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彼女の手に残ったものは

「やはり、あなたに賭けて正解でした」


 ひとしきり笑った後、エステルが口にしたのはそんな言葉だった。

 だが、褒め言葉とも取れるそれを聞いて、クラークが浮かべたのはなんとも渋い表情だった。


「勝手に賭けられるのも困るんですがね? 他人様の人生がチップだとか、重いったらありゃしない。

 そもそもの話、失敗したらどうするつもりだったんです」

「結婚式だとかの人の多い場所で、全てを暴露していたでしょうね」

「そりゃまた、随分と捨て鉢なことで」


 結婚式で全てを暴露すれば、真の首謀者だったと国中に知れ渡ることになる。

 そうなれば最早まともな人生は送れない、それどころか極刑にすらなっただろう。

 そんな、自身の身も捨てる覚悟の賭けをしていたのだ、彼女は。


「そうでもしなければ生き地獄が待っていたのですもの、捨て身の賭けにも出ようというものではございませんか?」

「まぁ、ね……色々調べて見ましたが、中々に酷い状況だったようで」


 文句を付けても揺るがない声に、クラークは溜息交じりに応じる。


 エステルの父親である子爵は、領地経営に行き詰まっていた。

 まだ破綻まではいっていないものの税収は頭打ち、事業や投資は赤字とトントンを行ったり来たりだった。

 そんな子爵家は、アルヴィンの伯爵家との業務提携で何とか持ちこたえているような状況。

 そこにアルヴィンとの婚約話が来れば、子爵が一も二も無く飛びついたのは想像に難くない。

 

「私も貴族の娘、婚姻が感情よりも家の損得に左右されることはわかっています。

 けれど、あの方は、ない。為すべきを為さず、己を虚飾で飾り立てるばかりの彼が、我が領を立て直せるとはとても思えない。

 最早我が家の命運は尽きた、そう思わざるを得ませんでした。

 そんな彼を、排除できる術があるとしたら……縋ってしまうのも仕方ないと思いませんか?」


 問い返されて。

 数秒の、沈黙。

 クラークは、渋い笑みを浮かべながら、唇の片端を上げた。


「ごもっとも、としか言いようがないですな。あの分じゃ、彼が伯爵となった後に遠からず子爵領も伯爵領も食い潰すのは避けられなかったでしょうから。

 だから、連中の誘いに乗った。

 それが、領民に対してもマイク氏にとっても誠実である事が出来る唯一の手だから。

 例え、形としては国を裏切ることになったとしても、狙い通りになれば結果として国が傾くこともない、と。

 逆に言えば、上手くいかなきゃ国がえらいことになっちまうが、知ったこっちゃない、とも言えますがね」

「あら、王家の外聞のために振り回された人間としては、それくらいの意趣返しをしたくなっても仕方ないと思いませんか?」

「あ~……こりゃ失敬、国と王家は別モンですか、なるほどなるほど。

 そういう意味じゃ、もう一つ保険があったってわけですか」


 ぴしゃり、と思わず自分の額を叩くクラーク。

 先日の婚約破棄騒動で求心力を失いつつある王家が、偽りの『勇者』を持ち上げてしまったことで更に人心を失ってしまえば、どうなるか。

 まず、現国王は退位させられることになるだろう。

 そしてその後釜に座る候補には、例えば今や王家にも並ぶ力を持つことになったリズの父である公爵が挙げられる。

 つまり、国が混乱に陥らない選択肢は残されていたのだ。そうなった時に選択されたかはわからないが。


「そして、試されていたわけですな、俺も、王家も、貴族達も。

 いやはや、ほんっとうに腹を括った貴族令嬢ってのは恐ろしい」

「可愛くしているだけで生きていけるのならば、そうしていましたわよ?」

「はは、タフじゃなきゃ生きていけないのは、貴族様も平民も一緒ってわけですなぁ」


 愛想笑いで返しながら、何となしにクラークは空を見上げる。

 この国の令嬢達は、なんともたくましい。

 ふと、脳裏に浮かぶ女性。彼女も間違いなくタフだろう。


 しかし、今目の前にいるタフな令嬢は、小さく溜息を吐いた。


「ただ、一つ見誤りました」

「ほう、と言うと?」

「あなたは私の見立てより、優秀すぎたみたいです。

 私のことまで見抜いてしまった。……偽証だけでなく首謀者の一人となれば、王都追放程度ではすまないでしょう?」

「なるほど……それは、そう、ですな」

 

 エステルに言われて、クラークは少し考えて。それから、頷いた。

 駒として利用されたアルヴィンですら極刑なのだ、まして首謀者となれば。

 例えそれが、ささやかな幸せのため懸命に足掻いた結果だったのだとしても。


「ちなみに……あなたは、これからどうやって生きていくおつもりだったんで?」

「そうですね……貴族籍はなくなれど、幸いにして白魔術は奪われませんでしたから、方々を旅して癒やしが必要な人に癒やしを施し、必要とあらば魔物を退治して日銭を稼ごうかと思っていたのですが、ね」


 貴族としての身分も、家も、財産も捨てて、賭けた。抗った。

 その結果、彼女の手に残ったのは、磨いてきた白魔術の力と、それを振るってきた今までで培ってきた心だけ。

 賭けに負けた……いや、勝ちすぎた彼女は、それすら失うというのか。


 クラークが空を見上げた所に、突然、一人の声が割って入った。


「なら、護衛が要るな」


 その声に、慌ててエステルは振り返る。

 先程までには、確かにクラークと彼女、二人の気配しかなかった。

 そこにいきなり第三者の気配が現れたのだから、驚くのも無理はない。

 ましてそれが、一番会いたくて、会いたくなかった相手だったら。


「マ、マイク……? どうして、あなたがここに……?」

「もちろん、お嬢さんと一緒に行くためだ」


 驚きのあまりに声が震えるエステルへと、平然と、さも当たり前のように返すマイク。

 見れば、既に旅装も整えてきている。

 ……この大荷物でここまで気配を隠して近づかれたことにクラークは驚きと悔しさを感じていたりするのだが、流石に声にも顔にも出さない。

 そして、驚きが優ったエステルはそのことに気が回らずに言葉を続けた。


「な、何を言っているの……? あなたはトロルドラゴンを倒した真の『勇者』、聖剣の使い手として認められて、名誉も地位も財産だって思うがままなのよ?

