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底から出てもそこは底  作者: 三頭脳
二回目の少年院
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喜連川少年院 その⑤(一級下生)

 

 一級下生になると日直と副日直の仕事がまわってくるが、もう半年も四学寮にいて何回も日直の仕事を見てきたので、どうって事はなかった……。

 ホームルームのまとめも、アドリブだけでは大変なので、予め二人の院生に言う事を考えておいてそこにアドリブを付け加える方法を取ったので問題なかった。

 逆に普段と違う日直の仕事が楽しく感じられたくらいだ……。


 食事が残せない上に多いので、六十キロもなかった体重がどんどん増えて七十キロくらいになっていた。

 成長期なので月に一度身体測定を行うから分かるのだ。

 太らない体質の人や体の大きい人は太らなかったが、その他の院生達は体重が増加する傾向にあった……。


 この頃には行動だけでなく、暴力的な言動はもちろん、見栄や虚勢すらも本気でくだらない事だと思うようになり、中身も変わってきていた……。

それはいい事なんだろうけど、笑ったりする事も本気で悪い事だと思うようになっていた……。


 通信制高校の授業は、週に一度、わざわざ高校から各科目の先生が来てくれて授業してくれた。

 残りはレポート作成を行うのだが、簡単に言えば問題が書いてあるので、教科書等を見て答えを書き込めばよかった。

 但し、全て正解するまで返され続けるので大変だった。

 レポート数は科目ごとに違い、それは授業の日数も同じだった。

 後は学期ごとにテストがあって、合格点に達するまでテストを受けなければならなかった。

 確か三回までしか受けられないので、三回目に合格点に達してないとその年は単位がもらえなくなった。


 俺は勉強するのが楽しくて仕方がなかった。

 元々勉強する事が嫌いではなかったが、ここまで楽しく感じた事はかつてなかった。

 木工科ではアウェイ感がすごかったが、教科はほとんど四学寮の先生だったので居心地もよかった。

 その先生の中に、大西先生というマルチ人間と呼べる若い先生がいた。

 背が高く、顔もよく、頭もいいし運動神経抜群でスポーツは何でもこなし、歌がうまくて、ギターやピアノが弾けて、剣道も有段者並みの実力を持つ(なぜかは不明だがあえて段を取らなかったらしい)すごい先生だった。

 俺が知らないだけで、まだまだ色々な事が出来たと思われる。

 この先生、性格は変わっていて態度もデカいのだが、実力が伴っていたのでまたそこがよかった。

 ある時、内容は忘れたが教科の建物内で二人で話していると

 「俺は今から寝るから逃げたければ逃げてもいいぞ!」

 と突然言い出して、腰にしっかり結んである院内の扉を開ける鍵を取り外した。

 それを俺の目の前のテーブルの上に置いて本当に寝だした。

 もちろん逃げても仕方がないので、俺は逃げなかったが、本当に逃げたらどうするのだろうと思った。

 それにさすがにこれは問題行為なので、俺が他の先生にこの事を言ったら何かしら処分を受けるのではないかと思った。

 面倒だったし、俺はこの先生が好きだったので密告したりはしなかったが……。

 

 脱走と言えば、俺がこの少年院にいる間に一人逃げ出した院生がいたと先生から聞いた。

 どうやって逃げ出しのかは知らないが、結局三ヶ月くらいで捕まったとの事だった。

 脱走したら犯罪をしないと生活出来ないので、警察の取り調べからやり直すんだと思ったけど、俺は脱走した事がないので詳しくは分からない……。


 ついでに言うと、この少年院では、かつて大規模な脱走事件があったと先生から聞いた。

 一人の院生が夜中にお腹が痛いと演技して、先生が入ってきた所をみんなで襲って鍵を奪って何人も逃げ出したとの事だった。

 結局、全員捕まったらしいので、この話をした先生の目的は、逃げ出してもろくな事にならないと言いたかったのだと思われた……。

 


