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底から出てもそこは底  作者: 三頭脳
一回目の少年院
68/117

水府学院 その⑥(仮退院)

 

 出院準備寮に行くと、今まで一緒には生活して来なかった五寮生もいた。

 中間寮が四寮と五寮しかないので、ちょうど半分ずつくらいになった。

 何かと行事等で対抗してきたし、ずっと一緒だった方に仲間意識が行くので、基本的に元四寮生と元五寮生はあまり仲が良くなかった。


 俺が集団寮に移ってすぐ、実科別に分かれる時にすごく睨んで来た人もいたが、俺の事は覚えていないようだった。

 俺が眼鏡をまだ掛けていなかったから、目付きが悪かったので、睨んだように見えたのだろう……。

 出院準備寮では、全然普通だったので、きっとその場だけの感情だったのだと思う。

 その人は十九才で、反社会的組織に属している人だったので、中学校を卒業したばかりの俺はあまり関わりたくなかった。

 

 出院準備寮では観察官面接や委員面接といった出院に欠かせない面接系が増えてくる。

 先生の話によると、かつて委員面接で相手を激怒させて、出院がかなり延びた院生がいたらしい。

 その院生はバイクの暴走行為で捕まって入院していたらしいのだが、面接官に

 

 「あなたは出院したら、またバイクを乗りますか?」

 と聞かれ

 「はい!乗ります!」

 と答えたところ、激怒されたらしい。


 その院生は免許を取って普通に乗るという意味で答えたらしいのだが、面接官はまた暴走行為をするという意味に捉えたとの話だった。

 

 この話を聞いて、なんだか俺が審判で裁判官を怒らせた時に似てるな、と思って他人事ではなく感じた。

 そして不安になった。

 

 寮の生活自体は中間寮と大して変わらなかった。

 あとは塀の外に農地がある、農業科に移籍になるか、炊事の手伝い、たまに老人ホームへ介護に行ったりする社会奉仕に出掛ける事が出来た。

 だけど俺が一番嬉しかったのは髪が伸ばせる事だった。

 出院までに大して伸ばせないけど、それでも、もう坊主にしなくていいと言うのは気持ち的に嬉しかったのだ。

 


 元五寮の院生達は俺の事をいじめてきた。

 俺は人生において、初めていじめにあった。

 いじめといっても、暴力的な行為とか物を隠したりの陰湿なものではなく、俺が眼鏡を掛けていたので、

 「のび太!」

 と呼んできたり、無視したり悪口を言ってきたりしてきた。

 ほとんど三つ年上だし、出院準備寮の先輩達なので、どうにもならなかった。

 特にリーダー格の髭がやたらと濃い池田は、少年院が二回目らしく、前回は赤城少年院で長期だったから、今回は短期で楽勝だと言い回っていた人で、俺を一番いじめてきた。

 実際、前回長期だったなんて、そんな事あるのだろうか?

 と俺は思っていたが誰も疑ってないので本当っぽかった……。

 元四寮の院生達も別に助けてはくれなかった。

 先生に密告するなんてダサい真似はしたくなかったし、残り一ヶ月ちょっとで出院出来るので我慢する事にした。


 これも被害届を取り下げなかった野球部の曽明のせいだと思い

 

 だけど、集会中に内線が掛かってきたかなんかして、先生が席を外した瞬間、俺の正面に座っていたリーダー格の池田がみんなの前で

 「おい!のび太!」

 と言ってきたので、いい加減ムカついて、眼鏡を外して睨み付けてやった。

 ジーっと見続けた。


 先生が戻ってきたので、その場はなんともならなかったが、集会が終わった直後にリーダー格の池田が俺の所にやってきて


 「さっき睨み付けてきたけど、なんなんですか?」

 と先生が近くにいたので、敬語で言ってきた。


 「いや、だって池田君が」


 「僕がどうしたんですか?」


 そこで異変に気付いた先生が近付いてきて


 「どうした?」

 と言ってきた。


 すると池田が

 「いや、さっき集会中に三頭脳君が睨んで来たもので……」


 「いや、だって……」

 と俺が言うと、告げ口されると思ったのか池田が

 「まあいいや、よく分からないけど、すみませんでした」

  といきなり謝りだしたので先生も

 「おい、三頭脳!池田が謝ってるんだから、おまえも謝って和解しろよ」


 「…………」

 だが俺は謝らなかった。

 

