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練習用

競りにかけられていた獣人の子

獣人と人間が共存している世界だと思って下さい。(獣人はほぼ絶滅状態)

 

 この国では一年に数回、行商が街のメイン広場で大きな競りを行う。

 周辺諸国の雑貨や食べ物なども売られているが、集まっている人のほとんどは別の目当てがあった。


「今日は滅多にお目にかかれない特別な子を用意してきた!」


 男の合図で壇上に連れてこられたのは性別も年齢も様々な人。

 青年や成熟した女性もいれば、幼い子どもの姿もある。彼らの共通点と言えば、揃いの質素な衣服に手枷をつけているところだろうか。


 スラム街で生まれたベルナールには、この賑わいは関係ない。

 それは彼が普通のスラム出身の子だったらの話。


 ベルナールは壇上に連れてこられた人たちからすぐに目を逸らし、その代わりに集まっている人だかりへと視線を移した。


(品定めする側はどっちかな。ってな)


 今ここにいる人たちは壇上に夢中で、ベルナールにとっては格好の餌食。ペロッと舌なめずりをして、彼らを物色していると今までにない大歓声が上がった。

 あまりに大きな人の圧と熱気に思わず壇上を見上げる。


(あぁ。これは……)


 一人だけ布を被せられていた少女の布が取られたのだ。背後から差し込む陽の光が少女をさらに輝かせる。目を細めながらようやく彼女に焦点が合えば、真っ白な長髪から同じ色の三角の耳が飛び出していた。


 獣人という人種がいることは知っていたが、この国ではかなり珍しい。

 見た目的にネコ科の少女だということは分かるが、それでこの騒ぎなのだろう。


 初めて見た獣人の少女からゆっくりと目を逸らして心の中で手を合わせる。



 ゴミ捨て場に捨てられていた“みにくいアヒルの子”という童話の話と同じ。

 あんたも俺も。

 生まれる場所を間違えたな。



 一度目を伏せたベルナールは、目の前にある口が大きく開いた鞄を見つめる。


 鞄の持ち主は壇上に釘付けになっている若い女性だった。

 実際競りに参加しなくても、こうして物珍しさに集まってくる人は多い。周りの人間も少女に釘付けになっている今がチャンスだ。ターゲットを決めたベルナールはゆっくりと近づいて、同じように壇上を見上げつつ周囲に存在を溶け込ます。


 すぐには動かない。

 じっとそのときを待ち、するりと女性の鞄の中に手を伸ばす。中から財布を抜き取って自分の服の中にサッと隠し、そのまま人込みから抜けようと身体を反転させた時だった。


 ざわっと周囲が動き、身体の表面がひりついたような感覚を覚える。どくどくと血液が沸騰していくようなこの感じは嫌いだ。


 バレたら逃げるしかない。人込みを掻き分けて、走り抜けようとするベルナールの耳に激しい怒号と凛と響く声が聞こえる。


「誰でもいい、誰でもいいから私を助けて!」


 今のざわめきの原因は自分ではなかったらしい。

 踏み出した足を止め壇上を振り返ると、ネコ科の少女が人買の手を払いのけ壇上ギリギリの所から身を乗り出していた。


「私は王です。……望むのなら国王でも、何でも、してあげるから」


 手枷を無理やり引っ張られ膝をつく少女。痛めつけるために振り上げた鞭を主催の男が必死に止める。直接的に罰を与えられないのはそれだけ少女が貴重だからだろうか。不用意な傷をつけたらそれだけ価値が下がるのかもしれない。


 膝をつかされ目線が下がった少女と目が合った。


 嘲笑が広がる中でも、その目は何も諦めていなくて煌々と光を放っている。この状況になってもなお、その顔が出来るのは何故なんだろう。



 貴族の子は貴族。

 農家の子は農家。

 それと同じ。スラム街で生まれた子は一生スラム街で生きていくしかない。



 頭では分かっていても、昔はそれでも希望を抱いていた気もする。

 自分はこんなところで終わる人間じゃない。いつかここを出て普通の人間になるんだ。盗みの腕も逃げ足の速さも、頭の回転だってスラム街の中では群を抜いていた。俺はそこらへんにいる奴らとは違うんだ。


