華やかなりし貴族の社交
そして、祝勝パーティへと参加したクラークとリズ。
「あら、クラークじゃないの。相変わらず……いえ、ちょっと疲れてる?」
会場に入るなりクラークに声を掛けたのは、一人の男爵令嬢だった。
年の頃はリズよりいくつか上である彼女は、幾度かクラークが夜会に潜り込むためにエスコートした女性である。
そんな彼女は、クラークがエスコートしているリズを見って一瞬驚いた顔になり、すぐに恭しく頭を下げた。
「これはエリザベス様、ごきげんよう。その節は大変お世話になりまして……」
「ごきげんよう。いえ、わたくしではなく父の取り計らいでございますし」
心から感謝している様子の令嬢と、にこやかに応じるリズを見て、クラークは悟ったような顔になる。
婚活のために夜会に出たかった令嬢と、ネタのために潜り込みたかったクラークは、利害が一致していたため幾度も夜会に連れ立って参加した。
だが先日、エリザベスの実家である公爵家の遠縁に当たる子爵家の嫡男が紹介され、好条件の話に令嬢は飛びつき無事婚約。来年には結婚の予定となっている。
それは、恐らくリズの差し金だとクラークは踏んでいる。
婚活が終わった令嬢は、当然クラークのエスコートが不要になった。
これが彼女一人であれば『そういうこともあるか』と思えなくもないが、クラークが今までエスコートした未婚女性全員がとなれば話は違ってくる。
こうなると、クラークが夜会に潜り込むためにはリズをエスコートするしかない。
そういう状況を、いつの間にか作られていたのだ。
「今日の装いは随分と落ち着いた……大人の雰囲気でございますね?」
「ええ、わたくしも男爵家当主となったことですし……それに、着飾って周囲にアピールする意味もあまりございませんから」
「なるほど、それも確かに」
リズがそう言いながら意味深な視線をクラークへと流せば、それを追った令嬢も追従する。
令嬢としては、恩のあるリズの味方をするのも当然のこと。
二人がかりで圧力をかけられたクラークは曖昧な笑みで目を逸らすしかなく、そんな彼を見た二人はあまり見ないクラークの様子にくすくすと楽しげだ。
「……ほんっと、本気になった貴族様ってのは怖いねぇ……」
にこやかに男爵令嬢と談笑するリズを横目に見ながら、クラークは小さく小さくぼやく。
周到に着実に、逃げ場を潰されていっている。
二十歳前の少女と言ってもいいリズがそれを平然とやってのけていることに、背筋が寒くなることもある。
とはいえ正直に言えば、クラークとてリズに思いを寄せられていることに悪い気はしていない。
それどころか、彼女は彼が知る中でもとびきりのいい女だとすら思っている。
ただむしろそれが問題で、いい女過ぎるのだ。格差が三重苦過ぎるくらいに。
三十過ぎの平民男としては、どうにも尻込みしてしまうのも仕方の無いところ、と彼自身は思うのだが……そうこうしている内に逃げ込む場所がなくなりそうな情勢になりつつある。
おまけに。
「やあエリザベス、クラークくん。久しぶりだね」
「こ、これはこれは公爵閣下、ご無沙汰しております」
と、気さくに笑いかけてくるダンディな貴族。エリザベスの父、すなわち公爵閣下がにこやかに話しかけてくる状況。
清濁併せ呑む度量を持つ彼は、例の事件で知り合ったクラークを気に入っており、本来であれば最大の障壁となるはずであるのに、まるで気にした様子がない。
それどころか、むしろ応援している節すらある始末。
この国において貴族として最高の権威権力を持つ彼が反対していないのだ、異を唱えることが出来るものなど最早ほとんどいないことだろう。
「それにしてもリズ、もう少しお手柔らかにお願いできないかね」
「あらお父様、あれでも手加減しておりましたのよ?」
等と内心で葛藤しているクラークをよそに、エリザベスと公爵は親子らしい砕けた様子で談笑を始めた。
内容的には少々普通の親子のするものではないが。
「いやいや、チクチクとこちらの痛いところを随分突いてくれたじゃないか」
「チクチク程度で済ませてあげたのです、本当ならばズブリといってもよかったのですが」
二人が話しているのは、先日リズが書いた記事について。
公爵の実施した政策を鋭く批判する記事を、先日彼女は書いていたのだが、これが貴族達を驚かせた。
何しろその記事は、父親である公爵に一切忖度せず舌鋒鋭く論を展開していたのだから。
それは新聞記者としてのリズの姿勢を示したこととなり、貴族令嬢のお遊びだなどと陰口を叩いていた者達を一発で黙らせる効果があったのだ。
「まったく、お手本が優秀すぎるのも困ったものだなぁ」
「ええ、お陰様で日々良い勉強をさせていただいてます」
