風が吹けば桶屋が儲かると聞くが、親友が告白されたら俺がモテるのはなぜだ?
「好きです、淳先輩!」
夕暮れの校舎裏。
紅色の空には、ゆっくりと羽ばたく鳥の影。
雲は緩やかに流れ、人知れず俺は『のどかだなぁ』と感想を溢す。
「その……気持ちは嬉しいよ。 でもごめんね。 僕には心に決めてる人が居るんだ。 申し訳ないけど、付き合えない」
少女は「やっぱり、そうだよね……」そう漏らし、腕で両目を覆い隠し、走り去る。
こけてせっかくの可愛い顔を傷つけないようにと、願いを込めて両手を合わせる。
それから、隠れていた木の裏から姿を現す。
「やっぱり居たか、健二」
「お前こそ、自分で振っといて苦しむのやめろよな」
下がった肩に、容赦なく片手を回し、引っ張って歩く。
「強引だよね、健二は……」と、あーだこーだ俺への文句を垂れる親友を無視して、家へと帰った。
親友の淳は、昔から覚えるのが好きで、気付いたら勉強もスポーツも何でも出来る男になっていた。
見た目も、舞台女優の母親の遺伝か、綺麗な容姿が目立つ。
男の俺でも、美しいという評価に納得する外見だ。
『そりゃ、モテるよな』
スマートフォンの電源を落とし、枕の傍らに置く。
画面には、通話アプリの履歴が残るが、ただのゲームフレンドからの愚痴である。
『明日は、淳を誘ってカラオケでも行くか』
部屋の電気を消して、その日は眠りに就いた。
***
「やっはろー」
「やっはろー」
親友は朝から絡まれるのが、日課なのか?
いや、これは彼女の性か。
「あ、ケンジくんおはよー!」
「あ、あぁ」
俺はこの人の元気な感じは好きになれないんだよな。
そっと淳から離れ、自分の席へ向かう。
鞄を横に掛け、読みかけのライトノベルを開く。
「あー、ごめんね綾辻さん。 健二は朝が弱くて、いつもこんな感じなんだ」
「あ、うぅん。 分かってるから大丈夫だよ、淳くん。 それに、お返事してくれただけで嬉しいし!」
このクラスにおいて、男のヒエラルキートップが淳なら、女性のトップは彼女、委員長の綾辻さんだろう。
それぐらい才色兼備の子に朝から絡まれるなんて、淳じゃあるまいし、堪ったもんじゃない。
『1時限目は国語かぁ……よし寝よ』
俺は不真面目な予定を立てながら、ライトノベルのページを捲った。
***
「健二、屋上に行こうか」
「はいはい、分かったから売店に行かせてくれ」
「ちゃんと来いよー、来いよー」と山彦させる親友を背に、俺は早歩きで廊下を進む。
売店は相変わらずの賑わいで、高校に入りたての1年生は右往左往。
その中でも大人しそうな子が買えなくて困っていた。
『俺も初めはそうだったなぁ』
そんな感慨に耽りながら、「ついでだし何が欲しいんだ?」と声を掛け、「え、あの……」と困るその子に一言二言返し、さっさと購入を済ませ、売店を後にする。
「健二、遅かったね。 また何かしたのかな?」
見透かしたような笑みを浮かべる淳。
「ったく、別に何もないっての」
淳の隣に座り、買った紙パック牛乳にストローを刺し、サンドイッチへかぶりつく。
『あぁ、うめぇ』
「健二、今月の分は大丈夫?」
「何が?」
「今日の帰り、カラオケに行く予定でしょ。 でも、健二のお小遣いは昼飯分しかない」
本当に、この男はモテる要素を見せつける。
俺の懐具合なんてお見通しらしい。
「お金の事なら心配すんなっての。 こう見えて、有栖川家筆頭の稼ぎ頭なんだから」
「ん、健二がそういうなら安心だよ」
あー、こいつのこの信頼がくすぐったい。
俺は後頭部を掻いて、牛乳を思いっきり吸い込む。
ゴホッゲホッ。
「ゆっくり飲みなよ」
背中を撫でられる手をはたいて、俺は呼吸を落ち着ける。
本当に、この男が好きな女の子は幸せだろうな。
こんな出来た男に好意を向けられるんだ。
予鈴が鳴り響き、俺は便所に行くと言って、その場を離れた。
***
うわー、気まずい。
「マジで好きになったんだ。 ウチは夜遊びもするしょうもない女だった。 でも、この前絡まれているのを淳が助けてくれてから、もうこんなことはしないと決めたんだ。 淳が好きだ、付き合ってください!」
親友に迫り、赤ら顔を向けるのはギャル風のギャル。
短い丈のスカートで生足が目を惹き、胸元は涼しげに開かれている。
カラオケで、アニメソングを満喫した俺達。
さてと、これから帰って課題やらなきゃなぁーと愚痴ってたら、帰り道にこれだもんな。
「ごめん、七海ちゃん。 僕には昔から好きな幼馴染が居るんだ。 だから、他の女の子と付き合うとかは考えられないんだ」
あーあ、また振って哀しげな表情に。
『ハァ……』、心の中で溜息が漏れる。
「そ、そうか。 そうだよね、うん。 淳は良い男だから、好きな人も居るよね。 こたえてくれてありがと。 でも、今日はごめん!」
走りにくそうなローファーで夜の街を駆けてく彼女。
慰めたくなるが、そこは俺の出番じゃない。
「ほら、さっさと帰るぞ淳」
「健二、いつもありがと」
「何言ってんの? それより課題の分からない所は教えろよな」
「あぁ、メールで聞いてくれ」
いつも俺は強引に淳を引っ張っていく。
親友は何でも出来るけど、何でも平気な訳じゃない。
モテる事が好きじゃなく、そして、断って誰かを悲しい気持ちにさせるのが嫌で仕方ない普通の男だ。
『なんだかなぁ』
家路は少しだけ重い足取りとなった。
***
「淳くん、今日の放課後いいかな?」
