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終恋

作者: 林 広正

   終恋


 終わってしまった恋。ここから始まる恋。

 そこにはいつも君がいる。この先もずっと。


 あの日のことは忘れない。

 思い出の場所が僕にはある。彼女を連れてくるのが夢だった。

 海辺の街。ワンマン電車で森に入り込む。この先に海があるなんて、想像できない僕がいた。

 けれど確かに、潮の香りは感じられた。

 中学生になる前までは、毎年夏休みに海と森に挟まれた民宿に泊まっていた。

 父親が新聞の地域欄だかに紹介されていた記事を読み、電話をしたのが始まりだった。それ程遠くはない距離感と値段の安さに興味が湧く。僕としては単純に旅行が嬉しかった。しかも海だよ。興奮しないはずがない。

 初めて行ったのは確か四歳の時だった。記憶には残っていないけれど、はしゃいでいたことに間違いはない。中学生になってからも、本音では行き続けたかった。部活で忙しかったのが悔しくてならない。高校生になってからは、アルバイトと遊びでそんな暇を作れなかった。

 けれど現実は、父親が飽きてしまったってのが本音だった。それほどの距離はないのに面倒がるのは歳のせいだと諦めていた。

 そんな中、兄貴がその旅館でアルバイトをすることになったのは、当時としては裏切りでしかなかった。

 父親に行く気がなかったのは仕方がないけれど、兄貴をバイトに誘ったのが不満だった。

 僕が中学生になった途端に行かなくなった旅行だけれど、民宿側からの連絡が途絶えることはなかった。

 父親は人たらしだった。どこに行っても人気がある。まともな人間は大抵は父親に好意を持つ。けれどその代わり、最低人間には嫌われてしまう。だからこそなのだろう。父親は有名人になり損なった。

 その見た目がハンサムだったせいもあり、父親はよくモテた。実際に若い頃から何度もスカウトを受けてはいたけれど、その性格がまとも過ぎて上手くはいかなかった。顔を売る世界では、破天荒が標準だったりする。

 なんの連絡もなしに過ごしていると、すぐに旅館側から電話がかかってきた。今年はどうしますか? なんて言われると困ってしまう。父親は素直に真実だけを語るけれど、そうすると今度は相手が気を使ってくれる。まったく、これだから人たらしは面倒だって僕は思う。

 行けない理由は僕の部活で、兄貴は暇だけれどアルバイトを探している。

 だったらうちでバイトをしませんか? 二人まだ決まってないんですよ。

 そんな事を言われて兄貴を勧めた父親が憎かった。

 その民宿は僕にとっては思い出の地であり、憧れでもあり、今で言えば聖地だった。

 兄貴は子供に対する面倒見がよく、昆虫やら魚が好きで泳ぎも達者だったこともあり、宿泊客から絶賛された。

 夏休みの民宿客は九割がた子連れとういう現実がある。

 兄貴のおかげもあり、民宿との繋がりは消えずに残った。僕は自分も高校生になったらアルバイトをするつもりでいたけれど、何故だかその時は誰も誘ってくれなかったし、父親も兄貴も民宿の話題を避けていた。

 家族で行った最後の年、僕は君と出会ってしまった。

 食後に浜辺で花火大会をするのが僕達家族の恒例になっていた。

 夜の浜辺は薄暗い。月夜の明かりが心地よかった。

 基本的には家族の尻尾から離れないでいた僕だけれど、その日は例年以上に人出が多かったこともあり、僕は家族との距離を意図せず少し広げて歩いていた。

 あっ! 大きな犬がいる!

 思わず声を上げてしまった。

 すぐ真横に大きな物影を感じた僕は、確認もせずにそれが犬だと決めつけてそう言った。

 あぁーっ!

 すぐにそれが違う生き物だと気がつきまた声を上げた。

 これって海亀じゃん!

 僕ではなく、隣にいた誰かがそう言った。

 僕はそれを兄貴の言葉だと勝手に思い込み、反応した。

 だよね!

 なんて言いながら横に並ぶ腕を掴んだ。

 あれ? いつもと違う感触にハッとする。その腕は細くてとてもスベスベしている。それにさっきの声がいつもと違っていたことにも遅ればせながら気がついた。兄貴の腕は太くてガサガサだし、その声も厚く太かった。

 ちょっと・・・・

 控えめで甲高い声に戸惑いを確信した。

 僕はしどろもどろにごめんなさいの言葉を発しながらその声の元に視線を向けた。

 あっ・・・・

 ごめんなさいの言葉の途中でそう言った僕は、見つめたままに固まってしまった。

 あっ、ってなによ!

