第2話 予期せぬ共演
僕の頭の中は一瞬で真っ白になった。誰かと一緒に弾くなんて全く考えてなかったし。しかも共演者はあの理人くん?全国規模の有名な大会で優勝するようなすごい人だ。隣に座っている理人くんは司会者に名前を呼ばれても表情一つ変えず、落ち着いてただ静かに座っている。僕の動揺をよそに、司会者は明るい声で続けた。
「皆さんご存知の通り、バッハの『二つのバイオリンのための協奏曲』は、二人のバイオリニストがそれぞれのパートを演奏しながら、時に美しく重なり合い、時に刺激し合う、とても素晴らしい有名な作品です。お二人の演奏が私も今から楽しみです!」
司会者が楽しそうに話している間、僕の心臓はドクドクと音を立てていた。理人くんと二人で演奏するなんて、想像もつかない。うまく合わせられるだろうか?僕が理人くんの足を引っ張ってしまうんじゃないか?第1楽章だけならまだしも、第3楽章までだって?!
今まで「やらされてる感」を抱えていたバイオリンが、さらに重いプレッシャーとなってのしかかってきた。
説明会が終わると、出演者たちはそれぞれの保護者と合流するために出口へと向かい始めた。僕も母さんの元へ行こうと席を立つと、隣にいた理人くんがゆっくりとこちらを向いた。
「光太郎くん、だよね?」
澄んだ、少し低めの声が僕の耳に届く。その声に、僕は思わず「は、はい」とどもってしまった。理人くんは柔らかく小さく微笑んだ。
「よろしくね。光太郎くんと一緒に演奏できるの楽しみだよ。」
理人くんの大きな瞳が、僕をまっすぐに捉える。その笑顔と予想外の言葉に、僕の胸の中にあった不安が、少しだけ和らいだ気がした。理人くんはそう言うと背を向けて歩いていった。
説明会が終わってから、僕の毎日はあっという間に過ぎていった。
バスケットボールの練習、そしてバイオリンの練習。いくら時間があっても足りないくらいだ。いつもバスケの練習後は友達と公園でしゃべったり、ファーストフード店で何か食べたりして寄り道するのが当たり前だったけど、それをやめてバイオリンの練習時間にあてることにした。正直なところ、自宅でのバイオリンの練習は面倒だなとしか思えなかった。
だけど、理人くんと一緒の練習は全然違った。
理人くんのバイオリンの腕前は、僕が想像してたよりもずっと凄かった。長い腕を目いっぱい使って弓を動かして出てくる音は、まるで歌ってるみたいに伸びやかで、優しく美しかった。隣で一緒に弾いてても心が震えた。もっともっと、理人くんのバイオリンの音を聴いてみたいって思った。
練習の合間にする理人くんとのなんてことない会話も楽しい時間だった。
理人くんのお父さんはドイツ人らしい。理人くんはドイツの文化や、彼がこれまで行ったことがあるヨーロッパの国のことを色々と教えてくれた。知らない世界の話は、僕の心をぐっと惹きつけた。僕がバスケの話をすると、理人くんはいつも興味津々に聞いてくれた。僕の話を真剣に聞いてくれて、それもすごく嬉しかった。
ある日の練習後、僕がバイオリンを片付けようとしていた時に理人くんが話しかけてくれた。
「ねえ、光太郎くんのバイオリン、すごく力強くて素敵だよね。バスケットボールで鍛えた体力とか集中力が、そのまま音に出てるんじゃないかな。僕にはそんな音出せないな。両方頑張ってる光太郎くんならではって感じ。うらやましいな。」
理人くんの言葉に、僕はハッとした。それまで、バイオリンとバスケはまったく別物だって思ってたから。周りからは「バイオリンを弾くのに手を使うスポーツなんてしていて怪我でもしたら大変じゃない?」とか「どっちか一つに絞って集中した方がいい」って言われることもあって、僕自身も中学生になったらバスケかバイオリンかどっちか選ばなきゃいけないのかなって、考えていたから。
でも、理人くんは、僕の中でバラバラだったバイオリンとバスケを繋げてくれた。僕が好きなもの、頑張ってきたこと全部を肯定してくれたみたいで、本当に嬉しかった。「やらされている感」があるバイオリンだって、これまで続けてこれたのはやっぱり好きだから。バスケもバイオリンもどっちも大好きで、やめたくない。そんな僕の気持ちを、理人くんはまるごと受け止めてくれた気がした。
それから、理人くんとバイオリンの練習をする時間は、僕にとってただ楽しいだけじゃなくて、かけがえのない大切なものに変わっていった。僕のバイオリンに対する気持ちも、少しずつだけど、確実に変わっていったんだ。気づけば、バイオリンを弾く楽しさが、だんだんバスケより上になってきていた。こんな風にバイオリンに夢中になれるなんて、以前は想像もできなかったことだった。