次の日、登校してからの第一声がそれだった。
告白での呼び出しは、淳にとって頻繁な出来事だが、今日は相手が相手だった。
「あぁ……大丈夫だよ」
綾辻さんも、とうとう参戦か。
疎らに人が居る教室は、その話題で包まれる。
俺はそっとライトノベルを開き、しおりを外す。
「ありがとね。 それじゃあ、また」
キャーキャーと騒ぐ女子連中に交じる綾辻さん。
「大したことないから」と遠慮する彼女に、興奮気味の周囲は気付いていないらしい。
あっちもあっちで苦労してそうだな。
俺のページを捲る手は遅くなる。
***
「淳くん、来てくれてありがとね」
「いや、約束だからね」
群生する草の陰から覗く、女子3人。
親友の応援のつもりだとは思うが、その好奇の視線がどこに向いてるかなんて分かりやすい。
『まぁ、ここに居る時点で俺も変わらないか』
でも、これだけはやめられなかった。
別に、親友が告白を受け止めるなら、喜んで応援する。
そりゃあ、俺の性格上茶化すが、大事な友の幸せを喜ばないなんてない。
されど、親友が今も幼馴染に想いを留めているのを知っているから、俺はこうしている。
「……です。 淳くん、いいかな」
ふと物思いに耽ってしまったせいか、前半部分を聞き逃してしまった。
おそらくは、「いつも優しい淳くんを見ていて、温かい気持ちに包まれる私が居ました。 好きです、付き合ってほしいです」みたいな感じだろう。
聞き慣れた告白の文言に、俺の補完能力が発動する。
「ごめんね、綾辻さん。 それは俺には出来ないよ」
「やっぱり……そうだよね。 うん、分かってたからいいの。 でも、今でも変わらないんだね」
息を呑んで見守る、女子3人と俺。
草陰に潜む彼女らの更に後ろ、校舎の角に身を隠す俺は距離があった。
木枯らしが間を通り、音を掻き消す。
「……は、俺にとって……だからさ。 ……な気持ちは今でも変わらないんだ」
「淳くん……」
そう話す親友の顔は、パッと花が咲いていた。
いつも見慣れた、俺と駄弁る際に見せる表情だ。
淳はやっぱり、彼女が好きなんだなと再確認する。
俺と淳と撫子ちゃん。
母親が同じ職場だった関係で、昔からよく遊んでいた。
俺は悪ガキでやんちゃして、淳は成長が早く大人っぽかったが俺に付いてきてくれて、撫子ちゃんはそんな2人の後をそっと追い掛けてきた。
小学校の卒業前、撫子ちゃんは女の子の同級生達とだけ遊ぶようになったが、理由は分からない。
もしかしたら、撫子ちゃんの告白を俺が断ったせいかもしれない。
「今日はありがとね。 それじゃあまた明日、淳くん」
「あぁ、また明日」
離れる2人の男女の影。
草陰の女子も、知らぬ間に消えている。
「で、また覗きか?」
ヒェ!?
柄にもない声を出してしまった。
「ぷっ、なんだよ可愛い声を出して」
腹を抱えて笑う、淳。
「べ、べつにちょっと考え事してただけだっつーの」
火照り出す頬を爪で掻いて、そっぽを向く。
部活動の終わりで来たせいか、空に浮かぶ夕日は傾き始めている。
「俺も、モテたいなぁ……とかかな?」
「違うつーの、誰が淳の事を羨むか! てか、今日の夕飯は何作ろうかって考えてただけだよ」
「あぁ、妹ちゃんと交替制だったもんね」
適当に話をずらしながら、いや優しい親友の事だから乗ってくれているのだろう。
それに甘えて、夕暮れの帰路を進んだ。
***
「あの! 一昨日はありがとうございました。 お礼をしたくてずっと探してて、やっと会えた……」
どこかで見たことのある、小動物系の女の子が目の前に飛び出てきた。
下駄箱から上履きを取り出している最中で、その手が止まる。
「淳、また女の子を助けたのか?」
呆れ気味な口調になるのは仕方ない。
この親友さんは、上は重い荷物を背負って苦しむお婆さんから、下は迷子で泣く幼稚園児までと。
困っている女性を見つけたら、居ても立っても居られない男なのだ。
「いや、申し訳ないけど僕は初めて顔を合わせたよ。 たぶんだけど、健二のお客さんじゃないのかな」
「そうか?」
緊張からか、視線がおぼつかない彼女。
体は微かに震えているようで、売店で右往左往していたあの子と姿がダブる。
「もしかして、売店で無理やり俺が買っちゃった……あの子?」
「あ、はいそうです! あでも、無理やりされたとは思ってませんっ」
「ほーん」
親友がまたやったのかとこちらを向く。
なんだよ、その憎たらしい笑みは。
お前の笑顔の中でも、それだけは嫌いだぜ。
「こっち見てないで、彼女の話を聞いてやりなよ。 先行っとくね」
さっさと逃げる姿は誰かさんに似ている。
はてさて、誰に似たのやら。
「あの……少しお時間を貰ってもいいですか?」
「あー、俺は全然構わないが、正直あれは気まぐれみたいなもんだからさ、気にしなくていいんだ」
本当にそうだな、うん。
親友が人助けに動く姿を見て、俺も困った人を見るとモヤっとしてしまい、気付いたら身体が動いてしまうだけだ。
ほんと、誰に似たのやら。
「で、でも、わたしがしたいんです! わたしは何をするにも積極的になれなくて、それで上手く気持ちも言えなくて……でも今日は、今日だけは助けてくれた先輩にお礼がしたくて、決心してきたんです」
昇降口ゆえに、俺と同じ2年生だけでなく、3年生や1年生の往来もある。
そんな衆目の中で、声を大にできるのは大した度胸だと俺は思う。
だったら、俺も男にならないとな。
