クラークという男、リズという女
「ったく、だからこっちの恩返しだっての。命を助けられたのはこっちだぜ?」
冗談めかしていいながら、向こうへと去って行く二人の気配を背中に感じてクラークは唇の端を挙げる。
きっと、これでいい。彼の信条には反するが、これでいいのだ。
どこかせいせいとした気分で門へと向かえば、そこには見慣れた女性が待っていた。
「……よろしいのですか?」
「ありゃま、見られちまってましたか。……ま、あまり良くはないんでしょうがねぇ」
色々言いたげなリズへと、肩を竦めて見せる。
エステルもまた、外患誘致に加担したと言えばそう。
だが、アルヴィンとは動機も違い、何より後始末の仕方も考えていた。
社会悪かと問われれば明確に否定出来る、そんな程度の違い。
「情状酌量が付くかも知れない。付かないかも知れない。
俺には判断が付きませんが、リズ閣下はどう思われます?」
「そうですね……世論を鑑みて同情が集まっているようならば生かしてもいい、と判断されるかも知れませんね」
閣下と呼ばれ、少々厳めしい顔を作ったリズがそう答えれば、クラークは小さく笑みを零す。
まだまだこの国は法治国家としては未成熟で、社会情勢や王家の都合で判決が左右されるところは少なくない。
判断基準がぶれる、という意味では良くないのだが、時に都合が良い場合もある。
そして、そういった流れを作り出すこともまた出来る。
「つまり、俺達の腕次第でどうにか出来た可能性もあった、と。
なら、まあいいかぁ。彼女は俺が戦うべき相手ではなかったってことでしょう。
色んな意味で敵にしたくはないですし」
何しろエステルを敵に回すということは、あのマイクを敵に回すということだ、出来れば避けるに越したことはない。
彼に対抗できる人間が果たしてどれだけいることか……残念ながらクラークには数人しか思いつかないし、勝てると断言出来る者はいなかった。
何でもありとなれば、マイクのあの隠密スキルからの不意打ちが猛威を振るうことになるのだから。
想像して、思わずクラークは背筋を震わせる。
夜もおちおち眠れない生活など勘弁願いたいところだ。
首を竦めているクラークを見ていたリズは、ふと疑問が浮かんで。
少し考えても答えの出ないそれを、そのままクラークへとぶつける。
「でも、伯爵家は迷うこと無く敵に回しましたよね。社会的にはより強大な相手だというのに。
……ねえ、クラーク先輩。あなたは、どうしてそこまでして『真実』を追うんですか?」
彼は、命がけになることを厭わない。
そんな彼に助けられたからこそ、そして後輩として間近で見てきたからこそ思う疑問。
当たり前と言えば当たり前の疑問に、クラークはしばしの沈黙を返し。
じっと見つめてくる視線を横顔に感じながら、観念したように口を開いた。
「……知ってるんですよ、時に『真実』が明らかにならなかったせいで失われるものがあることを」
ふぅ、と息を吐き出して夕暮れの空を見上げる。
その向こうに、かつての何かを見るように。
「とある騎士が、仲間に殺された。その子供が、仇を討った。そんな事件がありました。
そう頻繁にあることでもないが、まあ、たまにあることです」
この国では、いまだ敵討ちが認められている。随分と昔、まだまだ治安が悪かった時代の名残のようなもの。
今となってはほとんど行われることもないが、恐らく騎士という存在がいる限りはなくならないであろう制度。
だから、たまに新聞を賑わせることもあるのだが。
「ところが、後に子供は知ってしまった。彼の父である騎士が、魔族の呪いで魔物になりかけて、それを止める為に仲間が殺したのだと。
そうしなければ、優秀な騎士を素体にした魔物が恐らくとんでもない被害を出したであろうことも。
言ってしまえば、子供は恩人を殺しちまったわけです、『真実』を知らなかったせいで」
思わぬ話に、リズは言葉を失う。
もし、そんなことをしてしまえば、その子供が負った心の傷はどれほどのものか……想像がつかない。
「またね、その仲間だった人が何にも語らなかったのが良くなかった。事情はどうあれ、彼が父親を殺したことは事実だからってね。
確かに、子供が何も知ることがなければ丸く収まってたんでしょうがねぇ……だがまあ、人の口に戸は立てられないとはよく言ったもんで。
だったら、先に明らかにしちまった方が親切ってもんじゃないですか」
へらり、と笑って見せるクラークの表情に陰りはない。
だが、いつものふてぶてしさもない。
きっとそれは彼の鎧で、今はそれがないから。
