父の悩み
執政官としての1月目のカエサルが実施したかったことはすべてできた。
そして、一時の休息の間に、護民官に指示したこともできている。
順調だった。ひとつのことを除いては。
瘦身の男は、酒を飲みながら大きな悩み事を抱えて、目を閉じて考え事を整理しようとする。
「はあ。」と重い溜息をついた。
ローマの改革については、順当だった。やりたかった最初の2つを実施できた。これからについてもいまのところ順調である。
カエサルの頭を悩ませているのは、身内のことだった。
「カエサルの旦那、どうしたんっすか?」
若い居酒屋の店員がそう声をかけた。
ここは最近バルブスが見つけてきた新しい居酒屋だった。店主はカエサルの支援者の血縁であり、応援の意味も兼ねて店に寄ってほしいと言われていたのだ。
さほど大きくもないが喧騒から少し離れた2階の立地と、少し値の張る価格、ガラスとタイルの壁飾りなどこだわりを感じる部分など既存の店と比較して斬新でカエサルの興味をそそった。酒をのみむ。
「ここの酒は旨いな。それでも私の悩みを蕩けさすほどではない。それくらい私の悩みは深いんだ。」
「うーん、褒められているんすかね?けなされているんすかね?」若い店主はカエサルの言葉に反応していう。
「褒めているのさ。私の悩みが深いんだとおもってくれ。」
「そりゃまた執政官様の悩みなんてむつかしすぎてわからないですが、旦那が民に良いことをしようとしているってのは評判ですぜ。」
「ありがとう。もっと良くしたいと思っているよ。」
「おお、楽しみっす。」
「ふふ、楽しんでくれ。今後のこともだいたい決めているからね。もっと熱狂してもらえると思うよ。ところで君は結婚をしているのかい?」
「へえ、してまっさ。」
「そうか、恋に落ちて一緒になった類かな?」
「相手がいいとこのお嬢さんだったんすが、少し気が弱く行き遅れていたんでさ。身分が違ったけど、向こうの両親も喜んでいただいたんでさ。」
「ほう、身分違いか。どう違ったのかい?」
「こっちは田舎の農民崩れ、相手は民衆派の貴族の血筋なんでさ。貴族と言ってもかなり血筋は薄く財もないということですけどね。それでも父には最初は怪訝な顔をされましたがね。あっしは裏表ないのが取柄で、それを知ってもらってからはとんとん拍子でさあ。」
「そうか、それはうらやましいな。」
「最初に父親と会って結婚の話をするときは、どんな気持ちなんだろうね?」好奇心を持ってカエサルが話を広げる。
「そうですね。自分に自信があるかといえば、彼女を好き、と言う部分以外はなかったんで、そこを強く押していきました。もちろん、不安いっぱいでしたが。」
「もし、自分に自信があればどうだったろうか?」
「もちろん、もっと堂々とできたと思います。でも、養父を見ていると、それよりも相手が自分の子を幸せにしてくれるか、というところが一番きになるんだと思いますよ。実際、うちも養父に後からそう言われましたからね。」
「なるほど。」
そのあともカエサルは店員の話を真剣に聞いて時に頷き、時に疑問を投げかけていた。
そのうち飲食が落ち着いたカエサルと店員の話しは終わり、店員はそれまで放置していた他の客の相手に取り掛かり、カエサルたちはゆっくり酒を飲むことにした。
横にいたバルブスはカエサルに、なんでそんなに気にするんです?と聞いた。
カエサルはあまり口にしたくないようで、横にいたダインが笑いながら、「ユリア様のことを考えているんだよ。」と言う。
「ユリアと話し合いをしようと思っているんだ。」ダインに言われて自分の考えていたことを口にする。
「相手がポンペイオスなら願ってもない良縁ですよ?そんなに悩むものでもないでしょう。」とバルブスが言う。
時代はバルブスの言う通りだった。良縁があれば貴族の女子は父の命令に従って嫁ぐ。それによって繋がった互いの家門の繁栄を願うのが当たり前だった。
「家のこともわたしのことも気にする必要はないんだよ。私は私の力で道を切り開ける。後はユリアが幸せになれるか、が問題だ。」
「それにしてもポンペイオスなら問題ないでしょう。」
「父より年上の旦那になるんだぞ?」
「カエサルらしくもない。恋も愛も当人たちが決めること、なのではないですか?」
横からジジが入ってきて言った。
その言葉には皮肉はなく、自分を振り替えさせるものがあった。
カエサルはジジに「そうだな。その通りだ。」と言った。
「ユリア様は心を決めているように感じます。」
「ああ、私が迷っていただけだな。」
こうして心を決めたカエサルはユリアと会って2人で話をしようと思った。
いつも思考明晰で、止まることなく前に進もうとするカエサルの判断が鈍る数少ない課題の一つに側に使えている皆が微笑ましく思っていた。
気持ちが整理できたカエサルは店主に再び話しかける。
少し雑談を楽しんだ。
「今度、赤子が生まれるんで仕事もがんばるっすよ。」
「おめでたいな。お祝いを私からもお送りしよう。」
「ありがとうっす。」
若い店主とのやりとりを終えて、ジジに居酒屋の店主に祝い金を送るように指示して、楽しく酒を飲んだカエサルは少しだけ気が晴れたような気がして、店を後にした。
自分の意思よりもユリアの意思を尊重する。
カエサルは自分が今までそうしてきたように、個人を大切にすることを決定し、
ユリアと話し合うことに決めた。
 