「ありがと、その気持ちだけでも嬉しいよ。 俺がした些細なことで、こうして喜んでもらえるだけでさ。 まぁ、なんとなく気恥ずかしいけど」
プルプルと震えて、こちらを見続ける彼女。
あー、よく見るとじんわり目元が濡れてきている様子。
というか、流石にちょっと居心地が悪くなってきた。
「あのさ、名前だけでも聞いていいかな。 今は時間もあまり無いし、また今度会った時、何か奢ってもらうからさ」
「……はい、グスン。 わたしは、静川 奏と言います」
「俺は、有栖川 健二。 まぁ上の名前は大層な感じだが、気安く健二とかでいいよ」
「はい! 健二先輩、これからよろしくお願いします!」
彼女が廊下を駆けてく姿を見送り、俺も2年生の教室がある棟へ向かう。
噂が飛び交うが、俺の知ったこっちゃない。
***
偶然は必然、そんな表現を聞いた事がある。
運命的な出会いと思えど、実は未来の予定として決まっている出来事。
そんな言葉遊びのような、言い回し。
俺は難しい事はどうでもいいので、すっかりそんな事は抜け落ちていたが、今ちょうど思い出した。
「久しぶりだね、おふたりさん。 昔と変わらず仲良さそうでよかったよ」
校門で待っていた奏ちゃんに連れられ、ファミリーレストランへと向かう放課後。
偶然、路上で彼女と再会した。
「えと……」
奏ちゃんが戸惑い、返事に困っている。
「昔と変わらずって、流石にあの頃みたいに、僕は健二の後をついていってないよ撫ちゃん」
「ふふ、そうみたいね。 小学校を卒業してから会わなくなって4年と少しかな。 すっかり背も伸びたみたいだね、淳くんは」
こちらをちらりと見た親友と撫子は、なんの気兼ねもなく話し続ける。
「まだまだ成長期は終わらないみたいでね、逆に困ってるんだ」
「あら、どっかの誰かさんには無さそうな悩みね」
伸び悩む俺の身長を話のネタに、盛り上がる2人。
ピクピクとこめかみの血管が動き、俺の口が回る。
「こら、撫子に淳。 人が気にしてるコンプレックスで盛り上がるなっつーの。 てか、今は奏ちゃんも居るんだから、紹介しろよ淳」
「そうだったね、ごめんごめん」
「奏ちゃんって言うのね、よろしくね。 私は御松蔭 撫子。 古臭い名字だから、気軽に撫子と呼んでね」
「は、はい。 撫子さん、よろしくお願いします!」
ちょっとした自己紹介を交えつつ、俺達との出会いのきっかけを聞く撫子。
俺と一悶着あった時から、疎遠になった彼女。
今はもうそれもスッキリとさせているようで、俺はホッと安堵の息を吐く。
「健二、撫ちゃんの分は頼むよ」
「ああ。 ……って、なんだよそれ」
「静川さんに奢ってもらうんだから、それくらいは出すのが男ってもんだろ?」
キランと、白い歯を見せて微笑むキザな親友。
「奢るのはいいが、いつの間に撫子も来ることになってんだよ」
「健二が考え込んでいて、反応しなかった今だね」
「うぉぉぉ……」と呻くも仕様がない。
大人しく、4人でファミリーレストランへと向かった。
***
「でね。 健二ったら淳くんの前に立って、こいつを殴るなら俺を殴ってからにしろって言うのよ」
「健二先輩、昔から変わってないんですね……」
卓に置かれた食べ物もそっちのけで、話に集中する奏ちゃん。
「ふふ、そーなのよね。 私がどれだけ、2人の監督が大変だったか」
男2人の昔話を惜しげもなく漏らしやがって、プライバシーの侵害で訴えてやろうか。
まぁ、そうなったら妹を味方にされ、敗訴するのは俺の方だが。
「健二、そんなムスッとしてたらご飯が冷めるよ」
「別にしてないっての、てか淳は平気なのか」
昔は色々あった、そりゃ語りきれない程に。
だから、今でも彼女を想う淳が苦しむ思い出だって、あるはずだ。
「ぷっ、そんな事を気にしてたのか。 健二、せっかく久しぶりに会えたんだ。 こうして、昔懐かしい思い出を肴に、飯を食べるのもいいじゃないか」
「お前がいいなら、いいけどさ」
いかり肩になっていないのを確認して、矛を収める。
少し違和感は残るが、親友は嘘を吐くと肩が上がる癖を持っている。
だからまぁ、本当に彼女の事には一区切りつけてるのだろう。
「でね。 健二ったら着替える教室を間違えて、女子の方に入ってきたの。 もう、その後は学級裁判でね。 私が庇わなかったらどうなってたことやら」
「こら撫子、その話だけは見逃せないぞ」
「えー、奏ちゃんも聞きたいしいいじゃない。 ね?」
「えと、あの……」
俺の顔と撫子の顔を見比べて困る奏ちゃん。
後輩に気を使わせんなっての。
「静川さん、そろそろ時間も遅くなってきたし。 ここらでお開きにしよっか」
「あ、もうこんな時間……」
話に夢中になっていた奏ちゃんは、スマートフォンの画面を見て驚く。
「じゃあ、俺は会計しとくから。 先に行っとくぞ」
透明な丸い筒に挿した伝票を抜き、席を立つ。
「あ、わたしが奢り……」という声は聞こえない振りして、さっさと行く。
俺も男だし、お礼とはいえ後輩に奢られるのは申し訳ない。
『またシフト増やすかぁ』と心の声で呟き、会計を済ませ、お店を出た。
***
次の日、放課後。
普段は授業に使う教室で、2人の男が見つめ合っていた。
「あの日、窓からこぼれた光。 向こうは東、ジュリエットは太陽だ。 今触れられるこの瞬間、溶けそうなこの想いを焦がさないでおくれ」
筋肉質な肌は雄々しく、熱い体温が指先を伝って俺の頬へと届く。
中世貴族の衣装は、彼の為に用意されたと言っても過言ではなく。