それが意味するところは。
「クラーク先輩、もしかして……その、敵討ちをしてしまった子供、というのは……」
脳裏に浮かぶ、『剣聖』の言葉。
クラークが、剣を学んでいた時期があったのだとしたら。
そして、それを捨てるきっかけとなった何かがあったのだとしたら。
それ以上口に出来なかったリズへと、クラークはおどけたように肩を竦めて見せる。
「さて、ね。ペンより重いものを持ったことがない俺には何のことやら」
彼がよく口にするその言葉の意味。
新聞記者としての矜持を語ったものだと思っていたそれが、過去との決別、あるいはそれを封印するためのものだとしたら。
彼にとって『真実』とは、呪いにも似た重さを持っているのではないか。
そのことが、リズの胸に鈍い痛みを覚えさせた。
「そんなわけで、俺は『真実』を追い求めてるわけですが、ね。
今回ばかりは参りましたねぇ、明らかにしたところで、誰も幸せにならない。
だったらまあ、俺一人が自分を曲げて飲み込むのもありかな、と」
自嘲するように笑うクラークの顔は、どこかほっとしたような色もあって。
きっと『真実』を飲み込んだのはこれが初めてではない、と何となくリズにはわかった。
そして、それはきっと。
だから、リズはそれを口にした。
「そんなことはないです。クラーク先輩は、自分を曲げてなんかいない。本当の芯の部分を、曲げてないはずです」
「……本当の、芯の部分?」
言われて、心当たりがないクラークはきょとんとした顔になる。
滅多に見ないそんな表情を、可愛いだなんて思いながら。
リズは、微笑みを浮かべた。
「だって、先輩が『真実』を追い求めるのは、誰かが理不尽な不幸に遭わないように、でしょう?
でしたら、一番大事なことは守れたじゃないですか」
言われて、クラークは思い返す。今までの自分を。『真実』を飲み込んだ、その時を。
そこには確かに、『真実』が明らかになることで傷つけられる力無き人がいた。
彼ら彼女らに対して追い打ちを掛けるような真似は、違うと感じた。
何故そう思ったかが、今、はっきりとわかった。
「は、はは……なるほど、なぁ……確かに、そうだ」
ぱしん、と音がする勢いで額を叩く。
そのまま少し手を下にずらせば、目を覆う形になって。
数秒、沈黙した後、口を開いた。
「リズさん、やっぱ最高ですよ、あなたは。こんないい女、見たことない」
「ふぇっ!? な、なんですかいきなり!?」
突然の賞賛、それも直球の絶賛と言って良いそれに、慌てたリズの声が裏返る。
普段は自分からグイグイと来ているくせに、いざ褒められれば狼狽えるその様子は、何とも可愛らしい。
考えてみれば、あれだけ外堀を埋めようと周到な立ち回りをしているリズだが、恋愛初心者ではあるのだ。
社交性とその応用能力が高いから、そうであったことを忘れてしまいそうになるだけで。
それに気付いたクラークは、思わずくくと喉を鳴らすように笑ってしまう。
「な、何ですか、からかってるんですか、もう!」
「いやいや、からかってるだなんてとんでもない。本気ですよ、あなたは最高です」
「もう、またそんなこと言って!」
むくれたような表情は、きっと公爵令嬢だった頃にはしたこともないだろう。
もしかしたら、こんな表情を見られるのは、自分だけかも知れない。
そのことに、ちょっとばかり優越感を感じてしまったのを、クラークは胸にしまっておく。
流石に、こんなことを知られたら面倒どころの話ではない。
「あ、さては私に惚れましたね? やっと私の魅力がわかりましたか?」
何しろこんなに早く立ち直ってくる相手だ、隙を見せればすぐにつけ込まれ、制圧されてしまうことだろう。
それはそれ、これはこれ。
彼女の気持ちを受け入れるかどうかは別問題、拗れた平民のおっさんはめんどくさいものなのだ。
「いやぁ、それはどうですかねぇ。この歳になるとそう簡単に惚れた腫れたはしないもんで」
「あ~、またそうやって逃げる! 良い加減観念してくださいな!」
「あっといけねぇ、打ち上げが始まるじゃないですか。ほら行きますよリズ閣下」
「今日ばっかりは誤魔化されませんよクラーク先輩! あ、ちょっと!」
首を竦めながら逃げるクラークと、その後を追うリズ。
どうにもデコボコな二人の姿は、夕暮れの雑踏の中に飲み込まれていったのだった。
※これにてこのエピソードは完結となります。
この二人のネタはもう1つ考えているのですが、それはまたの機会に…。
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