 俺だけが教官室に呼ばれて説教された。

 密告はしたくなかったので、黙って先生の話を聞いていた。

 俺は悔しくて悔しくて涙が出そうになった……。


 

 だけど、なぜか分からないけど、それから俺を誰もいじめなくなった。

 元五寮のリーダー格の人も急に手の平を返したように面倒見がよくなった。

 理由が分からないので、逆に不気味ではあったが、いじめられなくなったのは、本当によかった。

 


 委員面接の日がやってきた。

 嫌な予感しかしていなかったが、面接の人はてっきり男の人かと思っていたら女の人だった。

 歳はそこそこいっていたが、きれいで優しそうな人だった。

 声が黄色に似ていた。

 ただ

 「出院したら何がしたいですか?」

 と言われて、俺は

 「捕まる前日に買ったCDが一回しか聴けてないのですぐ聴きたいです」

 と答えたが、今思えばそういう事が聞きたかったわけではないと思う。

 おそらく、出院したら学校に行くとか仕事をするとかそういう事が聞きたかったのだと思う。


 でもクスッと笑って

 「何のCD?」

 と聞いてきたので

 「JUDY&MARYです」

 と答えた。

 

 面接は問題なく終わった。



 地元が熊谷の平川が出院して行った。

 あんまり性格のいい奴ではなかったが、それでも同じ中学生だったという事で、この男が存在してくれただけで、どれだけ俺は救われた事だろう……。

 合計三ヶ月ほどしか一緒に生活していないが、寝る時以外は常に一緒に生活してきたわけで、外の世界に換算すると一年、いやもっと一緒にいた感覚なのかもしれない。

 体育館で

 「贈る言葉」

 を歌いながら、出院準備寮生だけは最後に全員、出院生と握手して一言だけ会話が出来る。

 俺は

 「おめでとう!ありがとう」

 と存在に感謝を込めた。

 これだけで充分だった。

 「ありがとう!おまえももうすぐだから頑張れよ!」

 って最後まで上からだったけど、この日ばかりはあえてそれがよかった……。


 さようなら、平川……。





 洗面所で他の院生に、誰々君の眼鏡が紫色なんだよと話し掛けられて、話していたら先生に見付かり

 「おまえら反省文五枚ずつ書いて来い!」

 と言われて渡された紙を見たら、普通の原稿用紙ではなく、横二十五マス、縦三十五マスくらいある方眼紙だった。

 しかも裏もあるので実質十枚。

 もう一人が

 「いや、いくらなんでもこんなに……」

 と言おうとしたら先生に

 「うるせんだよ!」

 と言われて、彼は予科で習った見事な

 「回れ右!」

 をして去っていった。


 こんな出来事で俺らはいったいどうやってこの反省文を書き上げたのでしょうか?

 今あったら是非読んでみたいけど、内容は全く憶えていない。

 おそらく、どうせ読まないだろうと、繰り返し同じような事を書き続けただけだと思うが……。



 五月になり、出院まであと二週間という時に事件が起こった。

 農業科の実科服に着替える為に、更衣室で着替えていると、

 「スーパーマリオのノコノコ」

 みたいな顔した、いかにも弱そうな奴が、突然

 「のび太!」

 と俺に言ってきたのだ。

 そいつも眼鏡を掛けていたので、俺はおまえの方がどちらかというと

 「のび太」

 だろって思ってかなりムカついた。

 その時に違う院生が俺に

 「あの長靴出院した人のだから履いてもいいんですよね?」

 て普通に話し掛けてきたのに、イライラしていた俺は

 「は?別にいいんじゃないっすか!」

 と素っ気なく言ってしまった。

 そしたら

 「はあ?てめえ!なんなんだ!その態度は?」

 

