元老院の策謀
平和と安定の時代。
そして英雄ポンペイオスの時代が来るはずだったローマは、そうならなかった。
ポンペイオスの影響力を恐れた元老院が、反ポンペイオスに動いたためだった。
重々しい雰囲気の中で、10人程の元老院議員が集まって議論を行っていた。
人好きのする顔でローマ史上最高の弁護士として名を上げ、元老院の中でも大きな力を持つようになったマルクス・トゥッリウス・キケロは余裕の表情を見せながら机を囲った仲間を見て笑顔を見せて言う。
「カエサルは民衆派の期待です。そして、彼自身、民衆の期待に応えようと活動してきた、そう言えるでしょう。私たちはそれをみているだけで良いのでしょうか。いや、民衆派を勢いづかせてはいけません。その意味でも彼を執政官にさせてはならないのです。なあに、我々は一年前、人気絶頂であったポンペイオスでさえ抑えることができた。カエサルを抑えることも難しいことではない。」
参加した多くの者たちが納得の表情をする。
集まった者たちは、元老院の中の門閥派と呼ばれている。
元老院が権力を持つことで共和制ローマは安定する、という主張を持って議員たちから支持され強力な権力を持っている者たちだった。
1年前に海賊一層作戦を遂行し、ローマに反旗を翻していたポントス王国を鎮圧、西方の諸王国をことごとく沈黙させた英雄ポンペイオスが凱旋した時、ローマはポンペイオスを独裁官に、というくらいに民衆が熱狂した時があった。
それを、搦め手で押さえつけたのは彼らだった。
ポンペイオスが制圧した地域に約束した条約をあいまいにし、ポンペイオスが約束した兵士への褒章を放置しつづけ、ポンペイオスがローマの民衆に挨拶をする晴れ舞台を、声が聞こえにくい会場で、騒々しい音を立てながら実施するという悪意に満ちた行動で、庶民の一時期の熱狂を冷まし、ポンペイオスの権威を地に落とした。
ポンペイオスも自分が元老院に歓迎されていないことを察知して、何とか元老院に理解をしてもらおうと努力をしたが、門閥派の動きは早く、すべての扉を絞められたポンペイオスは政治と民衆への失望で、別荘に引きこもっていた。
これこそが門閥派が自負する大成功事例だった。
それに比べて、借金王の女ったらしであるガイウス・ユリウス・カエサル。
民衆派の星であり、反元老院であることは明らかな彼を抑え込むことなど難しいことではないと誰もが考えていた。
「そうだな。警戒はしつつも、1人で自暴自棄にさせてカテリーナ事件のようになっても困る。カエサルにはずっと民衆派の星として、そこそこ奮闘してもらう、くらいがちょうど良い。」と静かに言ったのは元老院の長老の1人カピトリヌスだった。
「真の貴族精神の持ち主として芸術、文化を理解しうる仲間として私は過剰な負荷を彼にかけるのは元々反対だ。時々お茶を共にし、議員の一人として議論を交わすくらいがちょうど良い。」そう笑いながら、カエサルを蹴落とすことに反対はしなかったのは重鎮であるルクルス。
「皆さん、奴を良いように過大評価しすぎですよ。あの男はローマの若者達に悪い影響を与える腫瘍のようなものです。あらゆる手段で取り除くべきです。奴がカテリーナのような反逆を企てる前に排除しましょう。」
腹立たしさを隠さずに叫ぶように言ったのは学者のような風貌のカトー。カエサルより少し若い清廉潔白の士として、若手の論客として名を高めている男だった。
「カトー。君が彼を嫌っているのは、君の従姉妹が彼を好きになったせいだろう。すでに彼に篭絡されてしまっているじゃないか。個人的な感情を置いて彼の価値を見たまえ。彼は民衆に人気がある。その人気者を排除するよりも適度に使うことを考えるべきだ。そして、人気者とは常に周りの人たちに気を遣える人物なのだよ。そこが付け入るスキとなるんだ。」
諭すようにキケロが言う。
「さて、その問題のカエサルだが、ヒスパニア・ウルキオルより帰ってきて来年の執政官候補として立候補の手続きを行った。」
カピトリヌスの話に全員が一瞬、静まる。
「凱旋式を行わないで、執政官になりたい、ということかな。彼が凱旋式をするとさぞかし素晴らしいものになるではないかと楽しみにしていたのだが。」とのんびりとした意見を言ったのはルクルスだった。
その年、カエサルは属州ヒスパニア・ウルキオルのさらに奥地の蛮族を制圧しており、ローマにて凱旋式を開催する権利を取得していた。
凱旋式はローマの男子にとってあこがれであった。ローマの敵を滅ぼした証としてローマ市内でその日を祝う祝日にして凱旋した将軍を祝うものである。派手好きのカエサルだ。誰もが凱旋式を選ぶと思われていた。元老院としても市民が喜ぶ凱旋式をあげることについては反対をしていない。だが、凱旋式をあげると、その年の執政官に立候補できないというルールを変更することはしなかった。どちらかを取る必要があり、カエサルは執政官に立候補することにした。
「奴が執政官にならないよう他の候補者を支援しましょう。」とすかさずカトーが言う。
「カエサルの影響力は強いが、彼の立候補でどれくらいの票が入るだろうか。」という疑問の声も上がる。
「執政官になって、女ったらしの借金持ちの采配を見てみても面白いかも知れないな。」と余裕を見せたのはルクルス。
「いや、過去の言動を見ても何をし出すか分からないから、阻止しましょう。執政官は我らの息のかかるもので抑えておくべきだ。」と他の有力議員が言った。多くの者が頷く。
カピトリヌスは頷きながら言った。
「よろしい、カエサルが執政官にならないようにこちらで有力候補を出そう。それとは別に彼は今回落選しても立候補し続けるだろう。彼自身をコントロールできるように我々はカエサルを懐柔することもしていかなければな。キケロ、君はカエサルともよく話をしている。会って彼の考えなどを聞いて懐柔できる要素がないか確認しておいてくれ。」
「わかりました。ヒスパニアでの話も聞きたかったところです。早めに話を聞いてみましょう。」
キケロは笑顔で快諾した。
その一方でカエサルを責めたいカトーは憮然としていたが、それ以外の者たちは全員が賛同を示して会議は終わった。
カエサルをある程度、脅威に感じつつも、自分達で十分に押さえ込める自負が感じられた。
ポンペイオスでさえ抑えられたのだ。カエサルを抑えることはそう難しいことではない。
実際にこの一年で門閥派の権威、権力は増大していたから誰もがそう信じていた。
執政官に立候補したカエサルだが裏ではカエサルを執政官にさせないように工作が動いていた。
凱旋式を蹴ってまで執政官になることを目指したカエサルは初めての執政官になることができるだろうか。