温かい紅茶でも淹れるか〜マルの場合〜
店長と盛り上がっていたら、カップルのお客さんがやってきた。二人はここのシーシャ屋は初めてだとそうで、店長の牧さんからシステムの説明を聞いていた。
「実はシーシャ自体初めてなんですよ。」
女の子がそう言った。私の耳がピクリとした。
「僕も何回かしか吸ったことなくて。」
男の子もそう言う。
「そうなんですね。では最初は吸いやすいものがいいかもしれませんね。そうですね…メロンなどはいかがでしょう?甘い香りは大丈夫ですか?」
優しい声で店長がそう言う。私はうずうずしていた。
「甘い香り大好きです!」
「私も、メロン大好き!」
カップルの子たちは元気にそう言う。
「じゃあメロンと他に何か混ぜますか?苦手なものはありますか?」
「いえ、特には。おまかせでいいよね?」
男の子が女の子にそう問う。
「うん、おまかせでいい。」
にこにこしながら女の子はうなずいた。
「じゃあ甘い系とすっきり系ではどちらがよろしいですか?」
店長が詳しくヒアリングする。
「「甘い系で!」」
カップルが同時に答え、ほっこりとする。
「かしこまりました。メロンを使った甘い系で、おまかせですね。それでは少々お待ちください。」
私はついに話しかけてしまった。
「あの、お兄さんお姉さん、もしよろしければこれ吸ってみませんか…?あっいきなり話しかけてすみません…。」
もそもそと口ごもる36歳のおばさんに話しかけられて、さぞ驚いていることだろう。けれどカップルのお兄さんとお姉さんはその大きな目をさらに大きく開けて、こう言った。
「えっ、いいんですか?」
ありがたかった。
「はい。いろんな香りを楽しんだ方がシーシャって楽しいだろうなと思って…。あっ、これはパイナップルとココナッツとキウイなんですけど…。」
そう言ってシーシャのホースを渡す。
「ありがとうございます!」
そう言ってまず男の子がホースを手に取る。
「うわ!すごいおいしい!ココナッツの香りめっちゃする!」
その声につられるように女の子がやってくる。
「ほんとだ!すごい甘くておいしい!え、もう一口吸ってもいいですか?」
女の子が私に聞く。私は嬉しくなって
「もちろん。何口でもどうぞ。」と答えた。
ありがとうございました、と二人が席に戻っていくと、私は(またやってしまった…。)と後悔した。
私は話好きだ。ついここでも人に話しかけてしまう。紅茶屋の店長として店頭に立っている時であればそれも仕事なのでよかろうが、さすがに客として来ている店で他のお客さんに話しかけるのは変だろう。以前オーナーにそのことを相談したら
「いえ、けっこう話しかけてる方いらっしゃいますので、気にされなくて大丈夫ですよ。」とおっしゃっていたが、本当だろうか。少なくとも、私は見たことがない。
言い訳をさせてもらうと、話好きというだけではなく、一応話しかける理由はあるのだ。それは、他のお客さんたちにも一種類でも多くシーシャの香りを楽しんでもらいたいから。
私自身がそうであるように、みんなもそうだろうと思い込むのは私の悪い癖だ。ただ友人とゆっくり話がしたい人、一人の時間を楽しみたい人、そういう人たちの時間をもし私が奪っているのだとしたら。ゾッとした。私はここに来る資格なんてないのかもしれない。
「うーん。それは不安障害だねぇ。」
心療内科の先生が言う。
「あなたちょっと気にしすぎなんじゃない?」
椅子をゆらゆら揺らしながら先生は続けた。
「この前やってもらったテストね、あなた不安感がものすごく強いのよ。誰もあなたのことそんな悪く思ってないと思うよ。何か言われたの?」
「いえ、別に何か言われたわけじゃないんですけど。でもみんな気を遣ってくれてるんだろうなって。」
そういえば以前の通院の時、心理テストみたいなものをやったんだっけ。
「本当に迷惑だったらジョーダンっぽくでもオーナーさんとか店長さんから軽くたしなめられるはずじゃない?そういうのもないんでしょ?」
「まぁ、確かにありませんが。」
「じゃあ大丈夫でしょ。気にすることないよ。他のお客さんもあなたとちょっと話してけっこう楽しかったと思うよ。」
本当にそうだろうか。
「まぁ、不安感をなくすお薬ちょっと強めに出しときますね。じゃあお疲れさまでした。」
「ありがとうございました。」
雨の降る中をとぼとぼと帰っていると、少し落ち着いた。
雨は好きだ。傘が顔を隠してくれるし、何より雨音がいい。サアア…と降る音にほっとする。帰ったら温かい紅茶でも淹れるか、と私は思った。