 そう思っていたのに、二十年ほど経った今でもこうしてここに留まっている。

 自分は生まれる場所を間違えただけ。

 悪いのは自分ではなく、環境のせいだと言い聞かせて生きてきた。


 それなのに少女の瞳からは、そんなベルナールの生き方を塗りつぶすような意思を感じる。


 自分のしてきたことを恥じるなんて今までなかったというのに。

 萌黄色の瞳から目を逸らして、服の中に隠した財布をぎゅっと握りしめた。


 これから先こうして盗みを続けていけば、生きていくことは出来るだろう。

 ただそれは、一生スラム街で生きていくしかないということ。それなら……。



 この子の口車に乗るのも悪くない気がした。



 勝手に目が合ったと思い込んでいるだけかもしれないが、ベルナールはもう一度顔を上げた。再び萌黄色の瞳を見つめてなるべく大きく口を動かす。彼女の頭の上にある三角の耳がぴくんと動いたところを見ると、どうやら自意識過剰ではなかったらしい。


 するりと人込みをすり抜けて壇上に背を向ける。

 広場の周りにある商店の人たちや通行人ですらネコ科の少女の挙動に注目していて、そこまで難しいことじゃないように思えた。店先に重なって売られている小麦の袋を一つ持ち出して、広場の横に立つ時計台に上っていく。


 少し目を離していた間に少女は猿轡を噛み声を出せないようにされていた。そして値段がつけられている。ベルナールが一番上に辿り着く頃には、聞いたことのない値段が飛び交っていた。


 生きるために覚えた盗みを人の為にする日が来るなんて


 広場を見下ろして冷静になってみると、自分がいかに馬鹿なことをしようとしているのかが分かる。それなのに不安がないのは何故だろうか。


 自分でも驚くほど動きに迷いはなく、よしと気合を入れなおして一歩後ろに下がった。

 反動で自分まで落っこちないようにするためだ。

 担いできた小麦の袋の口を開いて袋ごと壇上に向かって勢いよく放り投げると、突然舞い上がる白い粉に広場は騒然となる。

 ベルナールはすぐさま階段を降り途中にある小窓から、商店を彩る飾り布を吊り下げている紐に向かって飛びついた。紐の先を手に掴みそのまま一気に広場まで降り立つ。


 天も味方してくれているのか、穏やかだった広場に風が吹き込みまだ粉は宙を舞っていた。


 壇上の位置は上から把握している。騒然としている群衆の間を走り抜け、全神経を耳に集中させた。あの少女に上手く伝えられているなら心配はないはずだ。


「んっ、んんんっう!」

(ビンゴ!)


 絞り出すように聞こえたこもった叫び声を頼りに声が聞こえた方に向かう。

 こちらに伸びる手枷がついた手を勢いよく引き寄せると、すっぽりと胸に収まったネコ科の少女と目が合った。遠くから見ていた時より少女の瞳の色は鮮やかに見える。


「あいつはどこ行った!」


 一瞬時が止まったように思えたが、周囲の怒号で我に返ったベルナールは慌てて少女を抱え直した。手にしていた飾り布を頭に被せてその場から離れスラム街の方へ向かう。


 広場で競りがある度にこうして全力で走っていた。

 今日は人を抱えているのだから不審に思われるはずだが、ここで無気力に生きる人たちはよく見もせずいつもの事だというように向かってくるベルナールを避けるだけ。


 空き家の一つに飛び込んで近くに捨てられていたトタン板で入口をふさぐ。急いでいたせいもあり手荒に布を被せすぎた。ずっと抱えていた少女を下ろし、グルグル巻きになっていた少女の頭から布と猿轡も一緒に外してやる。小さな窓から外を覗くが追手の気配はまだない。


