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底から出てもそこは底  作者: 三頭脳
中学一年生まで
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生い立ちと家族構成

 ご多忙中の皆様、お疲れ様です。

 この度、生まれつきの心臓病という事もあり、すでに人生の折り返し地点を過ぎているかもしれませんので、自伝を遺す事にしました。

 場所によって、内容の違う三ヶ所の少年院生活の中身を知ってもらって、更正プログラムの在り方、今後の少年犯罪に少しでも役に立てばと思います。

 多少の記憶違いはあるかもしれませんが、当時の知り合いに確認しながら、嘘偽りのない正直な内容で書いていきたいと思ってますので、よろしくお願いいたします。

 尚、登場人物は全て仮名とさせて頂きます。

 

 あれは忘れもしない。

 俺が中学三年生だった時の十二月一日、俺の中学校生活は突然終わった。

 逮捕されたのだ。

 俺はここから自業自得ではあるが地獄の十代を経験する事になる。

 一度逮捕されてしまうと捕まりやすくなり、施設(鑑別所、少年院)に入れられる確率が上がる。

 まぁ当然と言えば当然なので、そこに文句をつけるつもりはない。

 もちろん、ただ単に悪い事をしないで真面目に生きればいいだけだと思うが、話はそう単純なものではないのだ。

 自分の悪癖はもちろん、先輩や友人の誘い、後輩への見栄、一度そっちの世界に行ってしまうと抜け出す事はなかなか難しい……。


 これからする話はそんな世界から抜け出せず、少年院に三度も入ってしまった俺の実体験の話。

 俺の世代はちょうど最初はヤンキー、一度目の少年院から出てくるとチーマー、二度目はギャング、三度目はローライダーと、出てくる度にワルのスタイルが変わっていき、ただでさえ社会から隔離されていたのでついていけないというのに、激動の時代だったので尚更だった。

