壊れない城
ショスタコーヴィチの三重奏 第2番 4楽章から
広大な原野に拓かれた小道をみすぼらしい男達が七人ほど歩いていく。それぞれがヴァイオリン、チェロといった弦楽器を携えている。ヴァイオリン弾きとヴィオラ弾きは、楽器を出して祖国の歌を唄い弾いていた。彼らの顔は一様に朗らかだ。
野の蔓延る丘の上、一つ古く物々しい城がある。その昔、大きな権力をもった貴族が、その城を建てさせ、以来、その一族が長い間その城を住処にしていた。だが彼らの権威も年月を掛けて落ちぶれた。誇りである城を売り出しこそしなかったが、整備のための金も出せず、城は徒らに朽ちていった。
今でもその一家は月に一度は見栄でパーティを開き、近隣の名士達を呼ぶ。落ちぶれたとはいえ、その城の威容は健在で、パーティにはこぞって多くの者が集まり、夜を踊り明かす。そんなある舞踏会の晩。
その日も会食が終わると、いつもの通り、数人の日雇い音楽家が弦を擦り、楽を奏で始めた。彼らはたまたま数日前近くを通った旅芸人で、出で立ちもいかにも怪しかったが、安く買い叩ける楽団を探していた夫人は、しめたと、彼らとすぐさま二束三文で契約した。
彼らの奏でる音楽は出で立ちと同様いささか野卑だ。2拍子の舞曲の体をなしてはいるが、優雅さは乏しく野伏せの酔っ払いの舞踏曲だ。
しかし客らも最近の奇妙な嵌らないここでの舞踏会に慣れていた。
一組、また一組と、拍子に合わせ、体を揺らし始める。少しすれば、部屋中の人々が踊りに身を任せた。
ひときわ目立つのは城の当代の主人、ゴージィ伯爵の踊り。彼は一族でも少し変わり者で、実務能力などからきしだったが、身のこなしに不思議な迫力があった。体の衰えは隠せないにも関わらず、そのゆっくりとした舞踊のなかに独特の拍感のようなものが感じられ、また、厳しく他人とは違う何物かを見据え踊る様は、見るものに畏怖を与えた。
しかし、伯爵が目立っていようと、舞踏会の主役はやはり若い男女である。許嫁との愛を確かめ合うもの、火遊びの相手を探す若い男達、良縁を望まれ着飾る娘達。奇妙な旋律の中でさえ、彼らのロマンティシズムは挫けない。
人々が音楽に合わせ足を下ろし、雑踏が部屋に満ちる。人々は思い思いに舞ったが、拍は概ね音楽に沿った。楽想に促されて統一感が次第に大きく彼らを包み、それはさらに膨らみ続ける。楽団はというと、彼らもただ自分の奏でる旋律に身をまかせていた。舞踏が大きなうなりとなり、部屋を覆い尽くし、しまいには部屋までもがそれに呼応するように揺れ動き始めた。最初にそれに気づいたのが誰だったかわからない。誰もその振動に気が付いても何も言わなかった。彼らは踊り始めていて、それをもうやめることができなかった。部屋全体が揺れていた。城が崩れてしまうのだと、大人達は気が付いた。しかし、右足を前に出したら、その次は左足をあちらに出さねばならず、そうしたら今度は左足、という訳で。しかも曲はさらなる熱狂へと突き進むばかり、足を止めるタイミングはなかった。伯爵の顔はさらに険しさを増し、足をさらに高くへ振り上げた。
夢想だ、あまりに夢想的だ!と、男は叫んだ。しかし、その声は雑踏と彼の手元の弦の振動音にかき消された。男とは楽団の一人であった。彼は昨日までその日のパンと、昔抱いた女のことを考えながら音楽を奏でていた。一人の人間の思い煩いとしては少ないだろうし、純粋芸術を究めんとする身としては俗的であった。しかし、彼のそんな物思いもこの時ばかりは彼の頭からは消えた。ただ熱狂が支配していた。何が彼にそのような苛烈な熱狂を与えたのか。その夜も以前の夜となんら変わるることはなかったのに。貴族達はあいも変わらず、少しも自然というものを知らない醜い虚飾に身を包んでいたし、城は外観ばかりが立派で内装は染みたれていた。彼も旅芸人という役柄、身分にそぐわぬ邸宅や催しを何度も見てきたが、このパーティには都会貴族の洗練もなければ、ちょっとした村の地主の結婚式の素朴さもなく、ただ滑稽なけだった。