「あの、助けてくれて……」

「名前は?」

「え?」


 お礼を言われそうな気がして言葉を遮ると少女はきょとんと目を丸くした。


「俺はベルナールだ」

「カリアで、す」


 辺りを見渡しながらおずおずとそう言うカリアを手招くが、警戒しているのかすぐには近づいてこない。一応助けてやったんだけどな、と苦笑しつつ手を下ろすと、三角の耳がぴくぴくと動いた。


「それ、本物なんだろ?」


 一瞬なんのことか分かっていなそうだったから、今度は頭の上に生える耳を指差すとカリアはこくりと首を縦に振った。


「ふぅん。この国では珍しいと思うよ。俺も初めて見たし」

「私も自分以外は知りません」

「そういうもんなのか?でも、いいな。それ」


 カリアはまた目を丸くする。


「だって遠くの音とか良く聞こえるだろ?」

「……そ、うかもしれません」

「ん?自覚無し?」

「いつも布を被っていたから感じてこなかったんです。人前でこの姿になることはありませんから」


 耳に触れようとしたのか持ち上がった腕を見て、まだ手枷がついたままだったことに気がついた。木で出来ているそれは当の本人だと壊すのは難しいだろうが、傍から見ている分には簡単に壊れそうに思える。


 ベルナールは部屋の奥に転がる大きめな石を手に取りカリアに近づいた。怯えたような顔をするが「まぁまぁ」と言って宥めつつ、その石を力いっぱい蝶番の部分に振り下ろすと、思っていた通りあっという間に手枷が外れる。


「ありが……」

「あーいい、いい。そういうのいいから」


 危ないところだった。

 お礼を言われる寸前でカリアの言葉を遮り、石を放り投げる。


 感謝をするのはもちろん、されるのも得意じゃない。

 今までそんなことをする必要がない環境で育ってきた。ここで暮らす人間は自分のことで精一杯なのだ。



「それよりさ、壇上でなんであんなことを言ったんだ?」

「あれは……」

「助けてほしいから言ったデマカセだろ。人買いに売られる子のどこをどう見れば王だと思う?どうやって国王にしてくれるっていうんだか」


 笑い話っぽく言うとカリアは真剣な顔で首を横に振る。


「嘘じゃないです。……私は、隣国に行けば王になれます」

「は?」


 今度はベルナールが目を丸くした。

 あいつらにひどい目に合わされて、とうとう頭がおかしくなったのかもしれない。不憫な物を見るように眉を下げるとカリアは大きく首を横に振る。


「本当です!嘘じゃありません」

「カリアはこの国の出身なのか?」

「ちが、います……」

「それじゃどこから連れてこられた?」

「……隣国です」


 グッと言葉を噛み締めたカリアは小さな声で答えた。

 自分の言っていることがおかしいという自覚はあるようで少し安心する。ふっと笑いながら、小さな子どもに教えるようにゆっくりと口を開いた。


「いいか?“隣国に行けば王になる”が本当だったとして、カリアはこの国の隣から来たんだろう?それでここに来てどうなった?俺の記憶が確かなら競りにかけられていたと思うけど」

「それは……っ」


 何かを言いかけて口をギュッと閉じたカリアは視線を床に落とす。あまりにシュンと小さくなる姿を見て、流石に現実を突きつけすぎたかと少しだけ罪悪感みたいな感情を覚えた。


「別に責めているわけじゃない。それに俺が同じ立場でもそうしたかもな。こんな生活しか知らないけど、別に死にたいわけじゃないんだ。少しでも助かる可能性があるのならそれにかけたい気持ちは分かる」