立った襟も、なびくロングコートも、どれもが親友の見た目をより美しく見せていた。
「あぁ、嬉しいわロミオ様。 どうして貴方はロミオ様なの。 お父様と縁を切って、どうかわたくしと添い遂げて」
「ぷっ、ふふ」
「桐山くん、笑っちゃダメよ……ふふ」
そういうアンタも笑ってるだろうと言いたい。
文化祭が近くなり、部活動と両立して、クラスの出し物に精を出していた。
そして、うちの出し物は『ロミオとジュリエット』。
演劇部次期部長の山本さんが手を加えており、台詞や演技が原作と多少異なっているらしい。
「さてと、演技の練習はこれぐらいにして、残り時間は大道具の手伝いをお願いね」
「あ、有栖川くん。 ドレスの採寸したいからこっち来てね」
うわー、満面の笑みを浮かべる親友がそこに居た。
クラスの女子がジュリエットを取り合うのを見て、勝手に俺を指名した張本人とは思えない。
この恨み、晴らさで置くべきか。
なんて考えてても、女子には勝てない。
全身を巡るメジャーに、なすがままだ。
「身長が低いおかげで、淳くんと並ぶと絵的にバランスが取れてるかも」
「うん、そうね。 男と男で楽しくなさそうだったけど、これはこれでアリね」
いやナシだろう。
そんな文句は口に出さないが。
文化祭まで2週間と少し、まだまだ長い道のりに足が重いのは仕方なかった。
***
「さてと、ラストシーン行くわよ。 1人演技の大事なシーンなんだから、感情を露わにして独白するのよ」
僕の上で、涙を見せる健二はなかなか上手い。
そっと瞼を開く僕は、ドキッとして、その演技に呑まれてしまう。
「………」
文化祭まで、もう日は無く。
今日が最後の通し練習。
常に嫌々な態度をとっているが、健二は任された役目を適当に流す様な男じゃない。
「ロミオ、ねえロミオ、置いてかないで。 私も一緒に行く。 あなたの妻だもん。 あなたと一緒に行く。 争いのない綺麗な空の上で、2人でいつまでもどこまでも歩いていくの。 ロミオ、ロミオ、私に最後の勇気を」
僕の死に嘆き、その命を投げ出し追い掛けようとする健二。
実際、僕が追い掛ける立場だったら、そうするかもしれない。 なんてね。
「カァァァァト!」
カチンコが音を響かせ、健二も僕の上から起き上がる。
「このドレス……まじであちぃ」と漏らすのは、健二らしく、ふふと笑みが溢れてしまう。
「こら、笑うなっての」
「だって、その格好がね」
「くそ、そっちが似合ってるだけに言い返せねぇ」
そっと、右手を差し出す健二。
ん? と僕は首を傾げる。
「立つんだろ」
その右手に触れて、腰を浮かす。
「ありがと、健二。 てか、可愛いお姫様に手を引っ張ってもらうのは、男として恥ずかしいね」
「たく、勝手に言ってろ」
そう言って、足早に舞台裏に向かう健二。
ドレスを脱ぎたくて仕方がないのだろう。
僕も着替える為、健二を追い掛ける。
『ふぅ』
ロミオとジュリエット。
悲しい恋のお話。
ある意味、それはお似合いかもしれない。
叶う可能性は皆無で、それで壊れる事が怖くて胸の内にしまい込んだ。
『僕だったら、たとえ結末が悲しくても……想いを打ち明けられるだろうか』
更衣室の扉を開き、ドレスに手間取る親友の手助けをしながら。
僕はその感情に蓋をした。
***
「なんで、拍手喝采なんだよ。 てか、梓を呼んだの誰だよ」
「妹ちゃんを呼んだのは、僕だね」
「お前かよ!」
文化祭1日目、舞台が主役のこの日は我がクラスも浮き足立っていた。
まぁでも、多少のミスはあれど、完璧超人の親友様が主役の舞台。
素人故に満点とは言えないが、大きな拍手を貰えるレベルには達した様だ。
「感動で、クライマックスには泣いてたね」
「そんなの、寝る演技のお前と違って見てねーっての」
あー、だから梓には黙ってたのに、この男ときたら。
でもま、終わった事は仕方ない、そう仕方ない。
「さてと、イケメンな王子様。 着替えたわたくしとは違い、貴方様にはまだお仕事がありますわ」
「え?」
上着に手をかける親友を引っ張って更衣室を出る。
自分達の教室にやって来て、ドアを横に開くと、クラスの女子数名。
「えと、これ何?」と狼狽する淳を、「写真を撮りたいんだってさ」と置いていく。
これは受けてしまった依頼だから仕方ない、そう仕方ないんだ、ハッハッハ。
「お兄ちゃん、何してんの」
「ゲッ、梓。 もうこっち来たのか」
中学3年生になっても、成長期が止まらない妹は俺の背より少し低い程度。
目線の高さが同じで、鋭い目付きがよく刺さる。
「お兄ちゃんと同じクラスの先輩に聞いたら、たぶん教室って教えてくれたの。 というか、また小遣い稼ぎでしょ」
「ぴゅぴゅぴゅー、なんのことやら」
「それで隠せてると思うお兄ちゃんが凄いよ」
呆れて、首を振る妹。
「それより、文化祭に来た事はもういいとして、何か食べに行くか?」
『露骨に話を逸らしたな』、そんな表情をされる。
伊達に兄妹していない。
「だったら、ベビーカステラと綿あめが食べたい! 勿論、お兄ちゃんの奢りだよね?」
「可愛い妹の為だ、当たり前だぜ」
臨時収入が無くならない事を祈りつつ、外に並ぶ屋台へと向かった。
***
「可愛い子と腕を組んでる……」
健二先輩を見かけた最初の感想が、それだった。
先輩と同じ身長くらいで、彼女の私服に目を惹かれる。
上は、前面の大きなポケットが目立つ、淡い桃色のアノラックパーカー。
