拘置所
拘置所の部屋自体は鑑別所と大して変わらなかった。
ただ、慣れ親しんだ鑑別所と部屋以外の造りが違うせいか、なんだか落ち着かなった。
番号で呼ばれるようになった。
俺は百八番だった。
煩悩の数なので憶えていたのだ。
拘置所では課題とか何もなく、本は借りられるがそれだけだった。
何もする事がないというのは辛いもので、今までで一番頭がおかしくなっていった……。
ラジオが聴けるのだが、ラジオを聴いてるとずっと俺に話しかけてきているように聴こえてきた。
消してもらっても隣の部屋のラジオの音が聴こえてくるのであまり意味がなかった。
検事がなぜか面会にきた。
「君は否認しているけど、このままだと出れなくなるので、罪を認めて執行猶予で出た方がいいんじゃないの?」
と言ってきた。
後で聞いたら検事が面会に来るのは珍しい事らしい……。
おそらく否認されると裁判が長引くので、そのように提案してきたのだと思われる。
だけど、俺は罪を認める気などなかった。
たとえ出れなくても、今回の事件だけは認めたくなかったのだ。
あれは事故みたいなもので、俺は無罪だと思っていたからだ。
今度は国選弁護人が面会にやってきた。
年老いた弁護人で頼りなさそうに見えた。
弁護人に、検事が提案に来た事を言うと
「何を言ってるんだよ!少年院に三回も入ったのだから出れるわけないだろ!」
と言ってきた。
少年院は関係ないって誰かに聞いたけど、弁護人がそう言うならそうなのかもしれない。
という事は、検事の奴、騙したな!
って思った。
誰も信用出来なくなったのと、拘置所という何もする事の出来ない空間、ラジオのせいで俺は今までで一番頭がおかしくなった。
カルシウムを取ろうという事で、手足の爪を食べた……。
購入したシャンプーは部屋に置いておけた。
そういえば、優香はシャンプーの匂いフェチで、頭の匂いを嗅いだだけで、何のシャンプーを使ってるか分かるってと言っていた。
そう言うだけあって、風呂場には何種類ものシャンプーがあった。
やはり、収集癖があるんだなって思った。
体の中を洗おうと思い立ち、シャンプーを飲んだ。
シャンプーを飲むと笑いが止まらなくなってしまった……。
色々な過去の楽しい事を思い出しては爆笑し続けた。
小学生の時、先生から自分のおしっこを飲むと体にいいという話を聞いたのを思い出して、俺は自分の小便を飲んだ。
別にどうという事はなく、普通に飲めた。
後は体を鍛えると称して、色々な謎の体勢をしてみたりした。
まだ裁判も始まっていないのに、非常にまずい状態だったと思う……。
もうどうだってよかった。
どうなってもよかった。
どうせ、このまま刑務所を出たり入ったりする人生なんだと思った。
このまま死んでしまいたいと思うようになった……。
国選弁護人が、なぜかまたすぐに面会にやってきた。
これもどうだってよかった。
どうせ、否認するのをやめるようにでも言ってくるのだろう……。
何度も言うが、決して今回の罪を認める気はなかった……。
だが、弁護人は開口一番、全く予想外の事を口にした。
「お父さんが亡くなったそうだよ」
それを聞いた瞬間、涙がぶあっと出てきた。
不思議とこれは全く疑わなかった。
父が死んだ……。
かつて、俺が殺そうとした父が死んだ……。
後で兄と母に聞いたのだが、死因は急性白血病で、ちょっと具合が悪くなって入院したかと思ったら、すぐに死んでしまったらしい……。
あまりにショックだった……。
ショックがデカ過ぎて狂った頭が一瞬で元に戻った。
父の死により、究極の現実を突き付けられ、何の言い訳も出来なかった為、全ては現実だったと理解出来たからだ……。
今まで俺はいったい何をしていたんだと思った。
夢から覚めたような気分だった。
その後の弁護人の話は耳に入らなかった。
部屋に戻っても俺はずっと泣き続けた。
あんなに俺を苦しめたラジオも、普通に聴こえるただのラジオに戻っていた……。
この時、兄と叔父は、俺が葬式に出れるように保釈金を払って外に出そうとしたのだが、俺が犯行を否認していた為に出る事が出来なかった……。
この時は、親の死に目にも会えず、葬式にも出れない自分を悔やんだが、今にして思えば出なくてよかったのだと思う。
この後の拘置所の中の時間が、俺にとっては懺悔の時間となるからだ……。
父は、死ぬ間際まで俺の事を心配していたらしい……。
なんだかんだ、父は俺を最後まで見捨てなかった……。
そんな父はきっと、自分の葬式に出るより、俺が更正してくれる事を願っただろう……。
俺は過去を振り返って、父に一つも親孝行をしていない事に気が付いた。
「少年時代」
の漫画を一件の店で諦めなければよかった。
実際に喜んでくれたかは分からないが……。
俺は小学生の時に父と見た満月っぽい月を思い出した。
