 ロイドの誘いを断る理由もなかった。

2人であてもなく街を歩きながらいろんな話をした。


 ロイドの隣は驚くほど居心地がよかった。

それは、ロイドがはじめからなにも取り繕わず、まっすぐ私に向き合っていたからかもしれない。


 気づいたときには、ロイドの腕の中で心も体も裸にされていた。





 吸い込んだ煙を体は異物と認識したのか、私は激しく咳き込んだ。


「ああ、吸ったことないんなら無理すんな」


 私の指先からとった煙草を吸うと、ロイドは軽く煙を吐いた。


「大丈夫か?」


 ロイドはそう言って私の背中を撫でる。

手のひらから肌の温かみが直に流れ込んできて、胸がざわつく。


 背中を撫でていた手は次第に肩にまわされて、いつのまにか私の体はすっかりロイドの両腕に包み込まれていた。


「俺にしろよ」


 耳元でロイドは言った。


「俺は王子さまじゃないし、家柄のこととかもよくわからないけど、絶対に、絶対にお前のこと大事にする」


 私は身じろぎもせず、ただロイドの言葉を聞いていた。


「その、身分がどうとか、ナントカ爵がどうとか、どうでもいいんだ。裸のお前が、ただの女のお前が欲しいんだ」


 ロイドの低い声がからだ中に響いて、涙が出そうになるのを必死でこらえる。


「なあ、俺にしとけよ」


 全身を包む体温が心地よくて、負けてしまいそうになる。


 このまま、ロイドに全てを預けてしまえたらどんなにいいだろうか。

ロイドの胸で涙を流せたらどんなに楽だろうか。


 でも、ロイドは私の相手ではない。

この温かい腕の中は、私の場所ではないのだ。


 私は、ただの女になるわけにはいかない。





 月がさえざえとあたりを照らしている。


 リックが彼女を送って行ったあとも、私はしばらく廃墟で夜空を眺めていた。


 今日一日の私の行動は、周囲にはさぞかし奇妙にうつっただろう。


 大好きだったのに似合わないと言われて着なくなってしまったワンピースを引っ張り出して、髪型も思いっきり可愛くしてリボンまでつけた。


 言われるがままだったクソババアのヒステリーに反抗した。


 食堂でごはんを大盛りにした。


 友達に、思っていることをはっきりと言った。


 今までまわりの目を気にして知らず知らずのうちに自分をおさえていた。

誰が作ったのかもわからない『イザベル』の枠の中に自分を押し込めていたのだ。


 なんでだろう。


 誰に言われたわけでもない、私はもっと自由に、思ったように振る舞ってよかったはずなのに。


 もっと思ったことをちゃんとまっすぐ伝えていれば、友達とも違う関係を築けていたのかもしれない。

蛮族なんて言わずに、ちゃんと名前を呼んでいれば、彼女とだって仲良くなれたかもしれないのに。


 小さくため息をついて立ち上がる。


 帰ろう、あまり遅くなるとまたクソババアがヒスる。

家に帰ったらまた星まつりの夜のことを聞かれるんだろうか。


 いっそ、本当のことを言ってやろうか。

王子さまの同級生とワンナイトしてましたなんて言ったら、ババアは憤死するかもしれない。


 想像したら笑えてきた。


 リックのことが好きなのかは、今でもよくわからない。





 いつも通りの朝だ。

でも、サハラはもういない。


 サハラにとってはアカデミーの1か月が、最後の自由な時間だったんだろう。

貴重な時間を俺なんかに使わせてしまって本当によかったんだろうか。


 サハラは草原の国に帰って自分の役割を果たす。

1日に千里だっけ? なんか単位が違うからよくわからなかったけど、きっとすげえ速い馬で飛ばしたりするんだろう。


 幸せになってくれたらそれでいい。


 身支度を整えて部屋を出るとき、棚に飾ってあるクマのダイゴローと目があった。


 しっかりしろよ、そう言ってるようにも見える。


「行ってくるよ」


 俺はダイゴローの頭を軽く撫でると部屋を出た。





 昼休み、サハラがいないことはわかってるけど、なんとなく足が校舎裏に向かう。


 いつもの場所に行くと、イザベルが座り込んで煙草を吸ってたから死ぬほどビビった。

まさか彼女がいるとは思わなかったし、煙草を吸うことも知らなかった。


「一本くれよ」


 俺はそう言ってイザベルの横に腰を下ろす。


「全部あげる。吸ってみたけど、あんまり好きじゃなかった」


 イザベルはそう言って箱ごと俺に手渡した。


「なんでまた、煙草なんて吸おうと思ったんだ?」


 イザベルはふうーっと煙を吐いて言った。


「なんか、いろいろやってみようと思って。今までの自分だったら、絶対にしなかったようなこと」


「そうか」


 それで煙草か、なんかよくわからないけど、きっとイザベルの中では重要なことなんだろう。


 俺たちはしばらく無言で煙草を吸っていた。


 こんなふうにイザベルと2人きりになるのはすごく久しぶりな気がした。


「なあ、イザベル」


 軽く煙を吐くとイザベルを見つめた。


「なあに?」


「俺と、結婚してくれないか?」


 なんとなく婚約者ってことになってたけど、ちゃんと俺から言ったことはなかった。


「ええ、えええ?」


 イザベルは真っ赤になってうろたえていた。

おお、可愛いな。


「あの、はい、よろしくお願いします」


 うつむきがちに言ったイザベルの頭を俺は笑って撫でる。


「きゃあ! ちょっと、何を……」


 イザベルの反応がいちいち可愛くて、俺はそっと彼女を抱きしめた。

校舎裏に秋の風が吹き抜けていった。



 おしまい

 最後まで読んでくださってありがとうございます。


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