北ガリア軍の敗走
ローマ軍を少しずつ追い詰めていたガリア軍
ばき
ばき
森の奥を松明の川が流れている。
闇の中で兵士達が不満を漏らしていたが、いつの間にか静かに兵士達の歩く重みですでに砕け木片がさらに細かくなっていく。
オーベルニュの若者は悔しさを滲ませながら、重い荷物を持ち、振るうはずの長剣を鞘にしまってガルバに従い森を駆けていた。
どうしてこうなったのか。
連合軍が結集していることを逆手に取ってローマ軍に従うへドゥイ族の者達が北ガリアの部族の畑や集落を襲ったのだ。兵士達が出払っているところを狙われた。
別に驚くことではなかった。
ガリアの部族同士の争いでも、背後を襲うことはありうることなのだ。
しかし、まさかのタイミングに北ガリア連合軍は揺れた。
ヴェルチンは、その動揺をしっかりと分析してローマ人の総司令官ユリウス・カエサルこそ恐るべし、と思った。
ヘドゥイ族に早い段階で北ガリアの諸部族の背後を襲うように指示していたのだ。
そして、へドゥイ族はガリアとローマの戦いでローマに付いた。
これは、ガリア民族同士に亀裂が入ったことを意味する。
ユリウス・カエサルに入れさせられたのだ。
もう少し押せばローマ軍を撃破できたものなのに。
ヘドゥイ族がローマ側について攻撃をしたことは他のガリア部族は忘れないだろう。ヘドゥイ族はガリアの中でも最大級の規模を誇る大部族だ。彼らがローマ側に立ったとなると他にも追随する部族は現れるに違いない。部族同士が手を取り合ってローマと戦うことができなくなってしまった。
厳しい戦いだ。
ローマの底力なのか、ユリウス・カエサルの指導力なのかはたまた両方か。
オーベルニュの若者はそう思っていた。
後2、3日粘ればローマ軍は粘りきれずに敗退していたはずだ。
大軍を擁しても思った以上に手強いローマ軍を前に消耗戦を強いられて、各部族は、やる気を失いつつあったところへ、へドゥイ族による領土荒らしの報告が入った。
しかもその情報は数日前で、連合軍の取りまとめであったガルバは情報を掴みながら連合軍のことを優先して握りつぶしていたことまで判明する。それらが連合軍全体に暴露されたのだ。
ガルバは最初、些事である、ローマを駆逐することができればへドゥイ族も撤収する。
そう言ったが、他の部族の者たちは同じ捉え方はしなかった。
一部ではガルバはローマ軍と結託して各部族を売ろうとしている、などの噂まででてきた。そのためどれだけガルバと彼を信頼するものたちが叱咤激励をしても、各部族の戦士たちの信頼とやる気は取り戻せなかった。
やる気がないやつらは殴ってでも言い聞かせろ!
後少しでローマを撃破できるんだぜ。
会議の片隅に参加を許されたヴェルチンは腹立たしさを抱えながら各部族の代表を観察していた。
ガルバの謝罪を受け入れつつも、各部族の代表はローマ軍のことより自分の部族のことを考えていることが明白になってくる。
そのなかで、ガルバについて文句を特に言わなかった部族の代表が口を開いた。
「ローマ軍はもう要塞を作り上げてしもうてる。してわしらは攻めあぐねておる状況よ。ここはこの場に固執せんと、個々の部族の都に戻りい、ローマ軍が攻め入ったところを迎え撃っちゃどうじゃろうか?」
「そうや、大軍で身動きもきつい。しかも中途半端に集まってしもうた。地元だったらもっと力が発揮できろう。」
「ローマ軍を疲れさせ、我らは勝手知っとるところで守るんじゃな。」
「それはええ。」
「ローマ軍が我らの大軍を迎え撃てたのも、この地だったからじゃ。」
全員が自部族の領土に戻り、敵を迎え撃つことに賛成した。
こうして、諸部族からによる大連合は、解散を決定する。
しかも、解散の仕方が最悪だった。
「火急的速やかに、準備の出来次第、自分の部族に戻る。決行は敵が追ってこれない夜とする。」
となった。
ヴェルチンはガルバが怒りを堪えきれずに、やる気を失った部族の長を殴り飛ばし、気合いの抜けた兵士を殴り規律を取り戻すことを期待したが、部族を越えてガルバが他の部族の代表を殴ることはなかった。
会合を行った部族の代表たちは決定すると、互いの健闘を祈る、として笑いながら場を去っていった。
最後にその場に残されたのは、ガルバだけだった。
ガマガエルのような男は、初めて出会った時に感じた力強さもなく、幾分小さくしぼんだように見えた。
「あめえよ、ガルバ。」
ヴェルチンは男にそう言った。
「うるせえ、小僧が口出ししてええことじゃねえ。わしゃあ失敗してしもうたんじゃ。」
それだけを口にしたガルバの表情は苦渋に満ちていた。
ガルバの表情を見てヴェルチンは、
「ここまでローマを追い詰めて諦めたのか?」
苦しそうな連合軍の頭を睨み、それから呻き声をあげる。
「今までやってきたことは何だったんだ?」
「だまれ。」
「今までもガリアの血は流れてきたじゃねえか。これからも流れるぜ。それを止めるための戦いだろ。ぼんくらどもに言ってやれよ。30万の大軍でも叩きのめせねえローマ軍を、部族単位の軍団で戦って勝てるわけねえだろ。」
「うるせえ。各部族の要塞都市に引き込めば勝てるかもしれねえ。」
「適当なこと言ってんじゃねえよ。ローマ軍は要塞に閉じこもって戦ってすらねえんだぜ。しかもやつらの技術は相当だ。要塞を1か月もかけずに作ってしまうんだからな。」
「だまれっていうとろうが。」
ガルバの行き場のない怒りが、拳となって、ヴェルチンに飛んだ。
すばやく避けたつもりだが、立派な体躯の若者はよけきれず、よろめく。
「それを他の部族の馬鹿どもに見せてやってほしかったぜ。」
それだけ言うと天幕を出ていった。
ヴェルチンは思い出しながら、悔しさがにじみ出た。
その後、日が落ちるとともに、準備もほどほどに各部族が撤退しだした。
これは撤退じゃねえ、敗走じゃねえか。
そう思わずにいられないくらいに秩序のない撤退となった。
ガルバの下で、秩序だった動きを見せていたはずのスエシオス族の者たちですら、あわてふためき自領に戻ることを優先していた。
負けた。
ローマ軍に
ユリウス・カエサルに。
そう思った。
その動きはローマ軍にもすぐに伝えられることになった。
ついにガリア軍を敗走させたカエサルは次にどのような手を打つのであろうか。