 顔を向けてそう言われた。

 ・・・・可愛い。

 無意識に飛び出た言葉に驚いたのは僕も同じだった。

 だって本当に可愛かったんだから仕方がない。

 素直な想いは自然と外に出てしまう。足をぶつけて痛って言うのと変わらない。

 な、なに言ってるのよ・・・・

 僕と同い年くらいの女の子がそこにはいて、目を逸らしながらそう言った。僕は自分がずっと見つめ続けていたことを知り、慌てながらもそっとその視線を逸らした。

 目の前にいた海亀が少し移動していた。

 あれって、泣いているよね?

 女の子がそう言った。

 確かに目の周りだけが濡れているように見えた。

 おっ、本当に海亀じゃん!

 えっ、なになに?

 突然周りが騒ぎ出した。

 ・・・・ごめん、僕が声を上げたからこんなことに・・・・

 その日その場にいた全ての人が海亀に視線を送っていたように感じられた。いつの間にか、集まった人間達で海亀を囲んでいた。

 責任を感じてうつむく僕に、女の子が声をかけてくれた。

 君の責任じゃないよ。君は犬だと思っていたんだし、海亀だって言ったのは私だから、悪いのは私だよ。

 女の子に顔を向けると、海亀をじっと見つめて涙を流していた。

 僕はそっと垂れ下がる右手を握った。女の子は少しの戸惑い見せた後すぐ、しっかりと僕の手を握り返してくれた。

 海側から這い上がってきた海亀は、産卵場所を探しているようだった。海亀は産卵する際に涙を流すことが知られている。けれどその日の涙には違う意味があったように感じられた。僕達に発見されて騒ぎになってしまった為、その海亀はグルッと一周して海の中に引き返していった。

 海亀が海に消えてしまうまで、僕と女の子はその場を離れなかった。いつの間にか多くの観衆は散らばっていて、二人きりでその海を見つめていた。

 その女の子とはなにを話したのかまでは覚えていないけれど、砂浜にしゃがみ込んで楽しい時間を過ごしていたはずだった。

 おーい! こっちきて花火やるぞ!

 背後から兄貴の声が聞こえてきた。

 僕は振り返って分かったと大きく返事をした。それからゆっくりと手やお尻の砂を払いながら立ち上がり、それじゃあまたねと女の子に声をかけた。

 また会えるよね?

 女の子は上辺使いの視線を送りそう言った。

 もちろんだよ!

 なにも考えもせずにそう言ってしまったことを後悔している。

 兄貴の元に行くと、彼女が出来たのか? と揶揄われたけれど、僕は否定も肯定もしなかった。

 花火をしながら僕は女の子を探したけれど、どこにもその姿は見えなかった。次の日も泊まる予定だったため、絶対に会える自信があったけれど、会えないままに帰ることになってしまった。

 僕はその女の子の顔と喋り方、そして声を完璧に覚えている。思い出は時に美化すると言うけれど、そこには絶対的な自信を持っている。その日から毎日のように夢に登場していたし、なによりも彼女がその証拠だと思っている。

 彼女を連れて来るのが夢で、ようやくその夢が叶おうとしている。

 十数年ぶりに民宿のおじさんから親父に電話がかかってきた。

 親父は何故だか何処かで仕入れてきたおじさんが死んで民宿をたたんだという情報を信じていたから、その驚きは大きかったようだ。

 その話を聞いた僕はすぐ、民宿に電話をかけた。そして二人分の予約を入れた。

 彼女との出会いは通勤電車の中だった。僕はその日、満員電車の中で珍しく座ることが出来、いつものように本を読んでいた。

 目の前に立つ誰かが特に気になることはないけれど、その日はあまりにも綺麗な足に思わず視線が上がってしまった。

 あっ!

 車内での大声はとても目立つ。一気に視線が注がれた。

 そこに立っていたのは、成長したあの日の女の子だった。少なくとも僕にはそう見えた。

 あのぉ・・・・ 勇気を出して声をかけたけれど、見事に警戒されてしまった。逃げてしまうだろうなとの雰囲気が漂ったその時、隣に座っていたおじちゃんが腰を上げた。それは気を遣ってくれたわけではなく、次の駅で降りるための準備だった。移動中の混雑した車内で席を立って歩き出すのは危険行為だ。普段なら迷惑な奴だと感じるけれど、この日だけは違っていた。まさに神様だった。

 戸惑いは残しながらも、彼女は僕の隣に腰を下ろした。

 迷惑じゃなければ連絡先を教えてくれませんか?

