喜連川少年院 その③(一日の流れ)
午後一時になると、出寮となった。
日直が
「出寮するので、集まってください!」
と言うと、全員が元気よく
「ハイ!」
と返事をして狭い下駄箱に密集した。
先生から合図を受けて、日直が
「出寮!」
と叫ぶと、また全員が
「ハイ!」
と言って、寮から出てすぐの渡り廊下に整列した。
日直が号令を掛けて整列させた。
ただ、水府学院の時より寮の人数が倍くらいいたので、三列であった。
たまたま俺より背の低い人が五、六人いて、その後辺りに俺はねじ込まれた。
三列の場合は番号を言う際に、最後が水府学院とは変わってきた。
例えば二十七人の場合は
「九!」
「満!」
となるが、二十六人だと一人かけるので
「九!」
「一欠!」
となり、二十五人だと
「九!」
「二欠!」
となった。
ちなみに俺は一番後ろになった事がないので、この「満」とか「欠」を誰が言うのかを知らない(当時は知ってたかもしれないけど)。
瞬時に最後の番号を三で掛けて欠の分を引かないといけないので、算数が苦手な人は大変だったと思われる。
「ZARDの負けないで」
とかの邦楽が流れるので、それに合わせて行進する為、水府学院の時のように
「一!一!一、二!」
という掛け声はなかった。
代わりに時々上級生の誰かが
「一、二!一、二!一、二!」
と掛け声を掛けた。
もちろん、一が左足が地面に着地する時であった。
全体号令を院生が掛けるのは朝だけのようだった。
中庭に集まって、日直が整列させて番号を取ると、後ろまで走っていって先生に人数を報告した。
これを各寮同時にやるので、ごちゃごちゃするが、早かった。
後は壇上の先生が
「三学寮!」
と声をかけたら呼ばれた学寮の日直が
「気を付け!」
と言い、三学寮の先生が壇上の先生に人数を報告した。
終わると日直が
「休め!」
となり、それを四学寮、五学寮……と続いていくので水府学院の時に比べると圧倒的に早かった。
「実科別に〜〜!分かれ!集まれ!」
と壇上の先生が号令を掛けると、実科ごとにまた同じように整列した。
俺は予科なので予科の所に並んだ。
同じように壇上の先生に人数を報告したら各実科ごとに解散となった。
予科でやる事は水府学院とあまり変わらなかった。
違うのは前述した番号の事と
「休め!」
の形が少し違った。
水府学院では横に足を広げるだけだったが、喜連川少年院では左足だけを少し前に出して
「カタカナのレの字」
のようにした。
後はほとんど変わらなかったので、求められるレベルは違えど、俺は二度目なので余裕だった。
実科が終わって寮に戻ると、体育の時間となり、着替えてから体育館かグラウンドに行った。
体育のレベルは水府学院の比ではなかった。
腕立て、腹筋、スクワット、花火は準備運動のように行い、どちらかと言うと有酸素運動系の方が多かった。
中でも一番きつかったのは、一周二百メートルのグラウンドを走り続けるのだが、合図に合わせて一番先頭の三人がダッシュして、一周差をつけて一番後ろに付くという物だった。
それをいつまでやるのか分からない、これはハンター試験の第一次試験なんですか?
というほど長い時があった。
というのも、マラソン好きの先生が一人いたのだ。
他にも二人ペアになって、体育館の真ん中で片方が馬になり、もう片方が馬跳びしてダッシュで壁まで行き、タッチしたらまた真ん中に行って跳んで、今度は逆側の壁をダッシュしてタッチして戻って馬役と交代して、それを永遠に続けたりした。
先生が色々な筋トレ方法をを考案するので、毎回違って全然慣れなかった。
体育が終わって寮に戻ると、昼食の時と同じように居室で待機して夕食となった。
昼食と同じように夕食を終えると、六時までは読書したり、課題作文をやったり自習の時間になった。
六時になると、日直が壁側に立ち
「ホームルーム体形、体形は円です!」
とみんなに声を掛けると、全員元気よく
「ハイ!」
と言って立ち上がった。
手慣れた様子で一つだけテーブルを残して、他のテーブルを娯楽室側に移動させると、残りのスペースに椅子を円の形に配置した。
下駄箱と教官室の間にテーブルを横向きに起き、そこに日直と副日直が座った。
月に二回順番が回ってくるのだが、自分の番までに各自、自分の問題点とそれを具体的に考えて発表しなければならない。
発表者二人が、テーブルとは向かい合う位置に並んで座った。
発表者はまず、前回の自分の発表のホームルームから今日まで、注意された事をノートを見て全て読み上げなければならなかった。
例えば、十月十日、昼食後の余暇時間に笑っていたら誰々に注意された。
読書してた本が面白くてつい笑ってしまった。
などである。
全て読み上げたら日直が
「出てない反省ある人?」
と呼び掛けるのである人は手をあげる。
もしあれば手をあげて