「そうじゃないんです。あの……あっ」


 話している最中だったが、急に激しく動きだした耳に嫌な予感がした。


「もしかして、誰か来るのか?」

「多分。たくさんの足音と嫌な声が近づいてきています……」

「チッ。バレるの早いだろ。……あー、誰か情報売ったな」


 まだベルナールの耳には何も聞こえてこないが、そろそろこの辺りにまで捜索の手が伸びてもおかしくない。そういえばさっきまで目の前にいるカリアには相当な額がついていた。

 それこそスラム街から抜け出して、さらにひ孫の代まで遊んで暮らせそうな額。



(今ここで衛兵にこの子を突き出せば俺は……俺の望みはすぐに達成される)



 スラム街の貧しい暮らしから抜け出し、普通の人間と同じ生活を送りたいだけならそれで充分だ。



 動きが止まったベルナールの前で、カリアは目を閉じて音に集中していた。

 ピンと立った耳を小刻みに揺らしていたが、急にハッと顔を上げる。


「だ、だめ。そんな……ここまで逃がしてくれてありがとうございました。あとは一人で何とかしますから」


 追ってくる奴らの不穏な声が聞こえたのだろうか。

 急に早口でそう言い、ここを飛び出して行きそうになるカリアの腕を咄嗟に掴む。


「ベルナールさん……」


 自分を見上げるカリアの瞳が揺らいだ。

 隠しきれていない不安が手に取るように分かる。


「さっきも言っただろ?責めているわけじゃないんだ」


 心が決まったわけじゃない。

 それなのにカリアの腕を掴む力が強くなる。


「どうせ助けたんだから最後まで付き合うよ」


 スラスラと出てきた言葉に自分が一番驚いた。

 けどカリアを前にすると、何故かそれが当然というようにそれ以外の言葉が出てこない。


「だめです。あの人たち私たちを捕まえたら酷いことをしようとしている」

「そもそもここまでくるってことは俺が盗んだってバレているだろ。それに、ここを出るいいきっかけになった」


 もっともらしい理由を思いついてそう口にする。

 それでも何か言いたそうな顔をするカリアから離れ、適当に置いてある家具を漁った。ピンク色の飾り布は目立つだろう。ちょうどいい布が見つかり手に取ると、思ったよりもボロボロだった。


「ちょっと汚いけど我慢しろよ」

「えっ、あ……」


 ゆっくりカリアの目の前まで近づき、その布を頭に被せ途中で取れないように端同士を結び合わせる。さっきよりも丁寧に長い髪もまとめて布に押し込んだあと、身体を軽々と持ち上げた。


「とりあえず話が出来る場所に行くか」

「このままですか?私だって走れます」

「ふっ、……俺の足の速さ舐めんじゃねぇよ」


 訓練を積んだはずの衛兵さえ撒いたこともある。ベルナールはそのまま窓から外を覗いた。まだ目視できる範囲に人はいない。


「追手はどっちから来る」

「左から聞こえます」

「よし、それじゃよく掴まっていろよ」


 トタン板をどかし外に出たベルナールは右に向かって勢いよく走り出した。


「凄い……」

「そりゃどうも。なんかヤバそうなら早めに教えてもらえると助かる」


 広場から抜け出すときは手荒に布を被せたせいで、顔まで全て覆っていた。視界が良好になったカリアはベルナールのスピードに感嘆の声を漏らす。


「分かりました。でもこのスピードなら……」

「これが全力だと思われてもなぁ」


 素直な返事を聞いたベルナールはさらに加速した。

 空き家を抜けたり細い道に入り込んだり、広場からなるべく離れられるように、ここの地形の記憶を辿りながら懸命に足を動かす。


「ベルナールさん、音がだいぶ遠のきました」

「は、ぁ……っ、ふ、ぅ……そ、うか。それなら少し……休もう」


 スラム街を抜けずいぶん遠くまで来た。

 辺りを見渡し人気のない建物の陰に身を隠して一度カリアを下ろす。


 人を担いで走ったことなど一度もなかった。

 思っていたより身体は消耗している。

 激しく乱れた息を整えながらベルナールは膝に手を置き身体を丸めた。肺の隅の隅まで少しも酸素が残っていない。あまり他人に辛そうなところを見せたくないが、大きく息を吸い込んで口からゆっくりと吐き出すのを何度か繰り返す。