しかしそこにすでに逃れられない一つの渦が形成されていて、彼はそこに取り込まれていた。夢想だ、あまりに夢想的だ!と叫ぶ彼の顔は喜色を湛えていた。
大きな揺れは続く。
大人達は大きな興奮を感じながら同時に少し困惑していた。理性に逆らって足は止まらず、仕方なしに苦笑いを浮かべて寄り添う相手を見るしかなかった。
他方で若者たちは、揺れなど意に介してはいなかった。彼らは目下の愛に懸命になり、その後のことなどあまり考えていなかった。愛と瞬間の神経の興奮より他に何が大事だと言うのか。コースティの令嬢が膝を付いてパートナーの顔を見上げた時、ついに天井は支える力を失い、大きく砕けて落下した。しかし、彼女はそんなことは気にも止めず、ただ微笑を浮かべて青年の顔を仰ぎ見ていた。
その光景が彼女の終の空となった。
音楽家たちは演奏を続けた。天井の崩落は彼らにも見えた。崩落は随分引き伸ばされ、永遠にやって来ないようにさえ感じられた。興奮の狂乱の渦の中音楽は螺旋を描いてどこかへ飛翔を続けた。
今夜、演奏を始めてからずっと、彼らは音が満ちてほしいと思っていた。既に音に溺れていたけれどそれをさらに無限に継ぎ足したかった。それが天井が崩落している時、つかの間だが音の杯が満ち足りたように感じた。歓喜の楽想が部屋を包んだ。極限まで高められた興奮が美しい勇壮な高揚感へと昇華した。
次いで落盤のノイズが全てをかき消した。
落盤の音で城は目を覚ました。全ては丘に建つ古城の午睡の夢だった。
城は理解した。己がもう随分前にかの一族に売り払われ、人里離れたこの丘でただ滅びを待つ身であったことを。舞踏会の広間は今崩れたが他の部分も損傷がひどく、他の部分も別の建築の石材に持って行かれたり既に崩れてしまっていたりして、半分程度は失われてしまっていた。ゴージィ伯爵がここを治めていたのは一体いつのことになるだろう。遠い昔の話だ。
その時、城の麓に楽器を手にしたみすぼらしい旅芸人たちが通りかかった。「こりゃあ、近くで見てみると随分とでけえ城じゃあねえか」
彼らは城に入り、内装もあらかた崩れ、埃に塗れたその館を物色した。一通り探検が住むと、見つけた広々として比較的ましな状態の部屋に腰を落ち着け、手元の楽器で音を弾き鳴らし始めた。
それは彼らの故郷の音楽だった。彼らは自らの音楽に陶酔し、傍、明日のパンや、昔抱いた女のことを考えていた。
城は彼らの音楽を子守唄にまた長い眠りについた。
あとがき
この話はショスタコーヴィチのトリオ第2番の4楽章を聴いてそれに起因して構想したものです。
精々曲にうなされて書いたポエム、みたいなところだが。
文学の音楽化、という試みは多いけど、音楽の文学化、というのはそれに比べると少ないかなと思います。まあ冷静に考えてうまくいかない。パッと思いつくのは筒井康隆の1812年の何かと、トルストイのクロイツェルソナタか(こっちはさらにそれをオマージュしたヤナーチェクの四重奏があるという複雑さ)、あとは蜜蜂と遠雷で何かリストのピアノソナタについてこんな感じのポエムがあったような。
もしこれを読んでこの曲に興味を持つ数奇な方がいらっしゃいましたら一応アシュケナージ盤を勧めておきます。(もちろん他にも良い盤はたくさんあると思います。)
https://www.youtube.com/watch?v=vD5Bm9Wk368