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神様へのプレゼント  作者: 鈴月桜
第9章 大河内沙耶
35/43

(過去)大河内沙世とは(〜中学)

(大河内沙耶)

父は、新宿区内の病院の消化器内科に、母は都庁の事務員として勤務していた。

二人の住まいは、新宿区の大久保に一軒家に住んでいて、お金には不自由が無い生活を送っていた。ただし父が44歳、母が40歳まで子供が出来なかった両親は、子供を望み不妊治療も行い、子供を切望していた。

そしてこの年、母が妊娠している事が分かり、まだ3週間なのに、いつも遅い父が早く帰宅して生まれてくる子を待ち望んでいた。


そして3か月後、悲劇が両親を襲う。

母に子宮癌が見つかったのだ。治療を優先しないと母の命の保証が無い。父は子宮癌の治療を望んだが、母は一向に受け入れなかった。

さらに歳月が進み、母の信念を受け入れ子宮癌の治療は、お産終了後に全力で行うと父が決意する。

そんな母の信念の元、私は予定日の2日後に生を授かる。


お産が終わり、治療を行うが思ったより進行が早く治療の施しようがない。

そして、私の1歳の誕生日に母は、この世を去ったのであった。

母は、最後まで私の事を愛し、笑顔でこの世を去った。


父は消化器内科の内視鏡治療が有名で、消化器部長に昇格したばかりで、夜も遅い勤務が続く環境であったため、母が亡くなってすぐに父の両親が住む目黒区へ転居した。

祖父も祖母も循環器内科の医師であり、父は一人っ子だったので、全員が医師であった、

祖父は民間の病院で月、水、金、土の週4日勤務していて、祖母は近くの診療所に週3日勤務していた。


私達が住む事になり、祖母が祖父の休みの日の火曜日と木曜日の勤務に変更して、週2日勤務となった。そのおかげで、必ず家には祖父か祖母が居てくれる。

その生活に不自由も感じていなかったが、七五三に神社へお参りに行った時、他の家と違う環境に気づき、初めて質問した。

沙世「私のママはいないの?」

父「ママは天国で働いているから、ここへは来れないんだよ。」

天国の意味さえ分からない私は

沙世「じゃあ 仕事が終われば来るんだよね」

私は、幼稚園に入るまでの間

「ママ早く仕事終わらないかな」と独り言をつぶやくようになっていた。

そして幼稚園に入ると、さらに他の家との環境の違いに疑問を抱き、父に同じ質問をする。


沙世「ママは、まだお仕事?」

父「ママは天国にいるから、もう沙世の前に来れないんだよ」

沙世「何で?」

父は私を遺影の前に私を連れて行き

父「ママは死んじゃったんだよ」

死はどのような事か、詳しくは分からなかったが、もう会えない事は理解していた私は、会いたさのあまり、大泣きした。


その週の日曜日、母が眠るお墓に行き

父「ママは沙世の事を本当に愛していたんだよ。ママは沙世がりっぱな大人になってと、いつも沙世に言っていたから、沙世はいい子になって、立派な大人にならないとね。」

父の言葉を聞き、立派な大人になろうと思った。

立派な大人の意味も分からなかったが、ママが望んだ子になろうと、小さいながら決意した。

それからは、褒められる事があると、「立派な大人になれる?」と質問するのが口癖になっていた。

ただし、幼稚園に通うようになってからは、母が参加する行事が多く、その度に祖母が来てくれるのだが、ママに会いたくなる。

ここの幼稚園の呼び方で、年少、年中、年長と学年の呼び方が決まっている。

年中から入園する子もいるが、私は年少から幼稚園に通い1年が過ぎ、年中になる。

私は私立の小学校を受験するため、年中から塾に連れて行かれるようになった。

そしてもう一つ、家庭に変化が訪れていた。


この頃から、父が女性を家に連れてくるようになったのだ。

私はパパの友達だと思って、接していた。たまに父と私とその女性と買い物に行ったり、遊園地に行ったり、私もその女性の事が好きになった。

父が「琴美」と呼んでいたので、私はその女性の事を「琴美ちゃん」と呼ぶようになっていた。