 それを捨てて、罪人である私とだなんて、どうしてそんな馬鹿なことを……」


 問いかけながらも、本当はわかっている。けれど、その答えを何とか頭の片隅に追いやろうとする。

 そんな都合の良い話があるはずがない。それでも、期待せずには居られない。

 エステルは、自分の瞳が縋るような輝きを放っていたことを知らない。

 けれど、目の前にいる男は、それを見ていた。

 何よりも、彼はそのために来た。


「決まってる。俺が、お嬢さんの側に居たいからだ。いや、お嬢さんの側にいるのは俺じゃないと嫌だからだ」

「まってマイク、それじゃまるで……まるで、あなたが私を……」

「そうだ、俺は、俺はお嬢さんを愛している! もう迷わない、遠慮もしない。お嬢さんの隣は俺のものだ!」


 とまどうエステルへと、はっきり言い切るマイク。

 そして彼は、そのたくましい両腕で彼女を抱きしめた。

 呆然としていたところに、人間の限界を超えていそうな速さで来られたのだ、エステルに避けられるわけがない。

 いや、そもそも避けようなどとは思いもよらない。


 抱きしめられるままに抱きしめられて。

 幾度も夢見た、そのたくましい胸板と腕の中に閉じ込められた。

 それは、夢以上に夢みたいな暖かさで。

 エステルは意思と関係なしに力が抜けて身体を預けてしまう。


「だめ、だめよ……私は罪人で、あなたは英雄で……身分の差が……」

「そんなの気にしない。今まで逆で、だからお嬢さんに手が届かなかった。

 でも、今なら届く。だから、もう遠慮しない」


 迷いの欠片もない言葉に、エステルの芯から力が抜けそうになる。

 彼女には、まだあった。手に入れていた。平民という身分と、マイクという掛け替えのない存在が。

 でもだめだ、受け入れてはだめだと頭の中で叫ぶ声に動かされ、マイクの胸板を両手で押し返そうとした。


「あ、す、すまない、痛かったか? ……それとも、嫌だったか……?」


 気遣うような声、それから……どこかしょぼんとした声。

 そして、力の抜ける腕。少し遠ざかる温もり。

 

 もう、だめだった。

 もう、それなしでは生きていけないと、わかってしまった。

 もう、知ってしまったから。


「違うの! 痛くない、嫌じゃない! お願い、抱きしめて! 私の、側に、居て……」

「そ、そうか!」


 今度は、エステルから抱きついて。

 その感触に、言葉に、喜びを満ちあふれさせたマイクが抱きしめ返して応える。

 わかっていた。そして、今改めてわからされた。

 このぬくもりを求めていたのだと。


「愛してるわ、マイク。私、ずっとずっと、あなたのことが好きだった……」

「俺もだ、出会った時から、ずっとお嬢さんのことが!」


 ああ、求めて求められることのなんと幸せなことか。

 そのぬくもりに、幸せに、いつまでも浸っていたいくらいではあるのだが。

 残念なことに、エステル自身の理性がそれを許さない。


「でも、きっと大変な旅になるわ。私は罪人で、本当は首謀者の一人で……町に入れてもらえるかすら怪しいくらいだし」


 マイクなら野外活動にも慣れているし、エステルだって野宿の経験は幾度もある。

 だが、そもそも必要な物資を購入出来なければその継続は難しい。

 狩りで得られる食べ物だけでは栄養のバランスも悪いし、エステルが病気になれば治す手段も限られる。

 不測の事態はいくらでも起こりえるだろう。


 ……彼女の『真実』が明らかにされたならば、だが。


「大変なのはこっちですよ、おかげでこれからエステル嬢の証言の裏取りをしなきゃいけないし、連中の尋問記録漁らないといけないしで、あ~こりゃ大変だ~」


 唐突に、そんな声が聞こえた。

 そう、今まで空気になっていたクラークである。

 わざとらしく二人に背を向けると、街へと向かって歩き出す。

 大きな声で独り言を言いながら。


「大変だな~あっちに行ってこっちに行って。あ~、その間に肝心の相手がどっかに行ったりしたら大変だな~記事書けないな~」


 とんだ棒読みである。

 どうやら彼に役者の才能はないらしい。あるいは、わざとそうしているのか。

 マイクですら気付くくらいに。


「なっ、おまっ、クラーク、お前っ!」

「そういや、助けてもらった借りも返さにゃならんな~あ、これは独り言だけどな~」


 そう棒読みしながら、頭の後ろで手を組んで、それから、ひらひらと動かす。

 まるで、さっさといけ、と言うかのように。


 それを見てマイクは黙り。それから、エステルと顔を見合わせて。

 マイクが腕を緩めれば互いに手を取り合って、王都の外へと向かって踏みだした。


 一度だけ、振り返って。


「ありがとうございます、クラークさん!」

「クラーク、ありがとう! 恩に着る!」


 そう告げると、二人は今度こそ王都の外へ……外の世界へと駆け出していった。

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