 見知らぬ相手からのそんな言葉に喜ぶ子はいない。僕は必死に想いを並べた。

 必死だった僕はなにをどう喋っていたのかなんて覚えていない。だから彼女が吹き出したことにもハテナマークしか浮かんでいない。

 君って面白いのね!

 彼女にそう言われて、僕は勝手に確信した。やっぱりそうだ。ずっと恋をしていた女の子との再開がようやく叶ったんだ。

 彼女との交際は順調だった。想い合っていることは幸せだったけれど、僕は一つの本音をずっと隠していた。彼女はきっと気がついているはず。順調な交際の中にある違和感が、やっと解消されるんだ。喜んで受け入れてくれるはずだと思う。

 恋はいつでも独りよがりだという現実には目を逸らす。

 一泊旅行は喜んでくれたけれど、彼女は特別な感情を表に出さない。どうして? 僕は勝手にその地が彼女の思い出の地だと確信している。

 最寄駅から民宿までの道で、久し振りだねって声を期待したけれど、誰からも声をかけられなかった。民宿のおじさんは僕のことを覚えてはいたようだけれど、見た目だけでは気が付かないと僕の成長に驚いていた。

 あれ? なんて彼女の顔を見ながらおじさんが呟いた。そんなわけないよなぁ・・・・

 僕は興味津々だったけれど、突っ込むことはできなかった。彼女が無関心に部屋へと急いでいたこともその理由の一つだ。

 彼女を散歩に誘った。山道は涼しくて気持ちがいい。せせらぎでカニを見つけたり、木の上を走るリスを見つけてははしゃいでいた。

 海にも足を運ばせた。海亀が産卵にやって来ることが注意書きと共に看板に書かれていた。

 僕は余計なことは言わずに彼女の反応を観察していた。

 宿に戻ってお風呂に入ると早めの晩御飯が用意されていた。海辺の街は夜が早い。

 民宿の売りは新鮮な山の幸と海の幸。まさに最高の食卓だった。その辺りの他の民宿と比べても段違いの豪華さで、窓を開けて食事をしていると観光客の羨みが聞こえて来る。

 食後は散歩をするしかやることがない。お酒を飲んでテレビを見るのもいいけれど、それなら家にいても出来ること。旅行先では普段とは違う空気に触れるのが楽しいんだ。

 海岸を歩けば彼女から話し出すと期待していた。彼女の知り合いに会う可能性も多いはずと考えていたんだ。民宿のおじさんは、確かに何かを知っている表情を一瞬見せていた。僕の予感は確信でしかない。

 海岸で花火をしている家族は多い。僕は以前その場所でライヴショウを見たこともある。普段は賑やかな海岸なんだ。海亀がやって来る時間はもっと深い。あの日は珍しかったと後で知った時は驚いた。

 あれ? そんなまさかね・・・・

 すれ違い際に犬を連れたおばさんが彼女の顔を覗き込んでそう言った。

 彼女はまるで気にもしない素振りでいたけれど、そんなことが四度も連続で続けば流石に気になるようだ。というか、我慢が限界に達したようだった。

 私のこと、本当に好きなの?

 彼女の言葉に絶句する。

 他の誰かと勘違いしているのよね? 薄々は気づいていたけど、その子は私なんかじゃないよ。この街に来るのも初めてだし、君との出会いは電車の中。その子の面影に私を重ねるなら、今日で終わりにしましょう。

 えっ・・・・

 突然の別れの言葉に僕は返す言葉をなくして立ち尽くす。

 けれど彼女は隣から離れようとはしない。それは物凄く残酷だった。正直に言って、一人になって海に飛び込みたい気持ちでいた。

 海を眺めていると、大きな塊が動いていることに気がついた。それは間違いなく大きな犬ではない。海亀がやって来たんだ。

 僕は声を押し殺す。誰にもバレてはいけない。右側に進めば人はいない。絶好の産卵場所だ。僕は静かに祈った。どうか誰にもバレませんように。

 想いは伝わることが多い。真剣であればあるほどその確率は上がっていく。

 願いが通じて海亀が動き出した瞬間、彼女があっと小さく声を出した。

 そのままの勢いで僕に顔を向けようとしたのを感じて少し戸惑っていると、見知らぬ声が聞こえてきた。

 はるかちゃん・・・・ じゃないわよね。

 五人目のおばちゃんが立ち止まってそう言った。

 どういうことですかと彼女が聞き、知らなかった過去が判明した。

 結論から言ってしまえば、僕が出会ったあの時の女の子は、彼女とは別人だった。

 あの女の子は、十数年前に死んでいる。駅前から少し離れた交通量の多い道路で交通事故に遭った。轢いたのは酔っ払いの観光客だった。五十代のそのおじさんは、刑期を終えた今でも容疑を否認している。記憶にございませんはなにも政治家の特権ではない。