琴美ちゃんは家に来ると最初にママの所に行き、必ずお祈りする。

そんな姿を見て「琴美ちゃんはママの事を知っているの?」と聞いた。

琴美「私は、沙世ちゃんのママと一緒に仕事をしていたんだよ。ママは、凄く凄く優しくて、立派な先輩だったんだよ。」

沙世「ママは立派な人だったんだね」

琴美「うん。凄く立派な人だったんだよ」

と涙ぐむ。

ママの話をすると、最後に必ず泣いてしまうので、私は自然とママの話を琴美ちゃんにしないように心掛けた。


そして私が年長になった夏、新しい母が出来たのであった。

私は「琴美ちゃん」から「お母さん」と呼ぶ様になった。

その時は、これで皆と同じ様に「お母さん」が出来た喜びさえ感じていた。

そして、10月に入り父が私に話始める

父「4月から、横浜に3人で住む事になったよ。」

沙世「横浜?」

父「うん。パパは病院を辞めて、街のお医者さんになるんだ。沙世とも今まで以上に遊べる時間が増えるよ」

沙世「本当?」

父「うん。本当だよ。いっぱい遊べるよ」

沙世「やったー。横浜行く。明日行こう」

父「沙世ちゃんが幼稚園を卒園したら、横浜に行くんだよ」

沙世「はーい」

そして、横浜の私立の小学校を受験する事を知らされる。

沙世「沙世、頑張るからね。」


月日が流れ受験日の前日

幼稚園から帰り、母と祖母が夕飯の買い出しに出掛ける。

居間でTVを見ていると、奥の部屋から大きな音がした。

大きな音がした部屋に見に行くと、祖父が倒れていた。

どうしたらいいのか分からず、泣きながら母を探しに家を出る。

いつも買い物をするスーパーに行き、母を探すとレジの所にいる母を見つけた。私は母の所に行き「おじいちゃんが倒れてる」と泣きながら大きな声で伝える。

それを聞いた母と祖母は持っていた買い物籠を下に置き、そのままスーパーを出て家に向かう。母は私と一緒に家まで走り、祖母は先に家に走っていった。


家に着くと、祖母が電話をしている。

祖母「救急車をお願い、心筋梗塞だわ。」

そして、住所を伝えて間もなく救急車が来て、祖父と共に祖母も救急車に乗る。

祖母「病院に着いたら電話するね。達彦にも連絡して頂戴。」

祖母が再度「そうだ達彦に赤と伝えて」

母は、何の意味だか分からなかったが、父に電話して、そのままの事を父に伝えた。

祖母から電話があり、近くの大学病院に搬送された事が伝えられると、父にメールを送っていた。

私達も支度をして大学病院に向かう。

そして大学病院に着くと、救命救急センターを案内され母と小走りで向かう。

救命救急センターの入口前に祖母の姿が見えた。

近づくと「ダメだった。」と口を開く

そして、父が駆けつけてきた。祖母から状況を聞き肩を落とす。

しばらくの間、病棟の外にある椅子で待っている。待っている間、祖母は葬儀屋に電話をして、父は病院に電話していた。そして救命救急センターから看護師が押すストレッチャーに乗せられ祖父が出てきた。

ストレッチャーはエレベーターの方に向う、私達も祖父の乗っているストレッチャーの後に続く。

エレベーターは地下で止まり、霊安室と書かれた部屋に入って行った。


私は、そこで動かなくなった祖父を見て、人が死ぬ事がどのような事なのかを知った。

昨日までは、普通に話していた祖父が目の前に居る。私は悲しみよりも、この状況を理解し受け入れる事で頭がいっぱいであった。

母は泣きながら祖父を見つめている。そこへ父が歩み寄り肩を抱き、母は父の胸で泣いていた。

父も祖母も冷静であり、2人で母を慰めている。

祖母が「明日、沙世ちゃん受験だから、先に帰った方がいいよ。私はこのまま葬儀場に行くから」

父「俺も葬儀場に行くよ」

沙世「おじいちゃんの所に居たい」

その言葉を聞いて、祖母が涙を流し私の頭を撫でながら話す

祖母「ありがとうね。おじいちゃんも沙世ちゃんに居てくれると喜ぶわ」

父「受験は辞めよう。中学から私立でも遅くないから」

母も頷いた。


私はママの事を考えていた。

(ママもこうやって亡くなったのかな?ママは私とどんな会話をしていたのかな?)