 その直後背中に何かが這ったような感覚に、身体がぞくぞくと震えた。

 びくっと肩をすくめたベルナールが身体を起こすと、カリアが自分の丸まった背を撫でていたと気が付く。


 こんな風に人から触れられたことはない。居心地の悪そうに視線を彷徨わせた後「大丈夫」とだけ言う。


「とりあえず、このあとはどうする」

「私は一度国に戻ります。あの国はいくつかの国と接していたから、おじさんがどの国のことを言っているのか分からなくて。今度は他の国に行くつもりです」


 戻れるならその方がいいのかもしれない。小さく頷くとカリアはバッと頭を下げる。


「本当にありがとうございました」

「いや、だからそういうのは、いいってば」

「ベルナールさんがいなきゃ私はあのまま誰かの所有物となっていたかもしれません。だからお礼がしたいんです。……嘘じゃないんです。あなたが望むなら私はあなたを王にします」


 まだそんなことを言っているのか。

 はぁと大きく息を吐いたベルナールにカリアはびくんと体を震わせながらも、身振り手振りで違うと現しながら口を開いた。


「獣人が作った国を知っていますか?」

「獣人が?」

「はい。はるか昔5人の獣人が一つの国を作ったんです。それが私の住んでいた国の隣国なんだと聞かされていました。最初は私も昔話だと思っていたんです。だけどおじさんが何度も真剣に話すから内容は全部覚えていました」


 幼い子に読み聞かされる話などいくらでもある。

 スラム街で生まれ育ったベルナールは、そこまで童話や物語に詳しいわけじゃないが、獣人が作った国、という話はまったく聞いたことがない。


「その話が本当だったとでも?」

「おじさんの命がけの言葉だったから」

「命がけって……いったいどんな話を聞いたんだ?」


 ベルナールがそう尋ねると、服の裾を弄りながらその記憶を辿るようにカリアはぽつりぽつりと話を聞かせてくれた。



 ――――――――――――― 



 昔、五人の獣人が小さな国を作った。

 元々数の少なかった獣人は人と交わって子を成していくため、どうしても獣人の血が薄くなっていく。


 獣人と人間の子ども。

 そして、その子どもと人間の間に生まれた子ども。

 そうやって代々続いていくと、人間の姿で生まれる者が多くなっていくのは明白だった。


 だから王族の間に生まれた子がもし獣人だった場合、問答無用で王位継承権を得るという決まりが作られた。だがさらに時は過ぎていくと、とうとう獣人の王を知らぬ代が始まった。


 その世代が何代か続いた頃。

 王に使えている召使が王の側近と恋仲になった。そして秘密の逢瀬を重ねていたある日、女は子どもが出来たことを悟る。


 側近だった男は王の乳兄弟だった。王に仕える身ながら側近と結ばれ、しかも王より先に子を成したとあれば、彼の立場がなくなるのではないかと女は危惧した。


 だから一人で子どもを育てる覚悟をして逃げるように王宮を出たのだ。

 だけど女は生まれてきた子を見て言葉を失った。


 そこには、あるはずのないものがついた我が子がいる。


 今の王族は全員人間の姿をしていた。数代前からずっと人間の王が国を治めている。

 女が結ばれたのは王族ではない。

 あくまで乳兄弟の男。


 それならば何故この子に、こんな耳が生えているのだろう。


 女は運命を憎みはしたが、それでも我が子を大切に育ててきた。人目につかないように子どもを育て、なおかつ生まれつき頭が変形していると周囲に嘘をつき、頭に何重もの布を被せ暮らしてきた。