 女の子は民宿のおじさんの姪っ子だった。普段は僕と同じ街に住んでいて、年齢も同じだった。同じ私鉄の沿線に住んでいたから出会えていた可能性もある。

 女の子が海辺の街で過ごすのは、夏休みだけで、おじさんの妹が経営しているすぐ隣の民宿で手伝いをしたりそこの娘と遊んだりしていた。あの日出会ったのはただの偶然だったけれど、その後も偶然に出会える可能性はいくらでもあったってわけだ。僕はその年を最後に民宿には行かなくなったけれど、兄貴は会っていたかのも知れない。

 彼女はただ単に似ていただけだった。全ては僕の妄想に過ぎない。

 真実を知った瞬間、僕の恋は確かに終わった。

 けれど何故か、これでよかったんだと強く感じる。

 視線の奥で海亀を探すと、誰にも気が付かれずに産卵場所に辿り着いている姿が確認された。

 僕は思わず頷いてしまう。

 すると偶然なのか、海亀がそっと首を動かし、僕へと視線を投げかけながら頷いた。少なくとも僕にはそう感じられた。

 彼女がその様子に気がついていたかは分からない。けれどその視線はずっと感じられていた。

 宿に戻ってからの時間はとても長く感じられた。彼女が側にいるからではあるけれど、彼女がそこにいなければきっと、僕の時間は止まっていたことだろう。

 布団の中で考え続けていた僕は、結局朝まで起きていた。隣の彼女がどうしていたのかなんて考える余裕もなかった僕は最低だ。

 カーテンの隙間からの朝日が眩しく感じた頃、今までごめんねと僕は言った。

 それってどういう意味? その声でようやく彼女の視線に気がついた。彼女はずっと起きていて、ずっと僕を見つめていたようだ。

 君の恋が終わった。それは分かるよ。けれどね、それでいいの? 私はそれが知りたいの。そろそろ私との恋を始めてもいいかしら?

 そっと彼女に顔を向ける。彼女の眼差しは真剣で、その真意を必死に読み取った。

 僕はバカだ・・・・ 初恋の面影を追いかけているだけで、目の前の真実を無視していた。唐突だけれど、僕は気がついたよ。

 ずっと好きだった・・・・ 君だから僕はずっと思い出に浸っていられたんだ。だから僕の恋はここでお終いだよ。

 それで?

 彼女がそう言ってくれて僕は嬉しい。僕の新しい恋が、始まった。

 君のことが好きなんだ。よかったらずっと、一緒にいてほしい。

 彼女の返事がなくても僕は満足している。恋はいつだって終わらない。




 終わってしまった恋 ここから始まる恋

 そこにはいつも君がいる この先もずっと


 終わらない夏 君との恋

 時間はいつでも行ったり来たり

 終わってしまう 君との距離

 離れて行くのは何の為

 ずっと一緒にはいられない

 僕には帰る場所がある

 ずっと一緒にいて欲しい

 君との居場所を探している


 恋なんてしていない

 愛の意味は知っている

 君がいなくても世界はまわる

 僕なんて 問題外

 愛なんて ほらそこに

 ぷかぷか浮かんで なくならない


 暗闇の中 月明かりを求め

 風の流れに逆らって

 波の騒めき 森を抜けて

 潮の香りと君の香り

 そこにいると知っている

 風に流され浮かぶ夜月に

 浜辺を歩く君を見つけた


 終わらない恋が終わってしまう

 君との時間は暗闇の中

 このままここにはいたくない

 新しい世界に泳いでく

 君がここにいなくても

 僕はいつまでも感じてる

 変わらない君と終わらない僕

 新しい世界が待ってる


 君と出会ったことが 僕にとっての奇跡

 君と出会えていなければ 始まることのない恋


 終わってしまった恋 ここから始まる恋

 そこにはいつも君がいる この先もずっと

 この先もずっと この恋は 終わらない恋

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