ネガティブ令嬢の仕返し。
「ところでお前、里帰りから戻ってきてから随分、気落ちしているけどなにかあった?」
不意に聞かれてアリスは瞳を瞬いた。
しかしとりあえず、屋根裏に潜んでいる刺客に向かって風の魔法が刻まれている剣を思い切り投擲する。
「ぐぎゃっ」
「!……アリス、お前刺客を殺すのはいいけど、天井で殺すなよ。床まで汚れて掃除が大変だろ」
剣の刺さった天井から血液が染み出してくる。じわじわと赤い色が壁紙に広がって雨のようにぽつぽつと落ちた。
その光景に、リオン様は顔をしかめてアリスをじとっと見る。しかしそう言われても屋根裏から引きずり出して殺しても血が飛び散ったと彼は怒るのだ。
それなのに、屋根裏で殺せばこれだ。
アリスはそれではどこで刺客を殺せばいいのかまったく分からない。
「……」
「なに、その不服そうな顔は。それより私の質問に答えなよ。何かあったの?」
改めて問われて、アリスはこの間里帰りした時の事を思い出した。
といっても王都から近いエーヴェン地域なので、ほんの昨日の事なのだが思い出すと悲しくてどうしても苦しい。
「うわ、本当に何かあった? お前が静かだと私も調子でないから、言ってみな。助言してあげる」
「……うん」
思い出したアリスはひどい顔をしていたらしく、リオン様はアリスの顔に驚きつつも、いつもよりちょっとだけ優しくアリスに言う。
それからリオン様は座っていたティーテーブルを離れてソファーにいき、血の雨をちらりと見たがすぐに興味を失った様子でアリスに視線を向けた。
どうやらきちんと話を聞いてくれるつもりらしく、アリスはちょっとうれしくなって不器用な笑みを浮かべながら彼の前に跪いた。
「あのですね、わ、私。ブ、ブレントに、婚約破棄を言い渡されたんです」
「婚約破棄? そっか、お前婚約してたね」
「うん」
「それでそんな泣きそうな顔してるんだ? ……ま、もう少し詳しく聞かせてよ、じゃなきゃ助言もできない」
「はい、……それでですね━━━━」
昨日の事、アリスは、同じエーヴェン地方の貴族子息たちの集まりにやってきた。
基本的にアリスはリオン様の守護騎士として日々仕事をこなしているが、リオン様はたまにアリスに休暇をくれる。
一応、成人前の若い令嬢なので友人関係など色々あるだろうという配慮だ。
もちろんアリスにも友人がいる。それは同じ爵位継承者ではない、エーヴェン地方の貴族子息たちで、そのうちの一人とアリスは婚約をしていた。
そんな友人たちとは、アリスは仕事があってあまり頻繁に会えなかったけれど仲はいいつもりだった。
しかし久しぶりの集まりに呼び出されて、街のカフェテリアで集合すると、皆厳しい顔をしていて、アリスだけが今日の要件を知らなかったのだった。
「つまり端的に言うと、婚約を破棄してほしいんだ。アリス」
「……え……な、なんで?」
「だって、なぁ?」
「まあ、そうね」
「アリスって、なんかな」
彼ら四人の中には、アリスが知らない共通意識がある様子で、明確な言葉を口にせずとも彼らは通じ合って、さもありなんとばかりに頷いている。
アリスはそんな言葉だけ聞いてもまったく状況が理解できない。
突然、婚約破棄なんて言われても頭がついていかないのだ。
たしかに、アリス達のように爵位継承者ではない貴族の子供の婚約など軽いものだ。吹けば飛ぶような簡単な契約。
たいして金銭も動かないし、爵位を持っている人間からしたらどうでもいい事だ。
しかし、当人であるアリスからするとまったく違う。
仲間内で何度も会ってコミュニケーションをとっていい人だと思ったからこうして婚約をしていたというのに、急にそんなことを言われても納得できない。
せめて納得できる説明が欲しくてアリスは、順繰りに同じテーブルにいる友人たちを見つめた。
婚約破棄を申し出たブレントは、デイヴと視線を合わせて何やらこそこそと話をしている。
