想い出話の夜
娘のユリアを失った。
カエサルは過去にない衝撃を受けて、寝込む。
誰が彼を立ち直らせるのだろう。
重い。
眼が開かない。
開きたくない、と思っているからだろう。
少しずつ眼に力を入れて、痩身の総督はゆっくりとまぶたを開いた。
部屋には優しい光が注いでいる。
まだ夢の中なのだろうか。
先ほどまでの夢を思い出す。
小さな子供だった時、自分の叔父が、大叔父の指示で処刑台に連れていかれて、磔にされて処刑されるまでをまじまじと見ていた自分を遠くから眺めている。
泣いていた自分は、どこかで叔父を誰かが助けてくれる、という期待を捨てていなかった。
大叔父が、笑ってカエサルの肩を叩いて、
「驚いただろう、カエサル。」と言って自分を驚かせようと大きな芝居をしたことを笑って説明する。
そんな時間が来ることを待っていたが、帰ってきたのは首を切られた叔父の身体と底から飛び出した血しぶきだけだった。
それからカエサルはやっとベッドの上で横に寝がえりをうち、現実を思い出した。
葡萄酒を飲んでも、酔いきれない。
いつもなら少しほろ酔い気分になっていくはずなのに。
カエサルは自分の右手を伸ばして、物を掴むようなしぐさをした。
私は、やっといろんなものを手にしてきだしたのに。
掴んだ、と思ったら手からするりとぬけていく。
ユリアが死んだ。
少し小生意気なことを言ってきた小さなユリア。
私の可愛い娘、ユリアが。
偉大なるポンペイオスと会って話をしても少しも怯まなかった私のユリア。
キケロから美の極致であると褒められて、すまし顔で聞いていたユリア。
パーティでの挨拶で多くの男たちを魅了させて固まらせてしまったまだ少女だったユリア。
カエサルが酔っ払い遊び回って数日ぶりに家に帰っくると、待っていて怒るユリア。
長い旅から帰ってきた自分をみて、紹介もしていないのにパパと言って笑顔を向けてくれたユリア。
さまざまな娘との思い出が頭をよぎり、今やローマの英雄となりつつあった痩身の総督は再び涙を流し布団の中にもぐりこんだ。
2日も過ぎたであろうか、まだ布団から出てこないカエサルの部屋に、ダインとジジだけが入ってきた。
「カエサル、そろそろ動きましょう。」
ジジが直接的に言った。
主の反応はない。
「ユリア様のことを3人で話しましょう。」
そう言ったのはダインだった。それにあわせてジジも席に座り勝手に高級な葡萄酒を開けて盃に入れだした。
「ユリア様は素晴らしい人格者だったなあ。カエサルがいくら遊んでも常に叱る、ことをあきらめなかった。」そう言ってダインは少しだけ葡萄酒を口にする。
するとジジは、
「ああ、私も大好きだったさ。だがユリア様はお転婆でもあったし気も強い一面を持っていらっしゃったな。どんなことがあったかというとだな、ダイン私が聞いた話によると・・・」
「なんだいそれはもうちょっと大きな声でしゃべってくれ。」
2人は小声でぼそぼそと喋っていた。布団にくるまっていたカエサルには聞こえない。
「そんなことがあったのかい?」
「ああ、そうだ。さすがユリア様だね。」
2人の会話はユリアの思い出に特化していた。
「私はユリア様がポンペイオスに嫁いでから、ポンペイオスを振り回していた話をいくつか知っているぞ。」ジジが自慢気に言う。
「へえ、それは聞きたいな。ではジジの話を聞いたら、私は幼少の頃のユリア様の話をしてやろう。」とダインが言う。
「分かった。共にユリア様のことを語ろう。」
2人は互いを見て頷く。ちらりと布団にくるまったカエサルを見たが、何にも動じることがないと思っていた主人はピクリとも動かない。
「では、まずは私から話をしよう。」
「いや、まて、小さなユリア様の話から、少しずつ大人になっていくほうがよいだろう?」とダインが親友でもある小柄な男に言った。
「それもそうだな。」
「ああ、では小さなユリア様に乾杯だ。」
2人の男は乾杯をした。
「ユリア様は美しくて聞き分けの良いお嬢様だった。少なくとも最初私はそう思っていた。我々がちょうどエフェソスから戻ってきたときから少し経った時だからまだ5歳くらいだっただろうか。私はユリア様が奴隷たちに言い聞かせているのを見たんだよ。」
「本当に?そんな小さい時に?」
ダインが話をはじめた。
「ああ、ユリア様は奴隷が幼いユリア様を傷つけることを恐れて裁縫は自分たちの仕事だから、と言っていたのだが、ユリア様はまったく引かずに、自分も裁縫をしてみたい、と言ったんだ。すると奴隷が困惑して困っているので、『あなた達が心配しているのは、私がすることではなくて、自分たちが怒られることでしょ?でも、私は失敗しないし、失敗をしたとしたらお父様にもお母様にも私が報告をするわ。だから教えてちょうだい。そうでなくてはあなたが私の指示に従ってくれないと言いに行くことになるわ。』そういって裁縫を教わったのさ。」
肩をすくめて小さくジジは笑った。
「言いそうだな。確かにそういったしたたかさももっていらっしゃったよ。」
そう言いながらカエサルの布団を確認する。
「ユリア様はカエサルを超える天才だったかもしれない。そう感じたこともある。」
「馬鹿、声を小さくしなよ。カエサルは寝ているんだからな。」
「そうだな。」
そう言いながらカエサルの布団を見て、再び向かい合って、2人は再び喋りだした。
今度は声は限りなく小さくなって内容は聞き取れなく、ただ喋っていることだけがわかる。
そして少しすると2人が再び笑いあった。
「私にも聞かせろ!」
布団と吹き飛ばしてカエサルが起き上がり、長年連れ添った2人の従者に言った。
「それはいいですね。一緒にユリア様のことをしゃべりましょう。」
「ちょっと酒とつまみも持ってこさせましょう。すぐには終わらないですしね。」
2人の側仕えのやさしさを感じながらカエサルは少しだけ笑顔を見せる。
それからすぐに葡萄酒と各種つまみ、そして焼かれたパンなども持ち込まれた。
3人は葡萄酒を飲みながら、ユリアの思い出を語り美しく賢い娘を偲んだ。
それは長い時間を共に過ごした3人だからこそ過ごせた思い出話の夜だった。
カエサルは側仕えの2人に救われた。
そして再び前を向いて歩きだす。