今まで考えてこなかった事を、この祖父の死から考えるようになり、母とこのまま一緒に暮らす事をママが嫌がっていないか?横浜で暮らすことも嫌がっていないか?私は悩み、自然と母への距離が遠くなった気がした。


母との関係だけでは無く、人との付き合いも必要なのか分からなくなってきていた。その日を境に、自分の心を表に出せなくなった。友達の必要性さえも疑問を感じてしまったのだ。

どうせ友達になったとしても、この様にあっけなく死というものが訪れる。友達の本当の必要性等わからない私は、勝手に判断してしまい、特定の友達を作らないと決心したのであった。幼稚園生が考えるには、とてもとても悲しい選択であった。


そして3月、幼稚園の卒園式も終わり、横浜への引っ越しの日

祖母と別れ、横浜に向かう。


大河内診療所と書かれた家の前で車を止まる。1階が診療所で2,3階が住居となっていた。

東京とは違い、のどかな場所に感じる。コンビニ等はあるが、車の量も人の量も明らかに少ない。人混みは好きでは無かったが、人がいないのも寂しい感じがした。

今までは祖母が一緒にいたので、母との距離を感じさせなかったが、祖母がいないと会話すら成り立たない。決して母の事は嫌いではないのだが、距離がどんどん離れて行くように感じた。


そして小学校生活が始まる。

学校では会話をするが、一緒に帰ろうと誘われても家の理由で断ったり、放課後遊ぼうと言われても遊ぶ事は無かった。

たまに一緒に帰る事もあったが、TVの話や同級生の事等が会話の中心であり、あまり興味もない私は、話を合わせて会話をする。

特に東京の子と何にも変わらないのだが、私自身が前向きになれなかった。

小学校に通い、一般常識も少しずつ増えてくる。愛情、結婚、悲しみ、死等の知識も増えてくる。そんな知識が増える事で、私はママに色んな事を重ね始める。

ママからの愛情、ママの結婚生活、ママの悲しむ姿、ママの死、どれも記憶に無いために、想像だけが増幅する。日に日にママへの想いが一層深くなっていく。


特にお母さんがいる時は、甘える事も出来なくなっていた。

物を強請るのも、わがままを言うのも、父にしか言えなくなっている。

お母さんの事は、本当に嫌いでは無いのだが、ただ、ママの事を想うと素直に甘える事も出来なかった。

そんな生活が5年間続く、5年生の終業式が終わり春休み


春休みが始まって最初の土曜日の事である。この日は、母が高校時代の同窓会に出席して、そのまま東京の母の実家に泊まる事となっていた。

父と土曜日の夕方から2人きりになるので、私は今まで話せなかったママの事を聞こうと決心していた。

土曜日の診療時間は午前中だけであり、診療が終わった父は家に帰ってきた。

そしてしばらくして、母が家を出る。

母「では行ってきます。」

父「たまには羽を伸ばして、楽しんで来いよ。」

母「ええ。ありがとうね。では行ってきます。」

私も母に「いってらっしゃい」と笑顔で送り出す。

母が玄関を開け外に出た。

母が出て、直ぐに父に話しかける。

沙世「パパ。話があるんだけど」

父「何か欲しい物でもあるのか?」とふざけて言葉を返す父に、真剣な表情をして

沙世「ううん。ママの事について教えて欲しいの。」

父「ママ?」

沙世「私を生んだママの事」

父の表情が笑顔から真剣な表情に変わった。

父「そうか。ママの事か・・・」

父は自分の書斎に行き、丸めてあるポスターとアルバムを持ってきた。

そして、ポスターを見えるように広げる。

すると、都職員募集と書かれたポスターであり、真ん中に遺影でしか見た事が無いママの姿が映っていた。


父「ママは都庁のポスターに抜擢される程、本当にきれいな子だった。彼女は都庁で働いていて、都が開催する健康セミナーの担当で、大学にセミナーの依頼をしていて、当時の教授からパパがセミナーをやるように言われて、打ち合わせをするため都庁に行ったのがきっかけだった。パパは一目惚れしてしまった、勿論、彼女には付き合っている人がいたみたいだけど、何度も何度もアタックして、やっとの想いで付き合う事に成功した。」

沙世「それって ストーカー?」

父「違うよ。ちゃんと約束して、何度も食事に誘った。沙世が好きな物を諦めない様に、パパも、どうしても欲しい物を諦められなかった。」

沙世「沙世に例えるのは止めて。全然違う事だよ」

父「ごめんごめん」

そして話の続きを再開する


父「そして、1年後に結婚する事となったけど、全然、子供が出来なかった。ママは会社に勤めながら子供が出来るように病院に通った。どうしても子供を産みたかったんだと思う。

そしてママが40歳になった時、やっと子供がママに宿った。二人は本当に喜びあったが、喜びも束の間、3か月後、ママが癌を患っている事が分かった。ママは絶対に子供を産むと言って、誰の言う事も聞かなかった。本当に赤ちゃんを産みたかったんだと思う、そして沙世に会いたかったんだと思う。」