ブレントの隣にいるシャーロットとチェリーは優雅にお菓子を食べていたが、ふとシャーロットがこちらを向いて、仕方ないから説明してやるとばかりに「はぁ」とため息をついてからアリスに向きなおった。
「全然心当たりないようだから言うけど、あんたさ、ネガティブ過ぎるのよ」
「ネガティブ?」
「そう、ホントにさ、なんていうか一緒にいて楽しくない。気が滅入るのよね、そうでしょ? ブレント」
シャーロットは途中まで言ってブレントに同意を求める彼は、シャーロットに振られたから仕方ないかとブレントはアリスに続けていった。
「ああ、だってお前さ、あの時のこと覚えてる?」
「あ、あの時?」
「だから、俺が皆で遊猟会を開こうって言った時、皆賛成してたのにお前だけ頑なに、危ないから~だの、別の場所で~だの言ってさ。ショージキ萎えたし、お前ネガティブすぎ」
「そうだそうだ! 俺らの行動に文句ばっかり言いやがって」
ブレントの言葉にデイヴが合いの手のようにアリスに言う。
しかし、その時の事を思いだしてみたが、どう考えてもアリスが悪いとは思えない。
だって、たしかに本当に上級の貴族の方は、騎士や魔法使いを連れて狩りを楽しんだりする遊猟会を開いたりもするが、その行為は常に危険と隣り合わせだ。
アリスは別にいいけれど特に戦闘能力のない彼らが森へ入り狩りをしようとしたら、魔獣に狩られる羽目になると思う。
危険だと言われている森にわざわざ入ろうっていうのはそういう事なのだ。
リオン様に言ったって「馬鹿なの?」と言われるはずだ。
「ホントよ。いっつも後ろ向きの事ばっかりいって、自分だけ城勤めだからって上から目線で物言ってさ」
「そういうお前の態度も俺は婚約者としてありえないて思ってたけど、決め手はこの間のやつだからな」
「そうそれ! 嫌なら、ついてこなくていいって言ってるのに止めてきて、ネガティブ過ぎでしょって、話しててさ」
この間のことと言われても、アリスはまたしてもピンと来なくて考えた。
何とか思考を巡らせて、それからやっとそれが国外視察の件かと納得がいった。
「もしかして、手紙で話してた……」
「そうよ、国外視察の事、せっかく成人前最後の夏になるんだから私たちみんなで思い出を作ろうねって言ってたのに、ブレントの婚約者のあんたが、危険だなんだっていうから」
「でもそれは、本当にここ最近エーヴェン地方から隣国のルートには危ない場所がいくつかあって……」
「だから、そういうのもういいんだって私たちただ、この今しかない楽しい時の為に一生懸命企画したのに、アリスのせいで台無しにされてっ」
アリスが、手紙でもした指摘を口にしようとするとシャーロットはアリスの言葉をさえぎって、とても悲しそうな顔をする。
それに未だにアリスの婚約者であるはずのブレントは寄り添って肩を抱いてやった。
しばらく呆然と見つめてからアリスはふと気がついた。彼らはそういう関係なのかもしれない。
「シャーロットもこう言っているし、俺もシャーロットの企画に賛成だ。だからこれ以上、ネガティブな発言で俺らを縛らないでくれ」
「……」
「婚約破棄、吞んでくれるだろ?」
「アリス、お願い。もうこれ以上ブレントを縛らないで」
懇願するように言われてアリスはただ、呆然と彼らを見つめてしまった。
仲がいいなとは薄々思っていたが、まさかアリスとの婚約がありながらこんなことになっているとは夢にも思わなかったのだ。
それにそんな風に言われたらアリスが悪いみたいではないか、そう考えるととにもかくにも悲しくなって「わかりました」と短く言ってアリスはすぐにカフェテリアを出た。
せっかく王都のお土産を買って彼らに会うのを楽しみにしていたのに、まさか、こんなことになるとは思っていなかった。
そんな里帰りの出来事だった。
「つまりは振られてへこんでるって事?」
