北伊三州総督
北イタリアにある属州3つを統べる総督になったカエサルは、事前に属州3つとその北に広がる広大なガリアの地への理解を深めようとしていた。
年を越え、カエサルはついに執政官から退任した。
多くの人から祝福と感謝の言葉をもらいながら。翌年の執政官にバトンを渡す。
養父にもあたるピソとポンペイオスの配下だったガビニウス。さらに法務官、護民官もほとんどが新時代派からの選出だった。
クロディウスという過激で攻撃的な若者を護民官にさせ、彼の怨念の相手、キケロを含む門閥派をけん制するように指示を出していた。
すでに次の年の執政官もポンペイオス、クラッススと話をして絞りこんである。新時代派が元老院、民会をも抑え込めるだろう。
さらにカエサルとその身内しか知らないインゴド、ザハを中心とした情報部の存在、そして組織として成熟してきたおかげで、公的な情報と別でカエサルは逐一ローマの状況を把握し、指示ができる。カエサル自身が遠く離れた地にいたとしても、コントロールができる体制になっていた。
冬が通り過ぎる時期がさしかかり、カエサルも属州に赴く準備をはじめた。
その間もカエサルは常にエピステラから最新の情報を受けていた。カエサル自身が細かく把握できていなかったガリア、と呼ばれる地域の詳細を理解し、想像以上にゲルマニアに接するガリア東部の雲行きが怪しくなってきていることを感じる。
そのため、総督カエサルの指揮下となった軍団を例年よりも早めに準備をさせることにした。
ローマの執政官が属州総督の旅に出るのだ。豪華に送り出すことが恒例行事だった。
祝いや祭りを派手にすることでも知られたカエサルは、とりわけ豪華に送り出してもらうつもりだった。
3日に分けて祝いの席を設けて、多くの人を招きいれ、同行する者たちを紹介する。そして自分とポンペイオス、クラッススの関係者、新時代派に関心を寄せる人たちにも参加してもらい、新時代派の権力を見せつける狙いもあった。
しかし、そのお祝いの会をする前に、情報部から決定的な緊急連絡が届く。
「ヘルベテ族が移動の準備に入った。族長会議で新しい土地に移動することが決定した模様。その数30万人。」
この知らせを受けて、カエサルは動くことを決意した。
「最速をもってガリアに向かう。」
「カエサル様、出向に当たっての式典はどうしましょう?」
「悪いが参加できない。とはいえ日付も変えられないね。ピソに任せてピソの就任祝いとカエソルの無事を祝う会にしてくれ。」そう元執政官は残念そうに召使に伝えた。
本当に残念だった。
だが、状況を聞いたカエサルは先を急ぐことを優先すべき、と判断する。
「せっかく華やかな宴を準備したのに。」そうダインやジジには少しだけ愚痴を言ったが他の者の前では毅然と「ガリアの懸念を最優先すべき。」と鋭く言い放った。
そこで緊急でカエサルと同行する予定の者たちが急ぎ集められる。
属州にいくための十人以上にも及ぶ者たち。その中には護民官としてカエサルと共に門閥派と対決したラビエヌスや、クラッススの息子プブル、カエサルが今までに関わった実力のある司令官候補たち、親族関係にある者たち、そしてそのほか以前からのカエサルの知人、愛人たちに頼まれてカエサルの下で属州統治を学ぶための若者たちの姿が多かった。
必要な者たちがそろったことを確認すると、誰も見送る者がいない状態も気にせずにカエサルは母アウレリアと数人の見送りの者に挨拶をすると、前執政官の旅立ちとはわからないくらいに地味に北イタリアに旅立っていった。
貴族の子弟も多いため、旅路は馬による走破となる。
カエサルは馬を駆るのが上手い。
子供のころから馬を扱うことは天才的だった。裸の何もつけていない馬にさえ乗りこなすことができて、傍から見ていると、カエサルは馬と話をしながら走る、と言われたくらいに。
そのため、自分でも自重してそれなりの速度で走っていたつもりだが、多くの者はゆっくり走るカエサルについていくのでさえ、精いっぱいだった。
「カエサル様、付いてこれない者たちがいます。」とジジが言う。
「これでもスピードは落としている。付いてこれない者たちには、ジェノヴァで待っていると伝えてくれ。」
「わかりました。」
そう言って気遣いのできる侍従であるジジが遅れがちな者たちにも伝言を伝えに動いた。
ローマ街道に沿って走るため、迷子になる可能性は極めて低い。
時間がかかっても道なりにいけば着けるからだ。
数人が遅れをとったが、なんとか無事に全員ジェノヴァに到着した。
北イタリアの属州の都市ジェノヴァに到着したところでカエサルはクラッススから話を通してもらっていた地元の大商人の歓待を受ける。
急ぎではあったが、慣れない馬での走破に疲れ切った人たちを休ませる必要もあったため、ジェノヴァで
休みを取ることにした。
カエサルたちのために疲れを癒す宴会が催される。