 

 なんて怒りの導火線が短い人なんだって思ったが、俺は全然恐くなかったので

 「そういう事言うのやめた方がいいですよ!」


 「バキ!」

 彼は持っていたハンガーを思いっきり壁に叩きつけて


「上等だよ!この野郎!」

 とぶちキレてきた。

 

 ハンガーはやわい物だったので、ほぼ粉々になった。

 

 おいおい!もうすぐ出院なのに勘弁してくれよ!

 

 「ですから、そういうのやめた方がいいですよ!」

 俺はこの姿勢を崩さなかった。

 

 「おめえ、何なんだよ!その態度は?ああ!?」


 俺は殴られるかもしれないと思ったが、この姿勢を崩さなかった。

 この姿勢を崩さなければ、例え殴られても俺は処分を受けなくて済むと思ったからだ。


 騒ぎに気付いた先生が来て、俺ら二人は二寮(個室寮)へと連行された……。


 調査が始まった。

 出院準備寮に移ってから問題を起こして、出院日が遅れた場合、とんでもなく出院が伸びてしまう。

 というのも、前述した観察官面接や委員面接を経て出院日が決定されるので、また一からやり直さなければならない、つまり少年院の先生では調整する事が出来ないのだ。

 大目に見て見逃すか、大幅に遅らすかの二択しかないのだ。

 これは俺の勝手な考えだが、大幅に遅らせる決定をした場合

 「じゃあ何でそんな奴を出院準備にあげたんだ?」

 と先生達も責められると思う。

 観察官や委員の方々からすれば仕事も増えるし当然の事だろう……と思う。


 俺はノコノコに

 「のび太」

 と言われた事も正直に言った。

 奴をかばう必要など全くなかったからだ。

 ただ、俺にぶちキレた彼には悪い事をしたと思っている。

 単に八つ当たりしてしまっただけなのだから……。

 彼の短気過ぎる性格を差し引いてもだ……。



 結果的には、俺ら三人は一週間ほど二寮(個室寮)で過ごして出院準備寮へと戻れた。

 戻った日にノコノコが

 「すみませんでした」

 と俺に謝ってきた。

 俺にぶちキレた院生も

 「勘違いしてすみませんでした」

 と俺に謝ってきたが、彼は悪くないと思っていたので

「俺の方こそ、すみませんでした」

 と謝った。



 なんやかんやで結局、一日も遅れる事なく俺はなんとか出院の日を迎えた。

 出院の日は三日前にならないと教えてもらえない(月曜日以外は二日前だった気がする)。

 朝、出寮前に先生から名前を呼ばれたら、それが合図だった。

 何人も見てきているので、みんな分かるのだ。

 

 俺は実はこの一日前から分かっていた。

 なぜならこの日は奉仕活動で出院準備生全員が外出する予定だったのだが、なぜか人数が一人少なかったからだ……。

 順番的に俺だと分かったのだが、結局俺はタイミングが合わず、一回も奉仕活動に参加する事が出来なかったのは残念だった。


 最後の出院までの三日間は、個室という事もあって、とてつもなく長く感じられた。


 俺は正直、全く更正などしていなかった。

 むしろ、被害者曽明に対する復讐のみで生きていたと言っても過言ではなかった……。

 曽明が被害届を取り下げなかった事は紛れもない事実なので、許せなかったからだ。

 この時には被害者曽明の家を放火してやろうと決めていた……。

 作戦としては、ガソリンスタンドでガソリンを買うとバレてしまうので、団地内に置いてある原付バイクのホースを切ってガソリンを取り出し、酒屋の裏に置いてある空の一升瓶を盗んできてそれにガソリンを入れる。

