ポンペイオスの時代
領土を拡大したローマは、内憂外患の状態だった。
繁栄してもよいはずの国は、貧富の差が拡大し、多くの人々が厳しい生活を余儀なくされていて、一部の者たちだけが繁栄を享受していた。
時代は未だ輝かしい未来を見せていなかった。
混乱の時代は終わった。
全ての外敵を偉大なる英雄が退け終えた。
ローマは陸も海も安全に移動することができ、多くの属州から人々が富を求めて集まる。
ギリシャの栄光も、アレクサンドロス大王の奇跡をも超えて、国家ローマは平和と繁栄の時代を迎える。
誰もがそう信じていた。
元老院の長老たちを除いて。
そして時代は未来に向けて動きはじめる。
壮年になった美男は、馬上から笑顔を見せて辺りも自分の顔を見せる。
多くの人々が歓声を浴びせる。
若い女たちの甲高い声、男たちの野太い声も、子供たちの笑いや喜びの声も、老人たちや奴隷たちが崇めるように自分を見る姿。そしてせわしなく人々の間を動く商人たちが自分を見ている人たちに何かを売りつけようとしているところで、動きを止めて皆の歓声を聞き目を自分のほうに移す。
誰もが馬の上にいる自分を一目見たいと動いていた。
ローマの偉大なる将軍
グエナス・ポンペイオス・マーニュス。
その名は世界に鳴り響いていた。
天才はアレクサンドロス大王に並んだと称えられていた。
そしてこれからの人生でアレクサンドロス大王をも超えるだろう、と。
スッラの片腕として若い頃からその天才ぶりを発揮してきたポンペイオスだったが、この男の偉大さを知らしめたのは地中海全域におよぶ海賊掃討作戦であった。
それは、12万人の歩兵、軍船500隻、国家予算の半分、3年間の絶対指揮権を注ぎ込んだ過去にない規模の掃討作戦だった。
陸上交通、陸上での戦いを得意とする地の民ローマ人は、イタリア半島のローマを首都としていた。そして、度重なる戦争で領土を増やしていった結果として、海上交通の重要性にぶつかる。
陸上をローマ街道で整備しても、速さ、運搬量ともに船で動くことにはかなわない。
特に領土が地中海全域に広がりつつあったこの時代、海上交通の重要性と治安は重要だった。
しかし、ローマ人は海が苦手である。
そのため、多くの海運はローマ人以外の海上交通が得意なフェニキア人やギリシャ人、ユダヤ人などが中心となっていった。得意な民族が得意なことをやることは良かったが海の治安を守る者が不在で、ローマの領海は海賊が跋扈するようになっていった。
若きカエサルも、ローマからロードス島に赴くときに海賊に襲われた。
その時は高額な身代金を払い、超金持ちを気取ったため捕虜というよりも貴族の若君と大切に扱われたが、それでも捕まったことは事実である。その後海賊たちを一網打尽にしたのだが、カエサルのように機転を利かせてうまく逃れられる者はまずいなかった。
カエサルはローマに戻り、自分が権力を得たら、近隣の海の海賊たちを自分の手で根絶やしにしてやろうと心のそこで思っていたくらいである。
それくらいに危険になっていたローマの近隣の海はさらに状況が悪化していく。
海の治安を守る者がいないことで、もともと海を得意とする者たちが海賊になり、さらにポントス王国など、近隣の諸国はローマの力を削ぐために海賊に金を渡すことも行ってきたため、海賊たちは経済的にも恵まれて軍備を増強して、ローマ軍でさえ太刀打ちが難しい。
海は領海としたはずのローマ軍が航行できない領域になっていた。
そこへ執政官を終え、属州統治を終えたポンペイオスが自分が海賊退治をしようと名乗りをあげたのである。その代わりに大量の軍、費用、として長期の指揮権を求めた。
元老院は多くの優秀な人材の多くが自己研鑽し、互いに議論を交わす会議を持つことで、有力者が力を分散させて統治する。これこそ共和制の大事にしている部分であった。軍事面でも執政官、法務官たち複数に軍団の指揮権を与え、それも交代制にしていたほどに権力の集中化をきらっていた。
その共和制ローマの大事にしていた流れを無視してあまりにもポンペイオス1人に長期間、権力が集中することを恐れて、その法案を否訣する。
しかしポンペイオスとクラッススが執政官だった時代に復活されたホルテンシウス法により、法案は市民集会で可決されたことで元老院は口出しをできず海賊掃討作戦は実施された。