確認のようにリオン様がそう口にしてアリスは、こくりと頷いた。
振られたというか婚約者が取られたというか、別にブレントに対する恋慕の感情だとかはない、しかし出身地の仲間内からやっかまれていたという事実が悔しいんだか悲しいんだか、なんとも言えないのだ。
そして自分だけが仲間外れにされているようで悲しくなってくる。やはり手紙で国外視察を提案された時に強く否定したのが良くなかったのだろうか。
アリスが考え込んでいると、リオンは部屋を整えていた侍女に、ワインを持ってこさせて、ゆっくりと揺らす。
「好きだったんだ? その男のこと。お前、私の騎士なのに」
「あ、そういうんじゃないです」
「? では、どういう事。端的にいいなよ、アリスはどうしたいの」
問いかけられて、考えてみるどうしたらアリスは良いのだろう。ネガティブを無くせばこれからも付き合っていけるだろうか。
というかアリスはそもそもネガティブだろうか。自分ではよくわからないが、友人たちからするとそうらしいのだ。
それならば改善? でもあんな風に言われて、ブレントにもシャーロットにもやっかまれて仲間内でアリスの悪口大会を開いているのだと思うと悲しいし、もやもやする。
「……私って悪かったのかなって思ってます。リオン様……ネガティブだから一緒にいたくないみたいなこと言われたけど、私ってそんなに根暗かな……」
それに悪い事だというのならば治したい。でも、あんな風に言うことはないじゃないかとも思う。
心のなかがめちゃくちゃで難しいのだ。
考えつつ彼の揺らしているワインを見つめていると、ふいに口に運んで、コクリと飲み込んだ。
それから、リオン様は自分の跪いているアリスの顔面を片手でつかんだ。
それからぐっと上を向かせて、無理やり視線を合わせた。
「…………ネガティブっていうかね。お前は、そもそもその馬鹿達と根本的に合ってない」
両頬を片手で掴むようにぎゅうっとされて、アリスは顔が不細工になっているような気がしたが、彼の言葉の続きが気になって首を傾げた。
「だから、アリスが合わせてやる必要はないって話。婚約破棄なんて僥倖だよ。もう縁切りな」
「……でも……」
「なに、私に口答えするほどまだ不服なことがある?」
リオン様の言葉にアリスが否定的な言葉を言うと、彼は紺碧の美しい瞳を鋭くしてアリスをぎろりと見つめる。
……こ、怖い。
彼の様子にたじろいで、視線を逸らす。するとぱっと手を離されて、アリスはリオン様から少しだけ離れた。
しかし、彼は前かがみになってアリスの頭をガシッとつかむ。
「ゔ」
「いいなよ。どうしたい?」
「……」
「私がどうしたいって聞いてるんだよ。早く、言って」
別にどうもこうもないのだ、ただアリスはもやもやしている、嫌な気持ちなのだ。だから言えと言われても明確なことは何も言えない。しかし、リオン様は怖い。
この人は機嫌をそこねると長引くし困る。とても。
というわけで早急に自分がどうしたいのか考えた。縁を切りたいというわけでもなく、振られて凹んでいるわけでもなくアリスはただ、なんだろう。
頭をぐらぐらと揺らされて、脳みそが揺れる、そんな中で必死に考えた。
「い、嫌な思いを、しました、けど、私悪くない、です」
「そうだね。お前は間違ってない」
「だっ、だから、悪くなかったって言って欲しいネガティブじゃないって!」
「……ああ、お前も馬鹿だね、そんな馬鹿達の言葉にこだわるんだ。子供だね」
彼は、呆れたようにアリスに言って手を離す。アリスは頭を揺らされたせいでぐるぐると目が回ってしまいそうだった。
しかしくらくらとしているアリスの頭をリオンはちょっとだけ優しく撫でてそれから「助言をあげよう」と女神さまみたいに優しい声で言った。
「つまりお前は自分が嫌な目に遭った仕返しがしたいんだよ。だから不満なんだ」
「仕返し、ですか」