 だがある日、女の元に一人の男が尋ねてきた。


 あれから何年も経っていたが、その顔を見て女は泣き崩れた。

 愛しい人の顔を見間違うはずはない。男も涙を流して女を抱きしめる。身籠った女が突然姿を消し、あれからずっと探していたという男は「子どもはどこか」と尋ねた。


 女は一瞬悩んだが、男に子どもを見せることを決めた。


 布を外した我が子を見て男は腰を抜かす。

「今までこの子を一人で?」女が泣きながら頷くと男は「ありがとう。ありがとう」と何度も言いながら再び涙した。


 それから二人は共に子育てをすることを決めた。

 ただ、男は知らなかった。


 男はずっと監視されていたのだ。

 それも王に子どもが出来なかったのが原因だった。何人もの妃を囲い大きく膨れ上がった王室にもかかわらず御子が一人もいない。


 そこにきて乳兄弟が突然王室を離れると言う。

 しかも、心を寄せた相手がいるからだと。


 王は好きにすればいいと男を送り出したが、側室の一人がそれは好都合だと目を付けた。

 正妻ではない彼女はふと思ったのだ。


 いっそ、誰の子でもいいじゃないか、と。

 王の乳兄弟の子なら“王の子”と言っても過言ではない。


 だから、子どもがいれば奪ってこい。と勝手に王室の近衛兵に命じて男を追っていた。



 女も男もそんなことは露知らず。



 それからしばらく親子三人穏やかに暮らしていたが、ある日家の隣にある畑に食材を取りに行った子どもの姿が見当たらない。嫌な予感がした男が近くを探しに行くと子どもがいつも被っている布が落ちている。そして目の前で見覚えのある人物を見つけた。


「これはどういうことですか」


 乳兄弟で王の側近だった男は近衛団長も務めていた。

 今男の前で我が子と共にいる人物は当時の部下。初めて見る両親以外の男の姿が珍しいのか、それとも布を取ってもらった解放感からか、状況の分かっていない我が子はきゃっきゃっと笑っている。どこからどう見ても猫と同じその耳が完全に露になっていた。


「頼む。見逃してくれ」

「自分が何を言っているのか分かっているんですか!」

「分かっている!……それでも、今はそう頼むしか出来ない」


 子どもを返すように訴える男に部下は首を横に振る。これはこの国を揺るがす大事件だ。見過ごせない。そもそもこの先バレずに生活が続けられる保証もない。


 そう告げる部下に男は地面に膝をつき、頭を下げた。


「この通りだ。子どもはいなかったと。何も見ていないと言ってくれ」


 部下は尊敬していた上司のこんな姿を見ていられなくて目を逸らした。ちょうどそこに女もやってきた。一目見てこの状況が分かったのだろう。男の横で同じように地面に頭を擦り付ける。「どうかこの子だけは見逃してください」繰り返しそう言う二人に部下は頭を抱えた。


