口塞がれた者のはけ口
「ちょっと、待ってくださいよマイクさん」
「なんだあんた、俺を追っかけてきたってのか?」
会場から出て、正門へと向かう廊下の途中でマイクの背中を見つけたクラークは、慌てて声を掛ける。
振り返ったマイクは憮然とした表情を隠すことなく、刺々しい言葉を返してきた。
だが、それはそれでクラークとしては好都合。
足を止めたマイクに追いつけば、は~、と大きく息を吐き出した後、にやりと唇の端を上げて見せる。
「ええ、さっきのあれでね、ますます話を聞かなきゃいけなくなりまして」
「何言ってんだ、俺に聞いたって何の意味もないだろ。あのお貴族様がおっしゃったことが全てで、俺にはもうどうしようもない」
言い捨てた言葉から伺える、諦めの感情。
だがそれは、自分に言い聞かせているようでもあり。
そして何より、その裏には隠しきれない怒りが滲んでいる。
ならば、それを煽ってやればいい。
「はっ、随分と腐抜けたことをおっしゃる」
「なんだと?」
挑発するようなクラークの言い様に、マイクの表情が変わった。
抑えていた感情を刺激された彼は、今にもクラークに掴みかからんばかり。
だが、筋骨たくましい剣士から睨まれているというのに、クラークは平然としたもの。
「腑抜けっつってんですよ、平民の英雄様。それとも腰抜けの方がよろしいですか?」
「てめぇ……喧嘩売ってんのか?」
「売り甲斐のない相手に売ってもしょうがないでしょうや。今のあんたじゃ、ゴブリン一匹倒せるかも怪しいもんだ」
「言わせておけば、この野郎!」
煽られたマイクが顔を赤く染め、思わず手を挙げた瞬間。
「おい、何をやっている! 王宮内での暴力は御法度だぞ!」
廊下に配置されていた衛兵が、流石に止めに入ってきた。
平民同士の言い合い程度ならばどうでもいいが、殴り合いで鼻血の一つも飛べば、汚れた床とその清掃が問題になる。
だから衛兵は止めに来た。……クラークの読み通りに。
そして、衛兵から止められれば、流石にマイクも少し頭が冷えたらしい。
大きく息を吐き出すと、衛兵に向かって頭を下げた。
「いや、何でもありません、すみません」
「まったく、いくら酒が入ってるからってな、ここは偉大なる国王陛下のお城なんだ。
そういうことは外でやれ、外で」
マイクが矛を収めたからか、衛兵も態度を軟化させ、しっしと追い払うように手を振って見せる。
ちなみに、二人ともろくに飲んでいないのだが……もめ事を酔いのせいにして片付けたいのだろう。
それに対してマイクは頭を下げ、大人しく外へと向かい……その後ろを、クラークがついてきた。
「何だ、ついてくるな」
「まあまあ、そう言わず。さっきも言いましたがね、俺は新聞記者なんですよ。もしかしたら、しゃべったことが無駄にならないかも知れませんぜ?」
「馬鹿馬鹿しい、そんな都合のいい話があるかってんだ。……ああくっそ、何か白けちまった」
まとわりついてくるクラークに言い捨てると、マイクは大きく息を吐き出した。
城門を出て空を見上げれば、すっかりと星空に変わってしまっていて。
それを見ているマイクの心は、晴れ間の欠片も無い程にどんよりと曇っている。
「白けたってんなら、酒の力を借りませんか。いい店を知ってんですよ」
「ほんっとしつこいなあんた。……わかった、少しだけ付き合ってやる。ただし、あんたのおごりな」
良い加減面倒になってきたマイクは、そんな返事をしてしまった。
鍛えられた自分と、痩せぎすのクラーク。酔い潰すのも簡単だ、という計算もあった。
「ははっ、こっちが誘ってる上に話を聞かせてもらおうってんです、もちろん俺のおごりですよ」
気前良く返すクラークの心算を知ることもなく。
「ったく、俺だってよぉ、言ってやりてぇよ? バカヤローってよぉ! でもよぉ、だめだろ? あそこじゃ、だめだろ?」
「まったくその通りで。よく堪えたもんですよ、ほんっと。しんどかったでしょ?」
「わかるか? わかるか? 俺がどんだけ辛抱したか……だってのに、あの野郎はよぉ!」
二時間後。そこには、すっかりくだを巻いたマイクがいた。
クラークがよく使う裏路地の店、二人がついているテーブルには空の瓶が数本。
二人の男がたったの二時間で空けたにしては、随分とペースが速い。
結果、この様である。
マイクは見誤っていた。
確かに、飲める酒量はマイクの方が多いのだろう。
だが、クラークは飲むのが『上手かった』。
自分は飲んでるように見せながらマイクに酒を勧め、相づちを打って会話の方に集中させながらさりげなくグラスに酒を注ぎ。
いつの間にやらマイクはクラークの三倍以上の酒を飲んでいるのだが、本人は全く気付いていない。というか、気付けない状態になってしまっている。
「何だよ追放ってよぉ! 別に、そんなの、後からやりゃ良かっただろぉがよぉ!
俺だってわかってたよ、お役御免だって! チクショウ、何もかんも持っていきやがって!」
「何もかんもってのは、『勇者』の名声、だけじゃないってことですかい?