 五月の進級式で、俺の後に入院してきた矢板が一級上(白バッチ)に進級した。

 俺なんてまだ一級下生になったばかりなのに、かなり差をつけられてしまった。

 というか、一級上生になったという事は、あと四ヶ月で出院出来てしまうのだ……。

 さすがにこれは、この少年院に来て初めて出院を意識した瞬間だったので、悔しいを通り越して、うらやましくて仕方がなかった。

 俺は一級下をあと三ヶ月もやらなくてはならなかったので、最短でも八月まで進級出来ないというのに……。

 でもこのまま何事もなければ、なんとか年内に出院出来るので、それだけが俺の心の拠り所だった……。



 橋本という院生が四学寮に入って来た。

 彼は最初は普通だったが、ここの集団生活には耐えられなかったようで、最初に十日間教えてくれた上級生に意味もなく注意したり、言動がおかしくなっていった。

 結局、就寝後に起き出して歩き回ったり、舌打ちをしたりして、二学寮に戻された。

 その後、特別少年院の久里浜少年院に移送になったと聞いた……。

 俺は久里浜少年院に移送された事自体には驚いたが、ここの生活が出来ない人がいたとしても、それは仕方がない事だと思った。


 自ら院生活の途中で

 「やる気がなくなった」

 と申し出て久里浜少年院に送られた生徒もいた。


 それくらい、ここの生活は特殊だったからだ……。

 


 一級上生が寮内にいる状態で月末になると、転寮ホームルームというのが行われた。

 簡単に言うと、次の日出院準備寮に行ってしまうので、お別れ会みたいなものだった。

 まず矢板以外の院生達が、いつものホームルームのように手を挙げて、日直に差されると矢板に言葉をかけた。

 例えば

 「矢板さんなら六学寮に行っても、普通に通用すると思うので、四学寮の代表として自信をもって行ってください」

 など、この時に厳しい事を言う必要はないので、ほとんどが激励の言葉ばかりであった。

 俺もほぼ同期なので

 「抜かされて悔しいけど、矢板さんの頑張りは認めているので胸を張って六学寮に行ってください!」

 のような事を言った憶えがある。

 

 激励の言葉が一通り終わると、今度は矢板が今までの院生活を振り返って自由に発言した。

 そして全員でなくてもいいのだが、思い入れのある院生一人一人に一言二言くらいずつ声をかけた。

 俺にだったら

 「三頭脳さんはやれば出来る人だと思うので、四学寮のみんなを支えられるような存在になってもらいたいのと、先に行って待っているので早く六学寮に来てください」

 といった感じだった。

 矢板は俺が四ヶ月間、一級下をやらないといけない事を知らないのでそう言っていたが、俺は矢板がいる間には六学寮にいけない事は分かっていた。

 でも矢板に悪気はないのも分かっていたので何も思わなかった……。

 

 ちなみに全員に声をかける院生も中にはいたが、大体は半分くらいの人に声をかけるくらいが普通であった……。

 

 俺は次の日、六学寮へ転寮していく矢板を複雑な気持ちで見送った……。

 


 六月のある日、四学寮のホールで通信制高校のレポート作成をしている時に、難しい問題でもやっていたのか、無意識のうちに持っているボールペンを上下に動かしていたらしく隣に座っていた院生に

 「三頭脳さん、ボールペンを動かしては駄目です」

 と注意された。

 「失礼しました!」

 と言ったのに

 「しっかり応答してください!」

 と言ってきたのでムカついて

 「失礼しました!」

 と今度はその生徒を見ないで言った。

 当然

 「しっかりこっち向いて言ってください!」

 と言われてさらにムカつき、うっかり

 「うるせえな!」

 と言ってしまった。

 

 この四学寮に来てから暴言を吐いた人間を見た事がなかったので、俺はやってしまったと思った。

 暴言を言われた院生が先生に報告した為、俺は教官室に呼ばれて説教された。

 調査行きにはならなかったので助かったが、運の悪い事にこの日は俺が問題点を発表するホームルームの日だったので、問題点はそっちのけでみんなから暴言を吐いた事を責められた。

 

 ホームルームの時にいた当直の先生は、俺の担任の先生だったのだが、暴言の事は当然引き継ぎで知っていたが、何て言ったのかは知らなかったみたいで

 「三頭脳!おまえ何て言ったんだ?」

 と聞いてきた。

 「うるせえな!」

 一瞬、自分が言われたと思って先生の顔付きが変わり、他の院生達も凍り付きそうになったが

 「です!」

 と俺が言ったので大丈夫だった。

 というより、俺は聞かれた事を答えただけなので悪くはなかった。

 

 結局調査にはならなかったが、この暴言のせいでこの月の成績が総合Dになってしまった為、一ヶ月出院が延びてしまった。

 たったそれだけで一ヶ月も延びるなんてと思うかもしれないが、それくらい暴言には厳しかったという事だ……。

 本当に調査にならなかっただけマシだった……と考える他なかった……。


 