私はその言葉を聞き、涙が湧き出てきた。

そして父の話は続き、ママが私に一生懸命話しかけた事、産んだ事を後悔していなかった事、死ぬまで私の事を愛していた事等、詳しく教えてくれた。

私は望まれて生まれた事、本当に愛されていた事を知り、涙が止まらない。

話しはママから、お母さんの事に変わっていく。

「お母さんはママの後輩で、パパとママが付き合う前から、ママと仲良かった。

ママが死んでからも、ママのお墓に何度も花を供えに来てくれていた。

ママは病室で、私が亡くなったら、たまに琴美ちゃんを見てあげてね。あの子は、私が死んだら、気落ちして何するか分からないから。

と言われていたけど、勝手に連絡するのも厚かましいから、パパからは連絡をしなかった。

そんなお母さんと再会したのは病院で、ママと同じ病気の子宮癌を患い子宮全摘手術を受けていたのを知った。」

小学生には分かりづらいと思い、言い直す。

「子宮を全部取っちゃう手術の事だよ。勿論、取らないと死んじゃうし、取っちゃうと子供が産めなくなる病気で、女性にはとてもつらい病気なんだよ」


「そして何度か病院で顔を合わせて、何度か会うようになって、交際が始まった。

パパは、勝手にこの子ならママも許してくれる。と自分の都合のいいように思い始め、結婚を申し込んだけど、断られてしまった。」

結婚は断られたけどパパ達は度々会っていて、お母さんの気持ちが変わったのは、沙世が幼稚園の年中の運動会だった。沙世が障害物競争で転んで泣きながらゴールしたのをグランドの端で見て、その時に結婚を決意してくれたそうだ。

何故、その時に結婚を決意したのか分からないが、その後に僕の再プロポーズを受け入れた。」

私は父が困る質問をした。

沙世「パパはどっちの方が好きなの?」

パパは、あっさり答える

父「勿論、1番」は美樹ママだよ。琴美は2番かな。ママとの結婚式で、僕が生きている間は、どんな事があっても世界で1番、美樹の事を愛しますと誓ったからね。そして美樹は亡くなったからパパの1番は変わらないんだ」

私はそれを聞き、お母さんが可愛そうに思えた。

そして、私はパパに今の私のお母さんに対する気持ちを打ち明けた

沙世「私はどうしても、お母さんの事をママと呼べないの。本当に嫌いではないんだけど、どうしても呼べないの」

止まりかけていた涙が再度、湧き出てくる。

その時、後で物が落ちる音がする。いつから居たのかお母さんが鞄を落とし、泣きながら私の所にきて、私に抱きつき

「沙世ちゃん、ごめんね。沙世ちゃんのママは、これからも美樹さんだよ。ごめんね」

お母さんは私を抱く手に力が入り強く私を抱いた

沙世「お母さん・・・・」

私は母がいた驚きと母の言葉に何も言えなかった。

母「美樹さんは、本当に本当に沙世ちゃんを愛していたの。美樹さんが愛した沙世ちゃんを私も一生愛していきたい。たとえ2番目でも3番目でも構わない。勿論ママと呼ばなくても構わない。私は一生沙世ちゃんを愛するから」

と泣きながら私に向かって話す。

お母さんの言葉は、私の胸に響いてきた。お母さんも本当に私の事を愛してくれている事が伝わってきた。その言葉は、お母さんに対する重い重い扉が、開いたように感じる。

沙世「お母さん、私もお母さんの事、大好きだよ。本当だよ」

私はお母さんの胸に顔を埋め泣きながら

沙世「お母さんごめんね。私、どうやって生まれたのか?どのように愛されていたのか知りたくて、お母さんに嫌な思いをさせちゃった。」

母「ごめんね。話そうと思っていたんだけど言えなくて、沙世ちゃんに嫌な思いをさせちゃったね。」

しばらく2人で抱き合い泣いていた。

結局、お母さんは同窓会には行かず、家に一緒に居た。

私は、この時「産婦人科医」になろうと決心した。ママと母を苦しめた病気を無くしたいと考えたからであった。

パパとお母さん。他の家族から聞いたら不思議だと思われるが、私達家族は本当に仲の良い家族になったと感じた日でもあった。

私はママの優しさ、言葉を直接知らないけれど、お母さんが私に見せるやさしさ、言葉こそが、きっとママが生きていても、同じやさしさや言葉なのだろうと感じた。

「ママが」「お母さんが」では無く、今のお母さんの言葉ややさしさが2人の母の言葉なのだと思った。そして私は(何て幸せな子なんだ)と感じた。

2人の母に同時に愛されているのだから


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