「うん、そう。私は自分と同じ土俵にいない人間の言葉なんてどうでもいいけど、お前は違うみたいだから、きっとそうだよ」
「う、うん? はい」
「お前は彼らに認めてほしいんだ。この私の騎士のくせに、アリス」
少し恨めしいようなニュアンスを含んでいるような言葉で、アリスは少しだけバツが悪かったが、リオンはすぐに気持ちを切り替えた様子で続ける。
「だったらあえて失敗させてみるといい。アリス、お前はね、他人より危険予知と危険察知が得意なんだよ。だからお前を守護騎士にしているし」
「……」
「彼らはのうのうと田舎で過ごしている貴族令息たちだ、危険な目に遭ったことなどないんだろう」
「うん」
「お前のそれはネガティブじゃなくて、人間に必要な危機管理能力だ。だからネガティブだからと治そうとなんかしないで、確かめておいで行ってきたらいいよ、国外視察」
「え」
「というか行ってきなさい。私、お前のことはそこそこ好きだけど、うじうじしているのは嫌いだから、早々に決着つけてくるように」
そう言いつけられてアリスは瞳を瞬いた。あんな風に言われたのに国外視察にまでついて行けって、そんなことを言われてもアリスはそんなに図太くない。
「……で、でも」
「異論は認めない。ちゃんとスッキリさせて━━━━」
アリスはどうにかリオン様に許してもらおうと口にしたが、彼はアリスの言葉をさえぎって、すまし顔で言った。
しかし、その最中、ふと違和感があって天井の死体を片付けている侍女たちの中から、こちらを注視している姿を見つけた。
「リオン様、伏せて」
言いつつアリスは腰に差しているもう一本の剣を抜いて、ソファーに飛び乗って、風の魔法を使う。
丁度、その侍女は小さなナイフを取り出したところだったが、アリスよりも随分と遅い、躊躇いなくその侍女の首にめがけて切りつける。
切れ味の良い剣なのでスパッと心地よく首が飛ぶ。支えを失った頭がころりと落ちて血しぶきが部屋中に飛び散った。
「ひっ」
「きゃぁっ」
「う……」
片付けをしていた侍女たちは、悲鳴を上げて、顔を青白くさせている人までいる。
そんな中、後ろから小さなため息が聞こえてきて、振り返るとリオン様は持っていたグラスをさかさまにして床にこぼす。
それからアリスに、ワイングラスを適当に手渡した。
「アリス、お前、首飛ばすのはいいけど、これじゃこの部屋使えないじゃないか。予備の部屋にいこうか」
「……今日は二人目ですね」
「そうだね。国王陛下ももう長くないし、皆本気なんじゃない」
「リオン王太子殿下……こんな時期に私が国外視察って、大丈夫ですか」
「いいよ。私はこうしてお前のネガティブな部分に助けられてるんだし、良いネガティブなんだって思えるようにしてきて」
「……」
アリスは、この出来事をきっかけに国外視察に同行することをやめたかったが、リオン様はまったくどうでもいいとばかりに笑みを浮かべて部屋を出ていく。
仕方がないのでアリスもそれに従って、ぱたぱたと足音を鳴らしてついていくのだった。
「ね、ねぇ! 何か変よ、馬車は止まったのに、どうして護衛からの反応がないの?!」
「シャーロット、ま、まぁ大丈夫だよ。ここを抜ければ隣国の大きな観光地だし……」
「こっちは高い金払って護衛を雇ったんだ、役に立ってくれなきゃ困るよな」
「その通りよ! シャーロット、ブレント、デイヴ、私たちは貴族。どんと構えて待ってればいいのよ」
アリスは、案の定だと思った。
そして、これは貴族の馬車を襲うときの常套手段だ。
上流層のやり方に似たようなものがあるのでピンときた。しかし何も言わなかった。ネガティブだと言われるので。
今回用意した馬車にはガラスがついている窓がない。木でできた開閉式のものがあるだけだ。
そもそもアリスたちは爵位継承者ではないので国外視察の名目で旅行にいくのに家紋のついた馬車を使えない。