 夏になると体育が水泳に変わるのでラッキーだと思っていたのだが、どういうわけか心臓病の為、定期的に往診に来る医者に禁止された。

 俺の他に理由は分からないがもう一人水泳禁止の院生がいたので、俺達はペアになってプールサイドで筋トレをしていた。


 水府学院にいた時に先生から聞いた話によると、少年院にプールがあるなんておかしいので、名目上は防火水槽になっていると言っていた。



 俺が四学寮に来た時に、同じ部屋にいた不気味な雰囲気の松山という院生とまた同じ部屋になった。


 ホールにいる時に隣同士で座ってると、松山が突然、膝で俺をつついてきた。

 この時、注意して遠ざけるか、先生に報告すれば何の問題もなかったのだが、松山がそんな事をしてくるなんて思いもしなかったので、興味を持ってしまい、ついこの馴れ合いに乗ってしまった。


 それから俺達はみんなにバレないようにふざけあった。

 一級上生に、俺と松山のどちらかが何かで注意をされたのをきっかけに、俺らはその一級上生を徹底的に注意しまくっていじめた。


 やがて俺らはちり紙に連絡先を書いて交換した。

 他のみんなが常にいるので、それで充分だった。

 外に出てから色々詳しいことを話せばいいだけだからだ。

 なぜ松山が俺を選んで来たのかは知らないが、二人だけならバレないと思った。


 だが松山は俺と馴れ合う前に、すでに他の院生と馴れ合っていたのだ……。

 その院生が罪の意識に耐えられなくなって先生に自ら申し出た為、松山は二学寮行きになった。

 ここの生活を長くしていると、このように自責の念に駆られて、自ら先生に自白してしまうケースがたまにあったのだ。

 松山が俺の事も話した為、俺も二学寮行きになった。

 これで年内には出院出来ない事が確定してしまったので悲しかったが自業自得なので仕方がなかった。


 調査が終わって謹慎五日の処分を受けた。

 謹慎といっても課題作文を毎日書くだけなので、考査期間の時と変わらなかった。

 だけどまた復寮ホームルームでみんなに責められるのかと思うと、憂鬱で仕方がなかった。

 ちなみに、自ら申し出た院生は謹慎三日、松山は七日から十日くらいだったと思う……。


 謹慎が終わって四学寮に戻った俺は完全に開き直っていた。

 去年の年末のような思いをするのだけはどうしても嫌だったのだ。

 あの頃の俺と違って、もう一級下生だし、何より四学寮の中でもだいぶ古株になっていた。

 もう年内には出るという目標も失ったし、いざとなったらぶちキレてやろうと思っていた。

 それくらい、去年の年末の集中攻撃がトラウマになっていたのだ。


 その雰囲気を感じ取ってか、それとも俺が古株だからかは分からないが、今回はそんなに普段は責められなかった。


 復寮ホームルームの時は、さすがにみんな厳しい事を言ってきた。

 だけど厳しさよりも、女みたいな顔した長沢から

 「三頭脳さんとは同じくらいに四学寮に来て、一緒に木工科をやって、一緒に教科に移って、一緒に一級下生になって、一緒に…………」

 そこまで言って感情が高ぶってしまったようで、言葉が止まった……。

 長沢は涙をこぼして話せなくなった為、続きを聞く事は出来なかった。

 ……さすがにこれは効いた。

 ヤバかった……。

 危うく俺ももらい泣きする所だった……。

 今まで俺の為に涙を流してくれた人などいただろうか?

 開き直った態度の自分が恥ずかしくなった……。

 


 だが、それでも一番厳しく言ってきた生井という一級上生だけは許せなかった。

 生井は俺より後に入ってきた院生なので、妬みのようなものもあったのかもしれないが……。

 

 その後、先生の話の中で笑う場面があり、生井も笑ったのだが、その際に横を向いたのを俺は見逃さなかった。

 これも笑いかけるという行為に一応当たるからだ。

 俺は

 「生井さん、先ほど他生に笑いかけていたので気を付けてください!」

 復寮したばかりの俺には言われたくないだろうが、注意をしてはいけない決まりなど別になかったのだ。


 「失礼しました!」

 当然、普通に謝ってきた。


 次の日の日直引き継ぎの時に、日直が

 「謝りたい事ある人?」

 と聞いた時、生井が手を挙げて

 「笑いかけるは大きい注意ですか?」

 と日直に聞き出したので、俺はすかさず手を挙げた。

 「生井さん、一級上生にもなって聞く事ではないので考えてください!」

 