下は、膝が隠れるデニムのフレアスカートに、ポピュラーなローカットスニーカー。
キャップやショートソックスも、ワンポイントに黒猫の刺繍でお洒落に余念がない。
アノラックがスポーティな雰囲気を出す中、他のコーディネートで女の子っぽさも見せる。
未だに制服しか先輩に見せる事が出来ていないわたしは、敗北感を味わう。
「あーんしてる……」
ズキンと胸が痛む。
わたしは、あれから先輩と帰り道を共にする事も増えたけど、そこまでは進めなかった。
桐山先輩と健二先輩の仲に遠慮したのもあるけど、健二先輩はわたしに何の好意も無いのに気付いたから。
……出来なかった。
「仲良さそう……いいなぁ」
わたしは、屋台が並ぶ道からそっと離れる。
先輩と一緒に居て、先輩の優しい気持ちに触れて、それで満足だもん。
***
「それじゃあ、ちゃんとクラスの先輩方と仲を深めてから帰るんだよ」
念には念を入れて、お兄ちゃんに告げる。
「はいはい、分かってるつーの。 でも、夕食は家で一緒に食べるからな」
「別にそれも無くていいのに」
「俺が嫌なの。 分かったな?」
「うん……」
お兄ちゃんは、仕事で忙しい両親に代わって、いつも気を遣う。
そんな優しさが嬉しくて、口元が緩むけど、すぐ調子に乗るお兄ちゃんには見せたくない。
「それじゃあね」
「寄り道せず、まっすぐ帰るんだぞ!」
『もう、子どもじゃないんだから』と頬が膨れるのは、お兄ちゃんの口癖で言うところの仕方ない。
『お兄ちゃんは世話が焼けるんだから……』
いつも思うけど、お兄ちゃんには幸せになってほしい。
もし、奥さん候補が居なかったら、梓がなってあげてもいい。
でも、今日一緒に居て、それはしなくてもよさそうだった。
『がんばってね、お姉さん』
屋台の通りで感じた熱視線。
女の子は敏感だから、すぐに気付いた。
***
「桐山くんの事が好きです!」
他校の制服は新鮮だが、告白の光景は変わらない。
流石に放置は申し訳ないと教室へ戻る道すがら、教室棟への入口で親友を発見した。
その隣には、見慣れぬ制服の女の子が2人で、どうもこれはきな臭い。
いやまぁ、物騒な話では無いか。
「その、気持ちは嬉しいよ。 でも、ごめんね。 僕には心に決めてる人が居るんだ。 申し訳ないけど、付き合えない」
もう定型文となった親友のお返事。
「ど、どうしてもダメですか! 私、ずっと桐山くんの事を見てて、サッカーの試合でかっこよくシュートを決めた写真なんて、大事に額縁に収めてるんです!」
「ごめんね、これは僕にとって譲れないモノなんだ」
親友は身を翻して、去ろうとする。
慌てて、俺も追い掛けようとして。
「それなら、その好きな方を教えてください! じゃないと、私は納得できません……本当はそんな人、居ないんじゃないですか?」
ブワァ!
その場を熱風が吹き荒れる、そんな錯覚。
それだけ、彼女に背を向ける淳から、殺気を感じた。
「おっと、ごめんね。 悪気はないんだ」
ふぅーと息を吐く淳。
「僕の好きな人はちゃんと居るよ。 でもね、その名前を知ったら、君はたぶん『やっぱり、断る言い訳なんだ』って考えると思うんだ」
「そ、それは聞いて見なくちゃ分からなーー」
「そうかな? 断言できないなら、僕は話せないかな」
こえぇぇ、初めてかもしれない。
親友がここまで怒った姿。
俺が撫子と遊ばなくなった時ですら、怒るよりも悲しんだ親友だ。
それが、ここまで好きな人の事で怒れるなんて。
「き、聞きたいんです! 納得するから!」
「じゃあ、僕の事を諦めるともう一度約束してくれるかな」
「これ以上、私は先輩を困らせる様な事はしません」
棟の間は、ちょうど風の通り道。
その女の子の親友らしき女生徒も、スカートを押さえて立っていた。
だから、運悪くその名前が聞こえないなんて、よくある展開だと思う。
「有栖川 健二、僕が昔から好きな幼馴染の名前だよ」
そう、そんなよくある展開はライトノベルの世界だけみたいだった。
***
「ケンジくん、好きですっ。 ナデコとけっこんしてください!」
死ぬ間際で無いのに、走馬灯がよぎる。
小学6年生の記憶。
オレは大好きなナデコに告白されて、嬉しかった。
「……ごめん、できない」
でも、オレはその告白を断った。
1週間前に、親友の想いを聞いてしまっていたから。
いつもの様に3人で遊んでいた公園。
夕方、ナデコを家まで送った後、アツシの大切な相談を受ける為、また2人で公園にやってきた。
「ケンジ、ボクはナデコちゃんが好きなんだ。 ナデコちゃんと付き合いたいって思ってる。 でも……いざ言おうとするときんちょうして話せない。 それでね、ナデコちゃんにプレゼントしようと思うんだ。 そこで告白する。 どうかな?」
オレの事を信頼して、計画を立てるアツシを裏切るなんてオレには出来なかった。
「アツシ、やっぱ頭いいな! ナデコなら絶対喜ぶと思うぜ」
朝早くと夜遅くにしか両親が家に居ない、それは我慢しても寂しい。
だから、同じ境遇のアツシにとって、ナデコの存在がどれだけ大きいか痛いほど分かってしまった。
「ケンジ、どうしたの? なんか変な顔だよ」
オレには妹のアズサが居たけど、アツシもナデコも1人でお留守番をしている。
こうしてオレ達が出会わなかったら、ずっと寂しいままだったかもしれない。
「変な顔って、どんな顔だっての」
だから、仕方ないんだ。
オレはそうやって、自分の気持ちを箱にしまって、忘れる事にした。