「移動中の行進の手の振りが甘かったので注意した事がありました」
とこちらは覚えてる範囲で詳しく言った。
身に覚えがなければ
「分かりません」
と答え、書き忘れていたら
「ありました、すみません」
と謝らなければならなかった。
それが終わると、問題点とそれを具体的に述べた。
例えば
「すぐ苛立ってしまう……具体的には他生の行動が遅かったり、自分より出来ないと苛立ってしまう」
などどである。
そして日直が
「分からない事がある人?」
と聞くので、聞きたい人は手を挙げた。
最低一度は発言しないといけない決まりなので、半分くらいの人が手を挙げた。
「その苛立ちはどこからやって来るのですか?」
と重複する質問をしたり
「他生が遅いとなぜ苛立つのですか?」
と、より詳しく聞く生徒もいた。
問題点以外の日頃の生活態度等、基本的に規則に反しなければ何でも聞いてかまわなかった。
発表者はスケジュール表で前もって分かっているので、アドリブが苦手な人は、質問する事を考えておけばいいのだ。
とはいえ、空気的に最初は問題点のことを聞かないといけない雰囲気があった。
例えとしてあってるか分からないが、カラオケにみんなで行った時に、カラオケ好きの人間が最初は新しい曲を歌うので古い歌は歌いにくいのに似ていると俺は思う。
ネタが尽きて、何でもありの雰囲気に移行した時に手を挙げる(古い曲を入れる)のがポイントだった。
日直が頃合いを見て質問時間を終えると
「次に、意見のある人?」
と、呼び掛けるとまた半分くらいの人が手を挙げた。
この時は例えば
「苛立つのではなく、どうやったらその生徒を早く行動させられるようになるのかを考えたりすればいいと思うで頑張ってください!」
と優しく言う者もいれば
「ここで苛立っていたら、社会では通用しないのでしっかり考えてください!」
と厳しく言う者もいた。
問題点以外の事も言っていいのだが、質問の時と同様で空気を読まなくてはならなかった。
意見を言われた院生は座ったまま
「ありがとうございます!」
と言いながら頭を下げ、
「ありがとうございました!」
と言って頭を上げなければならなかった。
俺は最初にこれを見た時、変だとしか思わなかった。
「ありがとう」
は、一回でいいだろって誰でも思うと思った。
二人の発表と意見が終わると、最後は日直がまとめなくてはならなかった。
例えば
「まず◯◯さんの、すぐ苛立ってしまうという事ですが、苛立ちとは結局自分自身の問題なので、日頃から大きな心を持って生活し、他生への気配りを忘れないように努力してください。そして◯◯さんの……(もう一人の方は略)
最後に今回は甘い意見が多かったので、もっと厳しくてもいいと思いました。あと発言してない人がけっこう見受けられたので率先して挙手するようにお願いします」
と言った具合にまとめた。
まとめ方は自由なのだが、こうやって一人一人に意見して最後に全体の事を言うのが主流だった。
俺はこのホームルームを初めて見た時、俺には無理だと思った。
水府学院の時も集会はあったが、人数も半分くらいだし、どちらかと言うと和気あいあいとした雰囲気だったので楽しかったのだが、ここはまるで違っていた。
日直がまとめた後は先生の話となり、それが終わると、テーブルを元に戻して日記を書く時間になった。
日記は水府学院の時と同じで、大学ノート、一ページ分書かなければならなかった。
少しスペースを残して先生が毎日コメントしてくれるのも同じであった。
二学寮で読んだしおりのような物では、この後テレビ視聴となっていたので、てっきりテレビが見れるのかと思っていたら、テレビなど見せてもらえなかった。
流れなので言っとくと、長い事この寮で生活する事になるのだが、テレビを見せてもらえたのはたったの二回だけだったので内容も憶えている。
一回目は
「幸せ家族計画」
という番組だが、八時四十五分までしか見せてもらえなかったので、最後、成功したのかどうか気になって仕方がなかった……。
二回目は
「ミュージックステーション」
だが、先生が
「森高千里まで見ていいぞ!」
と言って見せてくれたが、俺は先生が森高千里が好きなだけだと思った。
確かにテレビは娯楽だから必要ないと言われればそれまでだが、罰ではなく、あくまでも更正という形なら、テレビは大切な情報源であり、社会に出てからのコミュニケーションに必要な物であると、俺は思っていた。
各自自習などをして八時半くらいになると、名称はないが、全員黙想して、自由に一人ずつ呟ける時間となった。
この時間は必ず呟かなくてはならないというわけではないので、呟きたい人が呟けばよかった。
内容も自由で、例えば
「今日でここに来てちょうど三ヶ月が経ち、生活にも馴れてきたので、今後は自分の事だけではなく、寮全体の雰囲気を少しでもよく出来るように尽力したいです」
