新時代への準備
属州から帰還したばかりのカエサルだったがすぐに動きだす。
まずは自分の抱える情報部「エピステラ」への指示と
クラッススに会うことを先に行う。
瘦身の男は、久しぶりに帰ってきたローマで、友人、知人に歓迎されて大きなパーティーを行った。
1年ぶりのローマ帰還ということもあって、カエサルを支援する者たち、友人たちが多数集まった。
1日行われたパーティだが、夕方を過ぎたあたりで皆が疲れてきたころに本人はパーティーをこっそり抜け出して隠れ家に向かった。
夕方、ローマの街の喧騒にまぎれて1年ぶりの隠れ家に入り込んだ瘦身の男は、浅黒いひょろっとした男を見つけて声をかける。
「やあ、久しぶりだね。インゴド。」
「はい、久しぶりですね。カエサル。」特に焦る様子もなく返してきたのはカエサルの情報部「エピステラ」の取り纏めをしているインゴドだった。
昔、情報部と呼ばれていた時から時間が立ち組織としての規模も大きくなったため、カエサルが命名したのだ。エピステラとはラテン語で「伝達」を意味する。
その「エピステラ」の現在の長、インゴドは門閥派の重鎮カピトリヌスの情報屋の1人だったが、カエサルがその能力を買ってひきぬいた。
今やそのインゴドが情報部をとりまとめているのも不思議なものだ。
そう思いながら、カエサルは自分が伝えるべきことを口にした。
「私はローマへの帰還と合わせて執政官に立候補してきた。」
インゴドは一瞬止まって、カエサルを見ていう。
「一歩前に進まれるんですね。」
カエサルは頷きながらいう。
「だが、今の状態で私は執政官になれると思うかい?」
すぐにインゴドは答える。「厳しいでしょうね。」
「そうだろう。君の考えを聞きたい。」
浅黒い肌の男は主人となって久しい瘦身の男の眼をみていう。
「あなたが立候補をすることを知った門閥派はすぐに動き出すでしょう。あなたを執政官にしないために動くとなると今回の候補者は手強い者になるでしょう。ビブルス、マルケリヌス、アエノバルブスなど有力者を出して来るでしょう。背後には門閥派の強力な後押しが出てきます。彼らを蹴落とすのはむつかしいので、強力な仲間を作る必要があると思います。例えば英雄として帰還した後に軽視されつづけて未だに条約の発効も兵士への恩賞も確定されることができていないポンペイオスを引き込む、など。」
インゴドの話を聞きながら、カエサルは頷いて言った。
「そうだろうな。そこで私も対策をすることにした。今の体制を覆すほどに大きな秘策が必要だ。」
「カエサルの秘策ですか。それはワクワクしますね。」
「ふふ。期待してほしいね。」
それ以上は言わないカエサルを少し待ってインゴドは聞き返した。
「教えてくれないのですか?」
「案は固まったが実践できるかはこれからなんだ。」
「わかりました。何か私ができることはありますか。」
「この案は私次第だからね。ちょっと君の意見も聞いておきたかったんだ。明日、クラッススに会いに行く。門閥派の動きを注視しておいてくれ。」
「クラッススは最近はずっと本邸にいるようです。門閥派は活発に回っていますね。特にキケロ、カトーの若手の2人が。」
すでに先を読んで動いてくれているインゴドのこういったところはありがたい、とカエサルは思った。
「では、私もすばやく動こう。明日、落ち着いた時間帯にクラッススのもとに向かうとしよう。」
「わかりました。それだけですか?」
「ああ、何かあるかい?」
「ユリア様がカエサルを探していますよ。どこかで早めに会ってあげてください。」
「わかった。この件が決着したらユリアに会おう。明日、クラッススに会って話をしたら明後日にはアルバに向かうとしよう。」
「アルバ。やはりポンペイオスを動かすつもりですね。最近はあの方はおとなしくされているようです。」
