児童虐待の新たな要素「社会的虐待」
ー児童虐待は必ずしも親に非があるわけではない。
誰しもがニュースでアナウンサーが無表情、あるいは悲しそうな表情を浮かべ、児童虐待の一部を報道している場面を見たことがあるでしょう。朝、学校へ行く支度の30分でそのようなニュースをよく目にします。親が子を虐待するのはあってはならない行為です。社会的にも到底許される行為ではありません。しかし、今の社会は虐待を、やむを得ないとしている部分があります。それを大人ではなく、親でもない私は「社会的虐待」と名付けることにしました。
児童虐待には、資料や参考書において大きく「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト」の4つに分類されると言われています。
5つ目の虐待「社会的虐待」は4つの虐待を間接的に引き起こすものと、直接的に与えるものの2つにわけられると私は思います。
間接的に引き起こす虐待とは、例えるならば社会の風潮や親と密接な関係にある人間(親族や親しい友人)による「空気」を指します。
これらは和を重んじ、「空気」を神としている日本人特有の虐待です。
親族が「育児とはこうすべきである。」と言えば、それが親にとってプレッシャーとなるケースなどです。
この場合は、子どもの虐待に留まらず、親族から親への虐待であるとも言えるでしょう。
直接的な虐待とは、例えば電車やバスで泣いている子に対し、周りの大人が態度や口に出してしまったときの虐待です。これにより、言うまでもなく親へのプレッシャーとなり、さらには子どもへの不安へと繋がります。
これらの事例はメディアで取り上げられる訳ではないし、わざわざ「虐待」というまでもないと思うのが殆どだろう。
しかし、実際にはそうした日本人特有の空気が虐待を引き起こす要因となっているのも確かであると言えます。私たちがいますべき事は、虐待をした親へ憎悪の目を向けるのではなく、そうした事件の背景に目を向けることではないでしょうか。
この世から「社会的虐待」が減り、親が子育てをしやすい環境になりますように。