 ガソリン入りの一升瓶は、団地内の階段にあるガスメーターが設置されてる所に隠す予定でいた。

 俺は仕事を見つけて働き、その平日の夜に実行する気でいた。

 実行内容は、玄関のドアに付いてる郵便受けからガソリンを流しこみ、ライターで火を付けて逃げるという算段だ。

 一升瓶は途中で割ろうかと思ったが、破片が体に付いてしまったらまずいので、割らずに捨てる予定でいた。

 靴だと足跡でバレると聞いた事があるので、靴下を二重に履いて行き、仕事の途中でその靴下は捨てるつもりでいた。

 もちろん、軍手も家にある物を使って、それも仕事中に捨てる……。

 だいたいこんな計画だったが、不備がないか心配だし、ガソリンと瓶は出来ればイカつい顔のRに用意してもらおうと思い、そういう面では一番口が堅くて信用できる竜には相談するつもりでいた。


 出院すると仮退院扱いになり本退院までは保護観察が付いてくる。

 普通の保護観察処分と違って、生活態度が悪いと少年院に戻される事もあるとの事だった。

 特別遵守事項というのが三つあり、それを守らなければならない。

 これは出院者一人一人違う内容になっており、犯した罪や性格を考慮して決められるらしい。

 例えば俺なら

 「暴力的な行為を慎み、謙虚な姿勢で人と接する」

 などである。

 あとは

 「仕事に真面目に従事して社会に貢献する」

 みたいな内容だったと思う。

 

 この特別遵守事項を三つ共暗記して、院長先生の前で言わなければならなかった。

 

 暗記する事はもう一つあって、出院の日に壇上に登ってみんなの前で、少年院生活の感想と出院してからの決意を述べなくてはならなかったのだ。


 出院の前日は一睡も寝れなかった。

 そういや、蛍と動物園に行く前の日も寝れなかったなって懐かしく思った。

 長い長い夜から朝まで、色々な事を考えた。

 事件の事、鑑別所や少年院の事、曽明への復讐計画の事、出たら最初に誰に連絡するか?

 などである。

 とりあえず五万円預けてあるので、サッカー部の今町に連絡する事は決まっていたが……。



 そしてついに出院当日となった。

 出寮までは昨日までと変わらない生活だが、朝礼時間にみんなと一緒に参加して、名前を呼ばれたら壇上に上がる。

 

 出院後の決意表明の内容は忘れたが、最後は

 

 「……この場を借りて固く誓います」

 で締めるのがこの少年院の習わしだった。

 

 問題なく決意表明を終えると、本来は院長先生から激励の言葉をもらえるのだが、俺の時はいなかったので代わりに副院長だった。

 副院長には卒業アルバムの件で少し恨みもあったので

 院長の方がよかったな!

 って思ったが、もうすぐ出院出来る喜びから、どうでもよくなった。


 副院長の激励の言葉が終わると

 「贈る言葉」

 をみんなが歌って送り出してくれた。

 出院準備寮生全員と握手してから、その場にいる先生達全員とも握手して一言ずつ交わした。

 短い期間だったが、この時は色々な感情が沸き上がってくるので、泣いて出院していく院生もいた。

 俺は泣かなかったが、確かにそれくらい込み上げてくるものがあった。

 

 去り際、予科で習った完璧な

 「回れ右!」

 をして最後の礼をみんなにした。

 ここまでは何十回と見てきたので知ってるが、ここからが未知の世界だった。

 

 院長室らしきとこで、例の特別遵守事項の三つを副院長の前で言わされ、預けてある荷物とお金を引き取る手続きをして、迎えに来た両親となぜか一緒に来ていた母方のおばあちゃんと共に、四ヶ月半過ごした水府学院をあとにした……。

 

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