「分かっているでしょ。俺一人で来たとでも?」

「俺の首じゃ駄目か」

「何を……」


 男を追ってきたのは部下だけじゃない。

 抜け目ない側室は男を追う任務に、部下の他にもう一人つけていた。もちろんそれは側室側の人間。彼は男に子どもがいることが分かったあとすぐに報告に戻っている。


 どちらにしても逃げられない。


 男は自分の隣にいる小さな子どもに視線を落とす。まぁるい目で自分を見上げてくる愛嬌たっぷりの子どもと、目の前にいる二人を見比べて眉間の皺が濃くなった。


「……あなたは王の元へ戻ってください。この子は俺が育てます」


 自分が出来る最善の方法はこれしか思いつかなかった。


 いくら王の乳兄弟とはいえ、近衛団長の身分だった男が、王に仕える近衛兵を私信で殺めることは許されない。それを知っているうえで、あえて男に告げた。



 知らせに戻ったもう一人はこの子の秘密を知らない。

 王の元へ戻り、子どもを奪われた腹いせに自分を殺したと言え。

 子どもも命を落としてしまった。どうしてくれるんだ。と女も一緒に戻りとにかく騒ぎを大きくしろ。

 もしかしたらそれが側室の力を削ぐ理由になるかもしれない。



 自分が言っていることがどういう意味なのか分かっているはずだ。

 それなのに二人はバッと顔を上げる。


「ノールはそれでいいのか?」

「……俺が助けられるのは一人だけです」

「すまない。本当にすまない。……ありがとう。この子を頼む」


 自分の手の平にすっぽりと収まる小さな手をギュッと握りしめる。自分の力の無さを痛感してノールは男と目を合わすことができなかった。


 この人を助けたかった。

 一人しか助けられないのなら、自分はこの人を。


 けれど、それは自分のエゴで男の望みではない。

 どうせこの命令を受けたときに、戻った時に自分の命はないだろうと思っていた。あの側室が秘密を知る人物を生かしておくはずがない。


 どうせ命をかけるのなら、自分が尊敬する人物の為に使いたいと思うのは間違っていないはずだ。


 お礼を言われるようなことは何もしていない。

 何故なら、暗に二人に死ぬ為に戻れと言っているようなものだから。



 ――――――――――――――― 



「だから、今までの話は作り話なんかじゃない。自分が両親を殺したと……おじさんは最期にそう言ったんです」

「最期って……」

「ひと月前、私を隠しておじさんは殺されました。あいつらから逃げろと……国の名前も言っていたんですけど、そのときにはもう声が消えかかっていて私でも聞き取れなかった」

「それで逃げてきたのか」


 突拍子もない話。

 物語の一節。

 話を聞けば聞くほどそう思うのに、やけに具体的な内容のせいで本当にいかにもこの話が真実かのように聞こえる。


 ベルナールの言葉にカリアはゆっくりと首を横に振った。

 さっきまでたどたどしく、詰まったり考え込んだり、目を泳がせながら話していたのに。


 カリアはまっすぐとベルナールの瞳を見つめる。

 壇上のときと同じだ。

 彼女の萌黄色の瞳は煌々と輝いていて、目が逸らせなくなる。


「違うよ」


 独り言のようにぽつりと呟いたカリアは、せっかく巻いてあげた布を解いて微笑んだ。

 暗い路地裏は光など差し込まないはずなのに、何故か彼女の周りだけ華やかに見える。彼女の白い髪と猫の耳がそうさせるのだろうか。


「違う?」

「おじさんには言っていなかったけど、なんとなく覚えているんです。母親と暮らしていたことも。父親と一緒に過ごしたことも」


 過去を懐かしむように目を細めたカリアは少しだけ首を傾げた。


「だけどそれよりも思い出すのはおじさんのこと。それなのに最期に見たおじさんは泣いていたんです。約束を守れなくてごめんって。……誰に言ったんでしょうね」

「……カリア」

「不愛想だけどすごく優しかった。おじさんのこと大好きだったんです。だから私は、両親もおじさんも奪ったあの国を許さない」


 カリアの覚悟がより話に真実味を帯びさせる。


「だから逃げません。私はその国を見つけて王になる。だから、あなたを王にすることも出来ると言ったんです」

「王になる為に戻るんじゃないのか?」

「今の私は何も持っていない。私の為に命をかけてくれた方に渡せるものはそれくらいしか思いつかなくて」


 “それくらい”とカリアは言うが、王の地位をあげるということは国をあげると言っているのと同じ。彼女の口車に乗ったつもりで、簡単に差し伸べた手だったが急に事の重大さに気付いた。


「俺はスラム街から抜け出せるなら……なんでも良かったんだ」

「でも、それなら一緒に逃げなくても良かったじゃないですか。……私を衛兵に突き出せば、今頃大金持ちだったのに」


 生唾をごくりと飲み込む。

 カリアの言う通りだ。もちろんそのことだって頭をよぎった。自分は面倒見の良いタイプでも、責任感の強いタイプでもないはずなのに、あのときは自然とその選択肢を除外していた。