 「失礼しました」

 そう俺に謝った後、全体にも笑いかけた事に対しても謝った。

 これによってかは知らないが、俺に対してこの後はみんないつもの状態に戻った。

 松山が戻ってきても俺と同じような感じだった……。

 結局、ここでは古株が強いのだ。

 いや、これはここだけではなくどこに行ってもそうなのかもしれないが……。


 

 この少年院でも意見発表会と読書感想文発表会があり、俺は読書感想文発表をする事になった。

 「屋根裏部屋の秘密」

 という戦争を題材にした本を選んだ。

 ここでは暗記するという習慣はなく、俺だけが水府学院の時のように全て暗記して発表した。

 その点は評価されたのだが、ここではマイクを使って話すので、そこが逆にやりづらくて実力を出しきれなかった。

 話し方も水府学院のスタイルで臨んだ為、そこも浮いてしまったようで、結局何の賞にも選ばれなかった……。

 


 この少年院には七学寮という寮が存在した。

 七学寮は出院準備寮である六学寮の生活で、特に先生達から評価された者だけが、出院一週間前から行ける寮だった。

 割合で言ったら十人に一人か二人くらいだっただろうか……。

 この寮には格子も鍵もない。

 もちろん自由に院内を動き回れる訳ではないと思うが、俺は行けなかったので詳しくは分からない。

 

 七学寮生は出院の日に、自分の住んでた中間寮に来る事が出来た。

 お互い何か言いたければ、一言ずつ言える機会が与えられたのだ。

 

 矢板が七学寮に行き、出院の日、四学寮にやってきた。

 俺は矢板なら七学寮に行けるだろうと思っていたので驚かなかった。

 矢板が出院の日を迎えても俺は未だに一級下生だったが、全て自分のせいなので矢板に素直に称賛の言葉を送る事にした。

 「矢板さんには抜かされてこんなに大差を付けられてしまったけど、矢板さんなら社会に出てもしっかりやっていけると思うので頑張ってください!」

 のような言葉を贈った。


 矢板は俺には何を言っても嫌味になると分かっていたのか、すごく言いにくそうに

 「三頭脳さんとは長く生活してきたので言わなくても分かると思いますが、結局ここでどれだけの事が学べるかが大切だと思うので頑張って下さい」

 みたいな内容を言われた。

 

 この少年院では出院する時、壇上に上がって院内生活の感想と今後の決意を言うのは水府学院と一緒だが、最後は

 「それではみなさん体に気を付けて!さよなら!」

 と意外とドライな終わり方でみんな締めていた。


 その後六学寮生を代表した一人が激励の言葉を言って、出院生と握手した。

 出院生はそのまま、みんなの真ん中を通って、全員に拍手で見守られながら去っていくのがこの少年院の習わしだった。

 矢板に激励の言葉を贈るのは、本来なら同じ四学寮で生活して入院が近い俺か長沢なのにな……と思いながら矢板を見送った。

 水府学院の時から思っていたが、出院生が去ると当然のように、しんみりモードから一瞬で通常に戻されるので、毎回せつなかった……。



 教科生は大検(大学入学資格検定の略)を受ける事が許された。

 通信制高校で取った単位も大検に換算出来るので、どうせなら取っといた方がいいに決まっていた。

 俺は国語と日本史と世界史の三つを受ける事にした。

 国語は二年生まで通えば、自動的に大検の単位数に届く為、免除されるのだが得意科目を一つは受けたかったのだ。

 国語は数学の次に得意科目で、要は三つ共落ちない為の保険だった。

 なぜ一番得意な数学を受けなかったかと言うと、高校の数学は社会に出ても役に立つとは思えなかったので、どうせなら社会に出てからも役に立ちそうな国語を勉強したかったのである。

 ちなみに保健体育、物理(選択科目)、現代社会(選択科目)は通信制高校の一年時を終えた時に大検免除になるので受ける必要はなかった。

 

 俺は少年院内という事もあり一生懸命勉強したが、国語以外は受かるかどうか微妙なラインだった。

 試験は院内で行うとは聞いていたが、いつもの教室にいつもの教科の先生が試験官だったので驚いた。

 なんて優遇されてるんだと思ったが、おかげで落ち着いて試験に臨む事が出来た。

 

 結果は三科目とも合格していた。

 特に国語は八十点という高得点だったので嬉しかった。

 俺はこの時、ある事に気付いた。

 大検は十一科目、合格しないと取得できないが、俺は通信制高校で取れる三科目と合わせて、半分以上の六教科に合格した事になる(ちゃんと一年生課程を修了させればだが……)。

 来年もちゃんと二年生課程を修了させて、残りの科目を大検で取れば、大検合格となれる。

 つまり、世間の同学年の人達に追い付けるという事に気付いたのだ。

 二回も少年院に入ってる俺が追い付いたらみんな驚くだろうな!