それなのに、今の俺はなんでこうなったんだよ。
『有栖川 健二、僕が昔から好きな幼馴染の名前だよ』
脳でリフレインする、告白の言葉。
忘れたいけど、忘れてはいけない。
逃げてはいけない。
そう、理解している。
「……はぁ」
俺はベッドの上で寝返りを打ち、真っ暗な部屋で模様が見えない壁を眺める。
そこに、昔の映像が重なるけれど、手を伸ばせば霧の様に消え去る。
***
「やっはろー」
「やっはろー」
耳に届く、親友の声。
教室に入ったすぐの場所で、淳が綾辻さんと挨拶していた。
ちらっと見てると、こちらへ歩き始めたので、慌ててライトノベルの文字を目で追う。
「健二、今日はどうしたの? 妹ちゃんに、兄は日直だから先に行ったって聞いたよ」
「別に何でもないから。 てか、日直なのは本当だろう」
「まぁ、そうだけど……」
少しの間、まだ立っていたが、こちらが無言なのを見て、淳は自分の席へと向かった。
『俺が勝手に盗み聞きして、それで悩んで、気を遣わせるなんて』
今の自分に反吐が出る。
だけど、今は距離を置きたくて、不躾な態度をとってしまう。
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』
パッと目が留まった、ライトノベルの台詞。
度重なる悲劇から精神的に疲弊し、仲間を自分の手で殺してしまった主人公。
彼の置かれる状況もあり、強迫観念が叫んでいるシーン。
偶然だけれど、情けない俺の姿に刺さり、ハッとさせられる。
繰り返しその言葉を読んで、本を閉じる。
『何してんだよ、俺は』
モテて、モテまくる親友が、実は俺の事が好きなんて笑い話じゃないか。
親友がどう思っていようが、俺はいつもの様にからかうだけだ。
『でも、謝らないといけない。 盗み聞きした俺が悪い。 そうだな、うん。 謝ろう』
***
「健二、急にどうしたんだ。 屋上に呼び出しなんて」
扉から顔を出し、こちらへとゆっくり歩いてくる淳。
6限目の授業が終わった、放課後。
部活動の前、淳に屋上まで来てもらった。
周囲には誰も居らず、普段なら影でこそこそしている俺も居ない。
「来てくれてありがとな、淳」
「ん? 改まってなんだよ。 なにか変な物でも食べたかい」
笑い混じりの健二。
その普段通りの姿に安心し、改めて決意を固める。
『……よし』
まだ青い空に浮かぶ雲を一度見上げ、震えてしまう両手を握って黙らせる。
一歩、二歩と、淳との距離を詰め、目の前へ。
そして、土下座した。
「え……えぇぇぇぇ!?」
「ごめんなさい!」
淳はあたふたして、二の句が継げない様子。
逆の立場だったら、俺もそうなるだろうな。
「文化祭の日、俺は淳が告白されるのを見てしまった。 それだけじゃない。 淳が好きな人の名前、それを聞いてしまったんだ」
「………」
沈黙の後、淳は「あぁ」と声を漏らし、納得のいった表情を見せる。
「やっぱり、あの時も居たんだな」
「ああ」
淳は膝を折り、俺の肩に両手を乗せ、俺の身体を持ち上げる。
思ったよりも力が強く、それに引っ張られる形で、俺は立ち上がる。
そして、思いっきり頬をビンタされた。
「ッ」
一瞬視界がブレて、叩かれた箇所には、ジンジンと熱い痛みが広がる。
『まじで痛ぇぇぇぇ』
打たれた頬を押さえて、ふらつきながらも踏ん張る。
「これで、盗み聞きした事は許すよ。 さて、それで俺への本当の話は何かな?」
俺……懐かしい一人称に、過去を思い出してしまう。
淳は昔一度だけ、それを使って感情を露わにした。
俺が淳を庇い、代わりに近所のガキ大将に殴られた時。
その後、『オレはそんなのたのんでない! オレだって、ケンジのけがする姿は見たくないんだよ!』って散々怒られた。
だから、今、淳の感情が激しく揺れているのを悟る。
俺は唾を飲み込んで、彼の瞳と目を合わせ、口を開く。
「……俺は、あんな形で聞いたとはいえ、ちゃんと返事がしたい。 だから」
「有栖川 健二」
言葉を遮られる。
淳の目が訴える。
俺だから、なんとなく分かった。
「健二。 僕のこの気持ちがどうして生まれたのか、それから話すよ」
屋上に吹く風はゆっくりと流れ、静かな空気が辺りを包む。
「それが芽生えたきっかけは、健二が撫子ちゃんに告白されている場面、それを見た小学6年生の時だったと思う」
***
夕暮れの公園、2人の子どもの影が伸びる。
そんな中、ボクは公衆トイレの陰から見ていた。
「ケンジくん、好きですっ。 ナデコとけっこんしてください!」
大好きなあの子が、親友に告白している景色。
それはボクの心を激しく揺さぶった。
『好きなナデコちゃんがケンジにうばわれる? ねぇケンジやめて。 ボクがナデコちゃんを好きなの知ってるでしょ。 ボクのナデコちゃんを取らないで』
後になって思い出したら、自分の気持ち悪さに吐き気がした。
でも、その時は嫉妬で我を忘れていた。
ボクだって、ケンジがナデコちゃんを好きな気持ちに気付いていながらも、牽制の意味で告白の相談をしたくせに。
「……ごめん、できない」
ケンジの告白への返事。
ボクはそれが耳に入って、呆気にとられた。
頭の中が真っ白と化した。
ナデコちゃんが顔を伏せて、公園を飛び出す。
陽の落ち始めた公園で、ケンジが立ち尽くす。
『……ケ、ケンジ?』
ボクは意味が分からなかった。
ボクが同じ立場なら、悩んだとしても告白を断るなんて出来ないから。