そうなんだ、俺はずっと父に
「あれは満月じゃないよ!」
って言った時と同じで、理由をちゃんと言わずに困らせてばかりだったんだ。
父とちゃんと向き合っていれば、何かが変わったかもしれないが、もう何もかもが遅すぎた……。
俺は今までの全ての悪事を反省した。
本当に辛い辛い三ヶ月だった(普通は二ヶ月くらいらしいが、裁判官と弁護人の予定が合わなかった為に長びいた)。
俺は死んでしまった父にはどうする事も出来ないので、まだ生きている母に親孝行する事を誓った……。
今までの事をひたすら反省し、二度と悪事は行わないと誓った……。
今回の罪も受け入れる事にした。
今まで、なぜか警察沙汰にならなかった恐喝事件の罪だと考えたからだ。
実際、頭が狂っていたとはいえ、以前に恐喝事件を起こしていたから今回もその習性で人を襲ってしまったのだ。
裁判が始まると、俺は今まで否認してたのが嘘みたいに全てを認めた。
頼りなく見えていた弁護人だったが、さすがはベテランで、俺の想像より遥かにちゃんと弁護してくれた。
父の死も情状酌量を狙って言っていたのは微妙な気分だったが……。
判決の日、検事が
「求刑を変更します!」
と言ってきた。
前回、求刑が
「懲役一年半」
だったのに
「懲役一年〜二年」
に変更してきたのだ。
これには裁判官も苦笑しており、俺はこれに何の意味があるのか、さっぱり分からなかった。
裁判官が
「判決を言い渡します。懲役一年半、未決勾留の◯◯日を…………」
俺は頭の中が真っ白になった。
今回は出れる可能性が高いと実は思っていたので、ショックがデカ過ぎた……。
でもこれでよかったのかもしれない……と、諦めてしっかり刑に服すと決めた時
「執行猶予四年!」
と裁判官が最後に言った。
裁判を受けたのは初めてだったので、毎回こうなのかは知らないが、なんて心臓に悪い言い方なんだと思った。
正直、出れるのは嬉しかった。
こうして俺は、なんとか外の世界に戻れた。
それからは、拘置所で決心した通り、底から這い上がる為に必死で働いた……。
仕事が落ち着くと、大検が中途半端だったので、通信制高校に一年だけ通って見事大検合格させた。
大検合格証書を持って喜連川少年院の先生に報告しに行った。
マルチ人間の大西先生は、かなり喜んでくれたが
「最近、髪が薄くなってきた……」
と言っていたので、完璧人間ではなくなりつつあったのがショックだった。
当たり前だが、誰でも歳には勝てないという事だろう……。
十代の時にあまり遊ばなかった(遊べなかった)せいか、金の使い方が分からず、お金はどんどん貯まっていった。
貯めた金で起業しようかとも思ったのだが、結局守りに入って家を買い、二十八の時に出会った女性と結婚し、二人の娘が生まれて今に至る。
父が二人の孫娘に会えていたらどんなに喜んだ事だろう……と思う。
優香とは結局、勘違いとすれ違いの連続でヨリを戻す事が出来なかった。
俺が勘違いしていた為、誰にも本音を話せず悪い癖が出て逆走モードになっていたのだ。
優香の件で不信感があったタリに本音を言えるはずもなく、唯一、本音を話そうとタリの彼女に電話したが、話すら聞いてもらえないくらい嫌われていた。
勘違いに気付いたのは、俺に新しい彼女が出来た時の優香の反応を周りから聞いた時だった……。
俺は、ずっとヨリを戻したかったので残念で仕方がなかったが、これも運命だと思った……。
ただ、この自伝を書いた事によって、優香となぜヨリが戻らなかったのか、その本当の理由に気付いた。
狂っていた時期を思い出したくなかったので、正気に戻った瞬間からこの自伝を書くまで、優香と付き合っていた時の事も一緒に封印してしまったからだ(もしくはほとんどの記憶を失っていた?)。
そこには優香への謝罪と愛で溢れていた。
優香にまず謝罪していれば、きっと流れは変わっていたと思う……。
だが、今さら気付いたところでどうにもならず、単なる青春の思い出に過ぎないが……。
優香は、この数年後、アメ車に乗ってピンク頭の前に現れ、すぐに走り去ってしまったと言っていた。
優香のアメ車なのか、彼氏のなのか、借り物なのか、真実は分からないが俺は優香は有言実行したのだと信じている。
もちろん実際は俺との約束など関係ないだろうが……。
さすがは俺が童貞を捨てた女だと思う……。
今もどこかで幸せにやってる事を願ってやまない……。
俺もアメ車を買う為に二年足らずで三百万円は貯めたが、貯めてきた労力とアメ車の価値観が合わなくなってしまって、結局買うのをやめてしまった。
後に親友エバにタダでキャデラックをもらって一年くらい乗っていたので、約束を果たしたと言えば果たしたが、達成感はまるでない……。
ちなみに俺の嫁は優香より背が高い。
どうやら俺は、やはり背が高い女が好きなようだ……。