その日、催された宴会で大商人を通して様々な人と話を楽しんだカエサルだったが、宴の後半で一人の男がカエサルに寄ってきた。
「カエサル、私です。ロボスです。」
そこにはうっすらと青年の面影がある剥げた中年の男が立っていた。
「ロボス、久しぶりじゃないか、こちらで働いているのかい?」
男は、カエサルが20歳になる前にエフェソスに逃避行をしていた時代、共にローマのアシア属州のために戦った仲間だった。
その投げかけにロボスは、悲しそうな表情で首を振る。
「いいえ、何とか宴に通させてもらっただけです。こんな時に申し訳ない。なんとか私も部下の1人にしてもらえないだろうか?」
「私を頼ってきてくれたのかい。」とカエサルは真剣に聞き返す。
「ええ、この年になって恥ずかしいことだが、あなたしか頼る人がいない。」
「そうか、いいだろう。」と即答した。
即答したカエサルに驚きの表情を見せて疲れた感じの中年は、
「カエサル、いいんですか?」と聞き返した。
「もちろん、我が戦友ロボスの頼みだ。」と言って笑顔を見せた。
ロボスはその言葉に嬉しさがこみあげてきて、笑顔になる。
「だが、ロボスよ。私はレスボス島攻略の時と同じくらいの大冒険をする。それくらいの覚悟で属州に向かっている。君にあの時と同じくらいの覚悟があるかな?」
疲れきった感じの中年はその問いかけに、真剣な眼差しで答える。
「もちろん。カエサルとまたあの時のような冒険ができるなら、どこまでも付いて行くでしょう!」
声に勢いがついてきて顔にも力強さが漲る。
カエサルはその返事に満足そうに笑って、ジジとダインに盃を持ってこさせた。
周りにいるメンバーにも盃を行き渡らせて、ロボスを紹介する。
「彼は私が若い時代に、レスボス島の攻略戦で活躍した戦士ロボスだ。私と共に戦おうと手を挙げてくれた。彼のような苦楽を共にして経験豊富な戦士が加わってくれることを待っていた。ありがとうロボス。」
そう言って乾杯した。
こうして落ちぶれていた昔の戦友が一人仲間になった。
その後カエサルはロボスから借金もあること、妻から離縁されたことなど苦労した話を聞く。そして一通り話を聞いた後、カエサルはロボスの借金も肩代わりした。
もちろん、国家予算を超える借金を抱えるカエサルである。自分の借金の額がかすかに増えただけだった。
それから新設する予定の軍団の軍団司令官の1人に任命した。これにはロボスもさすがに大丈夫か聞き返して来たが、カエサルは気にした風もなく、私の縁故で来る貴族の若者も軍団司令官にさせている。彼らが過ちを犯さないように、そして私の作戦を疑いなく実施できるように陰でサポートしてほしい。
そう言った。
ロボスは、レスボス島での偵察、攻略戦でのカエサルの電撃作戦を思い出して、
「わかりました。若者たちがひるむようだったらカエサルを信じろ、と言って叱咤激励をします。」
その言葉にカエサルも笑顔で答える。
「頼むよ。今回は4個軍団に指示がしっかり届くか、は私の心配事の一つだったんだ。」
ロボスは、真剣に、任せてください、と言った。
「やったな、ロボス。」そう声をかけたのはダインだった。共にカエサルのその時には無謀とも感じられた作戦のなかで共に戦った仲だった。
そして、思い出しながら口にした。
「前はレスボス島だったけど、今度はガリアからイリリアにかけて5年間。ブレーキのない馬車で道なき道を走り続けよう。戦友よ。」と皮肉を込めて言う。
それを聞いてカエサルをよく知る人たちは笑った。
横で聞いていたジジはカエサルの人使いのうまさとダインの皮肉のレベルがどんどんあがって行くのを感じて微笑ましく思った。それでも共に戦ったロボスの復帰はうれしく、カエサルの話が終わるとロボスに久しぶりの挨拶と、司令官着任おめでとう、という言葉をかけた。
予想以上の役割に緊張した感じのロボスだったが、ダインやジジと昔のように話をすることができて感極まって涙を流す。最後はカエサルも含めて全員でロボスにこれから頑張ろう、と慰めることになった。
カエサルはその後、宴のなかで属州内で、ラビエヌス、バルブス、プブルに集めれる限りの兵士を集めて軍団にするように指示した。軍団を編成してジュネーブに来るように指示した。
ロボスもその新設の軍団の指揮に回ることになった。さらに何人かの縁故採用の若者たちも軍団司令官、副官として手伝うことに決定した。ジェノヴァの大商人も巻き込まれてしまい手伝いをすることになった。
新設の軍団と遠方にいる軍団をジュネーブに集合させるように指示したカエサルは、ラビエヌスたちと別れて再び旅足を早める。
アルプス山脈の通り道である街ですでに編成されている第10軍団と合流して一路ジュネーブに向かった。
カエサルは驚きの速さでなんとか一軍団を引き連れてジュネーブに入った。
一軍団6,000人を率いてジュネーブに到着したカエサルは、ガリアの大部族であるヘルベテ族に対してどのような対応をしていくのだろうか?