『ねぇ、ケンジ。 ボクは知ってるんだよ、ケンジがナデコちゃんと話してると、楽しそうに笑う姿を。 それに聞いたこともある。 「アツシ、ナデコとあそんでくれてありがと。 オレね、ナデコがさびしそうにしてるの見たくないんだ」って。 それぐらい、ナデコちゃんのことを考えてたじゃん!』
ボクは覗き見していたのも忘れ、ケンジに詰め寄ろうとした。
公衆トイレの陰から一歩飛び出て、ケンジの方へ足を向け、そして、その表情をしっかりと見てしまった。
『なんで、そんな顔をするんだよ……』
苦渋に満ちた顔。
これまでに見たこともない、ケンジの辛そうな姿。
ボクはケンジと出会い、遊ぶようになってから、楽しそうな笑顔しか見ていなかった。
だからより一層、ボクの目にはそれが印象的に映った。
***
「その日、家に帰っても夕食は喉を通らず、布団の上に倒れ込んだのを覚えているよ。 でも次の日、両親を困らせる事はしたくないと、無理して登校したら、いつもの健二が居た。 昨日はあんなに泣きそうだったのに、普段通りのしょうもないトークを披露して、スベってる健二。 悩んでもう何もかもが嫌になったボクだけど、そんな姿を見てると、この悩みが馬鹿らしくなった。 ボクの撫子ちゃんを好きな気持ちは確かにある。 でも、それよりも、ボクを寂しい日々から外に出してくれた淳と遊べなくなる方が嫌だ。 そこで、僕にとっての健二の存在がより大きくなったんだ」
淳が呼吸を挟む。
俺も同じ様に息をして、肺の空気を入れ替える。
上向く視線の先、青かった空は微かに赤く染まり始める。
「それから、小学校を卒業し、地元の中学校へ進んだ。 悲しい事に、撫子ちゃんは引っ越しで別の中学校へ行ったけど、僕には健二が居たから楽しい日々は変わらないように思えた……」
***
それは徐々にだけれど、中学1年生の2学期の始めには目立ち始めた。
「「「アツシくん、頑張ってー!」」」
放課後の部活動。
サッカーの練習試合をしていると、コートの外から応援の声が届く。
「たく、相手チームの事も考えろよな」
僕と同じチームの健二が、そう愚痴るのも何回目だろうか。
その頃、成長期のピークだったのか、僕は一気に身長が伸び始めた。
健二と入部したサッカー部も、僕の性に合っていたらしく、1年生でレギュラーに入る事が出来た。
そして、予選を勝ち抜き全国中学校サッカー大会という大きな大会で、惜しくも準優勝という結果を残してしまった。
「「「アツシくん、ゴール決めてー!」」」
それが理由かは分からないが、ある日を境に女の子のファンが出来た。
毎日増えているらしく、先輩に対して申し訳なさでいっぱいだった。
「アツシはセンターバックだから、ゴールしねぇよ」
それでも、健二はいつも通りで、今も律儀に反応している。
今思えば、その時の僕は健二にした事の負い目もあって、健二の助けになれる自分に変わる為、頑張ってたんだと思う。
「淳くん、私と付き合ってください!」
そんなある日、僕は初めての告白を受けた。
サッカー部の先輩に、『モテモテのお前なら、何度も告白されてて羨ましいぜ』とおちょくられていたが、それが本当の初めてだった。
「少し考えさせてほしいです」
僕も男の子だから、初めての告白は嬉しかった。
でも、健二や撫子ちゃんとの件もあって待ってもらった。
『やっぱり……でも……』
あの時、健二が告白を断った結果、2人の悲しむ姿が脳内でちらつく。
それを考えると辛くて、一度だけ、互いを知る意味でデートをしようと決めた。
「甘々の恋愛映画で終わらずに、彼が実は双子の兄弟で、デートの度に入れ替わってる設定が面白かったね」
映画を見た後、初めて入るお洒落な喫茶店。
サッカー部のマネージャーをしている彼女とは会話も楽で、さっき見た映画の話で盛り上がっていた。
「そうだね。 初めて恋愛映画を見たけど、最後まで楽しんで見れたよ」
積極的に話題を提供してくれる彼女に、僕もすんなりと返しの言葉は生まれた。
でも、少し違和感を覚えていた。
彼女と会話をするのが楽しくなかった訳ではない。
健二との会話と比べたら、どこか心の底から笑えていない、気を遣っている自分に気付いてしまったからだと思う。
「松本さん、ごめんなさい」
それから、告白されても断る事にした。
相手に嘘を吐く形の自分が嫌で仕方なかったから。
でも、僕に告白をしてくれる女の子はそこから増え始め、みんなが本気だった。
僕は勿論、その後の告白も断り続けた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
その前にどんなに断る理由を付けても、その一言で台無しだ。
彼女らは悲しみに顔を伏せ、その場から走り去る。
僕は辛かった。
その瞬間に、健二が撫子ちゃんの告白を断った様が浮かんでしまい、トラウマのように僕を糾弾するのもあって。
僕は毎回、どうしても暗い気持ちになっていった。
「おい淳、ボウリング行こーぜ」
「おい淳、助けてくれ。 梓が新しい料理を作ってみるって、聞かねーんだ」
「淳、ウチに来いよ。 一緒に宿題しようぜ」
健二は、そんな僕を見ていたらしく、慰めてくれた。
傍から見ると、ただいいように利用されてるだけだろうと断言されたけど、僕にとってはそう見えた。
その優しさは、苦しみを少しずつ溶かしていった。
トラウマとして浮かぶ健二はいつの間にか笑顔に変わり、僕の中から消え去る。
健二と一緒だと落ち着く。
楽しい。
幸せ。