ポンペイオスによる海賊一掃作戦は、海賊たちをその地域から一掃して完全に制圧される。戦線を自在に操り、海賊たちの本拠地を完膚なきまでに叩き潰した。
3年間の絶対指揮権の3カ月足らずで目的を達成したポンペイオスは、続いて自分の部下の護民官ガビニウスを通して自分で発案しアシア地域で紛争を起こし、ローマにも敵対していたポントス王ミトリダテスの制圧の任を市民集会から受ける。
これに元老院は猛反対をする。
アシア地域の紛争の責任者はポンペイオスの先輩であり門閥派の中でも力を持ったルクルスが担当していた。しかもルクルスは戦闘には勝っているのだ。
だが、戦争全体を終わらすに至っていなかったため、やはりこちらも市民集会で可決されてポンペイオスが責任者となることが決定する。オリエント制圧作戦の実施である。
そこでポンペイオスは政治的にも、軍事的にも圧倒的な力を見せつける。
ポントス王ミトリダテスを戦場で打ちのめし、ポントス王国と同盟をするアルメニア王国を屈服させた。
王はローマの将軍にひざまづき許しを乞うことになった。そして西方の強国パルティアと両国の境界線をユーフラテス河と決定して両国は同盟を結ぶ。
ここまでを達成したポンペイオスは、すでに名ばかりとなったセレウコス王朝を解体し、シリア、パレスティナをローマの属州とし、エジプト王国の国内問題をも解消する。
ここにいたり、黒海から紅海までの広域を安定化させて、”偉大なる”というアレクサンドロス大王の尊称ををスッラから受けた将軍はその名が正しかったことを証明した。
ローマ市民もローマ市民以外の全ての民も平和を享受できる時代になったと感じた。
戦乱の時代は終わり、平和と発展がローマを中心にしていくと思われた。
そして、全てをやりきったポンペイオスは、数年ぶりに世界の首都と言われるようになったローマに戻ってきたのだ。
壮年の美男は、すべてを成し遂げた爽快感を味わい続けていた。
最終的に共にローマに戻ってきた将校たちは、全員が司令官を尊敬していた。
自分たちが成したことがどんなにすごいことかも知っていた。
ローマの軍隊は、北はルビコン川、南はプリンディシの街を目印に、そこよりもローマに近寄ることは禁止されていた。過去に一度、その禁を破ったことがあったポンペイオスだったが、イタリアの南部プリンディシの街に来た時点で、規定どおり軍隊を解散させる。
そして余裕をもって、自分に従う高級将校たちと街道の旅を楽しんだ。
すでに先に解散した兵士たちが先導の役目を果たし、ポンペイオスの偉業はローマ街道沿いの人々の知るところとなり、プリンディシからローマに向かう全ての街で歓迎されることになった。
多くの町でできるかぎりのおもてなしをしようとすることをポンペイオスは笑顔で受け取り、高級将校たちも自分たちが成したことを誇りに感じていた。
近隣の若者や子供たちは自分たちの可能な範囲でポンペイオスの後を付いてきて、遠くから見るとまるで軍隊のようだった。
そのポンペイオスと将校たちはローマの城門の側まで来ると野営の準備をはじめた。
ポンペイオスが到着したこと、野営の準備を始めたことはすぐにローマ市内に伝わった。
元老院の許可無くして将軍たちもローマ市街に入ることは許されない。成すべきことをなしたと自負するポンペイオスは悠々と規則に従いながら、元老院への各種の報告を行った。
遠征で軍の成したこと、制圧地域との取り決め、今回の遠征に加わった兵士たちへの褒賞など、これらはすべてに対しての総司令官の決定事項を伝え、最終的な確認、承認を元老院に行うように連絡した。
多くの待ちきれない人々は凱旋した英雄を一目見ようと毎日市街のポンペイオスたちの陣に詰め寄ってきた。
これから元老院の認可を受け、凱旋式が開催され、英雄となった将軍の演説が行われポンペイオスは真の英雄となる。
栄光の時が迫っていた。
偉大なるポンペイオスによりローマの外部の問題はすべて解消した。
ローマはこれにより繁栄の時を迎える。
建国700年を迎えたローマは、誰もが平和を導いた偉大な将軍に感謝を示した。
陰で元老院は偉大な将軍を抑えこもうと画策していた。