なので町の商会に頼んで、馬車旅の手配をする、それをやったのがシャーロットだ。そして格安でこの旅は企画された。
誰も意を唱えない。
ところでこの森には盗賊団が出るという話がある。
金目の物をすべて置いていけば、見逃してくれる場合もあるが、おおむね女子供は売り払われ、健康な男は奴隷落ちだ。
そして運悪く捕まった貴族は……。
「ア、アリス、何あんた余裕そうにしちゃって、もしかしてあんたの仕込みなんでしょ? きっとそうよ、ブレント。アリスを私たちがネガティブだって言った仕返しにこんなことを」
「そうなのか? だから、盗賊どもと平民の護衛がやりあってる声が聞こえないのか?」
「なんだ! だったら、外を見れば一発で━━━━」
アリスは、リオン様に言われたことを思い出していた。
こうして参加するように言いつけられてしまったからこの場にいるが、これ以上どうしろと言うのだろうか。
仕返しをしてきたらいいと言われたし、アリスのスカッとすることをしていいとリオン様から言われた。
しかし参加するまでのあの気まずい状態に耐える方が正直ストレスがたまったのだが、アリスは今の時点で、アリスの勘が当たって嬉しい。
……そうだ、やっぱり私のネガティブは正解だったっていって欲しいんだった。
不意に木の窓を小さく開いたデイヴは、ピュンと言う音と同時に飛んできた矢に刺さりそのまま後ろにもたれた。
「え……ひ、ひぃ」
額に深く刺さった矢をデイヴはより目で見つめて、しばらくして力を失い隣にいたチェリーの上に倒れこんだ。
「いやぁぁぁああ!!」
女性らしい悲鳴が小さな馬車の中にこだまする。
しかし窓が開けたままだ、すぐに次の矢が飛んできて彼女の耳の上にさっくりと刺さる。先ほどからよくもまぁ、こんなに狭い隙間でうまく頭を狙えるものである。
アリスは少し感心しながらも隣にいるシャーロットとブレントを見た。
彼らは、驚きのあまり固まっていて、一言も発さなかった。
そんな彼らに、アリスはすこしどや顔をするのが恥ずかしくて、はにかみながら言った。
「だから言ったよ、私。盗賊が出るから危ないって」
「あ、……あぁぁ、アリスぅ、なんであんたそんなに平然と、して、るの?」
「知ってたからだけど……こういう手法なんです。今外に出ると狙い撃ちにされるよ。閉じこもってても馬車に火をつけられる」
「は、はぁ? おまっ、お前ただの、城の侍女だろ? なな、何を根拠に」
「……そういう事になってたんだっけ」
アリスは、リオン様の守護騎士をやっているが、伝えても信じてもらえなかったので、ただの城勤めということになっている。
そして女性貴族が城勤めとなると、高貴な身分の方の身の回りのお世話が多い。
だから勘違いされていたのだろう。
「それは置いといて、ほらね。私って、ネガティブだった?」
「い、今更そんなことどうでもいいでしょ?! 何かないの? この状況から助かる方法あんた知ってんじゃないの?!」
アリスの言葉にシャーロットは取り乱したように叫び、アリスの胸ぐらをつかんだ。
その様子にアリスはこんな風になるもの納得だった。
昔から、付き合いのある二人の死体とともに馬車に乗せられているのだから相当なストレスだろう。だからやめておけといったのだ。
それにこれだってまだいい方だろう。
貴族の子供なんていろんなところから恨みを買っている。もし魔力を封じる枷をつけられて拷問でもされたら、目も当てられない。
「アリス、なぁ、アリス、婚約を突然破棄したことも謝るし、何なら今からでもお前と婚約し直す、だから、何かいい案があるなら教えてくれ!!」
叫ぶシャーロットを押しのけて、今度はブレントがアリスに言った。しかしそういうことは望んでいない。リオン様から縁を切れともいわれているし、そうするつもりだ。
「……そういう事じゃなくて、私間違ってなかったよって。危険なことはしない方がいいです、それがたとえ一度だって」