忘れられる。
そんな事さえ言えそうだった。
「もう帰る時間か……」
僕は家に帰り1人になると、健二に会いたいと考えるようになっていた。
その状況は長く続き、中学3年生の進路を考え始める段階にまで時は流れた。
『卒業後の進路希望を、なるべく具体的に記入してください』
このまま健二と一緒に近くの高校へ行くか、親を楽させてあげる為、進学校へ行くか。
僕は人生の岐路に立っていた。
その頃の僕は、ちゃんと理解していた。
この気持ちは、依存や罪悪感、甘えといった汚い感情だと。
だから、このまま健二と一緒に居たら、僕はますます自分が嫌いになる。
悩んで、ノートにどす黒い感情を書き殴り、僕だけでは答えが出なくて、親にも相談しづらくて、弁護士をしている父の書斎に入った。
***
「参考が欲しくて、ジャンル問わず、色んな本に手を出した。 そんな中、目に付いたのがLGBTに関する書物だったよ。 『好きになるのは異性だけではない。 同性を好きになり、言葉を交わす以上の関係になりたいと思う気持ちは間違っているとは限らない。 貴方が今幸せな道を選びなさい。 世間体よりも後悔をしない道の方が大切である。 貴方にとって、彼はどういった存在かを考えなさい』。 僕はその言葉を読んで、雷に打たれた気がした。 僕の感情に明確な名前が付いた気がしたんだ」
深い呼吸。
淳は肩を震わせ、目元を拭う。
「最初の頃は、罪悪感があって健二の優しさに甘えて、依存していたのは確かにそうだと思う。 でも、途中から僕はまた少し異なる感情が生まれている事に気付いた。 『あぁ、健二は悪態を吐きながらも、僕の手を引っ張ってくれる所が好きだな』、『女の子が困ってる姿を見て、さっと手を貸す所もかっこいいな』と、健二の姿を目で追っている自分を知った。 健二が好きなアニメキャラの魅力を語るみたいに、僕は健二の魅力が浮かぶ様になっていた。 それは、僕にとってこれまでの哀しさを含んだ感情とは違う、なんだか素直に誇って叫べる感情で、パンッ! と黒い靄が晴れるのを自覚した」
淳の瞳から1つの滴が頬を垂れて、屋上の無機質な灰色の地面を濡らす。
「それが……それが僕の中で大きく育ち、いつになっても消えなかった。 健二が笑えば、僕も嬉しい。 健二が嫌なら、僕も嫌だ。 そんな、ただ一緒に居て、一緒の気持ちになれるだけで幸せだった」
ゴシゴシと擦った目の下は少し赤らみ、視線が落ちる淳は俺の視線にまでグッと上げる。
目線と目線が合い、その潤んだ瞳の奥に居る自分が見える。
「僕は女の子に告白をされる度、キミからの優しさを感じた。 今は、今だけは僕の事を気遣ってくれている時間。 そんな風に、キミへの想いが膨れ上がるもんだから、もうどうしようもないよ」
「ふふっ」と、柔らかな笑みが溢れる。
そのくしゃっとした笑顔に、俺は息を呑む。
「健二、好きだよ」
夕暮れの空をバックに、最高の笑顔で想いを告げる親友の姿。
それは、脳に張り付いて消えない一枚の写真だろう。
***
「あ、あの……なんですか、これ」
「俺の手作り弁当だよ、妹が作れってうるさくてさ」
仕方なく、料理の本を購入して、調理器具の使い方からたこさんウインナーやバラの形をした生ハム等の小技まで、手当たり次第に勉強した。
うーむ、我ながら凝り性かもしれない。
「おー、確かに美味い」
「って、こら勝手に食べるな淳」
「えー、好きな人の手作り弁当だよ。 食べてしまうのは仕方ないよね」
くそ、俺の口癖まで使って、堂々と言いやがる。
『ごめんなさい。 俺は、淳の事は友達として好きなんだ。 だから、付き合えない』
そんな返事があっても、こうして一緒に居てくれる淳は本当に良い男だ。
「ふふっ。 静川さんがいつまでも足踏みしてると、全部食べちゃうよ?」
「え、あ、ダメです! わたしも健二くんの食べたいもん!」
昔とメンバーは変わったけど。
そして、好意の線が何故か俺に向いているらしいが。
そんなの知るか。
「こら、俺が俺の為に作った弁当だぞ。 誰にもやらんからな!」
青空広がる屋上には、いつまでも……と言っても昼休みが終わるまで。
そんな楽しそうな声が響いていた。
ありがとうございました。
この後書きまで読んでくださった皆様に、深く御礼申し上げます。
さて、ここからはちょっとしたおまけのような裏話。
本作品を書くきっかけが、私にとって初めての体験だったので、お話させて頂きます。
私は物語を文章に起こす際、なるべく多種多様な言い回しを使いたいと、暇を見つければ辞書のページを捲っています。
その日も、たまたま読んでいたライトノベルで、スカートが神風で捲れ上がる描写があり、神風という表現に面白いなと辞書を開きました。そしたら、いつも通りライトノベルそっちのけで、辞書に熱中する自分が居て、そこで題名で使用している諺に目を奪われました。
そこからは一瞬だったかもしれません。頭の中で妄想が膨らみ、この諺って、こんな展開を示唆する言葉ではと、この短編を書き上げてしまいました。我を忘れて、あっという間に書き切ったのは初めてかもしれません。
勿論、誤字脱字や勢いで書いた文章の修正があり、投稿までには時間はかかりましたが、こんな事もあるのかと面白かったです。
個人的に好きな物を出来る限り詰め込んで書けたかなと思います。私の好きが皆様の好みになれたら、筆者として嬉しい限りです。
改めて読んでくださり、ありがとうございました。