「いやいや待ってくださいお二人とも。俺に話を向けんでください」
盛り上がる二人を慌てて遮ろうとするが、クラークも本気で止めているわけではない。
ただでさえリズと共に入場した時から奇異の目線を向けられていたところに、公爵までやってきて気さくに会話をしている。
となれば、会場中の視線を向けられるのも当たり前、そうなってくれば。
「公爵閣下、ご無沙汰しております。何やら楽しげにお話されておられますね?」
「やあアルヴィンくん。見事討伐を果たしたそうだね、おめでとう」
朗らかな笑みを浮かべつつやってきたのは、先程大通りで群衆の視線を独り占めしていた『勇者』である伯爵令息アルヴィン。
どうやら公爵と顔見知りだったのか、略式の挨拶をしながら握手をする。
当たり障りのない社交辞令を交わした後、リズとも同様に挨拶をして……それから、クラークへと目を向けた。
「ところで、先程から楽しげに話してらっしゃるこちらの方は?」
「ああ、彼は先日知り合った新聞記者のクラークくんだよ。ま、ちょっと色々とあってね」
「ご紹介に預かりました、新聞記者のクラークと申します。家名はございませんので、ご容赦ください」
公爵から紹介されたクラークは、恭しく頭を下げ、挨拶をし。余計とも言える一言を付け加える。
すると、一瞬だけアルヴィンの表情が変わり、またすぐに先程まで浮かべていた笑顔に戻る。
その目にだけ、別の感情を滲ませながら。
「なるほど、それでこの会場に。ならば良い記事を書いてくれることを期待しているよ」
『お前ごときに書けるのならな』という声が聞こえたような気がした。
貴族令息ともあろう者が、そうとわかるくらい目が口ほどに物を言っていた。
だが、それを受けてまともに反応する程、クラークも短慮ではない。
「有り難きお言葉。ご期待に沿えますよう、取り組まさせていただきます」
そう言ってまたクラークが頭を下げれば、アルヴィンはもう興味を無くしたのか、公爵との会話に戻る。
それを、クラークは顔を伏せたまま聞き。
やがて言いたいことを言い終わったのか、簡単に辞去の挨拶をするとアルヴィンは会場に設えられたステージへと向かって歩いて行った。
彼が十分に遠くへ行ったところでクラークは顔を上げ。
「……エリザベス様、彼の手の感触はいかがでした?」
「至って普通のものでしたよ。ええ、普通の、貴族の手でした」
「なるほど、やっぱり、ですか」
意味深に二人は目線を交わし、それを見ていた公爵が苦笑する。
普通の貴族の手。つまり、剣を幾度も振るって手の皮が厚く硬くなっていない手ということ。
それはつまり、大して剣の修練をしておらず、魔族相手に活躍するような腕があるはずもないことを意味する。
ということは、どうやらパレードを見ながら想像していたことは、当たっているらしい。
「公爵閣下。閣下も、ご存じだったので?」
「正確に言えば、当たりはつけていた、というところだね」
「お父様、どうして黙っていらしたのです? こんな茶番のような真似を」
咎めるように愛娘から言われれば、流石の公爵も少々ばつが悪そうな顔になる。
ただ、それでも彼は貴族であった。
「二人も察しているだろうが、この催し自体は国家運営において有益だ。
それから、あの伯爵家が名誉を得たところで、我が家にこれといった損は発生しない。
つまり、積極的に止める理由がないのだよ」
「もう、貴族らしい、政治的配慮のある発言ですこと」
拗ねたように言うものの、リズとて公爵の言い分はわかる。
『真実』を追い求めるクラークと違って、公爵が望むのは国家の安寧と家の発展。
下手に突いて敵を作るよりも、静観を選んだというだけのことだろう。
それ自体は、貴族としては間違っていない。今のリズにとっては少々飲み込みにくくなっているだけで。
だが、ここには一人、それを飲み込めない男がいた。
「なるほど? つまり、閣下にとって損になる、あるいは国家にとって不利益であると証明できれば何某か動いていただくことも可能、と」
にやり、とクラークが唇を歪める。
先程の振る舞いを見ればわかる。あのアルヴィンと言う男、いけ好かない。
単なる人間としての好みだけでなく、平民と知って見下してくる態度、何より偽りの『勇者』でありながら平然としていることが気に食わない。
彼は、絶対にクラークと相容れない人間だ。
であれば、遠慮も容赦も要らないところだろう。
そんな彼の性質を知っている公爵は、人の悪い笑みを返してくる。
「できるのかね? いや、これは君に対しては愚問か」
「ははっ、ご期待に沿えますかどうか……やれるだけはやってみますがね」
肩を竦めながら答えるクラーク。
だが、その目は言葉と裏腹に、随分とギラついていた。