 と思ってやる気が出てきた。


 

 相撲大会が行われた。

 各寮、五人で一チームを二チーム、AチームとBチームと呼ばれた。

 俺はBチームの大将だったが、相手も大将なので、強くて一度も勝てなかった。

 全員参加の個人戦のトーナメントも二回戦目で強い院生に当たって負けてしまった。


 大した成果が出せなくて落ち込んでいたが、この年には現役関脇の琴錦関が慰問にやってくるという事で先生達も興奮していた。

 

 琴錦関は現役の関脇だけあってオーラが凄かった。

 代表して五人くらいが琴錦関と相撲を行ったが、俺も記念にやってみたかったので羨ましかった。

 みんな思いっきりぶつかったのにビクともしない、当たり前だが化け物じみた強さだった。

 五人目にわざと負けた姿が面白かった。

 最後に院生全員と握手してくれたが、いい思い出になった……。

 その後、引退するまで自然と琴錦関を応援したのは言うまでもない事だっただろう……。

 


 ある日、テーブルに毛が落ちていて、それを見た他生が俺に

 「なんですか、この毛、ま◯毛ですか?」

 とふざけかけてきたので、俺はすぐに先生に報告した。

 俺はこの院生には相当恨まれたが、もうこれ以上は遅れたくなかったのだ。

 この院生はやはり不正連絡をしており、四人が二学寮に送られた。

 先生には大いに誉められたので嬉しかった。

 俺は復寮してきた四人を、ここぞとばかりに徹底的に責めまくった。

 俺が不正連絡に関わってないのはこの時が初めてだったので、当然責める側になったのも初めてだった。

 人を責めても誉められるというのは、なんだか変な感じがしたが、先生にも厳しくするように言われたので、古株の俺が中心となって四人を責めた……。


 

 この頃には髪がかなり延びていたが、昼間は触れないので、就寝後の夜中に喜びを噛みしめながら触っていたら

 「何してんだ!おまえ!」

 と見回りの先生に怒られた。

 俺はやっちまったと思った。

 しかも俺の担任の先生だった。

 髪を触ってると坊主にされるので、俺は坊主を覚悟した。

 ところが次の日、この先生に呼び出されて

 「まさかおまえだとは思わなかったよ、おまえ、あれだろ!無意識の内に触ってしまったって謝るんだろ?」

 と言われたので、俺は日直の引き継ぎの時に先生に言われたとおり

 「無意識の内に髪を触って先生に怒られてしまい、すみませんでした」

 とみんなに謝った。

 不思議とこの件はこれだけで済み、坊主は免れた……。

 

 九月二十九日、俺はこの日は朝から思いにふけっていた。

 なぜなら、この少年院に来て丸一年が経ってしまったからだ。

 この少年院に来た時は一年間我慢しようと思ったので、まさか一年後もここにいるとは思っていなかった。

 しかも出院準備寮にいるならまだしも、未だに中間寮にいる自分が情けなかった……。

 二日後に進級する予定とはいえ、まだ一級下生だしとてもせつなかった……。

 俺はこの日の就寝前の呟きの時間で、その時の思いを呟いた。

 入院して来たばかりの人からしたら、夢のない呟きだったろうが、呟かずにはいられなかったのだ……。


 十月になり、俺はついに一級上生に進級した。

 てっきり女みたいな顔をした長沢も一緒に進級するかと思っていたのに、四学寮で進級したのは俺だけだった……。

 長沢は何の問題も起こしてないので、やはり不思議で仕方がなかった。

 今回、進級しなかったら、一級下生七か月目に突入するからだ。

 あんなに問題を起こした俺でさえ半年で進級出来たので、不思議に思うのは無理がなかったが、先生が教えてくれるはずもないので答えは分かりようもなかった……。

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