例えば、子爵令嬢のエステル様とか……」
「そうだよ、その通りだよ! あの野郎、伯爵家の人間だからって強引に迫って、それでもお嬢さんが落とせなかったからってあんな手に出やがって……。
俺の方が、ずっと先にお嬢さんに出会って、好きだったんだ! お嬢さんだってきっと、きっと……チクショォ!!」
マイク曰く、彼はもともと子爵家の護衛として雇われていたのだが、そこでエステルと出会ったのだという。
可憐な見た目、それにそぐわぬ行動力、平民だからと差別したりもしない態度。
それらに触れる度マイクは惹かれていき、少しずつ距離が縮まっていったようだ。
いつしかエステル専属の護衛に近い形になったのはいいが、それが災いしてエステルをスカウトしに来たアルヴィンにも目を付けられ、討伐パーティに入れられたのだと言う。
「あの聖剣だってな、本当は俺が使ってたんだよ。恐ろしいくらいに斬れる、斬れすぎるから、滅多に使わなかったけどな……。
あのお坊ちゃんは何してたかって? 後ろで隠れてたよ、ずっとな!
そのために雇われたんだ、そのこと自体に文句はねぇよ。だがな、あれはねぇだろ!?
ありゃ絶対、金を払いたくなくなったからだ、そうに違いない! 近づくなってことは、後払いの報酬を受け取りに行けないってことじゃねぇか!
くっそ、ほんっとせっこい奴だぜ、最初から最後まで!」
「マジですかい、そりゃぁ。いや、こんなとこで嘘つく意味もねぇけども」
「マジに決まってるだろ、嘘なんて吐いたって、どうにもならねぇだろ!」
かなりの爆弾発言に、思わず確認を入れて。
返って来るのはもちろん酔っ払いの戯言と紙一重の言葉。
だが、マイクが嘘を吐いたところで、『勇者』である伯爵令息アルヴィンの地位をどうにか出来るわけでもない。
まして、彼が宣言した婚約など。
どうにもならないからこそ、酒の力を借りて、ここで吐き出している。
クラークは、そんなどうにもならない言葉をこそ、大事にしたいと思っている。
「チクショウ、なんだって俺は平民なんだよ……お嬢さんは貴族なんだよ……俺は、俺は……きっと、俺の方が……お嬢さんを幸せに……」
酒の力でタガが緩み、散々に感情を、本音を撒き散らしたマイクは、最後にそう零すと、テーブルに突っ伏した。
やがて聞こえてくるのは、随分と控えめな寝息。
隣でそれを聞いたクラークは、驚いた顔になり。
「へぇ、これだけ酒が入ってるのに、呼吸の制御が出来てるとは。
こちらの英雄さん、剣士だけじゃなくて野伏せの訓練もかなり受けてるみたいだね」
野伏せ。レンジャーとも呼ばれる、野外活動のエキスパートである。
そのスキルに詳しい様子で声を掛けてきたのは、この酒場のマスターだった。
すらりとした細身の長身、中性的な顔立ち。そして何より、やや細長く尖った耳。
森の奥深くにすむ謎めいた種族、エルフと人間の合いの子ハーフエルフである彼は、見た目だけならば二十代前半の若者だ。
もっとも、ここの常連客全員が、見た目で判断してはいけないと痛感しているのだが。
今も、そう。
マスターがぱちんと指を鳴らせば、急に周囲の喧噪が戻って来た。
「相変わらず見事だよなぁ、マスターの魔術は」
「そりゃどうも。お会計と一緒に魔術の使用料ももらうからね?」
「勘弁してくれよ……いや、確かに助かったけどさぁ」
げんなりとした表情で、クラークはグラスを口元へと運んだ。
先程までの、マイクが撒き散らしていた問題発言。
あれらは全て、周囲の酔っ払いどもには聞こえていない。
彼らが酔っ払っている、ということもあるが、もちろんそれだけではない。
目の前にいるマスターが、さりげなく音声を遮断する魔術を使っていたために、聞こえなかったのだ。
当然、マイクが暴露していたあれやこれらも、クラークとマスター以外には聞こえていない。
だから、こんな誰が聞いているかわからない場所での連発される爆弾発言を、クラークも止めなかったのだ。
「で。こんな話を聞かされたクラークはどうするつもりだい?」
「わかってて聞いてるだろ、それ」
そう返したクラークは、ぐいっとグラスを煽って……カツン、と音を立ててテーブルへ打ち付けるようにして置く。
「こんなふざけたことをなさっていらっしゃる『勇者』様には、是非とも『真実』を叩きつけてやらにゃぁ気が済まねぇ。
女一人口説き落とせなかったからって、これはねぇだろ、いくらなんでも」
「それには同意するけども」
抑えた口調ながらも隠せない憤りを見せるクラークに、マスターはグラスを磨きながら返し。
コトン、と微かな音と共に磨いたグラスを棚へと直しながら、マスターは小さく笑う。
「多分『勇者』様も君には言われたくないんじゃないかな、女性関係に関しては」
「……それに関してはノーコメントで」
投げかけられた言葉にクラークは言い淀み、何とも情けない顔になりながら、残り少ないグラスに口をつけたのだった。