「今からでも遅くないと思いますよ。私をつきだしますか」

「……」


 黙り込んだベルナールにカリアはクスクスと声を漏らす。


「そういうところです。ベルナールさんは少しだけおじさんに似ているんです。その優しさに私は救われました」

「……その言葉は逃げ切った時にもう一度聞かせてくれ」

「ありがとうございます。私がやり遂げたら、きっと新しい獣人の王の話は噂になるでしょう。そうしたら訪ねてきてください。約束は守ります」


 ようやく呼吸も落ち着き、身体の疲労も回復してきた。

 カリアが持つ布を取ってもう一度きちんと頭に被せる。


「窮屈?」

「慣れているんで大丈夫です」

「今、追手は?」

「近くにはいないかと。……この国で捕まったのは完全に私の不注意でした」

「でも逆に良かったんじゃないか?」

「え?」


 ベルナールはふっと唇の端を持ち上げた。


「この国で獣人の噂が広まれば、カリアの捜索の手はこの国に伸びる。その間俺たちが他の国に行っても動きやすくなるだろう?」

「俺たち?」

「言っただろ?最後まで付き合うって」


 一瞬動きが止まったカリアの目からツーっと頬を伝ってくる涙。カリア自身その涙に驚いたようにあたふたと目を擦った。


「あ、あれ、なんで……」

「気にするな。気が緩んだんだろ」


 顔を隠すように引き寄せて腕の中にその小さな身体を収める。強張る身体から徐々に力が抜けてカリアが体重を預けてきた。


「ありがとう……っ、ございます」

「敬語じゃなくていい」


 慰め方なんて知らない。

 けど自分がされたかったことをふと思い出した。

 ぎこちない手つきで背中を撫でれば、カリアの涙で服が染みてくる。



 カリアの息が落ち着いたのを見計らって、もう一度ひょいと身体を抱きかかえた。


「や、やっぱりこの体勢なんですか?」

「ん?どっか苦しい?」

「そうじゃないんですけど、誰かに見られたら恥ずかしいというか。なんというか」


 小さい身体で一丁前に可愛いことを言うじゃないか。

 ベルナールはアハハと笑いながら「気にするな」と言った。


「だいたい子どもは大人に抱かれているだろう」

「私これでも17歳なんですけど」

「は?」


 思わず抱きかかえたカリアの身体を落としそうになる。

 まじまじ顔を見ると、カリアは頬を染めて「近い……」と目を逸らした。


「本当?」

「本当です。……獣人の子は若く見えるとおじさんにも言われました」


 それなら話は変わってくる。

 正直12歳前後だと思っていたのだ。


 カリアの言う通り17歳の少女を抱きかかえて走るのはいささか問題がある。かといってカリアが自分についてこられるわけがない。

 色々考えてみるがそんなすぐに良いアイデアが思いつくわけもなく、ベルナールはすぐに開き直った。


「大丈夫。見た目は子どもに見える」

「そんなぁ」

「よし、行くぞ」


 再びしっかりと抱えるとベルナールは走り出す。

 最初は頬を赤らめていたカリアだったが、すぐに移り行く景色を見ることに夢中になった。追われている身だというのに目を輝かせ時折笑い声をあげるカリアの能天気さを羨ましく思いつつ、ベルナールも知らず知らずのうちに口元が緩む。


 それはカリアはもちろん本人も気が付いていなかった。



最後までご覧いただきありがとうございました。見て頂ける方がいて嬉しいです。

今回は友人とお互い企画物に初挑戦しました!12000文字以下というところが難しかったですが、なんとか話をまとめられたかな?と思います。二人の冒険はこれからはじまるーーーという強引なまとめ方ですが

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