「ああ、そうだね。後は「エピステラ」のメンバーに護民官になりそうな候補者の洗い出しを頼んでおいてくれ。できるだけ早く候補者のリストを作成するんだ。そして護民官のうしろについている人物か組織かもさぐっておいてくれ。」
「かしこまりました。」
インゴドは頭を下げてカエサルの元を離れた。
カエサルの構想はあまり見えてこないが、ローマ最大の金持ちで執政官の経験もあるクラッスス組むかもしれないし、英雄ポンペイオスと組むということなのかもしれない。エピステラの長はわくわくする思いだった。いつも期待を超えることをしてきた主君だ。今度も今までにないことをしてくれるに違いなかった。
十分に広さをとってあるはずの幅広の布で覆われた椅子から尻がはみ出しそうなほどに身体の弛みが増えてきた男は洗い息を吐きながら、椅子になんとか座りこんだ。
その白い太ったマルクス・リキニウス・クラッスス。体格が良く、戦士顔負けの勇猛さと商人として計算高い頭を持つ彼は、自分の前に久しぶりに現れた痩身の借金餅の男が予想以上に多くの金を持ってきたことを喜んでいた。
「ガイウス、俺はお前を信じていたぜ。なかなかな量だ。」
「ありがとうございます。クラッスス。」
「で、わざわざ来たってのは借金を返却しに来ただけじゃないだろう。何か相談事があるんじゃねえのか?」
「ふふ、さすがクラッスス。話が早い。私は来年の執政官候補に立候補しました。」
「ああ、俺も聞いたぜ。しかし、ちと厳しいんじゃないかい。いくら庶民に人気のガイウス君とはいえ、門閥派の連中は反対だろう。」
「ええ、しかし門閥派に言いようにやられていては、元老院も機能不全というもの。門閥派に対抗しうる力をクラッスス、あなたと私で作りましょう。」
「おいおい、お前ヒスパニアに行っていて現状認識甘くなっているんじゃねえか?」
厳しくカエサルの反応を見ると笑顔のままだ。
「それとも何か秘策があるのか?」
「あります。ポンペイオスを仲間に引き入れましょう。商人、騎士階級を代表するクラッスス、最近まで遠征していた兵士達を代表するポンペイオス、ローマの一般市民を代表する私。3人が同盟すれば、門閥派を越えられます。」
クラッススは沈黙した。
「俺をもう入れてやがるのか、だが、その案は数合わせとしては悪くねえ。門閥派の連中、今は増長しやがってこっちの提案を全て受け入れねえ。奴らを慌てさせることができるだろう。俺も腹が立っていから話にのってやらないでもない。だが、それには条件がある。」
「あなたが訴えている税制改革案ですね。」
「ああ。ふっふ。話がはええな。」とニヤリと笑った。
「ガイウス、そこが調整できるなら、いじけてアルバの別荘に引きこもっている間抜けで腐った英雄を引きずり出して来てみな。お前の腕の見せ所だな。ポンペイオスを引き入れることができれば、俺も必ず仲間に入ってやる。」
「では、楽しみに待っていてください。次は3人で会って話をしましょう。」
「気が早えよ。」と眼を輝かせて笑いながら言った。
そして、
「奴さん、ムチアの件でお前を嫌っているぜ。」
カエサルは理解した、と頷いて、クラッススに礼をしてその場を後にした。
ムチアとは、カエサルが愛人にしている1人で、元ポンペイオスの妻だ。ポンペイオスが遠征に行く前から、そして行ってからも互いに会っていたことが発覚してポンペイオスから離縁させられたのだ。
そんな状態だからこそ、門閥派もカエサルとポンペイオスが手を取るとは想定していなかった。ただ1人を除いて。そして、ポンペイオスとクラッススが同盟することも同じように互いに嫌い合っていたため、同盟をするとは考えられていなかった。
属州から帰ったカエサルは自分がすることを決めていた。
そして自分がすることを実現するために、まずはクラッススを説得し、
次にポンペイオスのもとに向かうことにした。