 少年院も場所によって全然内容が違うし、こんな希有な体験を書き記さないのはもったいないと思い、筆を執った次第である。


 話を戻す前に、分かりやすくする為、軽く家族構成と生い立ちを説明しておく。

 俺の父は種子島で生まれた。

 高校を卒業後、種子島から上京して母と出会ったらしく、結婚してそのまま東京で暮らしたらしい。

 なので俺の生まれは東京都北区らしいが、生まれてすぐに埼玉県の上尾市(あげおし)に引っ越したので育ちは上尾市である。

 覚えていないしむしろ生まれも上尾市ならよかったのにと思うくらい俺は地元の上尾市が好きだ。

 上尾は大宮も隣だし、都内にも電車一本ですぐに行けるので便利な場所だと思う。

 駅前を離れれば田舎っぽいが、そこがまたいい。

 父が二十七歳で母が二十三歳の時に俺は生まれた。

 先天性のファロー四徵症という、心臓に難病を抱えて生まれて来たので、物心がついた時には病院のベッドの上にいた。

 手術して合計半年くらいの入院だったが、俺にはとてつもなく長く感じた。

 夜になると寂しくて毎日泣いていたのを覚えている。

 泣いていたのは俺だけじゃなく、病室にいた他の子達も泣いていたので夜は毎日泣き声の大合唱だった。

 四歳の時だ。


 退院して幼稚園に通ったが、入院してたせいか、七月生まれなのに周りの子より一回り体が小さくて、かけっこも常にビリだった。

 だけど運動神経は悪くなかったので、ぐんぐん体力がつき、年長の頃には、かけっこも普通のレベルになり、空中逆上がりが出来るようになっていた。


 父は体が大きくて強そうだった。

 普段は志村けんのモノマネをしたりとても面白い父だったが悪さをすると容赦なかった。

 小学生の時、万引きしたりするのがバレると正座を一時間させられたり、背中を洗う棒付きのスポンジで叩かれた。

 スポンジ部分を取ると先端が楕円形になっており、このスポンジを外した状態の棒を『根性棒』と称してケツを最高百回近く叩かれた。

 これがめちゃくちゃ痛かった。

 回数は罪の重さと父の機嫌によって決められた。

 思わず痛すぎて、手でガードすると指が折れたんじゃないかと思うくらい痛い上に少しでもガードしたものはカウントされなかった。

 もちろん、泣こうがわめこうが規定の回数に達するまでは終わらなかった。

 今思えば団地住まいだったので近所には丸聞こえだっただろう。

 俺はそんな父が恐かった。

 だが、どんなに叩かれても反省する事はなかった。

 悪い事をやめる気はなく次はバレないようにしよう、という方向にしか考えがいかなかったのだ。


 小学生の時の父との思い出でなぜか一番印象に残っているエピソードがある。

 それは全然大した内容ではないのだけど、暗くなり始めた夕方、父と団地の階段を二人で上がっている時、二階と三階(うちはちなみに三階)の途中の踊り場から見える夜空に輝く月を見て父が

 「今日は満月だなぁ」

 と言ったのだ。

 それを聞いた俺はすかさず

 「満月じゃないよ」

 と言った。

 すると父は本気で心配した顔で

「おまえ、大丈夫か?どう見ても満月だろ」

 と言った。

 俺は月を見た。

 確かに満月と言ってもおかしくないくらい丸かったが俺は

 「いや、満月ではないよ」

 と再び言った。

 珍しくはっきり父に断言した俺に父はひどく動揺していた。

 そして心配した顔をしていたがそれ以上は何も言わなかった。

 そうその日は満月ではなかったのだ。

 なぜならその日、学校の理科の授業でちょうど月の勉強をしていて明日が満月だと先生に言われていたからだ。

 それを父に伝えれば済んだだけの話なのになぜか言わなかった。

 自分でも謎だ。


 母はどちらかというと、おとなしめの性格でとても優しい人だった。

 子供の頃から怒られた覚えはほとんどない。

 働くのが好きらしく、コープのバイトと軽貨物の仕事を掛け持ちしていた。

 母の父、つまり俺の爺ちゃんは囲碁のプロで、囲碁教室を開いていたそうだ。

 俺も直接、囲碁を習いたかったが残念ながら俺が生まれる前に亡くなっていた……。


 あと三つ上の兄がいる。

 兄は中学生からグレだしいわゆるヤンキーだった。

 この兄の影響で俺もヤンキーになってしまったというのは否定出来ない。


 手術後の検査の為、半年毎に病院に通っていたが、それ以外は他の子供達と同じように生活出来た。


 小学生の頃は同学年の子と喧嘩ばかりしていた。

 万引きデビューは兄に連れられ幼稚園の時だった。

 それから万引きはしょっちゅうしていた。

 先生の財布や給食費を盗んだり、自転車を盗んで近くの駄菓子屋兼ゲームセンターにいりびたっていた。

 門限を過ぎると父が恐かったので家に帰れず家出した事も数回あった。

 給食のワゴンごと倒したり蛍光灯に物を投げて割ったり今思うと素行の悪い子供だった。

 だけどその頃は自分はワルだという自覚はなく、兄のようなヤンキーには絶対になりたくないと思っていた。


 その一方で教育熱心だった父に言われるまま、幼稚園の頃から公文や塾、それに通信教育もしていた。

 勉強する事は嫌いではなかったので成績は悪くなかった。

 特に算数は得意科目で学年トップクラスだったと言っても過言ではないだろう。

 円周率も百桁近くは暗記していて今でも言える。

 なので先生からはよく

 「テストの点数だけ良くても駄目なのよ!」

 と言われていた。


 小学校を卒業して、上尾市立の大石南中学校に入学した。

 この中学校、当時はヤンキーの多い中学校として有名だったが、あの的場浩司が通っていた中学校としても有名だ。

 ちなみにお笑いトリオの我が家の三人の内、二人も同じ中学校で、俺が一年生の時に三年生に在校していた。

 

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