「わかった、わかった! もう二度としない、絶対、だから」
「そっかそれならいいんだ」
「そうだろぉ? なぁ、何とかしてくれ、対処法なりなんなり知ってんだろ?」
アリスが、良かった認めてもらえたと考えていると、ふいにブレントを押しのけて、シャーロットがアリスの体を突き飛ばした。
真後ろにあった扉のドアノブが押されて、思い切り開く。
「なんでよッ!? 私を愛してるって言ったじゃない!」
シャーロットは今更そんなことが気にくわなかったらしく、ブレントにつかみかかって、ゆすり動かしていた。
そんな光景を見ながらもアリスは、背中から馬車の外に飛び出た。
すぐに魔力を探る。貴族も平民にも多かれ少なかれ魔力が流れている、アリスはそれを探るのが人よりもずっと得意だ。
「……」
放たれた弓の音がするのとほぼ同時に矢が飛んでくる。それを風の魔法で受け止めて、そのまま飛んできた方向に飛ばし返した。
矢は変な動きをして射手へと飛んでいく、どさっと音がして、射手の魔力が流れ出ていく。
……まだまだ狙っている人は居るんだろうね。雇った護衛だって元々あちら側の人員だろうし。
瞬時に探れば貴族であるアリスたちから視認されないように、両側の森の茂みの中から警戒するようにこちらをうかがっている。
アリスが矢を退けたので少し動揺しているらしいが案外統率が取れていて、取り乱して襲い掛かってくるようなことは無い。
少し面倒くさいことになったと思いながらもアリスは、自分が下りてきた馬車を見る。するとシャーロットが大急ぎで馬車の扉を内側からしめた。
ばたんと音がして、アリスはその場にとどまった。
彼らを連れて帰ろうかと一応思っていたのに、非常に困ったと思う。しかし、リオン様は失敗させてみたらいいといった。こうなったからには彼らもアリスが正しかったと思うのだろう。
しかし、失敗のしりぬぐいまでしろとは言っていなかった。
であれば、彼らを助ける理由はどこにもない。
アリスだけを仲間外れにして、彼らのサンドバッグにされるのは嫌だけれど、彼らが全員いなくなる分にはアリスは寂しくない。
むしろそうなったらやっとどうでもいいと思える。きっとこれがちゃんとスッキリさせてくるという事なのかもしれない。
……なるほど、リオン様は怖いけどやっぱり頭がいい。
勝手に納得した気になって、アリスはその場から徒歩で立ち去った魔法もあるし、適当に歩き出して適当に王国に帰ったのだった。
「それで、お前、友人を置いて帰ってきたの?」
「はい、皆の父上や母上には結構いろいろ言われました」
「それはそうだろうね。どう対処した?」
「……止めなかったのかって責められたら怖いので、止めているやり取りをしていた時の手紙を取っておいたから大丈夫でした」
平然と言って、剣の手入れをするアリスをリオンは見つめていた。
彼女はリオンから見るととても幼稚な存在だった。
こうして忠誠を誓わせているけれど、リオンも時々この子が怖い。アリスにそう思っていることなど微塵も感じさせるつもりはないが、それでもこの恐れは正しいはずだった。
平然と人を殺し、平然と他人を見捨てる。
珍しく執着をしていると思ったら、元婚約者も友人も盗賊団の元に置いてきたらしい。
リオンだったら、何とかできる力があるならば何とかしてやっただろう。それに話を聞いた限りではブレントという男はこざかしくて扱いやすそうだ。
シャーロットにも何らかの利用価値があるかもしれない。
とにかく、そうして長年友人としてつるんできて、仲間外れにされることが嫌なくらいに好いているなら、どうにかしようという気持ちが働くはずだ。
しかしそんな情など一切見せずにただ、仲間外れにされるのならば全員死んでしまってもいいと思うなど異常だろう。
「そうだね。よくやったよアリス。お前はうまくやった。問題が解決したなら私は何も文句はない」
「うん」