とか、全然違う内容で
「今読んでる本が長い橋という本なのですが、非行少女と女の保護司の話なので、自分達にはタメになる内容だと思うので、みんなにも是非読んでもらいたいです」
でもよかった。
誰かが急に話だし、終わると別の誰かがまた急に話し出すので、最初はびっくりした。
ちなみに
「びっくり」
も駄目で
「驚く」
と言わなければいけなかった。
順番が決まっていないので、話し初めがけっこう他生とカブッてしまうが、そこは
「ゆずりあいの精神」
でゆずりあっていた。
八時四十五分になると、六室から順に居室へと移動し、パジャマに着替えて布団を敷くのだが、これがみんなめちゃくちゃ早かった。
何かと競ってるんじゃないかと思うくらい早いので最初はついていけなかった。
準備が出来たら、布団の上に正座して待ち、先生が来て
「六室!」
というので、部屋で一番古い院生が
「六室、五名!おやすみなさい!」
に続いて他の四名も
「おやすみなさい!」
と言った。
「パチッ」
と電気が消され常夜灯に切り替わり就寝となった……。
朝チャイムが鳴ると、みんな待ち構えていたかの如くすごい勢いで起き出した。
とりあえず廊下に整列して日直が点呼を取り、先生に人数を報告するのは水府学院とおなじだっだが、やはりレベルが違った。
点呼が終わると部屋に戻って着替えて布団等を片付けるのだが、これがまた尋常じゃない程早くてついていけなかった。
片付けが終わると掃除となった。
掃除は自分達の居室はもちろんだがプラスして
「一室+トイレ」
「二室+洗面所」
「三室+廊下」
「四室+ホール」
「五室+娯楽室」
「六室+下駄箱」
といった感じであった。
決められた場所を分担して掃除するのだが、窓の外の格子も雑巾で拭くので、なんだか空しかった……。
みんな徹底的に掃除するので、すごくきれいだった。
特に洗面所は、どうせまたすぐ濡れるのに掃除の後は水滴一つ付いていなかった。
掃除が終わると美化係の人が現れ
「六室お願いします!」
と廊下から声を掛けてきた。
居室内では一切言葉を発する事が出来ないので、居室にいる一番古い人が廊下に出ていって美化係の人と向かい合った。
すると、美化係の人が
「美化点検始めます」
「よろしくお願いします」
美化係の人が居室に入ってきて、格子やら色々な所を手で触って確かめた。
基本的にどこを触って確かめていいのだが、大体はパターン化されていた。
一通り触わり、手にホコリがついていたら
廊下に戻って最初に挨拶した院生に
「美化点検、格子にホコリ!」
と駄目だった場所を言われた。
問題ない場合は
「美化点検、良好!」
と言われた。
どっちにしても
「ありがとうございました!」
と言い、駄目だった場合は注意された時と同様でホームルーム帳に記入して、ホームルームの時にみんなの前で発表しなければならなかった。
美化点検は全ての場所で行われた。
掃除が終わると食事の準備となり、昼食、夕食
て同様であった。
食事が終わって八時半くらいに日直の引き継ぎを行った。
日直が
「日直の引き継ぎを行います!」
と言うと
「ハイ!」
と返事してから全員がその場に立ち、
日直の方を向き
「休め!」
の姿勢でなった。
始めに日直が
「謝りたい事がある人!?」
と聞くので、ここでは注意の中でも
「大きな注意」
と言われる注意を、昨日のこの時間から今までに受けた院生が全員の前で謝らなければならなかった。
大きい注意の例としては、
先生からの注意(内容は問わない)。
笑いかける。
嫌がらせをする。
寝る。
言い返しの注意。
行動で言い返す。
無視する。
などであった。
他にも沢山あるが、これらの注意を受けた人はこの時に手を挙げて、日直に差されたら
「昨日、誰々さんに注意されて行動で言い返してしまい、申し訳ありませんでした!」
などとホールの中央を向いて謝らなければならなかった。
これが終わると
「出てない注意がある人?」
と日直が聞くので、謝ってない人がいたら手を挙げて報告した。
謝りたい事が終わると
「何か意見がある人?」
と日直が聞くので、個人にでも全体にでも何か意見がある人は手を挙げた。
例えば個人なら
「誰々さんにあるんですけど!」
と言うと、言われた人が
「ハイ!」
と返事してから言ってきた人の方を向いて気を付けしなければならなかった。
例えば
「最近、やる気が感じられないのでしっかりやってください!」
とか何を言ってもかまわなかった。
全員に言いたい場合は
「全員に対してあるんですけど!」
と言うと全員が
「ハイ!」
と返事してその人の方を向いた。
出寮直前になると、
「それでは日直を誰々さんにに引き継ぎます!」
と言って副日直に腕章と日直日誌を渡した。
この行為の時に他の院生が全員で
「ご苦労様でした!」
と言って日直が入れ替わり出寮となった……。