異常だと思いつつ、はにかんだ笑みを浮かべる彼女の頭を撫でた。
外見も肌触りもこんなに少女然としているのにアリスには必要な感情がいろいろと欠如しているように見える。
「ただ……お前、否定的なことを言わないようにすると、計画性もなくなるの?」
「??」
「やってはいけない事をやる場合には、それに伴う改善策を考えておかないといけない。アリスだって友人を全員殺そうと思ったわけではないんだろう」
フォローするように問いかけると、アリスは瞳をパチパチと瞬いて、それから小首を小さくかしげて「わかりません」と口にした。
それからリオンに怒られないか少し伺いながら、続けて言う。
「私はやらない方がいい事を考えるのが得意です。だけど改善策とか、出来ることとかよくわかんない」
「……」
「だからネガティブなんて言われるのかも」
アリスは柔らかな銀髪を払って、首を摩る。困ったことがあるときにやる仕草だ。
それと同時に、リオンから視線を外してゆっくりと窓の外を見つめる。
……またか。
リオンはその目線だけでため息が出そうになったが、彼女が動くのをみながらワインを飲んでいた。
一つ瞬きをすると、敵対派閥から送られてきた刺客は割れた窓ガラスと共に落ちていく。
それについて「落とすのはいいけど、窓ガラスは高いんだから気を付けてよ」と言いつつ、考えた。
確かにアリスは、危機察知能力が高く危険を予知することが多い。
だからこそあれこれやらない方がいい事を友人たちに口にしていたのだろう。
それと単純に友人たちが馬鹿だったということもあるだろうが、改善策を提案しないで悪い予想ばかり言うアリスはよっぽどネガティブに見えたのかもしれない。
危機を回避しながら他人と良好な関係を築きたいと思うのならば、否定するのと同時に別の改善案を提案して、調和を図るべきだ。
アリスにはそういう前向きな姿勢が足りていないと言われれば足りていない。
しかしリオンもアリスにそう説教することができないぐらいには文句を言うばかりで前向きに対処しきれていない問題がある。
「なぁ、アリス」
「うん」
「今の状況どう思う?」
「……」
リオンはアリスになら伝わるかなと考えて、そう口にした。彼女は考えるように間をおいてから言った。
「良くないと思う」
「……ははっ、だろうね。そろそろ私もネガティブなことばかり言ってないで王位を目指そうかな」
「……何かネガティブなことを言ってましたか?」
「ないでもない。いい加減踏ん切りがついただけだよ」
「はい……?」
アリスはワインを飲むリオンを見つめて、首を傾げた。
可愛らしい銀色の髪がさらりと揺れる。美しい髪には赤黒い血液が付着していて、少女らしいその外見には不釣り合いだった。
アリスは割と彼女自身が思っているよりもネガティブであり、破滅的な性格をしている。
出来る限り危険を回避した方がいいというのはわかっていても、改善しようという気はない。
そんな彼女だからこそリオンはそばに置いている節があるのだが、だからこそ、自分は前を向かなければなと思うことが出来る。
刺客に対処しているばかりではなく、立ち向かわなければならないだろう。ここまでリオンを貶めた人間を適切に処理しなければならない。
生憎、守護騎士アリスは、受けた不利益の仕返しをするとなるとやり過ぎるたちのようなのでリオンが動くしかない。
「これから少し忙しくなるから、覚悟して。アリス」
「?……お手柔らかにお願いしたいです」
意味がわかっていなさそうな彼女の頭を撫でた。
柔らかい銀髪はやはり触り心地がいい。こんなに冷徹でたくさんの人間を殺しているのに不思議なものだなとリオンは少し笑ったのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ネガティブと危機察知能力って似てるかな? と思いながら書きました。楽しんでいただけると幸いです。